ブログ記事85件
本日もご訪問ありがとうございますルルです友と今年を振り返るなんということでしょう今年も2週間で終わり。久しぶりに友を誘ってランチ自由ヶ丘へお昼時間は並ぶと聞き遅めに待ち合わせしたのに平日でも人が多かったクラシカルな中華のお店内装は1920年代上海特区のイメージで素敵前菜、飲茶に半チャーハンとフカヒレ麺のセットあららフカヒレ麺の写真ないわね蒸籠から湯気がふわ~っと上がるのを期待してたんだけどなあ…ポンコツな二人
2023年2月24日金曜日ブログ始めました。ウクライナ戦争が始まって今日で1年。残酷な不公平。プ-チンや習近平みたいな人間が敬われ、贅沢にのうのうと生きている。己が犯している残虐行為に、罪の意識も後悔も羞恥心もないのだろう。でも内心は恐怖に慄いているに違いない。金と権力に固執するだけの卑怯で矮小で残虐な臆病者たち。彼らの最期が悲惨なものとなりますよう!善良な庶民が、肉体的にも精神的にも凄まじい苦痛を強いられている。なぜ?拷問を与えられるべきはプーチンたちではないのか?ウ
作:恩田陸出版社:小学館出版年:2006年この本との出会いティーンズのおもしろい本を探していて出会った本です。2005年、第2回本屋大賞を受賞した青春小説とありました。全校生徒が一夜を徹して80キロ歩き通すというある高校の伝統行事でのできごとをつづった物語です。かつて踏破したフランスからスペインまで続くサンチャゴ巡礼を思い出しました。この本のあらすじ高校生活最後を飾る歩行祭。朝8時から翌日の朝8時までかけて、全校生徒が80キロの道を歩いていく行事です。この行
21来年、またスペイン巡礼できるだろうか?|世界のあけぼの|noteおわりに1ヶ月ほど前に17年前にやったスペイン巡礼のことを思い出した。最近はどうなっているのかと日本人巡礼者が最近書き残したブログを何点か読んでみた。読み進めるうちに、自分の巡礼を思い起こして次の巡礼の準備につなげようと思った。それがこの巡礼記を書くきっかけだった。実際に書き進めてみると、旅の景色、食べたもの、向こうであった巡礼者と交わした会話な…note.com
20足るを知る|世界のあけぼの|note2005年と2007年と二回行ったカミーノ・フランシス上では何度か忘れものをしたものだ。他の人が書いたサンチャゴ巡礼ブログにも似たようなことが書かれている。決して忘れてはいけないものは、パスポート、帰りのエア・チケット、現金・クレジットカードなどだろう。濡らすとお陀仏なので防水性のある袋に入れておくのも一案だ。でも、どちらも途中で宿に忘れたり落と…note.com
19歩くということ|世界のあけぼの|note前回18で歩くということに関する体験が思い出されてきた。巡礼に必要不可欠なことなのでここにまとめておきたい。エピソード1それはカミーノ・フランシスをサンチャゴへと歩いている途中のことだった。まだ700キロの巡礼路の半ばまで来ていないところだったと思う。遠く向こうの方から誰かが近づいて来た。あれ〜と思った。こんな農道を人が歩いている。こりゃもし…note.com
18言い残していたこと|世界のあけぼの|noteこの巡礼記もだんだんと終わりが近づいているようだ。すでに前回、旅の途中の記述やサンチャゴ到着の話をぶっ飛ばして、サンチャゴの先、スペイン最果ての岬フィステーラまで来てしまった。(前回、その話を思いついたからではあるが。)サンチャゴ到着あたりの話は後に回したい。忘れないうちに書きたいことから先に書こう。(笑)繰り返しになるが、この巡礼は2005年の4月…note.com
17巡礼後に気づくこともある|世界のあけぼの|noteその日は最後の行程を歩いていた。OlveiroaからFisterraである。距離にして28kmだが、記憶の中ではもっと長かった。地図をみるとフィステーラへの途中で漁村もあり、その漁村にはたくさんのカフェも存在する。ところが、十分な食糧を調達することができなかったように記憶する。お茶も飲むところがなかった。そんな感じだ。ともかく、フィステ…note.com
16旅の大きな収穫|世界のあけぼの|note巡礼者によってさまざまだろう。ぼくの場合。もうそれが巡礼のどこで起こったか、いつだったか、全然記憶にない。ことは次のように起こった。・その日もテクテクと激痛の走る左足をがまんしながら歩いていた・雨は降っていなかった・そして午後、力尽きた・もう、だめだ。どっかで休もうと思った・人気のない松林を見つけてそこで横になった・小一時間ほ…note.com
15スペイン巡礼-番外編|世界のあけぼの|note今日は巡礼から少し外れたはなしをしたい。このはなしは、直接の答えではないが、なぜスペイン巡礼にぼくが押し出されたのかに答えるヒントになるかもしれない。ならないかもしれない。新約聖書、キリスト教徒、教会若いときは聖書を読むのが好きだった。山上の垂訓とか読むと今でもビビッと来る。あまり親交は深まらなかったが、エホバの証人やモルモン教徒の若いミッ…note.com
