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神在神社の神石はいわゆる磐座と呼ばれるもので、神社や磐座などを結ぶ聖なるラインの支点である。外周16メーターある巨石は相当古く由緒がありそうだ。もちろん巨石は自然石では無く、古代コンクリート(ジオポリマーコンクリート)製の人口物である。神社にはそれなりの由来がありそうだが、この神石に「神石の上に紫の雲がたなびいた写真を見せられたことがある」などの霊力があるとは思えない。神石神在神社もともと牧の天神山の山頂に鎮座していましたが、元禄16(1700)年に現在の地に遷座されました。瓊瓊杵尊、
論文タイトル:GreenconcreteProspectsandchallenges論文執筆者:K.M.Liew,A.O.Sojobi,L.W.Zhang掲載元:ConstructionandBuildingMaterials156,2017ジャンル:コンクリートキーワード:グリーンコンクリート、フライアッシュコンクリート、ジオポリマーコンクリートグリーンコンクリートグリーンコンクリートまたは環境配慮型コンクリートとは、かなり曖昧な
古代ローマの建物が今でも残っているが、古代コンクリートとかローマンコンクリートと呼ばれるジオポリマーコンクリート技術で作られていることが明らかにされている。古代エジプトのピラミッドでさえ、同技術が使われている可能性を研究されているようだ(参考)。古代日本の磐座などの巨石や臼杵の磨崖仏などの石造物も、このジオポリマーコンクリート技術で作られたと考えられる。また、古代においても何らかの天然樹脂を使って、粉砕された大理石を固めて石器にする人造大理石技術もあった可能性がある。こう考えれば、不可能にも
エジプトやローマの石造物は硬い岩を削ったものではなくて、柔らかい古代コンクリートを固めて作った。日本の古墳などの巨石も古代コンクリートで小さな岩を接着したり、古代コンクリートを固めたりして作ったと考えた方が辻褄があう。長崎県の沖ノ神島神社の磐座なんか、まさに古代コンクリートを固めて作ったと考えた方が納得出来る(参考)。長崎県北松浦郡小値賀町野崎郷沖ノ神島神社参考①misaさんのブログ(2018.5.16)から抜粋(参考)②古代コンクリートを作ろう(参考)古代にローマなどで造ら
下関市大字有冨の観音堂古墳の復元したものを見に行った。出土した古墳を南に移築・復元している。元の形に維持するために現代のコンクリートで周辺を固めてあった。著者は古代コンクリート(ジオポリマーコンクリート)に興味があり、秋根古墳群の石材、和布刈神社の磐座などについて調べてきたが、ここ観音堂古墳の石材そのものに目を凝らした。見てすぐに判明したことは、色を始め石質の異なる丸い小石を混ぜ込んだように見える。現代のコンクリートが強靭さを確保するために砂や砕石を混ぜるが、これと同様に古代コンクリート(ジ
縄文時代に遡るような磐座の巨石の表面に穴がポツポツある場合、この穴を盃状穴と呼び、自然のものではなく人工的に彫ったものと認められている。人工的に作られたとしても何のためなのか分からないので、「子孫繁栄や死者の蘇生を願ったもの」と、トンチンカンな解釈がなされている。古代の磐座(巨石)は古代コンクリート(ジオポリマーコンクリート)を固めて作ったと理解しているが、表面に間違って砂岩の塊か何かが埋まり込んだものが始まりと考えている。すなわち、磐座が完成した時は砂岩の混入に気がつかなかったが、時が経つ
山麓に石英閃緑岩の岩の塊がゴロゴロ転がり、まるで天の川を地上に再現した風景が美祢市と宇部市の山の中に二ヶ所ある。前者は万倉の大岩郷、後者は吉部の大岩郷と呼ばれている。ともに自然の不思議な力で出来たと説明されている。他に知っている所では奈良県山辺郡山添村に鍋倉渓という同じ風景がある。全国にある巨石群やピラミッドのような不自然な形の山が自然信仰の対象となっている例が多くある。これらは自然の驚くべき力によって作られたと理解され、磐座として自然信仰の対象となっている。ここで紹介する二つの大岩郷も同じく
