ブログ記事19件
後年、なにを間違ったのか、アテナなどでヒールレスラーと紹介されたりすることがあったジャンボ宮本。こうやってみるとステキなお顔で綺麗ですよね。背が小さかったのにジャンボってリングネームが??ですが、とってもステキな方なんだろうな、と思う一枚。横浜アリーナで初めて生で拝見しましたが、小さすぎて米粒くらいしか見ることができず、残念。赤城マリ子やマッハ文朱たちとトークショーとかやってくれたら聞きに行ってみたいものです。
ジャンボ宮本が王者の時代。マットが真っ赤だったのですね。ベルトはまだ真っ赤ではなく茶色だったようです。ベルトはいつから真っ赤なエナメルに変えたんでしょ。デザインは同じようなので、革の劣化で赤いエナメルのベルトに変えたのかもしれませんね。そして何よりリングに押し寄せるファンがおっちゃんばっかり!すごい!ビューティやクラッシュの女性だらけもある意味すごい光景だったけれど、これもすごい光景。ふつうに男も女も半々くらいでみられる会場がみている側は一番きもちいいのかもしれませんね。
ジャンボ宮本っていま見るとかわいい選手ですよね。ころころしていてちびっこから人気がでそうなキャラですし。しかもかわいらしい水着。金太郎みたいなキャラでとってもいいですよね。マキに敗れて引退に追い込まれた試合、マッハにカウント無理やりとられた赤いベルト戦、赤城にバックドロップしかけて自分で頭をうった試合くらいしかしらないのですが、赤いベルトとともにタッグも何度も巻いたマッハ以前のエースですからね。当時の試合ももっとビデオがあったらみてみたい、そんな選手です。
ちょい前、ミッキーの出たカックラキン大放送のこと書いたのですが。その後1979年オンエアの回も放送されて、そこに出てきたのが宮本典子さん、いたいた!!ミッキーとは違って、むちゃくちゃ歌のうまいソウルシンガーなわけですが。歌番組でちゃんと紹介されるなら、いいのですが、こういう、チャラい番組に出てくる新人女性歌手は一律にまず「アイドル」として扱われがちになってしまいまして。そうすっと、決して不細工な方ではないのですが、子供心に、「アイドル?」ってなってしまって、評価が低くなってしまいがち
なんか、、、、すみません、あんまり痛そうにみえないのは気のせい???赤い王者の宮本とサンデーパーカーの戦いです!
このふたり、何度も何度も世界のタッグをふたりで巻きましたが。ほんとペアっぽくみえないのはなんでなんでしょう。当時から見てる方にしたら宮本のベストパートナーはやっぱり赤城なんでしょうか??上背がないふたりなので、そのふたりが外国人と渡り合うのは在る意味すごいことなんですけどね。赤城はやっぱり佐々木順子がぼくのなかでベストパートナーに思えるのですが。宮本はそういう意味ではシングルでも活躍しているだけあって、タッグ屋ではないということなんでしょうね。きっと。
ただの辛口、ゲイバーのママのようにマシンガンで辛辣トークだけが売りではありません、赤城マリ子。WWWAタッグを、なんとジャンボ宮本とのペアでは8回、佐々木順子とのペアでは5回も巻いています。そのほかにも、ペギー黒田と三回、柳みゆきと一回、マッハ文朱と二回、とすごすぎませんか?とはいっても短命王者が当たり前の時代、シリーズ中に何回も入れ替わるようなシステムだった時代ですから、佐々木とのコンビもたぶんビューティ時代なら一回の戴冠で半年くらいもっていた、的なかんじでしょうが。ジャンボ宮本とのペア
赤城がやられてるのをジャンボ宮本、ただ見ています(笑)きっと、赤城がやられるのは仕事、あたしがやられても痛々しくみえないしね、と思っていたのか、、、、勝手な憶測です(笑)このあとベルトを外して、よくもやりやがったな〜と赤城を守ったのでしょうか。
昨日、コメントもよくくださいますちーさんからこんな粋なプレゼントいただきました。大昔のポスターのコピーなのかな???阿蘇、柳に宮本、マッハ、赤城、佐々木はわかりますが、覆面はミスZ??小人さんに紛れたふたりがまったくわかりません、、、ペギー黒田にオスカル一条あたりでしょうか??そういえばオスカルの死因は首をおったことではなく、もともともっていた結核菌?とぶるちゃんねで影が教えてくれましたね。なんかすっきりしました(^o^)当時をしる人からいろいろ聞けて、YouTubeっていいですね
