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世の中には百%の悪も善もなし。スターリンやヒトラーや毛沢東もよいこともしたし、知性やインテリジェンスもあった?[2026・8・25・火曜日]河西陽平氏の『日ソ中立条約スターリンのインテリジェンス』(角川新書)を読みました。河西氏の『スターリンの極東戦略1941-1950インテリジェンスと安全保障認識』(慶應義塾大学出版会)は「積ん読」したままでしたので、まずは角川新書のほうを読了したしだいです。先日読み終えて読後感を綴った赤城毅さんの『ミッドウェイ海戦』(文春新書)で
2017-6-13以下は前章の続きである。では、日本では何か誕生したかというと、右翼が誕生しました。もちろん、左翼、共産党もありましたが、戦前の共産党はコミンテルン日本支部共産党と言っていました。完全にソ連からの指令とお金と武器が入り込んでいた。しかも、コミンテルンの指示の中には、「皇室をなくせ」というものが入っていたので、徹底的に取り締まられました。ですから、戦前の共産党というのは、無視できるくらいの勢力でしかなかったのです。そういう状況であったため、ソ連で革命勢力ができた
【8月23日、スターリンが日本人強制移送を命令――忘れてはならないソ連の蛮行】8月23日は「シベリア抑留の日」です。昭和20(1945)年8月23日、ソ連のスターリンは、日本軍捕虜をソ連領内へ移送し、強制労働に従事させる命令を出しました。日本がポツダム宣言受諾を表明し、戦闘終結へ向かっていたにもかかわらず、多くの日本人が故郷へ帰ることを許されず、シベリアや中央アジアなどへ送られました。いわゆる「シベリア抑留」です。零下40度の地獄…シベリア抑留を生き延びた兵士の証言戦後、多く
えーと、2回ほどに分けて北方領土のお話をしようと思いますMap:外務省webサイトで、このアメブロ上でも「プーチンの北方領土訪問」について、批判、というか、非難の声が上がっていることは十分承知しています「許せない」というお気持ちはごもっともしかしよくよく考えてほしいのはロシアをいくら非難しても💩プーチン・クソ💩と、いくら罵っても北方領土が返ってくるわけではない私は一日も早く北方領土が戻ってきてほしいし少なくとも2島(歯舞諸島と色丹)に関し
第二次世界大戦末期の1945(昭和20)年2月初旬、クリミア半島のヤルタで、米大統領ルーズベルト・英首相チャーチル・ソ連首相スターリンが集まり3ヶ国首脳会談が行われました。その際ルーズベルトは、ソ連による千島列島・南樺太の領有を認めることを条件に、日ソ中立条約を破棄して対日参戦するようスターリンを促します。これが所謂〝ヤルタ密約〟ですが・・・実は狡猾・貪欲なスターリンは、終戦直後に北方4島を含む千島列島全島の領有だけでなく、日本のシベリア出兵(↓)に対する代償という口実で、北海道の半
1860年からのクリミア戦争で、ロシアは自国兵士の命を大量に犠牲にしても領土の拡張に固執した(ウクライナ戦争でのロシアと同じである)。それを分析したマルクスは、『18世紀の秘密外交史』のなかで、ロシアでは大国主義と専制主義が結びついていることを明らかにする。この本は徹底したロシア批判が含まれていたが故に、スターリンの指示により『マルクス・エンゲルス全集』には掲載されなかった。ソ連崩壊後の一時期、北方領土問題が動いたのも、スターリン主義の残滓がロシア国民をも苦しめていたからである
5時半起床朝黒糖ロール&ギリシアヨーグルト午日替わり弁当晩豚肉もやし炒め&冷奴帰宅後、散髪聴いた曲スターリズムザ・スターリン※EP
