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おはようございます。2021年1月6日(水)今日は色の日、ケーキの日、佐久鯉誕生の日、顕現日,エピファニーです。※顕現日,エピファニー(Epiphany)キリスト教の祝日。東方の三博士が生まれたばかりのキリストを訪れ、キリストが神の子として公に現れた事を記念する日。この日の前日までがクリスマス節であり、クリスマスの飾り附けはこの日に外される。*今日の名言(1)目的の大きさに比例して努力・精進しなければならないのは、人生の鉄則だ。シュリーマン(1822年1月6日–1890年12
毎日いろいろな方のブログを読ませていただいています。赤南万衣さんのブログを読んで偶然私の本との出会いで自分の毎日が楽しくなったそうで、うれしいことです。おかげさまで本のこと思い出しました。人生が変わった子供の頃に読んだ本。この本が今の自分の人生の根っこのようになっています。実は月に1回、日本の古典を学ぶことが私のライフワークになっています。縄文時代に書かれたという文献の研究会です。講師の今村先生は80半ば。いつでもかくしゃくとしてすばらしい知
10年以上も戦いが続いたというトロイア(トロイ)戦争の原因とは?古代都市トロイの存在は長く神話伝説上のものだと考えられていた。ところが19世紀末にドイツ人ハインリッヒ・シュリーマン(1822-1890)によってトロイア一帯の古代遺跡が発掘されたのだ。発掘作業の結果今現在、遺跡そのものは地層が9層になっていることが判明している。出土した複数の時代が重なった遺跡のうち、火災の跡のある下から第2層がトロイア戦争時代の遺跡であると当時のシュリーマンは考えていた。1930年代に再調査が行われ
トロヤ遺跡の発掘をしたシュリーマンのことは世界史の授業で習って知っているという方も多いと思います。その彼は、実業家としても有能であり、かつ、言語的才能にも恵まれていたらしいですね。本人的には18か国語を話せると自伝に書いています。さすがに18か国語というのは盛り過ぎで可能性は低いと言われているようですが、それでも語学に類まれなる才能があったのは確か。ドイツ人シュリーマンが自伝「古代への情熱」のなかで/簡単な語学習得法を見つけた\と書いてい
今日は【シュリーマンが古代都市トロイアの発掘に着手した日】夢をあきらめてはいけないシュリーマンのお話を聞かせていただくと夢をあきらめてはいけないって思わせてもらえます。こちらからどうぞ~よい一日を~(^-^)/
👆をクリックすると動画スタート。古代ギリシャ神話のトロヤの遺跡を発見したドイツ人シュリーマン。実業家でもあり考古学の研究者であった彼は、15カ国語を話す語学の超人でもありました。その学び方の秘密を彼は自伝で公開しています。https://youtu.be/Tn4SMoNvbfc
トルコトロイ遺跡の発掘ドイツ人H・シュリーマン(1822~1890)の著作「古代への情熱」を知ったのは、高校生の頃。父親に話すと、嬉しそうに相槌を打つように話に乗って来た。およそこんな話だった。「トロイの木馬なんて、おとぎ話と考えていた時代に、シュリーマン少年はホメロス神話を現実の出来事と固く信じ、苦労の末に巨万の富を得ると、早速トロイ発掘に乗り出したんだ。6ヶ月で一ヶ国語をマスターし、数ヶ国語をマスターしたんだよ」と。大人になると、ヨーロッパ言語はみな同じルーツを持っているか
