ブログ記事80件
こんにちはー!朝からボランティアで草刈りだった本日は、先日お知らせした栃木市で開催中のアルフォンス・ミュシャ展へ図書館で画集を借りて予習して伺いました~~アルフォンス・ミュシャ魂と装飾の芸術蔵の町美術館から栃木市立美術館に移管されてからお初の観覧になります。栃木市立美術館-栃木市ホームページ栃木市立美術館www.city.tochigi.lg.jpコチラのポスターコーナーのみ撮影可能!ミュシャが一躍、時の人となったきっかけのサラ・ベルナールジスモンダ以
もう随分前、私が元気だった時のことですが、アルフォンソ・ミュシャ展に行ってきました。ミュシャは、チェコスロバキア出身です。アールヌーボーが流行っていたパリにやってきて、イラストレーターを始めます。転機となったのは、大女優サラ・ベルナールに舞台の広告の絵を描いて、と頼まれた時。それから、ミュシャは、続けてサラ・ベルナールの舞台広告を描き、有名になっていくのです。サラ・ベルナールの舞台広告美術館内は撮影OKだったので、沢山撮ってきました。ただ、膝が痛いので、
桑原晃弥(てるや)氏の心に響く言葉より…《いくつになっても「好奇心のかたまり」であり続けよう》(黒柳徹子)〈子どものときから「わぁ」と言って、そのまま大人になってしまって、「わぁ」と、いまでも言っている人間なのです。〉「タマネギのひみつ。」黒柳徹子は「好奇心のかたまり」だと言われています。ある時、コピーライターの糸井重里が、自分の会社で黒柳と対談するにあたって、社内をフランスの女優サラ・ベルナールの書斎のように飾りつけて迎えました。すべ
こんばんは♪今日は友人と、松坂屋で開催している『ミュシャ展』へ行ってきました出だしから、三越と間違えて約束時間ギリギリで松坂屋に到着。友人と合流して、いざ展示会へ!しなやかで凛とした強さを感じさせる女性とその周りにあしらわれた植物との組み合わせがマッチしていてとても素敵でした✨わたしが憧れる女性像です。作品の中には、自分が持っていたイメージからは意外なものもありました。インド歌劇の作品に提供された挿絵や、
おしゃれや綺麗なものが大好きなあなたへさて今日10月22日はミュシャの絵のモデルにもなったサラ・ベルナールの誕生日だそうです。サラ・ベルナールは、歴史上、初めて国際的な大スターになったフランスの舞台女優です。そんなサラ・ベルナールについてみていきましょう。サラ・ベルナールサラ・ベルナールは1844年にオランダ出身のユダヤ人の女性の私生児として生まれました。サラの母親は帽子を売っていたそうですがそれでも生活が苦しく高級娼婦となっていました。サ
おしゃれや綺麗なものが大好きなあなたへ昨日はアール・ヌーボーの画家ミュシャについてみていきましたが今日はミュシャの絵のモデルにもなったサラ・ベルナールについてみていきたいと思います。サラ・ベルナールは、歴史上初めて国際的な大スターになったフランスの舞台女優です。とってもかっこいい男前なハンサムレディというイメージで私も大好きです!サラ・ベルナールサラ・ベルナールは1844年にオランダ出身のユダヤ人の女性の私生児として生まれました。サラの
7月25日(火)かき氷の日━─━─━─━─━─━─━─━─━─━今日のカードTEMPERANCE.【節制】安定熱中症に気を付けましょう💕暑いので体調管理を忘れないでくださいバランスの取れた生活でリラックスして穏やかな日常生活を楽しんでください今日もステキな一日をお過ごしください💖━─━─━─━─━─━─━─━─━─━愛の名言ひと目惚れ
今日は、福岡市美術館で開催中の「アルフォンス・ミュッシャ展」に行きました。今回は、フラッシュを焚かない・動画でない撮影は自由でした。コレクターのチマル博士のご好意と、後、特許が切れている(❓)という関係からだそうです。アルフォンス・ミュシャ(チェコ語:AlfonsMucha、本名:アルフォンス・マリア・ミュシャ(チェコ語:AlfonsMariaMucha)、1860年7月24日-1939年7月14日)は、チェコ出身でフランスなどで活躍したグラフィックデザイナー、イラストレ
おはようございます予約投稿で失礼します↑こんな感じで落ち着きました本日は「エドモン~シラノ・ド・ベルジュラックを書いた男~」東京千穐楽おめでとうございますせっかくなので、上げて行こうと、肩ブン回し状態でございます私のフリースペースの続きですが…まきストーブは、可愛いのでそのままで、リプトンのミニミニ缶は、だいぶ前にペットボトルにオマケで付いて来たものですティー好きなエドモンさんなので、アクセントで乗せてみましたそして、私にとって、サラ・ベルナール🟰ミュシャなので、こ