個人的に、車を使う様になって、まだ10年と浅いのだが、その間に、何度も違反切符を切られた!本当の些細な事だが。一時停止を少しはみ出した。オレンジ色の車線変更禁止を少しはみ出した。右折の矢印→が出る少し前に右折した。などである。最初の1年は、免停にリーチ?本当は免停だが初犯の為に、執行猶予みたいになり、門前仲町の交差点で交通誘導の旗振りをして、間逃れた!1年で免停リーチとは先が思いやられる。当時は古物市場で買った商品を車に積んで帰る
◆プーチン大統領が北方領土訪問プーチン大統領の北方領土訪問を受け、米国務省は(8/14)ロシアのプーチン大統領が実効支配する北方領土の択捉島を初めて訪問したことを受け、アメリカ国務省の報道官は13日、「アメリカ政府は北方領土の日本の主権を長年にわたって認めてきた」とコメントし、日本の立場を改めて支持しました。その上で、「我々はインド太平洋地域の平和と安定を損なうことを目的としたいかなる行動にも強く反対する」と述べ、プーチン大統領の択捉島訪問を念頭に、ロシアをけん制しました。(引用終
先の大戦で英米ソは日本がなかなか降伏しないことに手を焼いてました、そこで1945年の2月にこの三国のトップであるチャーチルとルーズベルトとスターリンがソ連のヤルタで会談を行いました。日本とソ連は相互不可侵条約を結んでいたので日本を攻撃するのは実質的にアメリカでした。そこで、ヤルタに集まった三国のトップはソ連に対日参戦を求めたのです、代わりに戦後北方領土をソ連に与えるという条件を付けて。ここら辺は近代史の常識であるのに、歴史改竄が好きな日本国民には意図的にソ連だけが悪いと言いたい人が多くいま
↑↑↑年によって、バージョンが変わることがございますが、私は、毎年、このバトンリレーにしております。私に選挙権があるわけではございませんが、まずは、任期満了でお辞めになった画期的でございました前市長さんから。今日は長崎の日。ということで、今日の「歌謡曲だよ、成澤弘子」は、長崎市民の皆様がお歌いになります「クスノキ」。作詞・作曲:福山雅治今日、高市早苗は、そういう「木」があるそうですねと、スピーチに取り入れましたが、今頃?おっくれてる~~~!!なんなら、ドラム
あった買った編集盤じゃないよぉスターリンがもっとも過激と呼ばれた頃の音源これで…trashがCD化になればなぁ~ゆきっち
📌この記事の要約日本のレッドパージ:裁判も法律も無視して、政治や権力を批判する人を一方的に社会から追い出した「ルール無用の弾圧」。西ドイツの現実:日本のような無法なレッドパージは行われず、すべて「憲法(ルール)」に基づいて判断された。KPD(西ドイツ共産党)解散の真相:解散させられたのは左派だからでも共産主義だからでもなく、**スターリンを崇拝し、独裁を目指した「スターリン主義集団」**だったから。1.日本の「レッドパージ」はルール無視の言論弾圧だった戦後の日本で行われ
このほど、ロシアが日本の北方領土のうち、色丹島と歯舞群島をゾルゲ島と呼ぶことにしたんですって!まったく、どこまでも人を小ばかにした話でしょうね~~~。ゾルゲについて調べてみると、岸恵子の元夫が撮った映画「スパイゾルゲ~真珠湾攻撃前夜」の映画を観て、プーチンはスパイになろうと思ったんですって!!いったいロシアでは、北方領土についてもゾルゲについても、どんな物語を作って国民に信じ込ませているんでしょうね。北方領土についての「たら・れば」を申せば、日露戦争の仲介役を買って
ロシアの中のソ連さびしい大国、人と暮らしと戦争と馬場朝子著現代書館発行2022年9月25日第1版第1刷発行1970年よりモスクワ国立大学に6年間留学し、帰国後NHKに入局して、ソ連・ロシアのドキュメンタリー番組を40本以上制作し、退職後2012年から5年間、再びモスクワに移り住んだ著者による本です。ソ連時代からウクライナ侵攻まで、著者の実体験をもとに、分かりやすく叙述されています。はじめにロシアはソ連へ回帰するのかソ連が最も安定繁栄していた時代として、ブレジネ
