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北京五輪の金メダリストでスキージャンプ日本代表の小林陵侑選手がアイスランドのアクレイリに特設されたジャンプ台で、非公式ながら291メートルの世界新記録を達成したそうですね!!その映像が圧巻で見入ってしまいましたスキージャンプ・小林陵侑夢の“限界突破”驚異の291mで世界新記録(2024年4月25日)北京オリンピック・スキージャンプ金メダリストの小林陵侑選手が24日、アイスランドの特設スキージャンプ台で、291mの飛距離を記録し世界新記録を樹立した。これまでの記録
なんと早いことか?今日は4月も最後。一年の1/3が終わりです。日の流れの早さを感じるのは、日々何も感動のない年寄りの傾向らしいです。悔しいけれどその通りです。今日は朝方までの雨のはずだったのに昼になってもそこそこ降ってます。今日のアップは少し遅れましたが、訃報の方を。日の丸飛行隊!若い人には分からないだろうなぁ。この頃は爺さんも感動が多くありました。
スキージャンプ小林陵侑の世界記録が認定されなかった理由驚異の291メートルも従来の世界記録を37.5メートルも更新スキージャンプの小林陵侑(27)が4月24日、アイスランドのフリィザルフィヤットル・スキーリゾートの雪山に特設されたジャンプ台で、291メートルの世界新記録を樹立した。従来の世界記録253.5メートルを37.5メートルも更新する大ジャンプ。2022年北京冬季五輪の男子ノーマルヒル金メダル、ラージヒル銀メダル、ワールドカップで日本人男子最多の通算32勝を誇るエースがついに打ち立
きっと、ジャンプ中はフロー状態だったでしょうね。スキージャンプ小林陵侑の世界新記録が認定されなかった理由驚異の291メートルも従来の世界記録を37.5メートルも更新スキージャンプの小林陵侑(27)が4月24日、アイスランドのフリィザルフィヤットル・スキーリゾートの雪山に特設されたジャンプ台で、291メートルの世界新記録を樹立した。article.yahoo.co.jp
この日は烏天狗Kも一緒でした。最初は橋龍でネギラーメンでも食べようと思ってましたけれども、烏天狗Kが故郷本店はどうかと言うので、行って見る事にしました。青少年会館から5~6分でした。それにしても、岩手山がどこにも顔を出すな。(笑)場所的には盛岡中央高校の斜め向かいになります。卒業生の小林陵侑君も凄いね。スキージャンプでワールドカップ優勝ですよ。大谷翔平、菊池雄星など、岩手は世界レベルの人材輩出ですよ。正面入り口の駐車場は大きい車はちょっとゆる
おはようございます。今朝は、まさに青天という朝になりました。朝のゴミ出しの時の陽ざしは日光が刺さるように痛い感じです。連休中の天候は、飛び石になりそうなので我々みたいなこちらにいる者には、タイミングが大事です。お約束の浅草、上野もやはり晴れた日に行くのと、そうでないのとはかなりの違いがあります。今日は、絶好の日と言えます。今日のスカイツリーは、薄い感じで写っています。足立市場前は、久々のJR単独で撮れました。まだ、休みは始まったばかりですので、楽しんでお出かけ下さ
2024年4月23日天に召されました今は亡き父と札幌オリンピックのテレビ観ていました札幌オリンピック70m級ジャンプ日の丸飛行隊1972虹と雪のバラード/トワ・エ・モワ1972札幌オリンピック
昨日、GW初日・・・1972年札幌冬季オリンピック70メートル級ジャンプで、世界一美しい飛行を見せ、見事、金メダルを獲得した笠谷幸生さんの訃報に接しました😢享年80歳💛今でも思い出す、笠谷選手の大活躍💛同時に、トワ・エ・モアが歌いヒットした、このオリンピックのテーマソング『虹と雪のバラード』が大好きです(^^♪笠谷選手の訃報に接し、昨夜、急遽、ギター弾き語りし、YouTube<累計135曲目>にアップしました!🎸使用ギター:桜井正毅さん製作のクラシックギター♪
