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サマーディ(samadhi)の実践体験サマーディについて真我実現のマスターババジはこう語ります。ニルヴィカルパ・サマーディ(NirvikalpaSamadhi)になる前には、ヨーギーはすべての創造物が溶けていくのを体験します。身体、周囲、宇宙、すべてが溶けて、何も残りません。存在の意識以外は何も残りません。そして、他に知るべきことは何もない、見るべきことは何もない、理解すべきことは何もないことに気づきます。ただ自分の中に留まるのです。それがヨーギがニ
贅沢は、必要なものは持っている(満足がある状態)時に感じるワケで…贅沢は、持ってる時に楽しむもの♩なのだそうですさて、“何を“持ってる時なのでしょうこんにちは!ヨガスタジオAzulさゆりです先日のギーターのクラスで出てきた、贅沢と必要のお話し。自分が、何に贅沢を感じているか、何を必要と感じているのか。を、感じることは、自分が自分自身について、どのような思い込みや判断を持っているかが見えてきそうです満足【必要なモノは何一つない♩必要なモノは全
技術の問題ではなく、禅定状態に入りきれないのが問題なのだ。技術がつききらないのは、結局はサマーディに入り切れない事が問題であって、心が一点に集中できたら技術は勝手につく。だから、小手先の技術をつけようなどという瑣末な心を起こさず、また誰かに教えを乞いたいなどと依存する気持ちも起こさず、ただただ目の前の課題にサマーディになる、ただそれだけでよいのだ。
こうして、1つにつながっている大いなる意識の波動について見てくると、結局、瞑想だとか祈りの力が重要なんだろうと漠然と思う。私たちが、いかに自我を消して、正の波動、愛の波動を奏でることができるか…。きっとその波動が世界を創っていく。私達の見ている世界は私達の意識の中にある幻なのだから、(参照:目に見えない世界の話(9)世界という幻)当然と言えば当然なのかもしれない。実際、ヨーガ行者の成瀬雅春氏はこう書く。「瞑想能力は悪用すると危険です。国家元首が、必ず瞑想家をブレーンにしていると
【導師スワミ・アディティヤナンダ・ギリジ師のご紹介】スワミ・アディティヤナンダ・ギリジ師は1989年に師の師で、「インド2000万聖者の最高峰」「現代の仏陀(覚者)」と称賛され、インド政府が公認するシッダマスターである『マハヨギ・パイロットババジ猊下』が開発されたサンカルパヨガを習ったヨギからそれとは知らずに実践中に最初のサマーディを成就されました。*以後スワミジ師とお呼びいたします)サマーディは、仏教では集中という意味に矮小化されていますが、実際はニルバーナ(涅槃)やモク
こんにちは🙇🌦❤しあわせ研究家❤Summerday.yoga☆Rimiです☺♡*イライラしちゃう腹が立っちゃう…これって“いけない”ことなのかなぁ🤔私、ずーっとイライラしちゃう自分嫌だったの。心がちっちゃいなって。器がちっちゃいなって。だからイライラしちゃうのはその人といちゃいけない“証”なのかな🤔って思ってた。だけどイライラしちゃう=いけないことでもなくて仲良くない証でもないんだってなんとなくわかった🤔仲良くても腹立つこともあるしイライラするこ
おはようございます🤗☀️とっても早い起床❇しあわせけんきゅうかSummerday.yoga☆Rimiです☺♡*今日は幸せ研究家になってみました🙌❇明日はなんにしよう🤔明日も幸せ研究家しようかな🤔✨Summerday.yogaはヨーガのことばにサマーディーってあってそれってヨーガの最終ゴール地点なの😲❇この上ない幸せあっ、「三昧」って訳されるんだけどね😀〇〇三昧ってよくあるぢゃん?❇こればっかり。これだけ。だれがどこでなにしてても気にならない状態恍惚状態光
