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シャルル・アズナブールさんシャルル・アズナヴール(CharlesAznavour)本名:シャアヌール・ヴァリナグ・アズナヴーリアン(ChahnourVarinagAznavourian)1924年5月22日生まれ、2018年10月1日、94歳没。フランス・パリ出身のシンガーソングライター、俳優。9歳より芸能活動を開始し、アズナヴールの芸名を名乗る。1946年、フランスの有名な女性歌手エディット・ピアフに認められる。ピアフのフランスおよびアメリカでのツアーに同伴。
ちょっと良いコンビニメシ(スーパーめし)なら、アメブロにゃんたブログへにゃんたブログにいつもながら皆様ようこそ。花粉症が、まだ地味にキテるよ~(*^ー^)ノ皆さんはどうかな?---------------------------------【今日のお名前にゃんた】・田中館愛橘(1856-1952)。名前?うん、そう。田中舘愛橘とも。「たなかだてあいきつ」、岩手県出身、地球物理学者、東京帝大名誉教授。“日本物理学の父”。リンク~画像検索田中舘愛橘~-------------
Bonnesoirée皆様、こんばんわ🍷。フランス語で挨拶してみました。2024年3月2日(土)フレンチ食堂ママンで仏の家庭料理を堪能して以来、『マ、ママン。マ、マンマミーヤ。』あの日から13年ですか。3.11これからも、できること。-Wikipediaja.m.wikipedia.orgThanksforletting…ameblo.jp気持ちがどーにもおフランスにひっぱられ気味な日々を送っておるサブリーダー○タ○ラーです。時には昔のはなしをしてもいい
「恋するシャンソン」(原題:OnConnaitLaChanson)「恋するシャンソン」全編1997年11月12日公開。パリの空の下、家探しをきっかけに知り合った7人の男女が繰り広げる勘違いを描いた恋愛映画。シャンソン36曲を挿入した異色作。脚本:ジャン=ピエール・バクリ、アラン・レネ監督:アラン・レネキャスト:シモン:アンドレ・デュソリエカミーユ:アニエス・ジャウィマルク:ランベール・ウィルソンオディール:サビーヌ・アゼマクロード:ピエール・ア
「ピアニストを撃て」(原題:Tirezsurlepianiste,英題:ShootthePianoPlayer)「ピアニストを撃て」プレビュー1960年11月25日公開。トリュフォーの長編第2作。脚本:フランソワ・トリュフォー、マルセル・ムーシー監督:フランソワ・トリュフォーキャスト:エドゥアル・サローヤン/シャルリー・コレール:シャルル・アズナヴールレナ:マリー・デュボワテレサ:ニコル・ベルジェクラリス:ミシェール・メルシエ
ここのところ日本にとっては喜ばしいことが次々と起こりましたね。WBC日本優勝、フィギュアスケート世界選手権ではペア、シングル男女共に日本が優勝、本当に嬉しい限りです画像はこちらからお借りしました☆あまりにも凄すぎて夢を見ているようでした。選手の皆様、本当に本当に感動をありがとうございました。ちょうど桜の季節でもあり新型コロナもやっと落ち着いてきて人々の気持ちも明るくなってきたのか街もにぎわっていますね。この調子で色々なことが良くなっていってほしいと切に願います。もちろん一番
さて、今夜はラ・ボエームをご本家CharlesAznavour(シャルル・アズナブール)の歌唱で聞いてみることにしましょう。(画像は借り物です)(映像は借り物です)おまけはこちらの曲にしてみました。(映像は借り物です)どちらの歌もついこの間のことのように思い出されてしまいますなぁ♪
アズナヴールがマネージャーとして(男女関係は無く)ピアフのブーローニュの館(やかた)に同居していた話は、前に書きました。その館には、「マリー・アントワネットの部屋」と呼ばれる豪奢な装飾が施された一室があって、そこにピアフではなくアズナヴールが住んでいたと、彼はインタヴューで告白しています。どうして、ピアフはその部屋を避けたのでしょう?まずは、アズナヴールのインタヴューから。(Iはインタビューアー、Aはアズナヴール)I:Mais,vousétiezdansune
暗闇の中、車に追跡されて必死に逃げるコート姿の男。転倒して道路に仰向けになったところへ、花束を持った初老の男が声をかける。妻に花束を買ったらしいその男は結婚して二年目で産院で妻と子供を見たときに本当の人生が始まった、と追われていた男に話す。コート姿の男は、ピアノ「シャルリ・コレール」というビラが貼ったバーに入って行き、ピアニストの楽屋で「4年ぶりに会いに来た兄だぞ、面倒に巻きこまれた。助けてくれ。追っ手は二人組だ、デカじゃ無い。俺と弟は奴らと組んで仕事をした。俺たちをコケにしようとしたので