14巡礼21日目-ボロボロの足でレオンに到達|世界のあけぼの|noteこの巡礼記13までは、1話にある巡礼宿からつぎの巡礼宿までの話を書いていたが、ネット検索をしても資料が乏しく当時のことを思い出すことができないので、この14からは、エピソードの比較的はっきりしている話を取り上げたい。巡礼者証明書をみると、サンジャン・ピエド・ポーからサンチャゴまで764キロで、本日のレオンからは残り320キロ。21日で全行程の半分以上を踏…note.com
13備えあれば憂なし|明日の世界のカタチ(を考えよう)|note5月4日にブルゴスに泊まり、翌日5月5日にオンタナスへと歩く。左足が猛烈に痛かったこともあり、巡礼宿にチェックインしたのちは街のあちこちへと出歩くこともなく、ブルゴスの街の記憶もほぼない。それはこのカミーノフランシスすべてに通じる。2回も歩いたはずなのにほとんど記憶がないのもなんだかおかしい。今日の距離はGoogleマップでは34キロある。ゆっくり歩…note.com
12不思議体験の手前にあるもの|明日の世界のカタチ(を考えよう)|note今日は山の中ある僧院、サン・ファン・デ・オルテガ、からついにスペイン北部では大きな街のひとつ、ブルゴスに到着だ。距離にして24キロ。1時間に4キロ進むとして正味6時間の行程だ。この日も、こんな道をえっちらおっちら歩いているのだろう。Googleで検索すると今日(きょうび)は以下のようなたくさんの写真が出てくる。巡礼宿スタンプにある宿名…note.com
11今日もまたカミーノ不思議体験|明日の世界のカタチ(を考えよう)|noteフランシス・カミーノを2005年と2007年の2回巡礼した。手元には巡礼者証明書(クレデンシャル)しか残っていない。その当時の記憶も今ではほとんどなく、この2回の巡礼で体験した何がしかのエピソードが心に少し残っているだけだ。そこで、まともな巡礼記を書くのは諦めて、この2回の巡礼で記憶に残っているエピソードをこの『スペイン巡礼2005(カミーノ・フランシス…note.com
105月2日トサントス村に到着|明日の世界のカタチ(を考えよう)|note巡礼10日目。そろそろスペイン巡礼の虚妄を剥ぎ取る時期かもしれない。はっきり言おう。スペインも近代化していて、古き良き時代の巡礼路はほとんど存在しない。ないとは言わないが、少ない。例えば、ぼくが歩いた巡礼路カミーノ・フランシスは、東から西へ農地、耕作地を渡り歩く旅でもある。多少の起伏はあるもののノッペリとしている。もっと近寄ってみよう。・幹線…note.com
9スペイン巡礼8日目~ナヘラからグラニョンへ|明日の世界のカタチ(を考えよう)|noteフランス国境にある巡礼の出発地点であるサン・ジャン・ピエ・ド・ポーを第一日目として数えると、今日がちょうど巡礼第2週目に入ったところだ。ナヘラからグラニョンまで今日も順調に27キロの道のりを歩いている。どちらも写真をみるとこじんまりとしているそこそこの大きさの町である。もちろんスペインも自動車道が整備されている。見るとA-12という道だ。ここ…note.com
6思ったより難しい旅の回想|明日の世界のカタチ(を考えよう)|noteこの巡礼記を書きはじめたときは、巡礼者証明書に残っている巡礼宿のスタンプに書いてある文字をGoogleで調べればいろいろな情報が出てきて、そこから自分がどんな巡礼をしていたか思い出せるのではとたかを括っていた。しかし、実際にそれをやってみたが、全然ダメだ。(遠い目)例えば、2005年4月28日の巡礼宿スタンプ。LOSARCOS-NA…note.com
7そう言えばここちょっとだけ見覚えがある^^;|明日の世界のカタチ(を考えよう)|note今日もめげずに17年前にぼくが辿った巡礼の足取りを調査している。まず巡礼者証明書のスタンプをみる。日付は4月29日とある。このスタンプ内の文字から足取りがつかめるかもしれないからだ。FELISA,HIGOS-AGUAYAMOR,LOGRONOとある。グーグル検索すると同じスタンプとスペイン語の説明が出てきた。今でも同じデザインのスタ…note.com
この数日、ネットにアップされている日本人巡礼者の巡礼記を読んでいる。巡礼路や巡礼宿などの写真もたくさんある。しかし、あ〜懐かしいと思える描写や写真がほとんどない。まるでない。それよりも自分の巡礼体験の残滓として残る心象の方がはるかにはっきりしている。心象を思い込みと言っても良いだろう。すでに自分の心の癖によってかなりデフォルメされているきらいがあるからだ。スペイン巡礼の記憶だって、たった17年の時を経てこれだけ風化しているのだから、これまでの人生の記憶なんてずいぶん怪しいものだ。前
