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今回の投稿は8月末に行ったものです下書きのままになっていたものでした今回はコチラ宮城県石巻市にある、サン・ファン館駐車場は無料です入館料は大人500円高校生以下無料以前は大きなサン・ファン・バウティスタ号があり、何度か訪れていたのだけど、今は可愛いサイズにこの時、イベント展示が開催されていて、レジェンド&バタフライで使用された衣装展示がされてたよ(撮影不可なのでパンフレットを)※8月までの展示なので今は無いですファンが行きそうな素敵な企画があるので、たまーにチェックしてみて
前記事のななチャン地方への旅行で載せ切れなかった写真をちょこっとあげます2ヶ所の神社から頂いた御朱印八幡神社おさえ紙がかわいい日吉神社1つは通常通りもう1つは嫁見まつりの印章が捺してありますまた御朱印が増えました秋田の自分たちへのおみやげあっ私とした事がいぶりがっこ買ったのに写すの忘れてた何回も言ってますが今回の旅行は本当に楽しかったそれから1週間後お盆に仕事で行けなかったお墓参りに行ってナムナムして来ましたその後サンファンを見に行きました長〜いエスカレーターから見下
牡鹿半島から石巻方面へ走っている時に、国道沿いに月浦(つきのうら)があることに気付いたので、ちょっと寄りました。ちょっとした公園になっています。「三陸復興国立公園月浦」の向こうに、期待通りに銅像が立っていますよちょっとした半島の尾根にあります。支倉常長さんは、海図を片手に海を見据えています。かっこいい銅像ですねぇ1613年(慶長18)10月、仙台藩主伊達政宗の命で支倉常長ら慶長遣欧使節が月浦を出帆。また、この月浦で洋式帆船サン・ファン・バウティスタは造船されたそう
日本三景の松島から車で約30分(高速使用)電車で50分、北へ向かうと昭和の漫画界の巨匠、石ノ森章太郎を生んだ街が石巻訪ねたのは2016年2月と2020年10月JR石巻駅マンガ列車のマンガッターラインは残念ながら今年3月廃車になったようですが駅舎も勿論、石ノ森マンガワールド駅前通り「いしのまきマンガロード」駅前通りにもサイボーグ007の登場キャラクターが至る所に...グーグルマップのストリートビューで確認すると、その旅した当時と全く変わ
Peach航空のSALEで、仙台便が安かったので行ったことがなかった東北への2泊3日の旅を決めたのは、今年の1月のこと。去年の11月から会員になった「ADDress」で仙台近くの宿を探す。石巻のゲストハウスに泊まることにした。私も、パートナーのたけチャンも行ったことないから、行ってみたい!それだけの理由で、その他のことは、まったくのノープラン。私の東北へのイメージとしては、‘’紅葉がとても綺麗なところ‘’でも、行くのは、7月。都市の名前や地方の名前地理的なことも
前回の【その1】では、渡波駅からサンファン館に入る直前まで書きました。今回は、サンファン館の中に入るところから書きます。公園っぽい広場の真ん中の階段を下りるとサンファン館入口があります。この中に入って右が休憩スペース、左がサンファン館の受付になります。受付横の券売機でチケットを買います。一般は500円、20人以上で団体割引が効き1人400円。高校生以下は無料です。チケットを受付に見せると、道順やクイズの説明をされます。展示物を見ていれば答えられる計4問のクイズに全問
仙台駅から仙石線で石巻まで1時間。さらに石巻から石巻線で10分。宮城県の渡波(わたのは)駅に来ました。目的は、「サン・ファン・バウティスタ号」を見ること。サン・ファン・バウティスタ号とは、1613年の慶長遣欧使節で伊達政宗の部下である支倉常長が太平洋を横断した際に乗船したガレオン船です。ガレオン船とは、大航海時代にスペインで開発された大型の帆船のことで、このサン・ファン・バウティスタ号はスペイン人技師指導のもと、日本の仙台藩が建造した日本製の帆船ですね。たしか、日本