横浜市港南区下永谷5丁目ஐえみピアノ&リトミック教室ஐ*ピアノ*ソルフェージュ*リトミック講師の齋藤絵美ですꪔ̤̮2020年11月より、火曜日の新規生徒さんを募集中です(その他の曜日はお問合せ下さい)無料体験レッスンのお申込みはこちらから📩友人から「ベートーヴェンやるよ〜」と教えてもらいました今日の夜21:30〜です↓こちらも面白そう吾郎ちゃんが振ってます最近は幼稚園生も作曲家に興味を持ってくれるように是非録画して、一緒に観て下さいねiちゃん、「
『ギリシャ神話』トロイアの王子パリスがスパルタ王の妃でギリシャ一の美女と言われたヘレネを誘拐し、トロイアに連れて行ってしまいました画像はお借りしましたこのスパルタ妃・ヘレネを取り戻すべくギリシャの英雄たちが立ち上がりトロヤを攻撃しますギリシャ軍はよく戦ったがトロイアの城壁は堅固でした。ギリシャ軍はすべて撤退したように見せかけ勇士を忍ばせた巨大な木馬をつくり城門の前に置きますトロイア側はギリシャ兵が消えうせ後に木馬が残されていることに気がつきました。
こんばんは、澤田英語学院のMattです。今日は新聞の記事ではなく、英検1級に出てきた人物を深堀りして、背景知識を蓄えましょう。HeinrichSchliemannハインリッヒ・シュリーマンハインリヒ=シュリーマンSchliemann1822~1890北ドイツの貧しい牧師の子として生まれ、生計を立てるため商業学校に学んで商館の事務員や書記となり、商人として独立し、外国貿易で財をなすことに成功した。彼は、別の分野でも最近は人気者です。
おはようございます。👋😃最近、夏らしく暑くなりましたね。sunao-cookieです。本日も、sunao-cookieもうひとつのブログをご覧くださり、ありがとうございます。ご覧くださるすべての方々を歓迎致します。本日月始めのPOEMの特集です。本日はフランス語です。タイトル『本当に欲しいもの』❮本当に欲しいもの❯本当に欲しいものは、大人はねだらない本当に欲しいものは、なりゆきまかせ本当に大切なものは、卵のからのようにもろいから親鳥がヒナを
明日に向かって、走れ!ならいいけどね明日に向かって、撃て!という映画を思い出しつつ、今年はあ巣にむかって、籠れになちゃったかなあ。レトロと現代が交錯する街。の写真いつくか・・浅草というところは、昭和や大正、明治の面影を残していてすべてが観光向けになっていない庶民の街でもある。紐解けば、源頼朝・・からはじまり、あのトロイの木馬を発見したシュリーマンまでもこの地を訪れ、多くの文人、知識人、芸術家、芸能人を排出している歴史がある。台東と墨田は過去
人気エリア「吉祥寺」に、吉祥寺という名前のお寺がないワケYahoo!ニュース明暦の大火は江戸三大大火の中でも最大の火事で、日本史上最大の火事とも言われており、別名「振袖火事」としてもよく知られています。伝承では、身にまとった...【実録東京人vs関西人】誇り高き「上方」が政治も経済も東京に屈服した日Yahoo!ニュース江戸の武士はこうして得た貨幣で、米などの食料から刀などの商品まで幅広く購入していました。銀座は、両替商である金融機能の名残の地名です。お金は電信...