今日、イサムさんからたくさん昔の写真を送っていただきました。1975年のワールドリーグの決勝の日の控室だそうですよ。以下イサムさんから1975年10月のワールドリーグ最終戦、両国日大講堂での、試合前の控え室のスナップです。優勝決定戦前なのに皆さんなんかとてもリラックスしていますね。そのひと月前にデビューしたての池下です。J宮本のアドバイスを聞いているのかな?三つ巴の決勝戦直前のマキは、流石に緊張感が伺えます先輩(阿蘇?)の後ろを通る佐藤選手。なんか素朴な感じの佐々木順子ともはや大貫
イサムさんから僕の知らない時代の写真がLINEで送られてきました。やられた方もかわいいですね。マキ上田にぶつかっていくジャンボ宮本しか記憶にないので。こういう面もあるんですね。ただ、マキとの試合もそうでしたが、スタミナに難があるのか、やっぱりマッハの前の世代の選手は魅せる力はたけているけれど、ガチンコになったらあんまり強くなさそうに思えてしまうんですが、実際はどうだったんでしょうか。気になります。
左から宮本、松永会長、赤城、、、その右佐々木ですか?右は想像すらつきません、、、宮本が綺麗?かわいくないですか??いつごろなんだろう、このイチ枚。
1975年3月、大田区でデビュー8ヶ月のマッハが宮本をやぶりチャンピオンに!この頃は雑誌などももちろんほとんど買ってないし、男子のプロレスもまだ見てない幼稚園児でしたのでくわしいことは後付で覚えた時代です。選手もまだまだその後に比べるとおばちゃん的なレスラーが多いように思いますが、それでも全女の歴史を作ってくれた先輩方、これもれっきとした全女。ただ、このフィニッシュはいまみてもいつみても(笑)納得できません。が、、、、ミミが池下をやぶったまったく肩がついてない疑惑の3カウントに比べればまだ
誕生日ジャンボ宮本(1951/71歳)ティト・サンタナ(1953/69歳)リー・ガク・スー(1961/61歳)ウィリアム・リーガル(1968/54歳)ドラゴン・アシッド(1976/46歳)橋誠(1977/45歳)紺乃美鶴(1990/32歳)出来事2017山下りなとSareeeがシングル初対決<新木場1stRING(WAVE)>※CATCHTHEWAVE公式リーグ戦15分、時間切れ引き分け2012崔領二と橋本大地がシン
誕生日ジャンボ宮本(1951/70歳)ティト・サンタナ(1953/68歳)リー・ガク・スー(1961/60歳)ウィリアム・リーガル(1968/53歳)ドラゴン・アシッド(1976/45歳)橋誠(1977/44歳)紺乃美鶴(1990/31歳)出来事2017山下りなとSareeeがシングル初対決<新木場1stRING(WAVE)>※CATCHTHEWAVE公式リーグ戦15分、時間切れ引き分け1991UWFインターナショナ
三か月もやってなかったのに、いざ始まってみるとプロ野球のない月曜日ってのは、つまんないですね。そんな時はYouTubeを見てるんですけど。最近、よく見てるのは女子プロレス。といっても、私は最近のプロレスは全く見なくってもっぱら「昭和プロレス」の専門なもんですから。女子も懐かしの「昭和女子プロレス」だけ見てます。いやあ、古いのがありますよ!ていうか、皆さん、クラッシュギャルズとかを想像してますでしょ?いや、いや、いや、いや、もっと前のビューティペアとかですかね?そうじゃありませ
昨日書いた「女子プロレス初のワールドリーグ戦が開催された1975年秋!」公式ハッシュタグランキング:#プロレス57位!(笑)調子にのって、この頃について、私が知っている二、三の事柄!を付記します。マッハ文珠は3月19日にWWWA世界シングル王座を16歳で獲得した時の対戦相手がジャンボ宮本で、4月2日に奪還されましたが、このときはアクシデントでのレフェリーストップ。翌4月3日にジャンボ宮本&赤城マリ子がローラ・ガルシャ&リーナ・マニャー二の獲られたWWWA世界タッグ王座、4月15日
木村花さんの悲劇でスイッチが入った昭和女子プロレスの追憶、、、5月29日に書いた「リング上で歌ったのが最初だったプロレスラー!マッハ文珠1975年新春」の後日談。1975年3月10日歌手デビュー「花を咲かそう(作詞:千家和也、作曲:平尾昌晃)」3月19日WWWA世界シングル王座獲得。4月15日赤城マリ子とのタッグでWWWA世界タッグ王座獲得。第2弾シングル「よろしくね(作詞:やまひさし、曲:京健輔)」は記憶にございません(笑)ただし、マッハ人気で上昇機運となった全
手元にある、昭和49年1月の全日本女子プロレスの新春チャンピオン・シリーズのパンフ。まだ、マッハ文朱のデビュー前で、ジャンボ宮本と赤城マリ子、ペギー黒田が看板選手だった頃のものだ。実家が後楽園ホールまで歩ける距離の飯田橋だったから、当時よく近所で全女興行の捨て看板を見かけたのを覚えている。