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こんな不快感、外に出かけても行き交う人、ほとんど全員マスク姿。この異様な空気に馴れてしまった。習慣って怖いものよね。第二の天性ともいわれる良い習慣もあるが…、僕が手に入れたい特効薬とは、「ナビ派ボナール」素晴らしく効いたので、僕はただただ感謝、感謝!ピエール・ボナール(1867-1947)はフランスの豊かな中産階級の出身。この人の絵は、なごみと気品に満ちている。思わぬ混乱、絶望の世情に現れだよ、まったくまったく。これまでボナールはインティミスト(親密派)の一人くらいの認識しか
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90)「LauriersrosesOleander」1888訳は西洋夾竹桃、そして花瓶のわきに本が2冊、書斎画廊としてはイチオシ!ゴッホが読書愛とは、あまり耳にしたことがないが、さもありなん。「ゴッホの手紙-テオドル宛」上・中・下岩波文庫僕はいまだに全巻よみきれてない。その文章から察しても、また絵の中の書籍の比重が物語っている。ゴッホ「夾竹桃」メトロポリタン美術館蔵アザン社(仏)プリントイメージサイズ56.8×46.5cm額装価
ハリー・ソビヤック「JAPANⅢ」ポスター・オリジナル(米)プリントイメージサイズ60×80㎝額装価額¥25,300(税込み)額装例額縁コーナーこちらのブログでは、当社ギャラリーの書斎画廊紹介作品紹介・販売などをしております。現物をご覧になりたい方、購入御希望の方はchal1970nagai@yahoo.co.jpまたは06-6429-6313(長井)までご連絡下さいませ。
モランディ「静物」1938油彩アザン社(仏)プリントシートサイズ80×60cm額装価額¥18,700(税込み)モランディ展は1990年日本で巡回展があり、京都国立近代美術館で初の回顧展(4・10-5・13)開催となる。初期には未来派や、形而上絵画の運動に参加、その後静物画と風景画に独自の画境を創り出す。出品は油彩83点、水彩15点、素描15点、銅版画23点、であった。額装例額縁コーナーこちらのブログでは、当社ギャラリーの書斎画廊紹介作品紹介・販売などをしてお
ジャン=リュック・ゴダール監督の<勝手にしやがれ>は、当時二十代半ばの自分を揺るがし茫然自失の状態にさせた。あの時の気持ちは今も忘れ難い。わたしは大学で法学部卒、生命保険会社社員というごく普通のサラリーマンの生活から一企業家への道へと転身。脱サラという言葉も耳新しい時代、地元の神戸新聞に一度取材を受けた。その一年後、追跡取材があり、絵を手にする僕の写真と「脱サラ見事に成功」のナンセンスな見出しには、流石に内心動揺をおぼえた。この自分の無手法さは会社も家族も友人も只あきれるばかり
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自転車のチェーン店<シンプソン>タンデム自転車もプリント(仏)シートサイズ61×43㎝テオフィール・アレクサンドル・スタンラン1889リト刷りプリント(仏)シートサイズ43×61㎝一輪車ワールドチャンピオンプリント(仏)シートサイズ58×80㎝こちらのブログでは、当社ギャラリーの書斎画廊紹介作品紹介・販売などをしております。現物をご覧になりたい方、購入御希望の方はchal1970nagai@yahoo.co.jpまたは06-6429-6313(長井)ま
人は誰でも心やすらぐひとときが欲しくなる。そんなときに、心を優しく包んでくれる花々。人それぞれの好みの花を選ぶ。その時、人は非日常の世界の戸口に、そして自由気ままな発想の空間が演出される。花を主役に、好みの脇役はなんでもござれ。一瞬でも、あなたは花に恋した経験があるだろうか。花の中に我が身をおぼれさせたい。そんなことが、あったっけ?生きている間に、この意味おわかり?春は無茶苦茶、乱舞する野に山に。花、花、花花が主役の静物画、風景画何でもかんでも、OK!だよーん。僕はク