テーマがぼやけてきてますが・・・このブログは離婚しても親権を持つ側(わたし)が親権を持たない親(夫)に子どもを会わせる親権を持たない親(夫)が養育費を払うよう促すことを目指した状態で離婚に向かう過程をまとめてます。実際(コロナの影響もあり)全然離婚が進んでないので具体化されてはいませんが、離婚予定の夫も、親権を持たない親として養育費を払い子どもとの面会をし続けるつもりのようです。勝手ながら共同養育と呼んでいます。離婚しといて何を悠長な~てゆうかまだ離婚し
はじめにみなさんこんにちは。本野鳥子です。今回は、「古代への情熱ーシュリーマン自伝ー」をご紹介します。「古代への情熱ーシュリーマン自伝ー」シュリーマン・関楠生訳(新潮文庫)この本は、ギリシアの詩人、ホメーロスがかつて語った叙事詩「イーリアス」「オデュッセイア」を信じ、長年の努力によってそれらが実際にあったことを示した、シュリーマンの自伝である。私は最近、「イーリアス」を岩波少年文庫で読んだが、おとぎ話という印象を禁じ得なかった。ギリシア神話の神々、ゼウスやアテナ、アポロ
11月29日、トロイ。前置きが長くなったが先も長い、今から観光開始。アジアと欧州とアフリカの交わりの地で人間の往来の多かった文明の交差路アナトリア半島、さらにエーゲ海に面したトロイの地に集落ができ始めたのが紀元前3000年頃と言う。紀元500年まで栄えては滅び、滅びては立て直しを繰り返し1871年以降続く発掘で9層の時代が土の中から現れた。まず現在の地上に一番近い所につい最近のローマの時代の円柱がゴロゴロ転がっている9層目、本来ならばもうこれだけで世界遺産に成りうる遺跡となるが
11月29日、チャナッカレ、チャナッカレ、アジア欧州にまたがるダーダネルス海峡に面し古くから海峡交通の要所(文明の交差路)として発展した港町、11万人。1871年近郊よりトロイ遺跡の発見により観光都市に。先程までの大雨もチャナッカレに着くと上がった、気になるこの木馬は、あのトロイの木馬というやつだ、紀元前1200年頃に起こったトロイ戦争の象徴、あれっ、木馬のレプリカは20㌔離れたトロイ遺跡にあったはずだったが、と思っていると、これは2004年にハリウッドで撮影されたブラピさ
長々とつぶやきです(笑)時々ブログで紹介している、幕末の日本や世界を旅したシュリーマン。彼が書いた旅行記の中に、こんな一文があります。「この国(日本)には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そしてどの国にもまして、よく耕された土地がみられる。」足るを知る、真面目な日本人らしい光景ですね。けれど今、畑や田んぼは草だらけな所も多いですよねシュリーマンによれば、昔の日本人のお家には庭にお花を植えたりしている所もよく見られて、とても清潔で綺麗にしていたとか。私の叔母がお花大好きな
2019年、年末年始の旅👉一覧はこちら———————————————ミケーネ遺跡の考古学博物館ミケーネ遺跡については👉こちらミケーネ遺跡に併設されている考古学博物館。展示物で気になったものを一挙にご紹介!ミケーネ遺跡のジオラマ全容が分かりやすい!これが円形墓地から発掘された黄金仮面本物はアテネの考古学博物館にあるのでこちらはレプリカです。シュリーマンは、この黄金仮面は、ギリシャ神話に登場するアガメムノン!と確信していたようですが、実際にはもっと前の時代
2019年、年末年始の旅👉一覧はこちら———————————————ナフプリオンNafplioから行く遺跡ミケーネ遺跡AncientMycenaeΜυκήνες1876年、シュリーマンによって発見されたミケーネ遺跡。誰もが作り話と信じていた、ホメーロスにうたわれたミケーネ文明が実在したことを証明した発掘でした。低い山を車で登って行くと見えてくるミケーネ遺跡。やはり奥には山が…コリントス遺跡(B.C.7頃)もそうでしたが、ミケーネ遺跡(B.C.15-10頃
シュリーマン旅行記今度は日本編です。幕末は様々な外国人が日本を訪れましたが、その人たちがシュリーマンに対し感動した様子で日本の事を語ってくれるので、彼はぜひ日本に行きたい!という思いが以前からあったそうですそしてついてから早速、先に旅をした清との違いを見せつけられることになります。中国では船が入港するたび、赤ん坊を入れた篭を背負った女性や、辮髪の男たちが汚い小舟を操作し、船を取り囲むそうですが(汚い言い過ぎだよね(笑)どんだけ汚いねん!)、日本では一転。入れ墨をしたふんどし一丁の屈強
