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フラヴィアン・ベルジェの名を初めて見たのは、ポム(Pomme)の2ndアルバム"LesFailles"のCachées(HalloweenVersion)に収録されている"magiebleue"でした。Pomme-magiebleueft.FlavienBergermagiebleue,c’estunvoyageàtraversuneannée,àtraversdesévénementstousplusintensesetmarquants
実を言うとこんなのも聞いてたりした(笑)TwoofHeartsEurobeatにのせてWeConnect私達はつながっているのブームが落ち着てしまうとStaceyQは、なんと!チベットへ渡り仏教に開眼。修行を積んだ後帰国アルバム"Boomerang"(ブーメラン)をリリース初めて聞いたけど悪くないかも。TaraTendernessしかし、返り咲く事は出来なかった
「ニュー・ロマンティックスはここから始まった!」、私が考えたべたなキャッチコピーですが、「80年代初頭のロンドンで隆盛を極めたニュー・ロマンティック・ムーヴメントの中心人物」がスティーヴ・ストレンジ、そのスティーヴの率いたバンドがヴィザージでした。ニュー・ロマンティックスと言えば、ヴィジュアル系のニュー・ウェイブ・バンドで、当初はシンセ・バンドというイメージでした。しかし、デュラン・デュランやカルチャー・クラブなどが出てきて、ヴィジュアルのみが共通項になっていきました。本作品は1980
超名曲「ノーバディーズ・ダイアリー」を含むヤズーのセカンド・アルバムです。リアルタイムで買ったLPはそれこそ擦り切れるくらいに聴いたものです。印象的なメロディーとアリソン・モイエのソウル全開のボーカルは80年代UKを代表する名曲だと思います。ヴィンス・クラークはデペシュ・モードをアルバム一枚で脱退しており、ヤズーでも同様の企みを考えていたようですが、ここまでヒットするとさすがに周りはほっておかない。それにアリソンももう少しは一緒にやりたかったようです。というわけでデュオは解散を内包しつ
シンセサイザーを全面的に使用した、いわゆるシンセ・ポップないしエレ・ポップが誕生したのは1980年頃のイギリスです。ゲイリー・ニューマンやデペッシュ・モード、テレックス、バグルスなどが続々と出現し、隆盛を極めていきます。ギターやドラムをシンセやリズム・ボックスで代替していくわけですから、アナログの最たるボーカルもその波から逃れることはできず、典型的にはボコーダーを通した声が使われるようになり、そこまで徹底しなくても、ソウルフルなボーカルは敬遠されてしまいました。そこへ現れたのがヤズーで
ペット・ショップ・ボーイズの帝国主義時代のアルバムです。ポップ・ミュージックの真髄を理解していたので、何でもできると思い込んでいた時代のアルバムだという意味です。結局、これが彼らのアルバム中一番売れたといいますから、帝国主義万歳です。この作品を制作するにあたって、ニール・テナントとクリス・ロウの二人には明確なコンセプトがありました。それは、いきなりエクステンディッド・バージョンをアルバムに収録してしまうというものです。その代わりシングルは短くする。逆転の発想です。4分間のポップ・ソング
「哀しみの天使」という邦題は頂けません。本作からの最大のヒット曲「イッツ・ア・シン」の邦題としてもあんまりです。アルバム・タイトルは直訳すると、「いや、ほんまのところ」みたいな感じです。「実際のところがペット・ショップ・ボーイズや」と大阪弁が似合います。ペット・ショップ・ボーイズの二枚目のアルバムは、彼らにとっては大いなる自信作です。ニール・テナントは、この作品は他の作品と相性が悪いけれども、間違いなく自分たちの成功の絶頂を記しているものだと語っています。前作と異なり、本作ではさまざま
ジャケットのイメージは核戦争で人類がほとんど死滅した世界の夕焼けだとばかり思っていました。よく見れば犬ぞりです。タイトルは直訳すると「旅行記」ですから、勝手に終末のイメージを重ねていたにすぎませんでした。この当時のシンセ・サウンドはインダストリアルな、どちらかといえば重苦しい響きでした。それは当時のシンセの特性でもあったのではないでしょうか。意図して重い音楽をやるつもりはなくてもそういうサウンドになってしまう。ヒューマン・リーグの2枚目のアルバムもそんな響きですけれども、同郷のキャバレ
「人類零年」です。陰鬱なシンセ・ポップを操るヒューマン・リーグのデビュー作品に付けられた邦題は、機械による新しい音楽の到来を告げているのでしょうが、新生児を踏みつける悪魔的なジャケットのイメージにも引きずられていたに違いありません。めでたく紙ジャケットで再発とあいなっこの作品を久しぶりに手にとって一番驚いたのは、山田順一氏のライナーノーツで、メンバーによるジャケットが「ガラス張りのダンス・フロアには幸せいっぱいの赤ちゃんがたくさんいる、というのがコンセプトだった」と知ったことです。「未
♪♪「Fineshrine」♪♪
◆新譜入荷商品PickUp◆(DepecheMode-NewAlbum”Spirit”2LP)DEPECHEMODE/Spirit(COLUMBIA-MUTE/2LP/UK/2017/88985411651/SynthPop-Electronic-DarkWave/¥5080+tax)デペッシュ命の信者はモチロン、NewWave/SynthPopラヴァー、昨今のClubMusic~ElectronicMusicフリーク、DarkWav
ファルコのホロ読みをします80年代半ばどこのお店に行ってもこの人の曲がかかっていました。渋谷や六本木のディスコ(今はクラブ)でもよくかかっていました。ラップの走りですねファルコ(Falco、本名:ヨハン・ヘルツェル、JohannHölzel、1957年2月19日-1998年2月6日)は、オーストリアのミュージシャン。「ロック・ミー・アマデウス」のヒット曲で知られる。「ロック・ミー・アマデウス」1985年、「ロック・ミー・アマデウス」(原題:RockM
新聞に30代以上の女性の6割以上が実年齢より自分は若いと思っているという記事が載ってて、じゃあどのくらい若いかという質問にたいして、外見はマイナス5歳、気持ちではマイナス7歳というアンケート結果が出たみたいで。。仕事で女性の年齢を訪ねたりする場面があったりするので、今まで3、4つマイナスで答えてればいいかなと、設定していたのを、とりあえず6、7つマイナスで言うくらいがちょうどいいのかなと、銀行の待ち時間にひとり考えておりました(^-^ゞ女性の年齢ってばほんと分からないヽ(;´ω
「愛の残り火」の爆発力は凄かったです。男女掛け合いで両方の視点から同じ事象を歌うという、なかなかありそうでない歌詞、まだ初期のMTVに流されたドラマ性のあるPV、シンセによるキャッチーなポップ。いずれも見事にはまりました。ヒューマン・リーグは結成当初は実験的な作風でした。ボーカルのフィル・オーキーは極端なワンレンの髪型で、音楽の冒険とともにあった時は、その姿もパンク的な反抗の象徴であるかのように思えたものです。ところが、その作風は前2作で終わり、創設メンバーの二人は脱退、残されたメンバ