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ショパンのノクターン遺作を。和声解析をすることで、ショパンが付けた強弱が深く理解することに繋がり、ショパンが当時、親友へ宛てたお手紙から曲の解釈が広がる…そんなレッスンを。この曲は、本当に悲しみが深い曲です。とても演奏される機会が多いです。そして愛されている曲の一つだと思います。ショパンは、もともと大好きな作曲家です。どんどんとショパンの世界へ引き込まれます。
ショパンの手紙を読んでいるといろいろなことがわかる。ショパンは父や姉、友人などにあててまめに手紙を書いていた。ヴィーンでの生活、パリに来ての生活。いろいろな人との交流。悩み...音楽上のこと、金銭的なこと。そんなショパンの内面を知るにつけ、しだいに親近感を抱いてもいる。天才のショパン自身ですら普通の人以上の痛みを感じ、悩んでもいた。人間ショパンのことを知るにつけ勇気づけられる。カルクブレンナー、これまで名前しか知らなかったけど、作曲家でかなり有名で、そんな彼がいうのにはいろんな奏法を身
以前モーツァルトの手紙を読んだことがあった。曲を弾く上での参考になる、モチベーションにも。作曲家の生活を知ることはその作品を弾く上で大切なことだ。ますます好きになったり、打ち込めるから。『ショパンの手紙』の存在は知らなかった。1810年生まれのショパン、2010年で生誕200年記念ということもありショパン関連の出版ラッシュだった。買っておいて損はないと思い、買ったのだと思う。ショパンの曲は難しくて子供の頃1度も弾いたことがなくぶっつけ本番でレッスンに通う、書道なんかの習い事と同じと考えていた
ショパンの手紙遺されたショパンの言葉...。ショパンの呻き、神をも恨むほどの怒り‼️絶望、涙...。「Zal」。
ショパンのパリで2番目の住まいがある、シテ・ベルジェ―ル4番地。(地図はこちらをクリック)前回に続いて、私がこの場所に惹かれる理由その2について書きたい。この場所に移った1832年6月から数ヵ月の短期間に、困難な状況から劇的に好転するが、その両方の時期に暮らしていた場所であるため、そのターニングポイントを目撃している場所だからである。まず始めに、ショパンがパリに来た1831年9月末から翌1832年の間の、ショパンをとりまく困難な状況を整理してから、事態がどう好転したのかを記した
ショパンのパリで2番目の住まいがある場所、シテ・ベルジェ―ル4番地。(地図はこちらをクリック)私は謎とも感じるさまざまな理由からこの場所に惹かれるのだ。その理由の中から、2つ挙げてみる。(1)パリ最初の家(地図はこちらをクリック)から、わずか9か月後に、目と鼻の先ににある(直線距離で約50メールしか離れていない)この場所に引っ越しをしたのはなぜなのか?(2)ショパンが手紙で語った自身の”貧民”という状況から、この場所に移った時期から数ヵ月の短期間に、一転して、事態が好転す
ショパンのパリで2番目の住まいはシテ・ベルジェ―ル4番地のアパルトマンである。パリ最初の住まいに9ヶ月ほど暮らした後、1832年6月にこの場所に引っ越しをし、翌年の1833年6月までのおよそ1年間、この場所で暮らしたのだった。『ショパン-パリの異邦人-文藝別冊2014年1月30日初版発行』P9には、下記の現住所が記されており、現在も建物は残っているらしく、入り口の写真も載っている。ショパンの部屋は2階と記載されている。(日本式の2階だと思われる)現住所:4,
1830年11月2日に祖国ポーランドを出発したショパンは、フランス7月革命が飛び火するヨーロッパ諸国を経て、1831年9月末にパリに着いた。まだ21歳であった。パリで最初の住まいはポワソニエール大通り27番地のアパルトマンである。『ショパン-パリの異邦人-文藝別冊2014年1月30日初版発行』P9によると、下記の現住所が記されており、現在、入口門のみ現存し、当時の住居建物は残っていないようである。現住所:27,BoulevardPoissonnière7
ショパンのパリ最初の住まいの前に立つとき、私にはどの曲が聴こえてくるだろうか・・・どれだけのものを背負って、パリにやってきたのか・・・ショパンがポーランドを旅立つ前の3年間(1828年~30年)は、ポーランドにとっては11月蜂起の前の穏やかな時期でありショパンは18歳~20歳であった。この青春の多感な時期に生まれた曲は、へ短調協奏曲、ホ短調協奏曲、ピアノソナタ第1番、遺作のノクターン嬰ハ短調ほか多数あり、青春の喜び、初恋の人への想い、祖国ポーランドへの想いが、美しい旋律とな
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。---------昨年の記事からの続きです。ショパンはフランス7月革命の翌年の1831年9月末にパリに到着した。鉄道の時代の前夜であり、乗合馬車の旅でまだ21歳であった。パリに到着して最初の住まいはポワソニエール大通り27番地のアパルトマンである。私がこの場所に立った時、何を感じることになるだろうか・・・パリに着くまでの若きショパンの苦難の旅路を想わずにはいられないだろう。ショパンの苦悩、そして
ショパンのパリ時代とは・・・何を想い、何を伝えたかったのか・・・次回のパリ一人旅では彼の魂の叫びに心を傾けたい。そのために様々な書物を読み返していますが、やはりショパン自身が書いた手紙は欠かせません。私が持っている「ショパンの手紙」は、『ショパンの手紙』白水社1965年4月25日発行←パリ時代の手紙も載っています。『ショパン全書簡1816年~1831年ポーランド時代』岩波書店2012年3月29日発行です。これまで断片的に読んだだけでしたが、2度
こんにちは。一般社団法人全日本らくらくピアノ協会本部1級認定講師石丸真由美でございます。11月30日(水)、神戸で、聴いて・知って・楽しめる『愛と情熱のドラマチック・ショパン』が開催されます。音楽愛好者の中でも、特に人気のショパン。繊細な音楽とは裏腹に、その生い立ちは波乱に満ちている事はご存知でしょうか。今回、その生涯をショパンが書いた実際の手紙と共にご紹介。一味違ったセミナーコンサートをお楽しみいただきます。過去に、滋賀や岡山でも開催し、「こんなコンサート初めて〜