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アラカン学習についていけるか問題昨晩大学の児童学科通信教育課程の説明会にzoomで参加してみました来年度いっぱいで今の街からお引越し予定でパートナーさんと新しい生活をスタートさせたい!もちろんその前に娘の大学受験があり大学生活は近くの学生マンションに入居予定✨娘はその一人暮らしを楽しみにしてるんです❗️娘曰く東京の一人暮らしは楽しみしかない✨そうですよそれで私の方は新しい街で保育の仕事を少ししつつ大学の通信教育課程で興
そんな下半身丸出し珍騒動があったが、その女性患者も日がたつにつれて精神的に安定していき、保護室から大部屋に移り普通の生活に戻ったのである。俺は彼女に「すごいことやったの覚えてるー?」と聞いたが、覚えていると答えた。ドクターカルテには記載されていなかったが、やはり彼女は顔に似合わず露室癖あるとのことだった。本人が認めていたからほんとのことなのだろう。その後、彼女は数か月退院していったのである。俺は退院当日「もう―!もどってくるなよ!!」と見送った。https://youtu.
精神科に勤務していると、一般社会では考えられないことが頻繫に(?)多発するのである。笑っちゃうこともあれば危険性を感じることもある。危険性は患者に対して、さらにはスタッフにもだ。患者が突然発狂すると、何をしだすか予想もつかないからだ。モノを投げたりといろいろ!。椅子など投げたもんにゃー!そりゃ大変。実際に俺の精神科看護師経験の間に何度もあり、他の患者に運悪く椅子が当たり負傷する始末。俺はそんな場面に出くわすとついつい興奮してしまい、「何やってんだー!コノヤロー!」と看護師とし失
俺も数か月が過ぎると、日勤業務も慣れてくる。朝は9時から夜勤者からの申し送りを聞く。申し送りと言っても精神科では特に大した送りはない。急変なんかも、あるなんてことは滅多にないのである。あるとするなら、患者が夜中に徘徊、もしくはトイレに行くときにフラフラし、転倒して頭を打って血を流しナートする位な感じだ。もともと閉鎖病棟は慢性的な統合失調症の患者ばかりで、何年、何十年とこの病院で生活しているのが大多数。特に内臓関係はぴんぴんしているのがほとんど。だから申し送りは大した
入職して1が月もたつと、仕事の流れと各患者の症状などが把握できるようになってくる。患者のほとんどが統合失調症であり、たまに双極性障害の患者がいたりする。双極性障害いわゆる躁うつ病である。双極性障害の患者は、希死念慮が強く看護の対応が極めてむずかしく、下手なことを言うと患者に刺激を与えてしまい、厄介なことに発展しかねないので、俺はそういう患者には余計な干渉をしないようにしている。精神科看護師が初めてのスタッフは、コミュニケーションを取ることに懸命であり、それがあだとなりその患者か
ここの精神科病院でのスタッフの年齢層は、やはり40代が多い。俺が入職したのは、54歳になろうとしていたときだった。だから俺はこの病棟では、かなりの年配者での入職となる。何十年も前からいる、お局看護師は60代が二人いた。それはそれは!!准看護師で始末が悪い。やはり精神科の年配看護師は、ろくな奴はいないなー!とこんな感じであった。新人いじめで辞めていく者も多数いたし、働いているスタッフも恐れていた。後で、俺はそのお局看護師の一人を撃退(?)することになる。ユー
60床となると名前を覚えるのが大変だった。入職して日がたつにつれ、患者の顔と名前が一致するようになってきたが、どうしても全く顔が違うのに、なかなか覚えずらい患者もいた。例えて言うならば、アーティストの「髭男dism」と「SEKAINOOWARI」のボーカル。女優で言えば、「瀧本美織」と「南沢奈央」みたいな、、、。まだまだ挙げればきりがないので割愛。まったく!!違うじゃん!!そうなんですけど、、、。だからどうしても数か月は、名前と顔を一致させるのに時間がかかってしまったのである。
令和5年現在、俺は間もなく62歳に突入しようとしている。現在、看護師余生を精神科病院で働いているが、今まで勤務してきた、また勤務している精神科病院は、老朽化が激しく雨漏りをしているところもあり、不憫なところは穿り出すときりがないので割愛する。素人がどう見ても、建て替えしなければならないだろうと言う建物である。カネがある精神科病院では、建て替えしているところもあると聞くが、俺の勤めてきた勤めている病院はそれが出来ない。隔離室(保護室)などのモニターもなく、患者の監視が出来ない。まぁ