昨日はチャーリー・ワッツ(ローリング・ストーンズ)の一周忌でした。ミック・ジャガーはSNSに"TillTheNextGoodbye"をUPしていました。センスが良いですね。「TillTheNextGoodbye」TheRollingStones今日、8月25日はエルヴィス・コステロの誕生日です。(68才)エルヴィス・コステロの日本でのデビュー環境は可哀想でした。イギリスでは人気があるのに、日本での発売会社がなかなか決まらずに、レコードがなかなか手に入らな
TAKUさんに再三に渡って観るように薦められた(尻を叩かれた?)のが、『モンテーニュ通りのカフェ(Fauteuilsd'orchestre)』というフランス映画(2006年)でした。Amazonには中古(しかもレンタル落ち)しかありませんでしたが、何のことはない、近所のレンタルショップで探したらありました。私がフランス映画を観る時、まず一番気になるのが音楽の担当者の名前なのです。オープニングの字幕に、〈ニコラ・ピオヴァーニ(NicolaPiovani)〉
時間的にこれしかなかった、という、いつものバイト帰り乗り換え駅を通過して新宿へシネマカリテにて、C.R.A.Z.Y.もちろんまたまた予告編も見てなくて、なんの予備知識もなく新鮮なり??1960年、クリスマスを祝う男の子3人と両親、その時に母親が破水する生まれたのはまたまた男の子、それでも父はその子を愛し、母も特別な子、として大切に育む活字中毒の長男、スポーツマンの三男、そこに挟まれて微妙な次男、何かとこの次男と揉める四男のザックそれで
昨日、男子フィギュアスケートで北京オリンピックの王者となったネイサン・チェン。実はしばらく私は彼の演技を見ていなかったのだが、フリーが始まり、アリーナに響き渡り出した曲を耳にして、思わず鳥肌がたった。あのエルトン・ジョンのあの「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」だ‼️私が二十代の前半、4年付き合ったきた女性と駒込の喫茶店ルノアールで静かな静かな[別れ話]をしていた時、店内に流れていた曲である。(笑)ネイサン・チェンのフリーの演技を見ながら、頭の中
昨日の記事で少し予告したミレイユ・マチュー北京オリンピックで流れてた曲MIREILLEMATHIEU「UneVieD'amour」何気につけてたテレビフィギュアスケート団体戦放映してた女子ショートジョージアのアナスタシア・グバノワ選手の演技で聞き覚えのある曲が耳に入ってきたミレイユ・マチューが歌う「UneVieD'amour」2019年リリースされた彼女が歌う映画音楽をまとめたアルバム『Cinema』に収録2014年リリースのベスト盤のタイトルにもなってるこ
ロックンロール、ロック、ブルース、ブルースロック、ジャズ、歌謡曲、フォーク、カバーポップス、GS、ニューミュージック、JーPOP、洋楽ポップス、ディスコ、イージーリスニング、映画音楽など数多ある音楽ジャンルの中から洋邦問わず泣ける名曲を集め、コメント等も加えつつ聴いて行こうというシリーズです。「ブルースロック名曲集①」にも少し書いたのですが、泣ける名曲という性格上、リンクするのは哀愁を帯びたマイナー調の楽曲ばかりで、明るくて陽気な長調の曲は皆無ですのでごあらかじめ承知おきの程を。『マ
10月1日が命日・忌日の有名人・著名人686年55歳崩御(病気)天武天皇陛下第40代天皇舒明天皇と皇極天皇(斉明天皇)の子1979年81歳没(?)ロイ・ハリスさん作曲家1979年満74歳没(乳ガン)水谷八重子(初代)さん女優娘:二代目水谷八重子1990年満83歳没(?)カーチス・ルメイさんアメリカ空軍参謀総長東京大空襲を指揮2001年満63歳没(肝臓癌)古今亭志ん朝さん落語家2013年満75歳没(交通事故)ジュリアーノ・ジェンマさん俳優・彫
昨年の3月あの頃は外出や人が集まることが今よりもずっと恐れられていた。ライブハウスからクラスターが出たというニュースが流れそれからしばらくは音楽を生業としているなんて言ったらどこへ行っても眉をひそめられて…とにかく肩身が狭かった。一時は職業を聞かれると”サービス業”とか”接客業”とかざっくりとした括りで答えたりして。だけど私はずっと音楽は生だと信じているから周りのミュージシャン達が
この同居の話、あまり知られていない。インタヴューで明らかにされているので、紹介したい。(Iはインタビューアー、Aはアズナヴール)I:Etalors,unechoseintéressante,vouslaconnaisiezbien,maistoutlemondenesaitpas,quevousavezvécuchezelle,avecellelequotidienetcepandantdesannées.A:C