イワン雷帝(一部二部)を観た。本来三部作だった巨匠・エイジェンシュタインの旧帝政ロシア時代を描く歴史大作は、スターリンの理解を得られずに、二部で制作が頓挫した。きっと共産圏独裁者のわがままなんだろうと思って見たら、スターリンの言う通りだった。第一部はよく出来てるのに、パートカラーの仕掛けがある第二部はぜんぜん面白くない。屋外撮影はエドゥアルド・ティッセ、室内撮影はアンドレイ・モスクヴィンとカメラマンを変えたらしいが、二部はほとんどが室内。美術監督ヨセフ・シュピネリの作った異様なデザインの城内は見
【ウクライナ西部は歴史的に西側の領土、いずれ再統合される=露大統領】ウクライナ領の保全を保障してきたのはロシアであるが、ロシアが敵扱いされる以上、西部の領土はいずれ西側に吸収される。プーチン大統領が指摘した。今日のウクライナ西部はかつてルーマニア領、ポーランド領、ハンガリー領だったが、当時の指導者スターリンの政策によりいずれもウクライナ領となった。プーチンはロシア正教会から神の祝福を受けているから怖いものはないのです—よし(@YosohikoH)July27,
外務省海外危険情報によるとジョージアは危険度1から3まで危険情報が出てます。トビリシからゴリ方面の高速道路から見た風景ですが、撮影地点は高速道路上車内で危険度1で基本的に安全な地点。黄色い線はジョージアと南オセチアの境界でジョージ側管理区域の危険度2または3の地点。黒い線の緑の看板は南オセチア側管理区域で危険度3の地域。南オセチアは実質的にロシア支配下となってます。ゴリまで行って来たんですが、ゴリはスターリンの生誕地。
*7月18日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君と近現代史のしらたま教授との歴史トーク、今回のテーマは昭和戦時中の外交官・杉原千畝です。本日は、ユダヤ難民の運命のおはなし。あんみつ「しらたま先生、独ソ開戦と時を同じくして、ナチスによるユダヤ人最終的解決、すなわちホロコーストが激化。ヨーロッパ中に約980万人いたユダヤ人総人口のうち、約586万人が殺害されます。国別最大はドイツに占領されたポーランドの300万人」
第二次世界大戦中のナチス・ドイツによる計画的な破壊工作で市の建物の約85%が灰燼に帰したワルシャワ。「奇跡的に破壊を免れた主な建築物として大統領官邸、プリジナ通り(ワルシャワ・ゲットー地区)、クビキ・アーケードの3つ」と言われています。」美しく復興した旧市街。ビルが立ち並ぶ新市街。復興の街。印象的な街です。「ワルシャワ駅近郊巨大アーケード」ブランド店が並ぶアーケード。買い物天国「ワルシャワ駅」設備の整った綺麗な駅でした。駅中の店には、ラーメンや小籠包があっ
何と、ポワロの発見したバラが新種と認定されるという面白いシチュエーションからスタートします。発表会の会場で、資産家の老婦人から声を掛けられ、バラ苗の袋を渡されたポワロ。更に帰宅すると、その老婦人から捜査を依頼する手紙が。しかし、婦人の自宅を訪問すると、何と婦人は急死していた!しかも、家にいるのは訳アリのロシア人メイドや、破産して無一文で転がり込んだ姪、大酒のみのその夫と、くせ者揃い。やはり、婦人は遺産狙いの家人に殺されたのか・・・・?今回正反対の役割で大活躍するヘ