札幌冬季オリンピックのスキージャンプ70m級で、金メダルを獲得された。スキージャンプが何なのか、まだ、よく知らなくて、高所恐怖症の私には、信じれない競技だった。その70m級で、日本人初の金メダリストで、銀メダルも銅メダリストも日本人、日の丸飛行隊と呼ばれていた。あの時、週刊誌にも、いろいろと書かれていたけど、ちょっと、かっこいい人だなぁ~と思ったのは、確かだった。スキージャンプに興味をもったきっかけにもなった。時々、名前を聞くたびに、お元気なんだと安心していた。今月の23日に、虚血性心疾患で亡く
1972年の札幌冬季五輪でスキージャンプ70メートル級の金メダリスト、笠谷幸生さんが23日に亡くなっていた事がわかりました。80歳でした。札幌五輪のスキージャンプ⛷️見たよなあ。。何故かジャンプだけは必死で見ていた。まだ8歳くらいだったのに。笠谷金野青地と日本選手が金銀銅メダル独占したオリンピックでした。金野青地のお二人ももはや亡くなっていたんやね。ホントに興奮したもんでした。そんなわけで昨日のやきう。4月26日東京ドーム讀賣2-7横浜大洋戸郷は7回1失点に抑えたがリリ
教壇の端に立ち、気をつけの姿勢から前傾を深める。大丈夫、下で待ち構える友がちゃんと受け止めてくれる。そう信じて怖さを振り払い、つま先で踏み切る――。幼いころ、雪に縁はなかったが、度胸と友情を試す、ジャンパーごっこに熱中した記憶がよみがえった。▼冬のオリンピックで初の金メダリストに輝いたスキー・ジャンプの笠谷(かさや)幸生(ゆきお)さんが逝った。まだ五輪が国威発揚の場だった時代である。しかも地元開催で、金メダルの最右翼という重圧がのしかかる。それでも持ち前の美しい飛型は崩れなかった。日の丸飛行隊
❄虹の地平を歩み出て影たちが近づく手を取り合って・・❄1972年の札幌冬季オリンピックで、日本中を興奮の渦に巻き込んだ「日の丸飛行隊」。その中心にいたのが、笠谷幸生選手でした。残念ながら、鳥人の訃報に接しました。享年80。船木さん「本当に偉大な方」日の丸飛行隊・笠谷幸生さん死去冬季五輪で日本人初の金【報道ステーション】(2024年4月26日)1972年の札幌オリンピックで金メダルを獲得し“元祖・日の丸飛行隊”として知られる、笠谷幸生さんが亡くなりました。スキー板を平行にそろえ
トワエモワの「虹と雪のバラード」🌈が華やかに流れた札幌五輪❄️1972フィギュアスケート🛼氷の妖精🧚♀️愛らしいジャネットリン。演技中の可愛らしい尻もちに、日本中が大きなため息をついた。☃️もう一つ、国民を大いに沸かせたのがスキージャンプ⛷その表彰台で金銀銅メダル🥇を独占した「日の丸飛行隊」の「笠谷幸生」さんの名前が新聞の訃報で、記憶から甦った。前人未到の最長不倒。誰よりも遠く飛んだ大ジャンプに心が躍ったことを思い出す。現在の世界に誇る日本🇯🇵のスキージャンプの栄光は、
スキージャンプ「日の丸飛行隊」笠谷幸生さん死去札幌五輪の1972年生まれ・葛西紀明1972年札幌冬季五輪スキー・ジャンプ男子の70メートル級で優勝し、日本人で初めて冬季五輪の金メダリストとなった笠谷幸生さんが23日、虚血性心疾患のため、札幌市の病院で死去した。80歳だった。北海道の余市高から明大に進み、1964年のインスブルック冬季五輪に出場。ニッカウヰスキー入り後の68年のグルノーブル大会にも出場した。72年2月開催の札幌冬季五輪では笠谷さんが優勝、2位に金野昭次さん、3位に青地清
北京五輪金メダリストの大ジャンプ小林陵侑291mの“大ジャンプ”前人未到の飛距離!【スーパーJチャンネル】(2024年4月25日)スキージャンプの小林陵侑(27)が飛距離291メートルの大記録を樹立しました。■小林陵侑(27)291m“大ジャンプ”場所はアイスランドの雪山に作られた特設ジャンプ台。高低差が通常およそ140メートルのところ、360メートルという特大サイズです。北京オリンピックの金メダリストが挑んだ実際のジャンプ映像です。...youtu.be小林陵侑、凄いですけど、無謀
