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見よこの勇姿・期待の星だ!――。ちょうど半世紀前の昭和51(1976)年6月、のちの剛竜馬こと八木宏(当時20歳)の勇躍凱旋を宣伝する国際プロレス後楽園ホール大会(7月4日)の新聞広告。この時期、世間を騒がしていた話題といえば、6月26日に日本武道館で行われた「猪木vsアリ」とロッキード事件。諸問題も含めつつ、国際プロレスが時事ネタをもからめつつ登場させたブラック・ロッキードなる謎マスクマンが堂々登場している貴重な広告ともいえる。しかし、こんな派手な覆面だったっけな?それ
「神戸ニニンガ日誌」(第3,586号)【金曜日は過去の号を再録します】○阪神淡路大震災の年は花粉がひどかった。いや、ハンパなく酷い花粉症に見舞われた。1995年3月、朝日新聞「平成の遣唐使」事業で奈良に行き、そのまま帰宅。近所の島野耳鼻科にテッシュを箱ごと抱えて行き看護婦に笑われた。○昨年(2010年)の花粉飛散量が少なかったとは言え、今年(2011年)はその5倍から10倍だといわれている。花粉症歴20年の私の勘では、やはり1995年が最悪だったと思う。調べてみれば1995年、2005
理想の芸能人夫婦は?▼本日限定!ブログスタンプうーん、わかりません…「いい夫婦の日」日付けは「いい(11)ふうふ(22)」の語呂合わせ我が家は"再チャレ"組なので、まぁそれなりに教訓は持ってるつもりです😊適度な距離感、干渉し過ぎない、でも無関心でもいけない…うーん、あとはヨメさんの手のひらの上でダンナは楽しむこと…👐😅「小雪」本日は二十四節気のひとつで第20番目の「小雪」(しょうせつ)です。「小雪」の一つ前は「立冬」(11/7頃)、一つ後は「大雪」(12/7頃)です。この頃か
11月22日が命日・忌日の有名人・著名人1896年37歳没(腸チフス)ジョージ・ワシントン・ゲイル・フェリス・ジュニアさん技師、観覧車の発明者1907年78歳没(?)アサフ・ホールさん天文学者火星の衛星ダイモスとフォボスを発見1913年満76歳没(感冒(急性肺炎を併発))徳川慶喜さん江戸幕府第15代将軍⇒『徳川慶喜(1837年10月28日生~1913年11月22日没、江戸幕府第15代征夷大将軍)』1941年28歳没(墜落事故)ヴェルナー・メルダース
今回のテーマはユニレコード。色々な面白い企画モノがありました。サンダー杉山ピンクレディー物語沢知美新録ベストギターでつづる木村好夫007ジェームズボンド名曲懐メロ司会桜井長一郎おめでとう王選手渡哲也ヒット曲集手塚治虫ニュー演歌艶歌特選大演歌青山ミチ演歌決定版ロスインディオスは唄う夜のヒット曲山口百恵ヒットナンセンスソング20池玲子は唄う世界のスーパーカーキャンディーズ、ピンクレディー、ビューティーペア特集
作品No.01昭和パワー作品No.02きぼうの呪い作品No.03リアルドキュメントクッキングじゃまた。
小学2年生が水曜日夜7時何気なくチャンネルを回すとプロレス中継。出てくるのは馬場猪木のような巨人でもなくスマートでもなくずんぐりむっくりのレスラーばかり。しかし結構コミカルな動きも交えて。来日するレスラーも知らん奴ばかり。ただ馬場猪木だけが主流やで、というひねくれた考えは当時のワタシにはなくこれもプロレス、と好意的に定期鑑賞します。なかでも外人で好きだったのはティトコパ。168cmの低身でいつも水平打ちで気絶します。紹介の一番手がこの人?でもねめっちゃ面白い!映像がない
国際プロレスのレスラーたちは、好き嫌いや弱い強いに関わらず、キャラが立っていて見ていて面白かった。サンダー杉山の雷電ドロップ(ヒップドロップ)はあの頃のプロレス遊びの定番だった。当時はコミカルなイメージが強かったが、後にアマレスの実力者だったことを知り、高い技術に裏打ちされた動きだったことに感嘆したものである。自分の記憶の中ではストロング小林がエース的な位置づけだったが、新日時代の印象が強過ぎて国際時代の思い出が薄い。グレート草津も申し訳ないが坂口征二の劣化版というイメージ。当時の自分の贔