花崗岩の風化した真砂土に石灰と海水(にがり成分)を混ぜて突き固めたものが版築であるが、同様に花崗岩を原料にした古代コンクリート(ジオポリマー)というものがある。花崗岩質砂岩からジオポリマーを作れば、元の花崗岩質砂岩と区別がつかないものが出来上がりそうだ。⑴多賀城碑多賀城碑の岩は花崗岩質砂岩であると言う!それならば、ジオポリマーのコンクリートで作られているかも知れない。この仮説を元に多賀城碑を見てみると、どうも花崗岩質砂岩の丸い岩の表の面を平面に粗く研磨し、その上にジオポリマーのコンクリー
今まで気にも止めていなかった和布刈神社の磐座をまじまじと観察する。結論から述べれば、ここの磐座は人工のものであった。また、神社で真っ先に訪れる手水舎の水盤の岩は御影石の塊から削り出したものでは無く、これもまた人工のもので、岩を巻きつけて作ったように見える。岩としか見えない人工岩を見せつけて、まるで古代の海人族の技術力をアピールしているようだ!和布刈神社の拝殿の右手の磐座の全景①磐座のうち最大の巨石を観察する。磐座の正面、上下二枚の岩から構成される。磐座の正面の左上、上下二枚の岩から
ゆるぎ岩と名付けられた巨石群も聖なるラインのネットワークのノードであり、人為的に据え付けられたものであった。古代の神職やお坊さんは、いい加減なことを言って民衆を惑わしている。この「ゆらぎ岩」の割れ目を見ても、やはり古代コンクリート(ジオポリマーコンクリート)で作られていると思えた。①赤丸:ゆらぎ岩、兵庫県加西市畑町②青丸:石の宝殿、兵庫県③黄丸:比叡山④緑丸:ゆらぎ岩、岡山県赤磐市惣分⑤黒丸:投入堂、鳥取県⑥白丸:気比大社⑦青四角:鷲羽山⑧緑四角:
岐阜県中津川市駒場にエッチな妻夫岩(女夫岩、めおといわ)と言う巨石群があるが、やはり聖なるラインのネットワークのノードであった。付近には、未だ他にも巨石が転がっており、人為的に巨石を作って並べたものと考えられる。すなわち、二つの岩を古代コンクリートで接着して巨石にしたと考えられる。男根岩女陰岩桃山公園の妻夫岩(女夫岩)を見下ろす。女陰岩の方が高さ4m周囲30m、男根岩は高さ8m周囲24m、これだけの陰陽石の大きさとしては全国でも最大規模、ペアで大きく揃うのが大変珍しい。女夫神社恵北
日本全国の磐座とされる巨石群は自然な巨石で、これを古代人が信仰したとされる従来の解釈について検討してきたが、どうも、磐座とされる巨石群は人為的に配置されたようだ。すなわち、巨石群は①自然巨石を未知の高度技術で運搬・建設して作った、または②最近持ち上がっているが、古代コンクリート(ローマンコンクリート、現在のジオポリマーコンクリート)を固めたり、これで小石を接着して使った、との二通り考えられる。著者の近くにあって直接観察できる秋根2号墳の墓石をまじまじと観察してみた。著者は地質などの専門家では
宗像の世界遺産の沖ノ島の北東部海底に遺跡らしきもの(参考)があり、巨石をクローズアップしたものを見ると、地上の磐座として信仰される巨石によく似て不自然な割れ目などが目に付いた。ジオポリマーコンクリートによる人工構造物と思われる。ジオポリマーコンクリートは海水中でも強化され、数千年以上持ちこたえると言われている。沖ノ島辺りは、7世紀末の筑紫地震や白鳳地震で破壊された可能性がある。ジオポリマーコンクリートは鉄筋が使えず、引っ張り力に弱く、地震大国の日本では巨石文化そのものが維持しにくい。飛鳥の石舞
石舞台古墳の巨石を眺めていたところ、面白いところを見つけた!赤四角で囲まれたところ見てほしい。この天井を覆う巨石に、割れ目がぐるっと周囲を走っているのに気がついた。この割れ目をクローズアップして見ると、接着剤が詰められているように見える。ジオポリマーコンクリートが使われているとは考えられないか!?すなわち、比較的小さは岩に分割して、現地で再接合させたと推測した。石舞台古墳は古墳としての機能の他、建設時の巨石を民衆に見せつける目的があったと考えられる。信仰対象としての磐座など、多くの巨石群で
愛知県の岩谷観音の巨石もジオポリマーコンクリートで作られている。巨石の下に観音堂がある。中央の右下がりの境界線の上下で岩質が異なる。左下のクローズアップ、紅葉した樹木の直上に右下がりの境界線のひび割れが見える(黄色斜線の左側)。明らかに岩の表面の模様が違う。巨石を張り合わせたように見える。右上のクローズアップ、黄色の曲線を引いたが、この曲線の左に薄っすらと線がある。小さな岩を貼り合わせて巨石を作っているように見える。観音堂の右上がすでに見た巨石、この巨石を支える左側の巨石との間に板状の