札幌五輪金メダリスト笠谷幸生さんが亡くなられた。まだ80歳‥。1972年札幌五輪で熱烈なジャンプファンとなった。70m級の表彰台独占ではなく、日曜日に開催された90m級を手に汗握って中継を観た時からだ。風が悪く待ちに待ってスタートし、横風に煽られ失速。優勝はポーランドのフォルトナ。こんな自然に逆らい、自然に左右される競技があるのか?と神秘な世界だった。同時にあまりにも自分には別世界で、だから憧れた。1988年カルガリー五輪の解説は笠谷幸生さんだった。鳥人ニッカ
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2024/04/26/kiji/20240425s00074000836000c.html「日の丸飛行隊」笠谷幸生さん死去80歳札幌五輪スキージャンプで日本初の冬季金メダリスト-スポニチSponichiAnnexスポーツ1972年(昭47)札幌冬季五輪のスキージャンプ70メートル級(現ノーマルヒル)で優勝し、日本初の冬季五輪金メダリストとなった笠谷幸生(かさや・ゆきお)さんが今月23日に虚血性心疾患のた
札幌五輪「日の丸飛行隊」金1972年札幌冬季オリンピックのスキー・ジャンプ70メートル級(現ノーマルヒル)で表彰台を独占した「日の丸飛行隊」の一員で日本人初の冬季五輪金メダリストとなった笠谷幸生(かさや・ゆきお)さんが23日午前7時35分、虚血性心疾患のため札幌市の病院で死去した。80歳。北海道出身。葬儀は近親者で行った。訃報:笠谷幸生さん80歳=元スキージャンプ選手、札幌冬季五輪金メダリスト|毎日新聞札幌五輪「日の丸飛行隊」金1972年札幌冬季オリンピックの
今日は休みをとって、冠動脈CTをイオバミドール血管造影剤を注入して撮影。CT撮影技師が造影剤注入しますの掛け声で、首から足のつま先までいっきに熱い物が流れます。結果は来月。スキージャンプ「日の丸飛行隊」笠谷幸生さんが死去勝木紀昭会長が追悼「功績は日本スキー界の代えがたい宝」札幌五輪で日本人初金メダル-スポーツ報知1972年札幌冬季五輪スキー・ジャンプ男子の70メートル級で優勝し、日本人で初めて冬季五輪の金メダリストとなった笠谷幸生さんが23日、虚血性心疾患のため、札幌市の病院で死去し
と呼ばれた札幌冬季五輪金メダリストの笠谷さんがお亡くなりになりました。スキージャンプ70m級・日本人が独占したのを今でも思い出します・・・。金笠谷選手銀金野選手銅青池選手当時”スキージャンプごっこ”で遊んでいた記憶がありますね。数十年後!札幌旅行では・・・ジャンプ台や真駒内を巡りました。そうそう!トアエモアの”虹と雪のバラード”は本当に良い曲です♪銀板の妖精・・・ジャネットリン選手!あ
1972年(昭47)札幌冬季五輪のスキージャンプ70メートル級(現ノーマルヒル)で優勝し、日本初の冬季五輪金メダリストとなった笠谷幸生(かさや・ゆきお)さんが今月23日に虚血性心疾患のため死去したことが26日、分かった。80歳。72年2月6日、宮の森競技場で行われた70メートル級は1回目のリードを守り切り、日本人初の冬季五輪金メダリストに。銀に金野昭次、銅に青地清二と日本が表彰台を独占し「日の丸飛行隊」と呼ばれた。「日の丸飛行隊」笠谷幸生さん死去80歳札幌五輪スキージャン
昨日は大変暖かかったですお散歩に出かけたら暑すぎて長袖のシャツを袖まくりしてしまいましたゴールデンウィーク中はおおむね晴れて暖かいようです僕はゴールデンウィーク中はおとなしくしている予定円安とは関係なく混雑回避の予定です。昭和は遠くなりにけりスキージャンプの笠谷幸雄さんが80歳で亡くなりました札幌オリンピックで日の丸飛行隊と呼ばれて70メートル級で表彰台を独占したのも印象深かったです高所恐怖症の僕にとってジャンプ台に上るだけで尊敬の対象でしたご冥福をお祈
1972年の札幌オリンピックのスキージャンプで日本選手が表彰台を独占した「日の丸飛行隊」のひとりで、金メダルを獲得した笠谷幸生さんが4月23日に札幌市内の病院で亡くなりました。記事以下↓https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240426/k10014433671000.html「日の丸飛行隊」笠谷幸生さん死去80歳札幌五輪で金メダル|NHK【NHK】1972年の札幌オリンピックのスキージャンプで日本選手が表彰台