19世紀末から20世紀の初頭にかけて流行したアール・ヌーヴォー(Artnouveau「新しい芸術」)やベル・エポック(BelleÉpoque「美しい時代」)の文化に心惹かれる私にとって、ジャコモ・プッチーニが生きたその時代に思いを馳せることも『トスカ』を鑑賞する際の醍醐味の一つだ。オペラ『トスカ』をめぐるアートと逸話は世紀転換期の時代の空気を余すことなく伝えてくれるもので、その時代に生きた人々の物語に思いを巡らすひとときは心弾む。プッチーニの『トスカ』はローマを舞台にナポレオン軍が
おはようございます母の通院日なので、予約投稿で失礼します去年の11月↓ヴァロットンを鑑賞後…こんな事を言ってた私まぁ…単純に「書斎」という空間が「作家」を連想させるからだったんですけど毎日見るクローゼットの脇に飾ってある絵…何だか…「エドモン」のビジュアルを見てから余計に…しかも「エドモン」の舞台が1897年パリ「アンティミテ」の中のこちら↑「ヴァロットンの版画・もっともな理由」が作られたのが、1898年でほぼ同時期…更に、物語にも登場するというサラ・ベルナールの「ジスモ
おしゃれや綺麗なものが大好きなあなたへさて今日10月22日はミュシャの絵のモデルにもなったサラ・ベルナールの誕生日だそうです。サラ・ベルナールは、歴史上、初めて国際的な大スターになったフランスの舞台女優です。そんなサラ・ベルナールについてみていきましょう。サラ・ベルナールサラ・ベルナールは1844年にオランダ出身のユダヤ人の女性の私生児として生まれました。サラの母親は帽子を売っていたそうですがそれでも生活が苦しく高級娼婦となっていました。サラ
9月22日(木)社日(しゃにち)━─━─━─━─━─━─━─━─━─━今日のカ-ドカップの1(逆位置)真実の心ときめくことを始めましょう💕自分の考えにとらわれずに心に素直になってやりたかったことや好きなことをするといいです心を癒やして今日もステキな一日をお過ごしください💖━─━─━─━─━─━─━─━─━─━笑顔になる名言どんな美しい女も年にはかなわない。だからといって年
この絵は水彩画。画家が生まれ育った街の思い出を題材にしたもの。(画像は借り物です)絵のサインを見れば、画家は誰かなんて判りますよね。町の名前の書かれていますし、街の紋章もしっかり入っていますもの。この作家の出世作と言えばこちらが有名です。(画像は借り物です)この絵に描かれた女優(サラ・ベルナール)は、一目でこの絵のとりこになり、画家と専属契約を結んだとか...。
とっても楽しみなニュースを知りました♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪皆様はアルフォンス・ミュシャの作品をご覧になったことはおありでしょうか。僕は美術を好きになるずっと前からどういうわけかミュシャの作品は大好きで,何かで目にするたびに「良いなぁ(ლ˘╰╯˘).。.:*♡」と感じておりました。彼が大女優サラ・ベルナールのポスターを多数手掛けたこと,それらの作品がモチーフにしている演劇の大部分がオペラにもなっているので「これは何々の場面だろう」ということをほぼ理解出来たのも,或いはミュシャ好きになった理由かも
魅力的な人は異性だけじゃなく同性も虜にするのよね…#Louise#Abbéma#似顔絵#25秒#フランス#ルイズ・アベマ#画家#彫刻家#肖像画#自画像#サラ・ベルナール#レジオンドヌール勲章#胸像#ジャンヌ・サマリー
ミュシャの連作「四季」は1896年、1897年、1900年の3度制作されましたから「四季」が3パターンあるのですね。今回はそれぞれの「夏」を見比べたいと思います。「夏」(1896年)"AlphonseMucha-P4Ete/Summer,1896."PhotobyKyleGeibsource:AlphonseMucha-P4Ete/Summer,1896.P4Ete/Summer,1896.Updatedwithcolor-rebalance
お立ち寄り下さいましてありがとうございます。新芸術様式”アール・ヌーヴォー”が輝き始めた19世紀半ばから20世紀初めに演劇・芸術・ファッションで人々を魅了し大活躍していたのが、大女優サラ・ベルナール(SarahBernhardt)。SarahBernhardt(1844?-1923)サラ・ベルナールは「聖なるサラ」「劇場の女帝」「聖なる怪物」などとも呼ばれ、画家アルフォンス・ミュシャを一躍有名にした人としても知られています。
と~っても面白かった。ロマンティック・コメディで歴史絡み、「でか鼻のオジサンの恋の取り持ち+秘めたる純愛劇」を製作する、「生真面目な遅筆亭井上ひさし+美男の俳優+文芸好きお針子+我が儘女優+身びいき俳優+借金取り」の組み合わせ。もう好みにピッタリで、大満足。連れ合いも楽しんでいた。「シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!」★5https://cyranoniaitai.com/1895年、大女優サラ・ベルナール(クレマンティーヌ・セラリエ)が主演なのに退屈と、上演打ち切りの抒情
