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60年代を通して多作だった彼らだが、コロンビアからキャニオンに移籍、70年10月に発表したキャニオン第一作。当事の日本のGS全般のエレキ・サウンドはヴェンチャーズの強い影響下にあり、サウンドはアメリカン。だがシャープ5はシャドウズっぽいトーンを使ったり、その音色、プレイ・スタイルもどちらかというとヨーロピアンな印象。曲も何曲かダブっているし、67年の寺内タケシの「レッツ・ゴー運命」に触発されてのリリース、かと思ったら3年も経てからだった。彼らのために開発されたグヤトーンのエレキ・サウン
21(火)夕方、床屋のあと盛高書店へ。すると、思いがけずいいブツがあらわれた。井上宗孝とシャープホークス:安岡力也さんを筆頭にこのポーズ。インパクトのあるジャケだけに当然買う。弘田三枝子:津々井まり:このタイトルにこのジャケット、まえまえから欲しかった。ザ・ピーナッツ昨年、「東京の女」を購入してたので、これと2枚あわせてコレクション。ビートたけし・松方弘樹:たけしモノはとりあえず買っておく。ドナリン:ビートルズ関連も100円なら即買い。ラン
今日はのんびりハモリ強化デーにしようかなと思ってましたが、昼近くに歌友さんから「今【美鈴(みすず)】さんにいますが、私たち二人しかいないので来ませんか?」とのお誘いがありました。という事で急いで支度してお出かけ〜(*^▽^*)昨日同期LINEで話題にした『レット・ミー・ゴー』(シャープホークス)や、先日知ったばかりの『踊るマハチャダ』(チャダ)を歌って楽しかった〜一人一台のデンモクを使う事ができて↓以外にも結構歌えました。最上位機種Aiはありがたい♪「レットミゴーー」と響く低音が好き
「ロカビリー時代の全盛期、63年にはすでに活動を開始、フロントのボーカル陣をバックバンドの井上宗孝とシャープ・ファイヴが彩るというスタイルでメンバーが固定されていき、ちょうど世がGS時代に突入したころに、唯一、楽器を持たないGSとして、独自の存在感をもって活躍した4人組、シャープ・ホークスの、5枚目のシングル「レット・ミー・ゴー!」(67年12月発売)にあわせて発売された唯一のアルバム(68年1月発売)。当時のメンバーは野沢裕二(トミー)、鈴木忠夫(サ
今夜ははなわちゃんが横浜に引っ越して来たので同じく横浜に引っ越して来られたシャープホークスのサミーさんも呼んでレクサスの友人と息子も一緒に飲み会しました🍻このお店は知る人ぞ知る西横浜鳥料理の名店「やまと」新鮮な材料でとにかく安くて美味い!全てが美味い😋食後の後は関内に軽くパトロール😅息子とそういったお店に行ったのは初めてでした私がまだ元気な内にこれからは月に1回位は一緒に飲みに行きたいと思いました😊そしてこんな時間を持てる事に心から感謝します😊1歳の時
前回が橋幸夫の「リズム歌謡」、前々回が「ひとりGS」とやや脱線気味?でしたが、第6回は本道に立ち戻って残りの正統派?B級GSを聴いて行きたいと思います。パープル・シャドウズ「小さなスナック」(1968)パープル・シャドウズPurpleShadows/小さなスナックChiisanaSnack(1968年)視聴No.36パープル・シャドウズPurpleShadows/①小さなスナック(1968年3月25日発売)作詞:牧ミエコ/作曲:今井久/編曲:林一www.youtub
赤坂RockBarHeaven19:30open20:00startGu.&Vo.品川圭介Ba.宮川克己Vo.岩瀬京子Heavenバンドメンバー他<GUEST>Vo.鈴木サミー(シャープホークス)<飛び入り>常連のお客様たちHAPPYBIRTHDAY圭ちゃん赤坂サカスのイルミネーション
何事にも、ファーストタイム、最初ってのがある。本物のマニア&コレクターとしてレジェンドのオイラにも、そのコレクションにおける「初めて」があるよ。今回は、その話だよ。時は1967年1月の事だよ。当時、既に両親は仕事の関係で千葉の京葉工業地帯に移住していた。オイラと姉は、子供は東京の学校に入れたいという親の意向で板橋区に住んでいた父親の兄の家の近くに住まわさりていた。そんな小学5年生の正月は両親が板橋区のオイラ達が住んでいた家に来て正月を祝っていたのよ。そこに、親戚の叔父さんが年始に来て、