無心、無我、というのは、苦しみも歓びもない世界という事なんだという意味が少しずつわかりはじめている。この世は実は、苦しみも歓びもなくて、全て人間が作り出している幻想なんだ。その対象にぐっと、意識が深く深く入れるようになると、時間と空間という概念が無くなるんだ。だから、超集中できた時は、あっという間に時間が経ち、退屈な時は、時間が長く感じるのだ。だから、サマーディに、必要な時にさっと入れる心ができたら、時間と空間を超えて自由になれるのだな。
昨日の続きですが、瞑想で意識が内側に向くようになってくるとそこにはすべてが在ることに気づくのですよね。いい方を変えればすべてが無いことに気づく、とも言えるかもしれません。サマーディと言われる究極の状態がありますがこれを毎回のように経験できるようになれば、本質的には(←ここ大事です)この世におけるすべての問題が解けると言っていいかもしれません。瞑想に熟達するのも、クンダリニー技法で覚醒を成し遂げるのも、アスリートの方がオリンピック出場を目指しトレーニングするのと一緒だと
いつもありがとうございます。【心と身体のお稽古場】福岡県古賀市・オンラインもっと自分を好きになるヨガ教室ラブヨガ村田由紀です。はじめましての方へ【ヨガ】をするみんなに、クリスマス🎄のプレゼントになりますように(笑)なお先生の【ヨーガチャクラ】で、毎月【ヨーガスートラ】を、学び続けています今月はね、1章の48.49のスートラ。1章は【サマーディ】の章。この後半部分は、【サマーディ】を詳しく(笑)【サマーディ】のレイヤー(層)について、が書かれてま
しつこいのですが、もうこの流れの勢いでw本編とは直接関係のないいわゆる「悟り」についての補足をwこの歎異抄シリーズの④でも少し触れましたがまたまた長くなりそうなので興味ない方は完全スルーされてくだちゃいm(__)m私はいわゆる「悟り」について悟り=フォーカス27以上の体験と、それによる心穏やかな心境と「定義」しましたこれまで悟りを誰も定義されてこなかったので宗教界やスピリチュアル界隈では、ある意味ずっと「混
be将来、杖を必要としない身体作り~happylifetogetherwithbeyoga~beyoga香椎店HPヨーガスートラbeyogaPTT選ばれる理由/卒業生の活躍おはようございますbeyoga住福優子です人生の中でひとつのテーマとしている60頭の中はもう60歳なのですw
正念が普通になれば、正定が普通になるんだから、それが、即ちサマーディ状態なんだな。今は、正命の覚悟が決まりきらないから自我意識の観念のメンタルブロックが外れず、その結果として、胸が痛くなる、というのが現象化している。つまり、精神は、今の概念だとこの考え方は過去になく危険だから、逃げ出せと体に言ってんだな。ここは、まさに人生の正念場なんだ。これが破れたら、全く感覚が変わるんだろうし、世界が全く違って観える気がする。楽しみだけど浮かれず、苦しみが来ても逃げず、ただただ
ヒマラヤから日本に帰国したので伝授を再開致します。(2023/6/23)『クリヤヨガ専修コース』【クリヤヨガ・レベル1伝授内容】1、クリヤ・プラーナヤーマ①2、プラナーム・クリヤ3、オームカール・クリヤ4、ジャパ・クリヤ5、シャクティ・サンチャーリニ・マハームドラ6、クリヤ・プラーナヤーマ②7、サマーディ・クリヤ8、キルタン・クリヤ9、ジョーティ・ムドラ10、シャンバヴィ・ムドラ以上の10のクリヤヨガのテクニックをまず伝授します。(対面・オンライン両方可)1度の伝授で
今日は朝から一日を完全に使い切れた。ほぼ時間を浪費する事なく、サマーディ状態でこの時間までこれた。もしこれが毎日続けられたら頑張る感覚がないから、自然によくなるのは目に見えている。また明日も今の心でいれたら嬉しいが、戻ってしまうかもしれない。だが、もし戻っても、信忍からまたやり直せばよいだけだから、恐れる事はない。やっぱり初期仏教、唯識、浄土真宗は、スーパーメソッドの心理学で、心の支えになっている。本当に有難い。