仙台市の県庁の南に、勾当台公園がありますが、空襲で焼けた、仙台藩藩校、養賢堂がありました。養賢堂(仙台藩)-Wikipediaja.wikipedia.org1736年(元文元年)に学問所として設置され、1772年(明和9年)から養賢堂と称されるようになった18世紀前半この頃の仙台藩では、豪奢な寺社の建立や自然災害の影響で財政が逼迫し、生活に困窮した武士や領民から人心が失われていた。伊達綱村-Wikipedia
昨日(4/15)、福岡へ帰り着いた5泊6日のひとり旅旅レポ数回に分けてブログアップします日和山の桜を愛でた後は12年前(あの日から二年後)被災地を初めて訪れたとき愕然とし自然と涙した小学校と門脇地区門脇小学校12年前は立ち入り禁止も震災遺構として遺されている12年前はまるで戦場跡地かと思わせた門脇地区、南浜地区も津波復興祈念公園に整備そして女川へ向かう女川駅前は道の駅として登録東日本大震災遺構旧女川交番次の訪問地は急ぎ足でサン・ファン館へ復元船「サン・ファ
石巻のお土産屋さんからスーパーまで幅広く売られているこちらサンファンバウティスタ号の里150円私が子供の頃、祖父母がよく手土産でお客様から頂いていましたサンファン館という、大きなサンファンバウティスタ号の復元船が展示されている場所があって、大きさに感動したのを覚えているちなみに、上の写真は何年前だろう?5年前くらい前に、サンファン館に行って実際に撮った写真現在は震災で破損してしまって、また新たに復元されたらしい関東に帰る前に行って見たい。。さて、今回のお菓子アーモンドバージョ
伊達政宗は、江戸時代初期に、家臣の支倉常長を使節としてスペインおよびローマへ派遣した。これが慶長遣欧使節である。慶長遣欧使節が日本を出発したのは1613年10月(慶長18年9月)である。この慶長遣欧使節を送り出すために建造されたのがガレオン船のサン・ファン・バウティスタ号だである。この建造に当たっては、仙台藩の船奉行として秋保頼重と河東田親顕が造船に携わり、幕府の船奉行向井忠勝もこれに協力した。船の建材については気仙郡、磐井郡、江刺郡、本吉郡から調達された。慶長遣欧使節に同行したシピオーネ
宮城県慶長使節船ミュージアムにたどり着いてここまで、高みから見下ろすばかりであったサン・ファン・バウティスタ号ですけれど、ようやっと屋外広場に出て復元船を見上げることに。かつては原寸大で再現されていたものが、震災被害を経て結局のところ1/4スケールの再現(船長14m、高さ13m)に留まることになったとは何度も触れておりますとおり。それでも「そこそこ大きいか…」とも思ったりはしますですが、左隣に横たわる丸太状のものが本来のメインマストだったといいますから、どれほど大きかったことか。返す返
さてと、宮城県慶長使節船ミュージアム(サンファン館)にあって、ようやっと目玉の展示物を間近で見ることに相成りました。慶長遣欧使節の一行を乗せて、太平洋の荒波の中を往復したサン・ファン・バウティスタ号の復元船でありますよ。ただ、かつては原寸大で再現されていたものが、紆余曲折を経て1/4スケールになってしまっているのが何とも残念なところではありますが…。ミュージアムは海から直接せり上がる斜面の上にありますので、復元船の置かれたところまでは結構な下りとなる…ところではありますが、昨今の施設に
1615年10月25日、使節はついにローマに到着します。特別な対偶をけて入市式が行われました。ラッパを吹き鳴らす兵士を先頭に貴族や騎士らが華やかな列をつくり、支倉ら7人は白馬に乗って市内をパレードします。街を埋め尽くしたローマ市民の歓迎に応えました。その後、教皇との謁見も実現。支倉は日本人として初めて貴族位を授けられます。さらに4人の日本人とともに「ローマ市民権」も与えられました。宮城県慶長使節船ミュージアムの展示では、使節団のローマ到着をこんなふうに紹介しておりましたですが、この晴れが