「前日記事の2/3(写真は再再発時(98年11月発売。3枚組)のCDジャケット)。この盤(Vol.2)ではシャープホークス、田川譲二、寺内タケシとブルージーンズが聞ける。ブルージーンズでは、演奏のゲストとしてコンガにペドロ(ペドロ&カプリシャス)、ドラムス&パーカッションに井上正(元バニーズ、前ブルージーンズ)、歌のゲストとしてデイブ平尾(ゴールデン・カップス)、山下敬二郎、佐川満男、スリー・ファンキーズ(長沢純、高倉一志(藤健次)、手塚しげお)、
サノバビッチ、んな次第で、オイラの音楽的なルーツでGSは外せないね。音楽に目覚め始めた1966年の小学5年生の時にテレビでスパイダースやブルコメやシャープ・ホークスやワイワンを観てグッときちゃったよ。そんで、ドップリとGSに填まったのよね。世間的にもGSは日本の音楽界の一大ムーヴメントにもなったしね。そんなGSでアイドル系のベスト3と言えば、タイガース、テンプターズ、オックスだろうね。まっ、オイラもタイガースはずっと好きだったし、テンプターズもデビューした頃は好きだったな。オックスはアイド
㊗️安岡力斗結婚式㊗️涙腺緩みっぱなしの素晴らしい結婚式でした🥺330名の方々がお祝いに駆けつけられました。力斗君の普段の気配りや人に対しての接し方が感じられました😊私の長男と同い年で最初に会ったのはまだ10代の頃でした。まだ30代半ばにして大した男だと思います!お父様の力也さんが生きていたらどんなに力斗君の今日の姿を見たら喜んでいたかと思います。たくさんの方にたくさん愛を貰ってこれからも頑張っと欲しいと心から思います😃本当におめでとう㊗️今迄寂しい思いを沢山した分これからは毎
ブロともさんが、ジェフ・ベックの曲をUPしていました。ジェフ・ベック・・とにかくかっこいいと思う。そして、ジェフ・ベックのUPに感化されて、僕も曲をUPしたくなりました。それは、ヤードバーズの曲。ヤードバーズには一時期、ジェフ・ベックがいました。思うに、ヤードバーズというロックバンドはすごいバンドです。いたのは、ジェフ・ベックだけではない。Wikiによると、ギター担当が・・・1963~1965・・・エリック・クラプトン1965~1966・・・ジェフ・ベ
「渚」シリーズの三つ目は、シャープ・ホークスの「遠い渚」ですシャープ・ホークスは余り知られてないかも歌って踊れる異色の混血グループとして1963年5人で結成されてます。グループ名は、事務所の社長の「鷹のように鋭く歌え」の願いから名付けられました作詞は橋本淳さん、作曲はすぎやまこういちのコンビです。このお二人は、ザ・タイガースの曲をたくさん作っています。遠い渚作詞橋本淳作曲すぎやまこういちふたりで砂に書いた愛の言葉冷たく波が消してゆく僕の心の痛みもいつか
アンコールは出演者全員がステージに上がりました。
続いてシャープホークスの写真です。
前回。。。ジャガーズまでを書いたのは一体?いつなんだろう?いよいよ後半ラストの5グループです。ジャガーズ沖津さんの次[シャープ・ホークス]トミー野沢さん、サミー鈴木さん、ジミー・レノンさん三人とも、白いジャケットを着て登場されました曲は…♪レット・ミー・ゴー、そして♪遠い渚でした(・∀・)とにかくずっと格好いいのですその<格好いい>は、歌い終えてステージから舞台袖へ戻られる前にバンドの方の方を向いて一礼された事も含めて全てがCoo
僕は、いまだガラケーで自分のが壊れたので、今は妻の「お古」を使っていますが、以前の着信音は、「TheYardbirds-TrainKeptARollin'」でした。好きなので。初めは、やはり大好きな「ドゥビーブラザーズのロングトレインランニン」だったのですが、始めの出だしが静かなので気づかないため、変えました。しかし着信すると、わっと思います、なんじゃこりゃとまわりから思われそうで。ヤードバーズは、超有名なギタリストが3人(下の動画に名前あり)もいた
『ホタテのロックンロール』安岡力也『遠い渚』シャープ・ホークス7月19日は安岡力也(現・力也)さんの誕生日です。シチリアマフィアの血が流れていると豪語するイタリア系のクオーター。確かにあの顔はそれ系です。10代でボーカル・グループのシャープ・ホークスに参加し、リードボーカルを務めました。シャープ・ホークスは、歌って踊れるハーフグループというふれ込みだった訳で、なのでGSといっても、楽器の演奏はなし。代わりに、バックバンドにシャープ・ファイブというインスト・エレキバンドが付