グループ「シャンソンの新しい風」で、ラ・ボエームが話題になりましたので、今日は、1960年代のアズナヴールの話をします。1924年生まれのアズナヴールにとって60年代前半は、30代の終わりから40代にかけての時期だったわけで、音楽的に一回目の円熟期にあったのではないかと思います。というのは、毎年、素晴らしい曲を作り続けていたからです。1962年LesComédiensコメディアン1963年EtPourtant想い出の瞳1964年HierEncore
亡くなって今年で3年になるんやね…CHARLESAZNAVOUR「LeTemps」フランスの国民的歌手だったシャルル・アズナブール1964年にリリースされた曲”時間”って意味のタイトル後に日本でベスト盤がリリースされた時には「今ぞこの時」なる邦題が付けられてた♪君の人生を導かせてくれ君を愛するチャンスを残してくれ子どものように僕の胸の中へおいで忘れたいなら任せておくれ…彼の名前は早くから知ってたけれど歌手としてではなく映画を通してやったお
5月2日(日)ラジオ関西18:00~18:30*オープニングのお話の中の「チャンダン」〔チャンダン〕白檀のサンスクリット語。〔サンダルウッド〕白檀の英語表記。(主にオイル系のお香らしい)曲目花咲線~いま君に会いたい~2017年10月11日発売ラ・ボエーム*元歌はシャルル・アズナブール
昨日は個人様のお仕事があったからぱんくろうmgと出掛けた。出掛けている間に緊急事態宣言の延長が発表されこれで16日に予定していた木須康一さんとのライブが中止に…ただでさえテンションが落ちているところへ追い打ちを掛けるように仕事のことでがっかりすることが連発した。ぱんくろうも動揺する私をどうしていいか分からないようで空回ってばかり。それでもお仕事は滞りなく終わり夜が更けてもミーティングは続いた…まったく
5月でブログを始めて1周年です。今まで読んでくださった方、今読んでくださっている方、こころよりお礼を申し上げます。ちょうど明日は、誕生日。もうお祝いする歳ではないけれど、いくつになっても誕生日はうれしいものです。私は、毎週月曜日と金曜日の朝6時台にブログを更新しています。一週間の始まり月曜日は、「こころのネジをギコギコ巻いて今週もがんばりましょう」という気持ち。そして、金曜日は、「一週間お疲れさまでした」という気持ちで。自分と読んでくださる方へ向かって、ね。ブロ
昨日は尼崎でライブだった。ご来場くださいました皆様今回のお店、都のママピアニストの木須康一さんぱんくろうmg本当に楽しい夜でした。ありがとうございました。さて今日の一曲はシャルル・アズナブールの曲から“あきれたあんた”美輪明宏さんの訳の日本語版を木須康一さんのピアノで歌っている昨年3月のライブ音源になります。よろしかったらお聞きください♪現地には少し
■CherchezL'Idole/女優と歌手が本人役で出演製作年:1963年予告編予告編予告編(シルヴィーの出演場面)■あらすじのあらすじ女優のミレーヌ・ドモンジョが新居に引っ越してきた。その新居に働きに行っているタイル職人リシャールは、恋人のコリーヌにそそのかされてダイアを盗む。警官に追いかけられて楽器店に逃げ込んでダイアをギターの中に隠した。翌日、ミレーヌ・ドモンジョの使用人の女性ジゼールに追及されて反省。ダイアを戻そうとするが、ギターは同型の四台ととも
大きなアクリル板の前で愛の歌をうたう。正面の2階からライトを当てて頂いているから客席はほとんど見えない。どうしようもなく孤独。この時、私は孤独の中で歌っていた。だからこそ歌の世界に没頭していないと心細くなってしまう。まったく…こればかりは何年経っても慣れない。そしてどういう訳か慣れてしまいたくないのだ。あちこちで耳にするこの曲がこんなに熱い歌だと知ったのはシャンソンと
Elena/Yerevan/IlsSontTombésエレナ・エレバン-彼らは転落しましたシャルル・アズナブールの歌のカバー・ソング
∂シャルル・アズナヴール歌手∈画像①クリックしてね!🔄画像①はこのサイトより引用∂アズナヴールの父はグルジア(現:ジョージア)で生まれた。その父(アズナヴールの祖父)はロシア皇帝ニコライ2世のコックをしていたという説があるが、アズナヴール本人が否定している。母はアルメニア系トルコ人の商人の家系である。第一次世界大戦とロシア革命による内戦と混乱を逃れた彼らはアメリカ行きのビザを申請するためパリに滞在している時に知り合い、1922年に結婚した。アズナヴールの
身長152センチ体重51キロのモロッコ生まれ(北アフリカ)の可愛い女の子がシャルル・アズナブールにスカウトされて69年に17才でデビューしたのがこの曲でした透き通るような青い瞳と白い肌で金髪の17才のフランス人形ダニエル・ビダルが歌う♪天使のらくがきは69年オリコン・チャートで12位のヒットとなりました。