いつも素敵な映画情報を教えてくれる、ブログ友だちの夢華さんから、『これだけは絶対に観て!人間対ロボットの、仁義なきイリミネーションマッチムービー!!生き残るのは、人間か?!それとも・・・』・・・と、そんなようなことを言われたような気がしたので(多分)、先日、仕事で動画を書き出す間の時間に、アマプラで視聴しましたよ。まず、青春アニメ映画というものをまったく見ないので、この手の映画、登場人物、絵柄の作品を、夢華さんの推薦がなければ、自発的に見ることはありません。
プロレスの試合見たことある?1度も観たことない!小学生の頃(昭和34から40)プロレスが大流行!映画のニュースでも力道山等が画面いっぱい大活躍だったその頃買っていた雑誌「少年サンデー」でも毎週特集が載っていた嫌でもレスラーの名前や技を覚えたものだ▼本日限定!ブログスタンプ得意技は雷電ドロップ❗️一才下の弟とは良くケンカをしたミカン1個で言い争いになった父親が「そっちの部屋でやりなさい!」と言うので隣の部屋で2人は本格的に取っ組み合いをする小学校高学年は男子より女子の方が体格が
高橋くんに捧ぐbadhairdayこれってついてない日って意味らしいです。映画もあるみたいわたしはリアルバッドヘアーディです癖っ毛ひどくて昨日美容室行ってきました。カットしたてはいいんですよ美容師さんのブローが利いててが、帰ってからシャンプーするとまた形態安定シャツみたいに元の畝りがこんにちわ博士実験失敗したんですか?みたいなヘアスタイルに戻っちゃうほんとに苦労してます雨の日はアホ毛どころか全体的に畝ってスネ夫ヘアーの時もあ
*懐かしや雷電ドロップ吾輩は初期のグレート草津が好きでしたが😊ポンヌフ関カタカナと漢字の組み合わせ名前なわけですが吾輩がこの手の名前を聞いたのはプロレスが最初だと思いますその時代はこれ系の名前はプロレスラーの専売特許な感じでしたがアントニオ猪木ジャイアント馬場より先にサンダー杉山グレート草津(幼少期新潟地方で見られるプロレス中継は国際プロレスだけだったので)さらにストロング小林アニマル浜口ボクサーでいくとガッツ石松それから芸人さ
1971年になり、国際プロレスでは順調にサンダー杉山がIWA世界ヘビー級王座を防衛していました。杉山さん、前年にビルロビンソンから奪取して第二代王者になっていたんだよね2月27日開幕のAWAビッグファイトシリーズにはAWAから大物外人レスラーが来日しました。AWA世界タッグチャンピオンのマッドドッグバション、ブッチャーバションの兄弟。そしてビルミラー。ミラーは、まだ若手だったマイティ井上さんと対戦して勝利したんだよねビルミラーは力道山時代の日本プロレスには覆面レスラーのミスターXとし
シュマンドールの営業は、2022年3月31日をもって終了いたしました長い間のご愛顧に、心より感謝申し上げます詳しくはこちらをご覧くださいませ→重要なお知らせモンブランばかりにうつつを抜かしていたら紅葉の話題がそっちのけになってしまったもう12月だというのに、まだ秋の話題を引きずっちゃうなんて私らしくもない失態だぜ(ぷ)ある日のこといいお天気であったこともあって桐生市の誇る名峰、水道山に行ってみたんです
1970年5月18日にグレート草津を破り、IWA世界ヘビー級王座の防衛をしたビルロビンソン。第2回IWAワールドリーグ戦にも優勝したばかりのロビンソンだね5月19日にはサンダー杉山を相手に防衛戦を行いました。結果は…※画像はお借りしましたなんと3本目にロビンソンの足がロープに引っかかり宙吊りとなり、杉山のリングアウト勝ち!!杉山が第2代のIWA世界ヘビー級チャンピオンとなったのです。ストロング小林でなく、杉山がチャンピオンになったのは小林では、まだ実力不足…と思われたのでしょうか?