ルノワールはその前々年1879年、それまで仲間うちでも最も意欲的に印象派展に出品をつづけていた彼が、この年からそこを離れてサロンに出品する。このことはルノワールの内部に印象派展に対する何らかの疑問がきざしていたのであろう。彼は決して印象派を否定はしなかったし、印象派に属していたことを悔いてもいない。それどころか、晩年に至っても印象派の中に身を置きそれに共鳴した。1881年のイタリア旅行が、その後の彼の独自の芸術形成のための大きな基礎となった。彼はイタリア各地で、古典芸術のもつ
大きな花瓶の花1866プリント(米)マット外寸70×87.5cm花をもつ娘1888-1890プリント(米)イメージサイズ51.5×65cm林檎売りクリーブランド美術館蔵プリント(米)イメージサイズ50×60cm草原の二人の娘1890メトロポリタン美術館蔵アザン社プリントイメージサイズ43×53.8cm劇場にて1876-1877国立美術館蔵(ロンドン)プリント(英)イメージサイズ50×66cmボックス席1874プリント(米)イメージ
「ヴェトゥイユのセーヌ河畔」1880100.3×73.7cm(原画)ワシントン国立美術館蔵プリント(イタリー)イメージサイズ77×56cmモネは、ヴェトゥイユで妻のカミーユを失った後、もう少しパリに近いポワシーに住む。だが、彼の最も不幸な時代で、ここでは何の作品ものこしていない。微風が対岸からそよと吹き、水面を渡り画家の頬をやさしく撫ぜ、草花もゆらめく。大自然のなかで、幸せを感じつつ絵筆をとるモネの姿が目に浮かぶ。「夏のヴェトイユ」1880メトロポリタン美術館蔵
「庭の婦人たち」1866オルセー美術館蔵アザン社プリントイメージサイズ50×62.5cm爽やかな印象感が漂う。明暗のコントラストのためか。後期の作品にはコントラストの度合いを弱める。色彩の微妙なニュアンスを表現するためと思われる。「印象日の出」187363×48cm(原画)マルモッタン美術館蔵アザン社プリント(大)イメージサイズ64.5×59.8cm(小)イメージサイズ26.3×20.3cm1874年仲間(ルノワール、シスレー、マネら)と展
コロナのお陰で有り余る時を、モネ探索に使ってみようじゃないか。偉大なモネの作品を時間をじっくりかけて、純粋な子どもの視点で見ようじゃないか。まずは最もポピュラーな睡蓮のシリーズから。「睡蓮」NYMPHEAS(仏語)、WATERLILIES(英語)1907円形に睡蓮の水面サン・エティエンヌ近代美術館蔵アザン社プリント(仏)シートサイズ60×60cm1883年春、モネはジヴェルニーの斜面に、果樹園つきの農家をみつけた。1890年には、さらに道を隔てた土地を買い、そ
略歴1946パリに生まれる。ソルボンヌ大学で英文学、ゲッツアカデミーで芸術を専攻する。アン=アレクサ・デアさんは日本、ナイジェリア、パキスタンなどへ夫とともに。後ほどドイツの日本大使として赴任、2006年7月より大使夫人として日本在住となる。1966-1973フランス、ベルギー、イタリア、、ドイツ各地で個展グループ展を開催。1974芦屋ギャルリーシャルグランにて個展1975芦屋ギャルリーシャルグランにて個展1980東京にてグループ展1980芦
マティスの代表作の一つ「ダンス」は歓喜とエネルギーの記念碑的イメージである。また驚くほど大胆とも言える作品だ。マティスのコレクター、モスクワのセルゲイ・シチューキンから自邸の装飾画の依頼を受けて、この絵をいくつも多数の習作として制作する。この作品は最初に手がけたヴァージョンだ。ここでは、左端の人物は目的をもって動いている。彼女は後ろ足から胸まで一筆で描かれた輪郭により強調されている。他のダンサーたちはとても軽やかに見え、ほとんど浮遊しているようだ。ダンサーたちの速度の