伊達政宗の命を受けて、1613年10月に仙台藩領月浦を出航した慶長遣欧使節は、太平洋を横断し、メキシコを陸路で越えて、さらに大西洋も渡り切り、いよいよスペインに到着と相成りました。上陸したのは、グアダルキビール川を遡上した河川港のあるセビリアの地でして、時に1614年10月とはまさに一年がかりでヨーロッパにたどり着いたことになりますですねえ。時間がかかるのは移動そのものにもよりますが、各地で歓待行事などがあったりして、どんどん月日が過ぎていったのでもありましょう。ましてセビリアは使節団
さてはて、偏西風に乗ったサン・ファン・バウティスタ号は(航海中はいろいろ大変なこともあったでしょうけれど)太平洋を横断、慶長遣欧使節の一行をメキシコのアカプルコ港へと上陸させるに至るのですな。到着は1614年1月28日であったといいますから、およそ3カ月間の船旅の果て、スペイン人同行者はともかく、支倉ら侍たちは陸に降り立ってさぞほっとしたことでありましょう。「アカプルコの港では、役人や貴族たちが出迎え、祝砲やラッパ・太鼓の華々しい音楽とともに使節を歓迎し」たそうですし、宿泊先に当
宮城県の石巻駅近辺では石ノ森章太郎の漫画キャラばかりが目立っていたように言いましたですが、実は駅頭(の隅っこ)にはかようなオブジェもありましたなあ。慶長遣欧使節一行を乗せて太平洋を横断したサン・ファン・バウティスタ号の姿でありますよ。出航地である月浦(つきのうら)が現在の石巻市内とあって、石巻にとっては漫画と並ぶ観光資源となっているのでありましょう。石巻にある宮城県慶長使節船ミュージアムはその目玉のひとつとなるわけでして、お話はようやっとロビー展示を抜けて「慶長使節展示室」へと入ってま
宮城県石巻市にある慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)を訪ねてみたわけですが、使節を送り出した伊達政宗が紹介された後には、いよいよ使節そのもののお話となってまいりますよ。まずは、使節派遣の背景として伊達政宗の思惑のほどが示されておりましたなあ。外国との交易が富をもたらしているものの、拠点はもっぱら西日本に置かれていて、東北の地はおこぼれに預かる程度。それならば、いっそ仙台から太平洋を越えて外国と直接交易する道を探ろうではないか!とは、政宗らしい意気軒昂さかと。ただ、日本か
『真珠姫とのパヴァーヌ』へのご訪問、ありがとうございます。先日、慶長使節船ミュージアムと老朽化が著しかったサン・ファン・バウティスタ号がリニューアルオープンしました。サン・ファン・バウティスタ号は1/4のサイズで作り直されました。今日午前中、お散歩がてらサン・ファンパークにペルルと出掛けました。かつてサン・ファンパークに近づくと、澪標のように見えたバウティスタ号のマストがちっちゃッ!上から随分と身を乗り出さないと見えないよ
石巻湾に通じる水路に沿って行きさえすればたどり着けるものと思い込んでいたサンファンバーク。さりながら、実際には登り坂をずんずん進まねば到達しない山の上だったわけで、海に開けた眺望が得られる場所にあったのですな。で、海側の見晴らしもちらりと先に触れたところながら、サンファンパーク、正式には石巻市サン・ファン・バウティスタパークは「慶長遣欧使節の歴史的な偉業をたたえ、市民の文化活動の向上に資し、合わせて市民の憩いの場を提供するために設置され」たという施設だけに、見下ろせば慶長遣欧使節を乗せて太
嫁さんと石巻市へドライブ7年前に実物大復元船のサン・ファン号を見たのですがこのあと老朽化で解体(7年前)最近4分の1模型を展示したというので行ってみましたあ~やっぱり小さくなってしまい見劣りするけれど、出来はいい感じせっかくの石巻お昼はここだよね~♪やはりウマイ!こちらのランチ今年は食べ納めね
