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第三章欧州のユダヤ人前回に続いて第三章から特に興味深いところをまとめていきます。ロスチャイルド家の家祖マイアーと五人の息子の活躍の詳細については省略します。今回は、ロスチャイルド家と日本とのつながりについて寺島実郎氏が記述しているところをまとめたいと思います日露戦争の戦費を支える・・・幕末からの日本との関係【引用開始】ロスチャイルド家と日本のつながりで言うと、その姿が見え始めるのは江戸時代の末期からである。ジャーディン・マセソン商会と言うと、東インド会社の流れを汲んで、1
東インド会社とは17〜19世紀にヨーロッパ諸国がインド・東南アジアの物産の直接輸入と植民活動に従事させた特許会社の総称。国家的な独占企業体で,イギリス・オランダ・フランスの3会社が有力であった【イギリス】1600年エリザベス1世の特許状で会社を設立。チャールズ2世時代には近代的な株式会社の形態をとる。当初はモルッカ諸島で香辛料貿易に従事していたが,1623年のアンボイナ事件(アンボイナの虐殺)でオランダに敗れて以来,綿布をあつかうインド貿易に専念した。カルカッタ・マドラス・ボンベイの3拠
ほとんどの人が、「その名前は知ってるよ」というはずのグラバー氏ですが、米国の南北戦争終結であまった銃を日本に売りまくった武器商人(いわゆる「死の商人」)で、これまで訪ねた他の商人達とは、桁違いの利益を上げた人なので、私は良い印象ではありませんでした。少し俯瞰して見てみると、武器を売りたい人たちの戦略は、今も昔も変わらず、案外シンプルで、ターゲットにした国に、内部から反乱する人たちを支援して育て、内乱を起こさせることで、その両方に武器を売って莫大な利益をあげるものです。そう考えると
おはようございます突然ですが...私は普段から、“ちょっと”遅刻するのが得意本当にあとちょっと早く準備すれば間に合うのに、どうも時間配分を間違えてしまうようでとても迷惑なタイプです。余裕で準備していても最後に間に合わなくなったり、間に合ってもギリギリだったりそして優しい友達に「ゴメンね〜」と謝って許しを請うのです。。。どうしてこんなにアホなんだろう先日、一人で銅鑼湾にヌーン・デイ・ガン(怡和午砲)を見に行こうと思い、出発準備をしていました※画像はネットからお借りしましたヌーン・
ユダヤ系イギリス資本、ジャーディン・マセソン商会の日本代理店が長崎のトーマス・グラバーであり、西洋の銃や船を販売したほか、長州ファイブの洋行、明治日本の財界を支援した。このジャーディン・マセソン商会の支店が下関市唐戸の旧英国領事館の北隣にあった。旧ジャーディン・マセソン商会(左後)、旧英国領事館(右前)香港のジャーディン・マセソン商会本社ビル参考①ジャーディン・マセソン商会②長州ファイブ③貝島炭礦株式会社は、下関市唐戸2番地で、現在の旧英国領事館に隣りあっていました。本社屋は
こんにちは!今日はOBの先輩や役員の会社へ挨拶回り等でこんな時間のアップです長崎シリーズ続きます。ベタではあるのですが、今回はグラバー園です。中学生の頃だったと思いますが、初めて訪れた時の記憶がほとんどなく、当時は「外国人の家」程度にしか思わなかったのでした。今回(といっても2年前)はグラバー園が目的ではなく、ついでの見学だったのですが、以前とは違う目線で楽しめました♪この屋敷と庭園の主だったトーマス・ブレーク・グラバーはスコットランド生まれの武器商人でした。21歳の時に上海に渡っ