1972年(昭和47年)札幌オリンピック、スキージャンプ70メートル級ジャンプの金メダリスト、笠谷幸生さん逝去。80歳。80歳なら天寿まっとうとおもいたい。70メートル級というのは、いまのノーマル・ヒルのことだ。笠谷・金野・青地がワンツースリー・フィニッシュで「日の丸飛行隊」と呼ばれ、この呼称は、半世紀後の今日も使われている。笠谷選手は、90メートル級=ラージヒルでも1本め100メートル以上飛んで2位につけた。二冠獲得に期待が集まったが、2本め、空中に飛び出したところで横風に煽られ、
「日の丸飛行隊」笠谷幸生さん死去80歳札幌五輪で金メダルhttps://t.co/VDPWRZ0t8T#nhk_news—NHKニュース(@nhk_news)April25,2024「日の丸飛行隊」笠谷幸生さん死去80歳札幌五輪スキージャンプで日本初の冬季金メダリスト72年2月6日、宮の森競技場で行われた70メートル級は1回目のリードを守り切り、日本人初の冬季五輪金メダリストに。銀に金野昭次、銅に青地清二と日本が表彰台を独占し「日の丸飛行隊」と呼ばれた。pic.
1972年札幌冬季五輪スキー・ジャンプの70メートル級(現ノーマルヒル)で優勝し、日本人で初めて冬季五輪の金メダリストとなった笠谷幸生(かさや・ゆきお)さんが23日午前7時35分、虚血性心疾患のため札幌市の病院で死去した。80歳。北海道出身。葬儀は家族で行った。喪主は妻則子(のりこ)さん。後日お別れの会を開く。北海道の余市高(現余市紅志高)から進んだ明治大時代の64年、インスブルック五輪に出場した。ニッカウヰスキー入社後は70年世界選手権70メートル級で2位になるなど、力強い踏み切りと美し
#養生とか加熱処理って・・温度は・・+++2021年11月26日(金)03時42分23秒https://ameblo.jp/epoxy-blenny/entry-12712308427.html+++++新型?・・加熱ボックス?・・50℃より高温になるので・・注意!!ドライヤー式とはまた違う・・新兵器!!「真空ポンプ&特性デシケーター使用事例」増補改訂版--特集サイトTOP頁http://www.blenny.co.jp/new_pdgm9002/pc_1_680.htmht
北京オリンピックで金メダルを獲得した、レッドブル・アスリートのスキージャンプ・小林陵侑(27)が24日、アイスランド北部アークレイリにあるフリィザルフィヤットル・スキーリゾートの雪山に特設されたスキージャンプ台で、驚異の飛距離・291メートルで世界新記録を樹立した(同社調べ、現地で専門家が計測)。従来の世界記録を37.5メートル更新する今回の記録は、スキージャンプの可能性を大きく広げる快挙となった。この記録達成の背景には、ヒルサイズ(安全に着地できるランディングエリアの限界点)が300メ
北京オリンピックで金メダルを獲得した、レッドブル・アスリートのスキージャンプ・小林陵侑(27)が24日、アイスランド北部アークレイリにあるフリィザルフィヤットル・スキーリゾートの雪山に特設されたスキージャンプ台で、驚異の飛距離・291メートルで世界新記録を樹立した(同社調べ、現地で専門家が計測)。従来の世界記録を37.5メートル更新する今回の記録は、スキージャンプの可能性を大きく広げる快挙となった。この記録達成の背景には、ヒルサイズ(安全に着地できるランディングエリアの限界点)が300メート
日本のエース小林陵侑が、ワールドワイドな夢に挑戦した。レッドブルプロジェクト小林陵侑300m飛翔に挑戦(ANNニュース)スキージャンパーにとって「どこまで飛べるか」の夢に挑戦。今までの試合での記録は254mだが、世界で300m飛べるジャンプ台はない。ないなら作れば良い、とアイスランドに大土木工事で作ってしまった。競技ではないので、FIS(国際スキー連盟)が公認するわけなく、いわば極秘で計画が進んでいたようだ。日本よりヨーロッパの方で反響が大きく、競