精神科と言えども、看護師は女性が圧倒的に多い。しかも精神科特有だろう、准看護師の数も多いのである。一般科では准看護師が珍しが、精神科ではその逆であることもしばしばである。よくお局看護師におばちゃんまたはおばあちゃんが多いのも特徴である。しかも准看護師!!。ここの病院精神科にもいるいる!!俺は女性閉鎖病棟に配属になったが、閉鎖病棟には隔離室があり、いわゆる独房みたいなところであった。看護学生時代、精神科実習をやるのだが、実際隔離室はあるとは聞いていたが観られない。そりゃそうだ!そんな
初出勤となる精神科病棟は、60床の女性閉鎖病棟。余談であるが,ここの病院は一般科もある。と言っても療養型で老人でほとんど占められていた。同じ敷地内には老人施設もある。地元ではそこそこの規模であると言えるんではないか。俺は看護師になる前に、介護職としてここの施設で2年近くお世話になったことがある。看護師になるきっかけを作ってくれたのが,ここの看護師であった。その看護師も一般の大学を出て会社勤め後、准看護師から正看護師になったお方であった。今もいるのかなぁー?もうかれこれ15年以上の話
俺の残り少ない看護師の余生は、体に負担のないところ「精神科ダァー!」と決めていた。老人施設でも良かったのだが施設となるとあくまでも介護職がメインになる。施設は看護師より介護職員の数が圧倒的に多い世界。俺も単発の仕事で看護師として経験はあったが、何だか知らんが介護職員が幅を利かしている。何を看護師に敵対心燃やしているんだか知らんが、目の敵にしている雰囲気があった。俺は特に高圧的にされた経験はないが、施設経験者の看護師たちに聞いてみると、介護職員からそんな経験を受けたことがあると言って
当時54歳になる俺は、定年までの残りの余生は(?)近所にある精神科病院と決めていた。正直なところ精神科は好きではない。なぜなら精神科看護師では、急性期病院での経験が、ほとんどと言っていいほど必要ないからだ。しかし年齢も年齢、急性期病院では使い物にならない。それよりも何よりも採用は難しい。前職の急性期病院でも、俺が看護師として最高年齢で、はっきり言って体力的に厳しかったのは事実であった。精神科看護師を見下しているわけではないが、はっきり言って、若くして精神科しか知らないと、患者に急
やっとの思いで勝ち取った(?)退職、この病院ともお別れの日が来たのだ。その日の業務の終了時に、病棟スタッフから花束をもらい見送られた。なんだかんだと1年近く勤めさせてもらった病院。病棟のスタッフにも感謝の言葉を言い別れを告げたのであった。俺は次の勤め先は決まっていた。それは魔(?)の精神科だった。精神科は准看護師学校時代の精神科実習で、怖-い経験をしたのであまり好きではなかった。と言っても、進学コース時代精神科でのバイト経験も多少はあったので免疫あったのだが、、、。勤める精神
退職が決まったと言っても、有給休暇を入れても数週間は今まで通り病棟での業務をしなければならなかった。本当であるなら辞めるのだからモチベーションも下がるのだが、逆に俺は辞めることが決まったので、仕事に‘はりきって‘しまったのである。まぁー!看護部長も俺に怒鳴られ、行政機関からもクレームが入り、自業自得だ。自分の保身のことしか考えてなかった看護部長だ~。俺の大暴れ(?)を教訓に‘おやじ‘は今後入職させない方がいいと思ったかもしれない。と言っても、53歳の新人おや
俺に、作り笑いをしていた看護部長は、数時間前の態度とは一変!!。俺を低姿勢に迎えたのであった。俺は‘ニヤリ!!‘部長の立場もないだろうにと、、、、。俺に部長室の中で、周りの事務員たちにも聞こえるよう大声で怒鳴り散らされしかもその後、労働基準監督署の行政機関からの連絡が病院に入ったのだから。俺はワルの中年チンピラおやじだー!!看護部長は俺を椅子に座らせて言った「別に辞めさせないと言ったわけではないので、、、。ごめんなさい」「○○さんの希望通り、退職してもらって
患者がにげだした−!!精神科病院ではたまにある!😰https://youtu.be/8nXkpZkHHGY
60代からの自己投資ですか…?!