1969年3月25日から始まった国際プロレスのワールド選抜シリーズ。パンフレットの上のロビンソンさんがイケメンこのシリーズは5月5日で終了ですが、ビルロビンソンは日本滞在の契約が終わり、シリーズ中、IWA世界ヘビー級王座を防衛したのでタイトルは海外流出となったのです。タッグ王座ではTWWA世界タッグの豊登、サンダー杉山組は順調に防衛を重ねていました。シリーズではスタンスタージャック、タンクモーガン組の挑戦を受けました。スタンスタージャックさんは東京プロレスで猪木さんのUS王座に挑戦した
1968年1月31日にTBSプロレス(国際プロレス)の新シリーズ・TWWAワールドタッグシリーズが開幕。オープニングシリーズの閉幕から、わずか2日後に開幕なんだよねシリーズ名どおり、タッグがメインなシリーズで外人レスラーは、ザ・カンガルーズがメイン。ザ・カンガルーズとはアル・コステロ、ドン・ケントのタッグチーム。ちなみに、このカンガルーズは2代目で初代がいたんだね他にはブレッドカリー、トシ東郷が参加、さらに前シリーズからの残留でダニーホッジ、ブルドッグブラワーも参加しました。トシ東
グレート草津のルーテーズ4回連続挑戦を諦めたTBSプロレスは2回目の挑戦者にサンダー杉山を選びました。杉山さんは草津さんと違い、アメリカでもキッチリ試合をやっていたんだよ大分で行われた3本勝負、結果はテーズが2-1で勝ちましたが、杉山は1本取ったのです。テーズは杉山を「基礎のできたグッドレスラー」と評価しました。だからこそテーズは杉山相手には1本許したのでしょう。草津さんには1本取られることを許さなかったんだよね3回目は仙台で豊登が挑戦する予定になりました。TBSプロレスは看板レスラ
テレビ中継が決まった国際プロレス…改めTBSプロレスはエースにグレート草津を任命しました。左側は草津さん、右側はサンダー杉山さんだねグレート草津…自分はリアルタイムでは試合を見たことはなく、後にいろいろと知りましたが…はっきり言って印象は最悪です。草津はラグビーで活躍し日本代表に選ばれるほどでした。日本プロレスに1965年、入団しましたが練習嫌いで道場での練習に参加せず、さらには先輩レスラーに生意気な態度だったため、道場での練習に参加した際にはかわいがり…ようは袋叩きにあっていました。そ
【定食屋編】サンダー杉山の様な体型でうるさい暴走族を見ると追いかけて行ってスピニングエルボやドロップキックを決める土曜の夜の仕置人、など噂がある大将の定食屋があった。その定食屋にアルバイトが入った。頭や顔に包帯や絆創膏や貼ってあり、見る側に色んな想像をかき立てるヤンキーだった。「おしんこ忘れているぞ!飯の盛り方が一定してねぇ!」など大将に怒鳴られたまに食器も割るバイトだった。普段はそんな殺伐とした雰囲気も気にしなかったが、その日私は大変腹が減っていた。いつも
1966年10月5日に日本プロレスを退社した吉原功さんは新団体設立へ動きます。吉原さんは日本プロレスでは取締役営業部長だったんだよね吉原さんはヒロマツダを誘い、マツダも誘いに応じ参加することを決めました。吉原さんは会社登記を済ませた後、日本プロレスを退団していた2人に誘いました。その2人は、ん?たくさん写ってるぞ右上の杉山恒治と下の草津正武です。そう、後のサンダー杉山とグレート草津ですね。2人は日本プロレスに入団が合わず退団していました。草津はジャイアント馬場さんの付き人でした