4スペイン巡礼3日目|明日の世界のカタチ(を考えよう)|note自分の手元に唯一残るスペイン巡礼の証、クレデンシャルを眺めている。17年も前のことで本当に記憶は雲散霧消している。恥ずかしながら。3日目の4月5日は、NavarraのAlbergueLarrasoanaに泊まったようだ。この巡礼宿まで、どこをどう行ったかは上記の地図のようだ。巡礼2日目がピレネー越えだったので、Roncesscallesに…note.com自分の手元に唯一残るスペイン巡礼の証、クレデンシャルを眺
巡礼をして12年もたっている。残っているのは巡礼手帳しかない。後はパブリック情報を加工して旅の詳細を伝えるしか手はなさそう。巡礼第一日目は、ピレネー山脈を越える。実はこれが一番きつかった。こんなに大変だとは全然知らんかった。あれ若かったから苦もなく登れたんだと思う。なだらかに舗装された山道を大きく登り、大きく降る道だったと記憶する。20キロぐらいの距離である。天気が良かったのが唯一の救い。途中で、水を飲み、りんごをかじった。前後に数人の巡礼者がいた
ご訪問いただきまして、ありがとうございます。新月の日に、日光市在住の叔母(父の妹)りから、宅配便が届きました。手作りのパウンドケーキやお菓子と一緒に、ブローチなどのアクセサリーが同封されていました。左上から時計回りに★イタリアで買ったカメオのブローチ★ドイツで買った化石(!)のブローチ★亡き祖母の形見のブローチ(琥珀?)★数年前に巡礼で訪れたスペインのサンチャゴのお土産★イギリスで買ったマザーオブパールのブローチ(ベツレヘム製)↓叔母は長い間教師をしていましたが、得意の語学を
こんにちは!『自分の表現したい写真で発信する』デジカメ初心者の起業家さん向けにかんたんで魅力ある撮影術をお伝えするフォトグラファー・ミーチョです。へたっぴな絵におつきあいありがとうございます。。。今更ながら色々思いだします。ここに、再会した時のマリアッホとのツーショットあり。あまりにも嬉しすぎてふたりで広場に転げながら言葉にならない感激を共有。スペイン的ケルンいい人たちにしか会わない。
2022年2月1日にYouTubeに挙げられた動画です。演奏は、アンサンブル・オルガヌム2009年に売られていたCDの抜粋かな?カリクトゥス写本(12C)の音楽です。「ヤコブ」、「サンティアゴ」などの語が聞き取れました。単旋律から、低声のドローン?みたいなのが付いて終わりの方はカノンになっています。多声音楽の古い形ですがドミソはハモらない時代ですから4度,5度,8度が中心になっています。中世の音楽はまだ勉強不足で上手く記述できなくてすみません。1
こんにちは👋お正月気分のほとんどないオランダではありますが、毎年元旦に義父母の家に挨拶に行くのはお決まりのようで午後から行ってきました。友人から届いた寅年の飾り物🐯💛🎍近況報告をし合い、話題は今年の抱負に。昨年、スペインのサンチャゴ巡礼を果たした義母。次は四国のお遍路さんを歩こうかなと言い出しました!サンチャゴ巡礼の道中で知り合った友人たちと話していて勧められたのだとか。「『一人で日本は無理。言葉が分からないからねー。でも息子の嫁(わたしです)と一緒になら。孫(娘です)
ÉcoledesRacines千枝です雨のお盆休みですねえわたしの住むところはもう数日雨が降り続いて大雨洪水警報がずっと出ています予定では今日墓参りして母のところへ行くはずでしたが延期しましたまだまだ雨は止みそうにもなく来週も自宅待機が続きそうな勢いで空にはどれだけ雨があるんだよ‼️って感じますところで今朝たまたまテレビを見ていたら感染症の後遺症について流れていましたお医者さんは「4つや5つくらいの症状が後遺症として残るのはよくありますので…(ゴニョゴニョ)」ご本人
おはようございます☀️古川郁です^^今日は、少し温かいでしょうか。暦の上では、明日は春🌸今日は、七号食って、深いのよという、まじめな話をしますね^0^めずらし〜いちょっと端折った話になりますが、先日、Eテレで、元戦場写真家、桃井和馬さんが、学生さんたちを連れて、スペインのサンチャゴ巡礼に出かけるというドキュメント番組の再放送を見ました。若い人たちへの教育として、平和や生きることについて、自分の内面に問いかけされるよう
(photo/michaela)今日7月25日は、マヤ暦をもとにした13の月の暦では「時間をはずした日」と言われます。365日を28(月のサイクル)で割ると、13、あまり1となるからです。「時間をはずした日」は、どの月にも属さない、曜日もない、自由な日。時間と空間に制限された地球人の魂を救ってくれる日のような気がします。昨夜は、ほとんど見ないNHKの番組を見ました。たまたまテレビをつけたら、チャンネルがNHKになっていたんですよ。「あら?なん