1865年にハインリッヒ・シュリーマンが当時の中国(清国)と日本を旅したときの記録です。シュリーマンは、木馬で有名な「トロイアの遺跡」を私財を投じて発掘した方でもあります。第1章万里の長城第2章北京から上海へ第3章上海第4章江戸上陸第5章八王子第6章江戸第7章日本文明論第8章太平洋印象的なのは、文中に出て来る日本の姿で、幕末の日本人がどんな暮らしをしていたのかが手に取るように分かります。「日本人が世界でいちばん清潔な国民で
英語ができないとお悩みの方、できないのは間違った方法が世間に蔓延しているからです。正しい方法とステップでやれば誰でもできるようになります。その方法を知りたい方は是非、「科学的に正しい英語勉強法7つのステップ」を無料でプレゼントします。欲しい方はこちらをクリック!どの書籍にも載っていない貴重な情報もありますよ。こんにちは、Keitaです。前回のブログで、江戸時代の教育に最強の英語学習法のヒントがあることをお話ししましたが、今度は世界に目を向けてみま
おはようございます。医者になって欲しい。これはお金の面で苦労しないからです。ある一定の努力を持って目標を達成すれば既得権をもらえる職業としてはいくつもありますが、平均を超えているのは医者と議員ぐらいでしょうか。かつては弁護士もありましたが、食えないと言われて久しくなりました。勿論、お金に困らない職業はいっぱいありますが、そこには運の要素が必要だったり、天性の素質が必要だったりと、属人的な要素がものすごく多いんです。その人だからできるんです。重要なのはだれもがほぼ平等に勝負できることな
ヨーロッパ旅行の続きを!コリントスの遺跡はコリントス市内からバスで15分ほどの、海からほど近い山の中腹。ミケーネ遺跡はコリントスからバスで30分ほど、小高い山の上にそれほど大きくない城塞の跡がある。コリントスをバスが出るとあとは延々とオリーブ畑。ギリシャ人ってオリーブしか食べないのかなって思うほど。そして遺跡見物に行くといつも思う。バスも電車もないのにこんなところにお城があってどうやって地中海一帯を支配したのだろう?ミケーネのほうが古い。世界史ではクレタ文
★1月レッスンご案内はこちら(←クリック)トルコ2日目から、イスタンブールを出発し、バス長旅の始まり。まずは、チャナッカレにある「トロイ遺跡」へ。フェリー乗り場の、焼き栗屋台のおじさん。絵になります!チャナッカレはエーゲ海に面していて、海の向こうはギリシャ・・・といった位置関係。ここに、有名な「トロイ遺跡」があります。トロイは・・・、古代ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩『イリアス』に登場する大都市。トロイの王子パリスが、古代ギリシャのスパルタ王の美しい妻ヘレネを
お気に入りのブルサを離れいざトロイへ約300キロの移動です世界遺産トロイホメロスの叙事詩「イリアス」に出てくるトロイの木馬で有名トロイの王子がギリシャ王妃ヘレネと恋に落ちトロイに連れ去ったことから戦争が勃発戦争は10年も続き決着がつかないままある日ギリシャは思いきった作戦をたてますそれは大きな木馬に戦士を潜り込ませその木馬を敵の城内に入れさせるという計画ギリシャから、もう戦争は終わりにしようと和平の印に送られた木馬を喜んで城内に入れたトロイ人たち(ガイドさんの話
これは最近作られたトロイの木馬、ご存知の方も多いかと思うが、ドイツの考古学者シュリーマンが発掘した遺跡だ。当時は海のそばだったが、今はこの地から海は見えない。無造作にそこかしこに転がっている遺跡、ところどころに説明書きが書いてある。私達はガイドと一緒に歩いて廻る。こちらが当時の発掘現場の写真、写真の物が地面の上にそのまま残されている。本当に遺跡だけだけど、当時の生活空間が感じら
こちらはミケーネの遺跡の中心部分で、まず最初に目にするのが有名な獅子門、通路の上で入り口をまたぐように置かれている石に彫刻が施され、紀元前13世紀に築かれたものだ。こちらは裏側から見た獅子門。門をくぐると右手に円形をした王家の墳墓がある。ここには円形墳墓Aと呼ばれ、六つの墓と19の遺骸が発見されたそうだ。シュリーマンがアガメムノンのものと信じた黄金のマスクを発見したのはここだそうだ。元気があれば上まで登るのだが、病気