2002年に心不全のため62歳で死去した、プロレスラーのサンダー杉山さんを、趣味の姓名判断で占ってみました。杉山さんには、家族縁や病難に注意。強情さに注意。社交性があり、人気を得る。地位や財産を得る。五行の三才配置は、大凶。といった暗示があります。引き続きサンダー杉山さんの本名、杉山恒治さんを、趣味の姓名判断で占ってみました。杉山さんには、実力はあるが、苦労する事もある。友人、知人、仕事に恵まれる。人の上に立つ。欲張り過ぎない事。五行の三才配置は、大凶。といった暗示があります。常盤英文
(藤波名勝負特選108戦より)●藤波vsサンダー杉山「鮮やか逆転」▼プレ日本選手権・予選リーグ30分1本勝負1978年(昭和53年)11月17日東京・後楽園ホール○藤波(6分57秒・回転エビ固め)サンダー杉山×下駄を履いたままの蹴り!これは痛い。ドロップキックが、鮮やかに決まる!雷電ドロップだあ!回転エビがズバリと決まる▼試合経過国際から全日本、そして新日本にも登場のサンダー杉山。プレ日本選手
誕生日佐々木大輔(1985/36歳)日向寺塁(1987/34歳)野崎渚(1990/31歳)熊野準(1991/30歳)瀧澤晃頼(1994/27歳)忌日バイソン・スミス(2011/38歳)サンダー杉山(2002/62歳)出来事2020武藤敬司と谷口周平がシングル初対決<横浜武道館(ノア)>※武藤が13分51秒、シャイニングウィザードで勝利2020遠藤哲哉と秋山準がシングル初対決<後楽園ホール(DDT)>※D
すぎやまこういちさん、敗血症性ショックのため死去90歳『ドラクエ』音楽など(オリコン)-Yahoo!ニュース人気ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽で知られる作曲家・すぎやまこういち(本名・椙山浩一=すぎやま・こういち)さんが9月30日、敗血症性ショックのため亡くなった。90歳。7日、スクウェア・news.yahoo.co.jp御年90じゃ大往生だね思えば沢田研二等在籍ザ・タイガースの命名者ドラクエ発売の85年未だ作詞・作曲等職方の知名度は低いものよく引き受
今回は日本人選手を・・・あやしい人も含め(^^)まず、ビッグサカ日本プロレス入団から海外武者修行、凱旋帰国時はアイドル的人気だったそうです。確かにかっこいいし。東京タワーズではなく、パクソンでし!(こればっか)後年坂口のパートナーになるストロング小林。「坂口は動けないので、俺が試合作っていた」と豪語してましたが、本当かもだけど、小林もうまいとは思えなかったけど。シロート目線だと。猪木再戦に向け、WWWF地区でヒールとして活躍していた頃。もしかすっと、この時期が、彼が一
この間玉転がししてたら、鹿がいました全然逃げないんで近寄りました。近寄り過ぎて逃げられました
昭和46年2月、国際プロレスの川崎市民会館(川崎市体育館=現・カルッツかわさき)と東京体育館大会の新聞広告。目玉は東京体育館で行われるバション兄弟(マッドドッグ・バション&ブッチャー・バション)とサンダー杉山&グレート草津によるAWA世界タッグ選手権だ。いつもながら、広告の基本と語り継がれる「女性や子ども層への好感度」を完全放棄している国際プロレスの広告はすがすがしいまでにカッコいい。こんな怪獣みたいな兄弟が、私の生まれ育った川崎にもやって来たというのなら、ぜひとも見物に
昭和49年1月、東西タレント50人と初笑いできる『第3回勢ぞろい!!スターお年玉大会』(日本テレビ)の番宣広告。3か月後にはザ・ドリフターズを脱退する荒井注がギリギリで在籍。翌年4月の『さよなら公演』で引退するザ・ピーナッツもまだ現役で、前年5月に戸塚睦夫が42歳の若さで急逝したため、三波伸介と伊東四朗が「てんぷくトリオ」ではなくてんぷく集団と名乗っていた時期でもある。番組タイトル通り、お笑いからアイドル、ベテランから若手まで数々の人気タレントが勢ぞろいする