俺は、とんちんかんな看護部長の話を聞くことに耐え切れず、部長室を飛び出して病棟に戻った。すると・・・。師長がすかさず俺に駆け寄ってきた。「話はどうでしたか?」と話しかけてきたので、俺は「あの部長話になりませんね!自分の立場のことしか考えてない!」と、、、。業務に戻った数分後に、またまた看護部長から呼び出しがかかったのである。さてはさては!????やっと労働基準監督署から病院に連絡が入ったんだと、俺の表情も微笑みに変わったのであった。部長室に再び訪問。
俺は看護部長の言葉に反応!「何言ってんのー!!辞めることを1か月以上前から言ってんだよ!!俺は!!!!」「聞いてないわけないだろうに!!」「辞めたいと言ってここに呼び出しがあって、あれから何週間たってんだよ!?」と部長室に響きわたった。当然事務員がいる部屋にも筒抜けで聞こえていた。俺は興奮すると止まらない止まらない、チンピラみたいだな俺は。怖、、、!!。まぁー!ここまで言わなきゃわからない部長であったことは確かだった。俺もこの病院に働く以前にもいくつか病院を辞めてき
部長室に向かうまでの間、俺の興奮状態は収まらなかった。(わくわくソワソワ、俺がどんな言動に出るかが、、、。?!)何を看護部長が、言い出すかは予想がついていた。師長や副部長やらが言っていたことの繰り返しを、また言うのであろうと。俺は気が短い性格なのでしつこいのは嫌いだ、興奮しているとなおのこと。俺は事務所のドアをノックして中に入った、周りには数名の職員がいた。その中に部長室がありその扉をまたまたノックして中に入った。部長室の中には部長と副部長が座っていた。話の内容は俺の退職を引
労働基準監督署に報告すると病棟師長に伝えたその日、休憩時間に早速電話をしてやったのである。‘しかじかこうこうで、やめさせてくれない!!‘と、、、。俺は休憩後、病棟師長に「さっき!労働基準監督署に電話しましたから!」と言ってやったのである。すると反応は、驚いた表情で「えぇ!?わかりました!」と困惑気味。数時間後、病棟師長から「看護部長が呼んでますから、部長室に行ってくれますか?!」とこんな感じ。俺は待ってましたと、こんな感じ。やっとここまでたどり着いたか。
看護副部長との押し問答は続くのであった。俺が辞めるに当たっては、当然1か月以上前から伝えてある。ほんとのところは、俺に落ち度は(?)ない!だから看護副部長が何を言おうと、俺の退職を受理させなければいけない。それを知ってか知らずか、なん癖を付けて退職を留めようとする。まぁあ!看護副部長も部長から引き留めるように言われているのは、立場上わからんではないのだが、、、。そんなこんなで埒が明かないので、今回はひとまず退散!後日病棟師長から、こりもせずまた、とどまるように説得さ
看護副部長から呼び出しがあり、なんで辞めたいのか再度聞かれた。俺は師長に理由を伝えてあるので、同じことを繰り返されるのに嫌気がしたので、「師長に話してた通りです!」と、、、。すると・・・?。返ってきたのは、「今まで教えてきた先輩たちに申し訳ないんじゃない!」と・・・。俺は胸の中で「なにいってんだ!こいつ!!」と怒りが込み上げてきた。ここで俺がいつもの調子で‘わいわいがやがや!‘といきり立ってはダメだと、気持ちを抑えねばと、ひとまず冷静になるのだった。なぜなら、まだ肝
ス−パ−に入って、余計なものを買ってしまい、女房に怒られること…!😂