「もうだめ!」という時こそ、何かが生まれます。〈今日も一日お元気で365日20日〉「人間、志を立てるのに遅すぎることはない」とスターリン・ボールドウィンは言いましたが、むしろ、もうだめ、もう遅い、という時こそ、濃縮された、中身の濃いアイディアが生まれてくるものです。もうおしまい、という時はいつも、これが始まり、It'sjustbeginning.そう人生を歩んでいきたいものです。
豪華新造客船、クイーンメリー号に乗りたくて思いをはせるヘイスティングス大尉。大西洋横断最速、ブルーリボンをかけて英仏独が威信を争った優雅な時代。一方で、ロンドン・スコティッシュ銀行ではババソア経理部長と出勤中だったショー営業部長が、車に轢かれそうになる。更に数日後、ショー部長のコーヒーに毒が盛られ、倒れてしまう。ショー部長は、近々ニューヨークでの取引の為、無記名債券100万ドルを運ぶことになっていた。困った銀行では、ショー部長の部下、リッジウェイに債券を持たせてニューヨークへ派遣し、債券
左右の全体主義国家(ナチスドイツ・スターリンソ連)に支配されたポーランドの悲劇とは[2026・7・19・日曜日]吉岡潤氏の『戦うポーランド第二次世界大戦とポーランド』(群像社)を読みました。開戦後まもなくナチ・ドイツに占領されながら不屈の抵抗を続け地下国家を築くポーランド国民。ロンドンの亡命政府やソ連の支援を受ける共産主義者など複雑な勢力図のなかでで生まれた国家再建構想は戦後の現実政治のなかでどう変わったのか。史料とともに戦ったポーランドの消長を追う。絶版を復活させた増補改訂
最近読んだ本。オリガ・モリソヴナの反語法(集英社文庫(日本))[米原万里]楽天市場米原万里さんの「オリガ・モリソヴナの反語法」です著者の米原万里さんがプラハのソビエト学校にいた時に実在したオリガ・モリソヴナという教師をモデルに、彼女の過去を探っていくフィクションです。永遠の50歳(本当はもっと歳をとっている)、濃い化粧、強烈な香水の匂い、時代遅れのファッション、そして、濁声で響き渡る褒め言葉。「ああ神様!おお驚嘆!まあ天才!」「あらまあ震えが止まらなくなる感
何を言われようが、動じない強い男でありたい。笑い飛ばすくらいラフな!自称ですが温厚な人間です。温厚を強く意識している。高田純次さんみたいに気にしない感を作り生きているつもりである!実際、ああいう方こそ繊細だと思っているが。だが人間なんで言われて不愉快になる言葉があります。ギャグとして読んで頂けたら幸いです。皆様は言われた事ないですか?不愉快になる言葉を!太った?ちび?歳食った?バカ?とか当たり前のやつは除外します。いやそれでも良いから教えて下さ
(記憶の中のソ連裏表紙)第4章スターリンの死と時代の終わり証言:ラジオが24時間体制でスターリンの病状を伝えていたのを覚えている。2~3分ごとに「こうなりました」、「ああなりました」とラジオから聞こえてきた。スターリンの死は、まず共産党や政府の権力争いの発端となった。その中でもスターリンに最も近い位置にした部下のベリアと、彼に反対するフルシチョフとその協力者の間で対立が深まった。スターリンの死後、ベリアの影響力は増すと思われた。それは内務省や秘密警察とのこれまでのネットワー
プーチンも、トランプも、戦争が簡単に終わると思っていたのでしょうね。ところが泥沼に入り込んでいる。ベトナム、アフガニスタン、イラク等々、前例が沢山あるのに学んでいないのだろうか?そもそも、こういう連中を権力者につけてはいけないのだ。ヒットラー、毛沢東、スターリン等々、我々も学ぼう。塵の幸せ学入門Amazon(アマゾン)
現在の概念のままでは、過度な卓越性が求められ、指導者にとってもプレッシャーとなり、間違いを犯しやすい。指導される側にとっても、「あなたは間違っている」と言いにくい。結果、党員と党組織は活力を失う。スターリンを外すことを提案したレーニンを思い起こす。