こんにちは、ご訪問ありがとうございます。ココロとカラダの調律師・パーソナルヨガトレーナーAyakoです現在の日本で「ヨーガ」というと、アーサナ(ポーズ)をとって身体を動かすもの(ハタヨーガ)を思い浮かべる方が多いと思います。しかし、ヨーガは「実践する哲学」と呼ばれ、「肉体」だけでなく「心」と「意識」も含めた総合的な自己の鍛錬法です。(こちらは2012年1月15日のコラムを加筆修正したものです。)肉体を主体とした「ハタヨーガ」だけでなく、瞑想を主体とした「ラー
ハイヤークリヤ(2ndクリヤ)【クリヤヨガ・レベル2伝授内容】1、クリヤ・プラーナヤーマ①2、ガヤトリー・メディテーション3、プラナーム・クリヤ4、オームカール・クリヤ5、ナヴィクリヤ6、ジャパクリヤ、マントラクリヤ7、サマーディ・クリヤ8、シャクティ・サンチャーリニ・マハームドラ9、3テクニック・ラウンド・プラーナヤーマ10、フルボディ・メディテーション11、キルタン・クリヤ12、ジョーティ・ムドラをしてのクタスタ・プラーナヤーマ13、シャンバヴィ・ムドラ1、ク
信忍→信楽→信欲ときたら、信が因となり、精進が果となり、自然に精進ができる。精進が因となれば、念が果となり信念が生まれてくる。念は今の心だから、今何をすべきか?大事な事から意識が外れない心が自然に得られる。これが起きないと、すぐに失念してしまい、大事な事を忘れて、空虚な事に時間とエネルギーを使ってしまう。信念が因となると、ついに禅定、サマーディが果となる。この状態の脳波が、御釈迦様がおっしゃっている五根五力で、天風先生がおっしゃっている、肯定も否定もない状態な
ラマナマハリシは次の様に語っています。「ディヤーナは、慎重な精神的な努力をとおして得られるが、サマーディにおいてはそのような努力は必要ない。」(「ラマナマハリシの教え」めるくまーる社)つまり静慮と三昧の間には、かなり大きな隔たりがあるということです。この「ディヤーナ」は、のちに音写されて禅那となり、その後、禅として独自の発展を遂げます。凝念とはこのように、一般には心を特定の対象に留めて動かさないことを指しますが、技術的には、いうまでもなく三昧とも静慮とも矛盾するものなのです。
無理せず、欲張らずも、朝5時から、今までほぼ、サマーディ状態で意識がズレずに時間を使えた。中々こういう風にしたいのだが毎日出来ないが、これが毎日普通に出来たら、良くならない訳がないし、逆に悪くなる事が出来ないな。要因としては、頭がスッキリしていた事、昨晩はよく寝れて、早く起きれて、掃除して、ゴルフして、子供と公園行って、散髪して、ピアノ練習して、動画編集して、仕事して、と、頭がクリアだと、頑張らないでもこんなに沢山な事ができる。今日も早く寝て、明日も早く起きて、
自分らしく輝くための心とカラダと魂を整える。瞑想ヨガセラピストのAkiです。今日は、稲刈り🌾自然恵み、命の循環に感謝して頑張ります🙏有想三昧・無想三昧について詳しく学んで行きましょう。先日の森林浴&気づきの瞑想ヨガセラピー素敵に撮っていただいていました✨心を統一して意識の集中が進行すると三昧に入り、心の能動的な活動作用は、止滅し、動揺がなくなり、空に帰したようになる。三昧には、意識がまだ残存している低く浅い有想三昧・サムプラジュニャータ・サマーディと意識が存
アーサナとはなにかに対するラマナ・マハルシの回答質問者アーサナ(坐位)とは何でしょうか?それらは必要なのでしょうか?マハルシ多くのアーサナとそれらの効果がヨーガの聖典のなかで述べられている。座はトラの毛皮、干し草など。坐位は蓮華座、半蓮華座など。ただ自己を知るためだけのために、なぜこのようなことが必要なのだろうか?真実は、真我から自我が立ち現れ、それ自身を身体と混同し、世界を実在だと誤解し、そして利己的な慢心から夢中になってアーサナを探し求めるのである。このような人は彼自身がす
