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7241MarzenaSikorskaによるPixabayからの画像※こちらの記事は、平成30年7月2日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの11回目で「ホルムズ占領」についてです。今までの記事第1弾江古田原沼袋合戦第2弾権現山の戦い第3弾新井城の戦い第4弾第一次国府台の合戦第5弾川越城の合戦第6弾第二次国府台の合戦第7弾ワイアットの乱第8弾アルマダの海戦第9弾ラヴェンナの戦い第10弾チェリニョーラの戦い
共通テスト試作問題「地理歴史・公民」-読売新聞オンライン読売新聞オンライン【読売新聞】いずれも必履修科目と選択科目を組み合わせた「地理総合、地理探究」「歴史総合、日本史探究」「歴史総合、世界史探究」「公共、倫理」「公共、...野球伝来150年に「令和の怪物」「村神様」のすごさを教えてくれた「記録の神様」の地道な情熱読売新聞オンライン日本に野球が伝来して150年となる今年、節目の年を祝うかのように、野球界で大記録が次々に誕生した。ロッテの佐々木朗希投手は史上最年少での完全試合を
こんにちは。TOSHです。今回は「ハーンの宮殿のあるシェキ歴史地区」についてまとめてみたいと思います。基本情報登録年:2019年登録基準:(ⅱ)(ⅴ)概要交易でさまざまな文化を受け入れた美しき古都。18世紀の洪水で街が破壊された後に再建された都心には高い破風造の家々が並ぶ。サファヴィー朝、カージャール朝、ロシアの建物の伝統に影響を受けてきた。窓や扉がヴェネツィアン・グラスで飾られたシェキ・ハーンの宮殿があるシェキハーンの宮殿
8:48、マスジェデ・ジャーメmasjedjameh着。ケルマンを代表するモスクの1つで、14世紀の創建。ポーロ一行は見ていない。入口を入る。ミフラーブのあるエイヴァーン。概ねサファヴィー朝期のタイルで彩られている。窓枠などは更に後世のものか。これはイルハン朝期(14世紀)のものだろうか?サファヴィー朝期のタイル。豪奢なミフラーブ。時計台のあるエイヴァーン。金曜モスクだけあって華麗さはひとしおでした
人生を、自分自身が舵をとって進もうとするすべての人のことをリーダーと言ってます。歴史は教養ですよ〜で、ただの教養にしないのが「リーダーのための歴史教室」。あなたはリーダーで、あなたが歴史を作る主人公なのです。<今日のあらすじ>イスラム教のスンニ派とシーア派のこと。シーア派の始まりは神秘主義集団スーフィーというところから、宗教の宗派について考えます。昨日は「明日からヨーロッパ」と言い放って終了したのですが、一つどうしても書いておきたいことがありま
人生を、自分自身が舵をとって進もうとするすべての人のことをリーダーと言ってます。歴史は教養ですよ〜で、ただの教養にしないのが「リーダーのための歴史教室」。あなたはリーダーで、あなたが歴史を作る主人公なのです。<今日のあらすじ>拡大するオスマン帝国は何をしたのか、オスマン帝国のその後と、そのお隣にあるサファヴィー朝のこと。昨日はオスマン帝国の勢いがすごかった話を書きました。南アジアのムガル帝国もそうでしたけれど、こちらのオスマン帝
人生を、自分自身が舵をとって進もうとするすべての人のことをリーダーと言ってます。歴史は教養ですよ〜で、ただの教養にしないのが「リーダーのための歴史教室」。歴史を作るリーダー、あなたが、主人公なのです。<今日のあらすじ>ティムール朝の後新しくできた、イスラム教シーア派を国教とするサファヴィー朝について。また、宗教と政治の話。さて、今日もここから。1501年、バヤジット2世の時、ティムール朝と入れ替わる
80歳の一人旅東京都世田谷区・溝口ふく(無職・79歳)毎日新聞太宰治記念館の「斜陽館」では入母屋造りの重厚感に圧倒された。太宰を身近に感じた。青森に戻り翌日は三内丸山遺跡を見学した。縄文集落跡、村の様子、長...25年連れ添ったテディベアがどこかへ発見者に懸賞金5万円超(南ア)エキサイトニュース南アフリカのケープタウンに滞在中のイギリス人女性が、行方不明のテディベアを探している。25年も一緒に旅を続けてきた家族のような存在だけあって、発見者...再発見!天草地図紀行
サファヴィー朝初期の建物で、タブリーズからガズヴィンに遷都した際に建設された「チェヘロストゥーン宮殿」サファヴィー朝と言えば、世界的にも有名で、世界遺産もある「エスファハーン(اصفهان)」と思いがちですが、後のアッバース1世がエスファハーンに遷都したんです。それまでは、ガズヴィンが首都だったんですねイスファハーンにも、同じく「チェヘロストゥーン宮殿」があり、同じ名前だなぁ、と思っていたのですが、こちらが本家本元だったんです(汗)失礼しました…σ(^_
《カスピ海を渡るスチェンカ・ラージン(ワシーリー・スリコフ)》1654年から1667年までの、ロシア・ポーランド戦争(13年戦争)、1656年から1658年までのスウェーデンとの北方戦争はロシアの人々に重い負担を強いていました!ツァーリ専制体制が確立され、徴税と徴兵が強化され、多くの農奴・小作農は南に逃れ、ラージンのコサック盗賊団の仲間になっていったのです!農民だけでなく下層階級の人々やカルムイク人などの非ロシア民族の人々もまたラージンの一味となったのです!ラージンの名が初めて轟いたの