ピカソ、マティスとともに20世紀前半フランスで活躍、フォーヴィスムやキュビスムのさなか独自の表現を探究。フランス的エスプリと究極のエレガンスを表現した画家というべきか。生きる歓びすら感じる。「カンヌLESUQUETの眺め」(米)ブルースマクゴー社プリントイメージサイズ76.5×54cm「ニースの窓辺」1928島根県立美術館蔵(仏)アザン社プリントイメージサイズ68×54.5cm「オンフルール
それは資生堂、クレ・ド・ポーフェーシャルの宣伝。それぞれの肌の状態に合わせた、プログラミング・スキンケアを実現したとの。時は美術ブームの真っただ中、ブラジリエの絵はエレガントの象徴のように扱われた。キャッチコピーは、「年齢はゆっくりゆっくりとりたい、素肌。」「自分らしく洗練へとむかいたい、印象。」「輝き、日々、あらたクレ・ド・ポー」など。アンドレ・ブラジリエ(仏)1929~リトグラフ・ポスターシートサイズ49.5×69.7cmアン
今を生きる子どもと、かつて子どもだった大人に、心よりエールを送ります。モード・ルイス(カナダ)「雪の遊び、快感!気持ちいい!」イメージサイズ44.5×35.5cmクリス・ヴァン・アルスバーグ(米)「THEPOLAREXPRESS」(極地の急行列車)シートサイズ61×43cmパリス・ボットマン(米)「白熊と鳥」「雪とウサギ」「ピンクのパジャマ」シートサイズ各40×50cm
子供が日々暮らす部屋に楽しくなるアートが何かと思われる親御さんにおくるページ。ヘレン・ポール「ThreeforTea」イメージサイズ76×58cm(米)ブルースマクゴー社プリントハリソン・ラッカー「夢見る時間」1922イメージサイズ51×68cm(米)ファインアート社プリントグレック・オルセン「ドレスリハーサル」イメージサイズ52×74cm(米)ブルースマクゴー社プリントオーギュスト・ルノワール「トウモロコシの束をもつ少女」イメージサイズ41.
吉岡浩太郎「天使の時計台」シルクスクリーン版画イメージサイズ41×33cm1928年山口県に生まれる香月康男に師事現在岐阜県各務原市在住山岡康子「Parisoneday」銅版画マット外寸45×60.5cm京都府出身京都芸術大学美術学部卒東京都在住吉岡浩太郎「光る海」シルクスクリーン版画シートサイズ60.5×45.5cmファンシュ(仏)「リュクサンブール公園」シートサイズ70
いきなり冬の様相、秋は突然、別れを惜しむ暇もなく去った感じだ。それなら、こちらも意を決して冬の魅力を探ろうと思った次第。朝日新聞の天声人語に<かくれんぼ三つかぞえて冬となる>寺山修司<石塀を三たび曲がれば秋の暮>三橋敏雄を読み少し気持ちにゆとりが持てた。次いで<チェット・ベイカー・インパリ>と題するレコードの中のAUTUMNINNEWYORKにより、遅ればせながら冬への旅支度のスタートとなる。村上春樹「ポートレイト・イン・ジャズ」の著書の中でチェット・ベイカーのトランペット
19世紀末のウイーンでは、絵画や建築を一体化した芸術が生まれた時代。そんな自由な芸術表現の主役ともいうべきクリムトとは、どんな人だったのか。あの黄金の装飾をふんだんに使った妖艶な婦人像、革新とエロス、謎の作家?かれは背が低く、ややずんぐりしていて筋骨たくましい、ごつごつした姿、しかしゆかいな風貌で、生き生きした小さな目をもっていた。髪のはげあがった独特の風貌が唯一芸術家のあかしと言えるだろうか。弟と画家の知人と室内装飾を手がけるアトリエ「芸術家協会」の経営を始めて壁画などを手がけた
<WINDSONG>1997シートサイズ96.57×71cm<WEEKENDAWAY>1991シートサイズ91.5×68.5cm<GARDENGAZEBO>1991シートサイズ91.5×68.5cm<SEPTENBERSONG>シートサイズ96.5×71cm<ROOMWITHAVIEW>1991シートサイズ91.5×68.5cm<FALLENLEAVES>シートサイズ59.5×89.5cmロマネロの絵画は