だいぶ小さくなりましたね。精密な感じはします!WhiteDearホエールランド御番所公園金華山
コラボ凄いです✨伊達武将隊💖応援宜しくお願い致します!仙台支倉常長様カレンダーの背景見て〜👀大好きな「さわき💖」さんでパチリ✨伊達武将隊「いざ出陣じゃ〜」宮城2区早坂あつし代議士と一緒です。骨折お大事に💐常長さま先日は、お時間いただき、ありがとうございました✨サンファンバウティスタ号いざ航海へお気に入りのTシャツ#tutee#画家山本重也氏
支倉六右衛門、と書いてあるんです実は常長になる前は六右衛門だったそうです雄勝町熊野神社には陸奥丸と書かれた二本マストの船が書かれてあるんです日の丸の旗がありますまだ私1号の頭の中はサンファンバウティスタ号~~~この名前でいいのかと!話し合いもあったようですがどうなんでしょうか、秋にはサンファン館また営業するそうで実物大の四分の一で作ったそうで只今展示準備らしいです~~と言う事で今日はバンドの練習~~
牡鹿半島、月浦にある支倉常長公の像支倉常長-Wikipediaja.m.wikipedia.org小出島こちらが、月浦港葛の花旧暦の、9月15日1613年10月28日この月浦港から出帆しましたサン・ファン館|慶長遣欧使節と支倉常長www.santjuan.or.jp遣欧使節という肩書きではありましたが未知なる国への渡航はロ
『『レジェンド&バタフライ』』↓信長が、政治のツールで使った、“茶道”『“御茶湯御政道”』織田信長の葬儀の後、羽柴秀吉が織田信孝の臣下に送った手紙の一部…〈上様重々御褒美御感状、其上但州…ameblo.jp行って参りました。✋比叡山の焼き討ちを命ずる信長“ヒトではない”、という家臣の佐久間の意見それに対して“われヒトにあらず、第6天魔王なり”………と信長。『キリシタン千利休と本能寺の変』ブログ『キリシタン千利休と茶の湯』の続き…加治将一氏は言う。信長
🌻2月6日🌻キムタクの信長「レジェンド&バタフライ」2時間48分。歴史好きな主人と観てきました。石巻ロケがあり、復元船、サンファンバウティスタ号も観られるとのこと。1990年に石巻で復元され、昨年、惜しくも解体されました。(サンファンバウティスタ号の写真は、お借りいたしました。)信長と濃姫(綾瀬はるか)のラブストーリーの展開ですが、当時のことが、垣間見れる、素晴らしい映画でした。サンファンのシーンで、ふるさと石巻への想いと、信長、濃姫の想いが交差して涙しました。
出張の疲れが残ったまま近場をあっちこっち…あっ、有給休暇取ろ!木曜日の夕方に申請出して金土日の三連休にしました特に予定も無いけどねwwwぼーっとしたり洗剤とかトイレットペーパー買いに行ったり久しぶりに映画に観たりレジェンド&バタフライあーーー最後はそうくるか約3時間とちょっと長いです(サンファン館様よりお借りしました)宮城県石巻にあったサンファンバウティスタ号が解体される前に撮影された映画です仕事忘れてブラブラしてた今日から仕事、明日からは秋田出張です
宮城県の仙台城跡にある【支倉常長銅像】です宮城県出身の彫刻家・佐藤忠良氏の製作によるこの銅像は1972年(昭和47年)に設置された物で、常長がヨーロッパに向けて出発した宮城県石巻市の《月浦》に設置されている物と同型の銅像です※石巻市月浦の支倉常長銅像探訪についてはこちらから※↓↓↓https://ameblo.jp/date-kyo0625/entry-12578945008.html『▼支倉常長/宮城県・石巻市月浦▼』宮城県石巻市月浦にある【支倉常長銅像】です▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