石の宝殿は生石神社の御神体であるが、付近の岩山から削り出して作られている。この御神体は未完成で、正面が底面になるように引き起こされる直前とのことで、水溜りの中で岩山につながっているようだ。この正面を見ると底面にする予定か、表面は荒削りで色調は赤みと白みが混じっている。また、元々の岩山の削った後の内側表面も赤みと白味が混じっている。これに対し、他の側面は研磨されたように平坦であり、色調もほぼ均一である。正面を見る限り、全ての表面は元々まだら模様で、赤みと白みが混在していたと想像される。すなわち
映画「時をかける少女」の舞台になった尾道、この町のシンボルとして市街地から見上げることが出来、またロープウェイで参拝出来る千光寺がある。著者は知らなかったが、立派な磐座があることで有名な真言宗の古刹であった。尾道市の千光寺(3D、南から北へ見下ろす)、真言宗の大宝山千光寺と付属施設、磐座からなる。この千光寺の磐座はやはり日本列島の聖なるラインのネットワークのノードとなっており、人為的に作られたと考えられる。磐座の巨石群も人工的に作られ、現在も維持管理されているようだ。くさり山と石鎚蔵王
白石の鼻巨石群は聖なるラインのネットワークを支える節点になっている。すなわち、夫婦岩や環状列石と同じく人工的に作られた物であった。周辺の地質と異なる白い巨石や岩に食い込んだ丸い岩の群れなど不自然さを醸し出す。どう考えても、人が作ったものである。岩に食い込んだ丸い岩の群れなどは、ジオポリマーコンクリートの使用を示唆する。白石の鼻巨石群と白石龍神社白石龍神社白石の鼻巨石群の一部白石の鼻巨石群の一部の拡大白石の鼻巨石群の一部の拡大愛媛県松山市勝岡町白石の鼻巨石群と白石龍神社参考⑴
日本ピラミッド・葦嶽山(参考)この地を交差点とする聖なるラインを引いてみると、西日本でも有数の神聖な地点が結び付けられた。頂上付近の巨石群はジオポリマーコンクリートのルーツで作られたと考えられ、現代で言えば国土地理院の一等三角点と考えても差し支えない。さらに、地方には近隣の寺社を聖なるラインで結び付けた山があり、やはり現地ではピラミッドと噂されるが、同様に測量の三角点の役割があると考えられる。日本列島一帯にある巨石群や環状列石、夫婦岩、さらには寺社が聖なるラインで結び付けられたネットワーク
沖ノ島祭祀遺跡群模型・国立歴史民俗博物館(参考)沖ノ島の祭祀遺跡の磐座は石英斑岩という火成岩の巨石群である。しかし、磐座のある沖ノ島の南側は堆積岩の地質である。島が出来る時、巨石群が北側の火成岩のエリアから、ひと山越えて南側に転がって来たと考えようと思えば可能ではある。現在はこのように理解されている。しかし、巨石群は限られたところに集中し、逆ピラミッドの形で安定しており、人為的に運搬または製造されたとも考えられる。運搬するのも大変で、砕いた火山岩を再度固めて製造した方が容易であり、古代のコ
地質学者は単なる岩の塊と言う巨石は、実は人工的な天文観測施設の磐座です!ジオポリマーコンクリートで作られていそうだ!山添村巨石・長寿磐山添村いわくら文化研究会の説明文(人工的な天文観測施設と理解している)公式説明文(マグマが固まった花崗岩としている)奈良県山辺郡山添村大西1367①赤丸:山添村巨石・長寿磐、左隣に神野山、右上に熱田神宮②黄丸:気比神宮③青丸:室生寺①赤丸:神野山(こうのやま)と山添村巨石・長寿磐②白丸:熱田神宮③緑丸:高天原山参考
宮島の弥山山頂の磐座(巨石群)は今日まで維持されてきた岩石の群であった。ただし、弥山の山体は元々、花崗岩であり、従来、この花崗岩が風化して山頂に奇妙な岩体が出現したと思われ、そして従来の磐座信仰とは単純に巨石群に畏怖を感じるものと思われていた。実はそうでは無く、天文観測施設であり、北緯34度14分の緯度にある沖ノ島から神津島までの拠点を通じて、日本列島の各地の天文観測施設(巨石群や環状列石など)とネットワークを構成していた。すなわち、弥山の山頂の磐座は人工的に配置されていたことになる。しかし、