映画「シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい」令和2年11月13日公開★★★★☆(フランス語;字幕翻訳室井麻理)1897年、パリで暮らす詩人で劇作家のエドモン・ロスタン(トマ・ソリヴェレ)は、ここ数年スランプに陥っていた。2人の子供を抱え、生活に不安を感じた彼は俳優のコンスタン・コクラン(オリヴィエ・グルメ)に、年末に上演する舞台の話を持ちかける。だが、実はエドモンは英雄喜劇となるはずの新作をまだ一行も書いていなかった。(シネマ・トゥデイ)1895年12月のパ
にほんブログ村こんにちは夢を実現させるために常にあなたと向き合っていくコーチングTêteàtête(テタテットゥ)です。ブログ訪問ありがとうございますあなたは自分の直感を正しいと信じますか?それともじっくりと考えますか?時と場合にもよりますよね。四六時中、直感で行動していたら疲れちゃう。でも直感じゃなく一目惚れだったならすぐ信じちゃう。◆サラ・ベルナールの言葉◆ひと目惚れを信じることよ。サラ・ベルナール-
今回はアルフォンス・ミュシャがデザインし、宝飾作家のジョルジュ・フーケが製作した「蛇のブレスレットと指輪」(1899年)です。"Fouquet,bracelet"Photobylartnouveauenfrancesource:https://flic.kr/p/9qFYs7ベル・エポックのパリ、初の国際女優サラ・ベルナールから依頼され、金、エナメル、オパール、ダイアモンドで作られた逸品です。このブレスレットは、ここ何年かでミュシャやサラ・ベルナール関連の展示
こんにちは!今日もみことのブログにお立ち寄りいただきありがとうございます!私のワクワク。これ。どん!敬愛してやまない、画家ミュシャさまですー。今、移動中ですのでまたご報告しますね!では、お互い今日も元気にいきましょう!
カテゴリ:◆映画・テレビ・華流・韓流映画ディリリとパリの時間旅行6/16(火)よる7:15WOWOWシネマ「キリクと魔女」のM・オスロ監督が、古き良き時代のパリを舞台に繰り広げられる冒険を軽妙洒脱に描き、第44回セザール賞で最優秀アニメ作品賞に輝いた珠玉の感動作。19世紀末から20世紀初頭のパリ。南洋の島出身の好奇心旺盛な少女ディリリが、初めてのバカンスで街見物に繰り出す中、少女誘拐騒ぎに巻き込まれ、アッと驚く意外な大冒険を繰り広げていくさまを、フランスアニメ界の名匠オスロ監督が、波
@emacoroさんちのくまおちゃんの絵、なんとか描けました。描けたというか、なんとか形になったと言ったほうがいいかな?まだまだ新しい色鉛筆カリスマカラーに慣れていないので塗っては消し塗っては消しの連続、急遽色鉛筆で塗ったところを綿棒でぼかしてみたら上手くいくんじゃないかと思って綿棒探して汚家の中を探してみたけど、見当たらず。仕方ないからヨーカドーまで行って購入。こないだ投稿した大吉姉さんの絵もそうだけど、カリ
サラ・ベルナールは、19世紀後半~20世紀初頭に花開いた「美しき時代」ベル・エポックを代表する女性です。サラは初の国際派女優で、この時代の芸術家達に多くのインスパイアをもたらしたミューズでした。3月26日はサラの命日です。ミュシャ「椿姫」(1896年):マルグリットはサラの当たり役だった。"AlphonseMucha-A11LaDameAuxCamelias,1896."PhotobyKyleGeibsource:https://flic.kr/p/
おはようございます。工事の養生始まりました。昨日は久しぶりに松濤美術館へサラ・ベルナールの世界展ビックリしました。松濤美術館っていつも空いているのですが入口付近で声を掛けられ…。ロッカーがいっぱいだとのこと。上着を預かってもらってゆっくり楽しみました。豪快な方ですね。ミュシャやラリックはとても好きですからこの方がいて良かったです。ありがとうサラ・ベルナール(^^)寒いですがみなさん良い一日を。
※自身の豪奢な館でくつろぐサラ・ベルナール(撮影可能ポイントのパネルより)稀代の大女優サラ・ベルナール。その死後より100年近くが経とうとしているが、彼女の存在と功績は時を超えて今なお我々を魅了してやまない。しかし、私はそこでふと我に返る。その歴史的名声に目を眩まされるばかりで、私は果たして彼の人がどの様な人物であったのか、本当に理解をしているのだろうか。サラ・ベルナールの生涯を知る好機が、アール・ヌーヴォーの香りを漂わせつつ紐解かれていく。写真の技術革新と時同じくスターダムを駆け