書斎画廊としては、下記の作品に特別の存在感を意識して愛蔵している。もっとくだいて言っちゃえば、単純に好きだ。池田満寿夫は、ビュッフェについて次のように言っている。”ピカソの「青の時代」と、ビュッフェの灰色とどちらが本物か?ピカソの「青の時代」の出現は、私を大いに悩ました。時代的には「青の時代」の方が数十年も先行していたので、ビュッフェが「青の時代」の影響をこうむっていたことは明らかだった。しかし私にはどちらが先で、誰が影響をおよぼしたかという問題はどうでもよく、どちらがより
書斎画廊の展示がすべてはずされ、壁面は本棚、応接セットなどのみで、丸裸,原始の書斎状態に変容。虚無感、喪失感がこのような行動を起こさせたのではと思う...つまり、新聞、テレビなど報道機関は9・11米同時多発テロをあらゆる角度から繰り返し報じているからだ。あのアメリカのテロに対する報復攻撃から20年の歳月が経過し、双方とも多数の死者を出した。その結果米軍の撤退、敗北となり、またここでも、それにまつわる犠牲者が懸念される現状だ。そのことのショックが書斎画廊を、一旦、空間からゼロ出発しようと
エドガー・ドガ(1834-1917)は、パリの裕福な銀行家の家に生まれた。美術学校に学びアングルを師とし歴史画を多く制作。1875年頃、印象派のグループに参加。バレエの踊り子をテーマに、新しい表現を切り開く。印象派の画家たちは、太陽の光を求めて、アトリエの外で美を追求した。それに対してドガは室内で人工の光の世界に、これまでにない新しい美を見出した。エドガー・ドガ「プリマ、舞台の踊り子」1876-77アザン社プリントエドガー・ドガ「アラベスクの終わり」1876-77アザン社
KensukeWakesima<LakeChamplain>1973アートスチューデントリーグに引き続いて学んだプラット美術学校のルーベン教授から本格に指導を受けたシルクスクリーンが現在の版画家・分島健介の誕生となった。その時代を代表する作品の一つが<LakeChamplain>シャプレン湖だ。やがて75年頃より徐々に、純粋な抽象作品が山の形体による空間構成に変化してゆき、現在の分嶋作品が出来上がることになる。KensukeWakeshima<Lake
オディロン・ルドン1914年5月ルドンは1840年ボルドーで次男として生まれる。母は長男のエルネストを偏愛し、幼い頃から孤独を感じがちだった。生まれてすぐに、叔父の家に里子にやられる。叔父の家はボルドーと近いランド地方(フランスで最も荒れた大地)にある。ルドンは生まれながら虚弱体質であり、その環境に心身ともに適合を欠いた。人より遅れて11歳でボルドーの小学校に入る。授業には苦しんだが、絵は好きで賞をもらったりした。幼年時代の早くから孤独感が強く、愛情に恵まれない心は
シャイム・スーチン「バラの少女」(仏)アザン社プリントイメージサイズ30.5×48.5cmシート価額¥3,850(税込)シャイム・スーチンは現在のリトアニア共和国(旧ソビエト連邦)の小さな村に生まれる。ユダヤ人の父は村の仕立屋。父は靴屋にさせるつもりだったが、シャイム・スーチンは絵を描くことが好きであった。13歳でロシアの都市ミンスクに出て写真屋の修正の仕事を手伝いながらデッサン教室に通い始める。その後美術学校に通い、そこで一人の医者に出会う。その医者は、スーチンを画
ジョルジュ・スーラ(1859-1891)「アスニエールの水浴」ジョジュル・スーラ(1859-1891)が自分の理論、点描法により制作した作品だ。点描法、というこれまでに見たことのない絵の描き方だけでなく、時代の社会感覚を見事にとらえた。当時の政府は、この絵にある船上の人物のごとく労働者に背を向けていたことの象徴的風景の感じがする。フランス国旗とシルクハットの人物、なにやら上流階級のようだ。この絵の色彩と構図は、スーラの天才を物語っている。この絵は、一度見たら忘れられない物事