自分らしく輝くための心とカラダと魂を整える。瞑想ヨガセラピストのAkiです。皆さまにお力添えいただきいよいよ明日は稲刈りです🌾篠栗古民家「楓林庵」美術館に瞑想部屋が完成✨✨芸術の秋に瞑想の世界へご案内させていただきます🧘♀それでは、更に綜制瞑想(サムヤマ・ディヤーナ)について深く学んで行きましょう。ヨガ8段階修法中、第6段階の凝念(ダーラナー)と第7段階の瞑想(ディヤーナ)、8段階の三昧(サマーディ)の三つが一つに合致して行われることが特別集中修法・綜制(サム
はじめから、ピタっとピタハマりする事はない。どんな事も試行錯誤の連続だ。サマーディ状態を一日中キープするのだって、それが当たり前の人からしたら、なんにも頑張っている感覚はないだろうが、まだまだその感覚にいかない人は、すぐに意識が散漫としてしまう。だけど、ズレたら戻せばいい、ズレるのを恐れていたら、何も出来ない。今正しいと思う事を思い切りやればよい。ただそれだけなんだな。
「公開サマーディ」から戻られたヨグマタジ(相川圭子師)このお写真は1998年に私が撮影しました。ヨグマタジはこの写真を大変誉めてくださいましたが、私はマタジの神々しいお顔ばかりに集中していて、手が見切れていましたのでヨグマタジは残念がっていました。公開サマーディから戻られた時のヨグマタジは、真如(サマーディ・ニルバーナ)から来生されたので仏教では如来と名付けられます。如来とは真如から来生(らいしょう)したブッダ(覚者)の名称です。そのとおり、実に神々しいお顔です。まさに女神様の
※ガイアの黄金時代よりGoogle翻訳により転載します。ひとりひとりご自分の識別で読んでください。QuickReviewofAscensionandSahajaSamadhiRepostedfromSept.2013I’vejusthadaveryinterestingconversationwithareaderaboutAscensionandenlightenmentandourjourneytoGod.I’msur
2019年からスタートした比叡山とヒマラヤをつなぐ〜時空次元を超えた旅〜。学びや行には終わりはなく一生つづけていくものですが、今年9月で一区切りだと感じています。2019年は元三大師さまとのご縁でたくさんの経験をさせてもらいました。それまで…恥ずかしながら、横川の元三大師さまのことは知らず延暦寺会館でヨガを教えている時に鬼の姿をした方が見えたことから…今出川ご住職のお心遣いによって横川を案内していただきました。通常でしたら受け入れてもらえないそんな…私の体験を信
八支則の最後8番目ヨガでは、「サマディの状態でいる」が、最終の目標ですサマーディSamadhi(三昧)ヨガの最終目標。「解脱」や「悟り」とも言われ、瞑想が深まり、集中の対象との一体感を感じている状態。心が平静で、精神的な喜びを感じ、至福の状態。サンスクリット語で「三昧」(ざんまい)。物事に一心になることを意味します。我を忘れるという言葉があるけど、そのくらい、愛するものとの一体感があり、平和である状態のことなのかな、と思います
歩く、走る、打つ、投げる、などの、四肢の自然な動きは、外旋と内旋が自然に切り替わり、その切り替わる一瞬だけ、外旋でも内旋でもない、フラットな中立な、関節適合面の場所があり、そのポイントで自然にインパクトを迎えられると、ボールは、美しい放物線を描いて飛び出していく。つまり、『外旋と内旋の切り替え』を自然に感じ取れるようになれば、肯定も否定もない絶対的境地、サマーディに入れる。これを探すのが楽しくなれば、毎日信楽できるし、自然と信欲、真我に近づいていき、禅定が続
こんにちは。さくらです。今日はアシュタンガヨガ(八支則)の最後、三昧(サマーディ)について解説してみます。アシュタンガヨガをおさらいすると、本来の「ヨガ」である「本当の幸せに至るまでの道」の8つの実践ステップを指します。①ヤマ(しないほうがいいこと)②ニヤマ(したほうがいいこと)③アーサナ(←一般的に「ヨガ」として知られている「ポーズ」)④プラーナーヤーマ(呼吸法)⑤プラティヤハーラ(感覚をコントロールする)⑥ダーラナー(がんばって集中している状態)⑦ディヤー