病棟師長は上からの命令からか、執拗に俺の退職を止めていた。引き留めてみたところでダメであることぐらい、師長も承知しているはず、、、。立場上仕方ないのは俺にも痛いほどわからんではないが、、、。結局、俺を説得したところで話にならず部長に、再度話を持ち帰ってそこから看護副部長のおでましとなる。いやはや、!!面倒な病院であったのであ-る!!!!!。辞めたい者を引き留めることはこの業界では当たり前にある。なぜなら、一番は看護師不足であるからだ。しかし、この病院にとっては俺は1年に
病棟師長に退職したい旨を話した俺は、心の中に溜まっていたわだかまりが一瞬のうちに解放された気分だった。だって辞めたいんだもん、、??そんな感じ!!当然師長どまりで「はい!わかりました!」とすんなりと退職が受理なせるとはいかないのはお見通し-----!?だった。多分何かしらの引き留めがあるに違いないと予想はしていた。案の定なん癖付けて俺の退職を阻止する行動に動き出したのであ-る・・・。俺はこの病院に勤めるまで、准看護師時代いくつもの病院を渡り歩いてきて、その都度退職する旨を伝
退職を病棟師長に告げた時、「えぇ、、、!?」みたいな感じでビックリした様子だった。当然だろう-----!俺はいつもやることなすことが突然なのだ。今までの仕事もそうだが、看護学校行くときもそうだ。思いついたら、先を考えず行動してしまうところが若い時からある。‘石橋を叩いて渡る‘と言った性格ではないから失敗の繰り返しだった。自分を一つだけ褒めるとしたら、46歳で准看護師学校から始まって進学コース、そして53歳で正看護師を取得したことだけだろう(?)。このことに関しては女房
仕事は‘ゆるり、ゆるり‘新人教育マニュアル(?)に沿ってやっていたので、1年近くになっても、たいして看護技術は進歩しなかった感じだった。なにせ、各専門科があるので、消化器外科はそれだけの看護をしていれば、それ以外の知識は必要としなかった。長くこの病院でやっていたのなら、重症患者の部屋を受け持つこともできただろうが、それは俺には無理な話。勤務2年3年組の看護師でさえ受け持ちをやらされていなかった。重症患者の部屋持ちはそれなりの医療機器を把握していなければならないし、それなりの看護技術がい
話はそれるが、、、。俺は目標の正看護師を取って満足してしまい、目指すものを見失った。53歳で正看を取るため全力投球し、その後希望していた急性期で仕事をしてきた。俺にとっては我ながらあっぱれ!と言えるだろう、、、。看護師を若い時からやっている者にとっては俺の看護技術はまだまだと思うが。もうこれ以上、この年齢でさらにスキルアップする必要もない。カネもかかる!そして、一般科での仕事はこれで終わりにしようと、、、。しかし、運動会やらの看護師に関係ない行事やらは俺には無駄な時間だった。
出たくなかった運動会も終わって、とりあえず大きなイベントも一段落。うちの病院も○○中央病院の傘下であるため、多数の傘下病院の中でも点数稼ぎをすべき、幹部連中の目に留まるように看護部長やらが賢明であった。だから運動会参加者に高得点を狙うため運動会前の練習も業務時間外で強制、サービス残業だった。はっきり言って、俺からすれば馬鹿げていた。俺はもともとこの病院は1年ぐらいと決めていたが、ますます嫌気がさしてしまった。そんな思いも頭にあったからか、俺が退職をする段階ですったもんだして