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〈あの頃のマッチは素敵でした。その1347〉カラー作品大映人斬り勝新太郎仲代達矢三島由紀夫石原裕次郎倍償美津子新條多久美コント55号辰巳柳太郎監督五社英雄#マッチ#燐寸#マルカ川島商店#マッチ#カラー作品#大映#人斬り#勝新太郎#仲代達矢#三島由紀夫#石原裕次郎#倍償美津子#新條多久美#コント55号#辰巳柳太郎監督#五社英雄
4月16日生まれの歌手坂上二郎ファンカヒBONNIEPINK福岡晃子(チャットモンチー)徳井義実(チュートリアル)湯浅将平(BaseBaiiBear)オススメ曲は…AAmazon.co.jp坂上二郎「学校の先生」1974年のヒット曲作詞山上路夫作曲大川光久坂上二郎3枚目のシングルwikiによると…坂上二郎は1953年『のど自慢素人演芸会』で鹿児島代表に選ばれ優勝したのを機に歌手を目指し上京する『青木光一』の付
毎度毎度のことなれど、笑いのコンテンツについての史実認識がでたらめである。フジテレビの昼間はナマで笑いをとる番組が主流である。しかしその始まりは、前田武彦MC、若手藝人だったコント55号が花形だった「お昼のゴールデンショー」からではない。クレージーキャッツの「おとなの漫画」という時事ねたコント番組が最初である。ディレクター=すぎやまこういち台本作者=青島幸男だった。フジテレビ開局と同時にOAした。クレージーキャッツだけでなく、すぎやまこういちも青島幸男もまだ無名だった。学齢でい
めだかの兄妹わらべNET『欽ちゃんのどこまでやるの!』(欽どこ)での挿入歌欽ちゃん萩本欽一と女優真屋順子が夫婦を演じたバラエティー番組長男が見栄晴のちに生まれた3姉妹がわらべ(高部知子倉沢淳美高橋真美)わらべのそれぞれの名前は、”ヨキ・コト・キク”ではなく、”のぞみ・かなえ・たまえ”この当時、欽ちゃんは”視聴率100%男”と呼ばれていました。『欽ちゃんのどこまでやるの!』『欽ドン!良い子悪い子普通の子』『欽ちゃんの週刊欽曜日』『オールスター家族対抗歌
コント55号のなんでそ~なるの?かな(笑)最近思うのよね自分も含めて世の中もなんでこ〜なるの?ってね
本日は公立高校の合格発表日です。受かった人も残念ながら思うような結果とならなかった人も人生初の経験は一生の思い出になることでしょう。遠い昔、僕の時代は完全アナログ式なので12時に学校が合格者の受験番号を記入した紙を張り出すという方式でしたね、→今ではWeb確認なのでしょうね僕は「いけるところに行く」という努力をせずまた、出来るだけ自宅から近くの高校を受験しました。その結果、中学校の隣の高校だったので昼休みに徒歩で確認に行きいち早く合格を知ることが
新撰組で好きな隊士はいる?好きなのはいないけど・・・。新撰組の隊士の名前をもじった人物が出てくる作品ならいくつか知ってます。「コント55号宇宙大冒険」坂上二郎は芹沢角、萩本欽一は隊士ではないけど坂本桂馬。「マカロニほうれん荘」の他には「ドカベン」「宇宙戦艦ヤマト」もそうらしいけど(いずれも秋田書店つながり?)どの人物の名前がそうかは不明です。後ろ2つには徳川という人もいますけど。他には、過去記事参照。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
BSTBS「表現者ちあきなおみ」を観て昨年の2月にBSTBSで放送され、今年の2月6日に再放送された「表現者ちあきなおみ」を録画していたので、楽しんで観てしまった。1992年に歌手活動を休止し、その後一度も復帰していない彼女。しかし話題は豊富で、アルバムが演歌部門の1位になるなど、再び売れてきているという事。多分35歳以下の人は、彼女の事は知らないだろうし、知っていても昔の映像番組で観た程度のことでしょうが。歌手としてではなく、歌を通しての表現
朝から気温が高くなっています。散歩に出たサクラちゃんは、いつもとは反対方向に進んで、地面をクンクンクンクンし始め(時々見せる猫の行動です)顔を地面に擦りつけコロンと転がり大きく伸びてハッと我に返りこれで終ったのかと思ったらまたコロンと転がっていたのでした。「なんでそうなるの?」とコント55号の声が聞こえてきそうです。(´艸`)猫は面白いですねえ。たんぽぽがクスクス笑っているようです。勿忘草に似たところがあるキュウリグサがたくさん咲いています。
わんばんこです☆これは2023年2/2の記事を再公開です皆さんわんばんこです☆今日は旦那の誕生日で他のご馳走でお腹がいっぱいになったので明日の夜の楽しみにしますさて今度のブログネタは『今年の恵方巻は』ですが・・・今年の恵方は「南南東」ですそして購入した恵方巻です人気があっていつも早くに在庫なしになってた「海鮮巻」でしたが今回はギリギリに予約しても珍しく在庫があったので無事買えました~ちょい値段高いけどな
病院の妻からスマホにメールが来た。なんでもなかった😂まあ、そんなことだろうとは思っていたが、正常性バイアス(大丈夫だろうという過信)は危ないから、「検査を受けたほうがいい」という医者のアドバイスには、そうするが、医者自身も「なんでそうなるの!?」と、コント55号のような反応をするとはね😆何はともあれ、誕生日に入院などとならなくて良かった良かった。これで夕方のファミレスで娘(ドタ子ちゃん)と合流して誕生日お祝い会食ができるな😃
過日、『チンチン55号ぶっ飛ばせ!!出発進行』を鑑賞しました。コント55号の主演作なので、タイトルは「チンチンごじゅうごごう」と読むものだと思っていたのですが、ポスター及び画面上のタイトルのルビから「チンチンゴーゴーゴー」と読むのが正解の様です。因みに『チンチン』というのは「チンチン電車」、つまり路面電車の事です。コント55号は、「欽ちゃん」こと萩本欽一と「二郎さん」こと坂上二郎のコンビ。浅草松竹演芸場出身で、舞台だけではなくテレビにも進出。一世を風靡し1960年代~1970年代にかけ
2024年令和6年新年明けましておめでとうございます欽ちゃんのYouTube配信、年末の福引きに当たって頂いたねむ二郎です(炬燵は別売り)。しかし昨年は記念碑に名前を入れて貰ったり(まだ未完成)、松茸を貰ったり、ねむ二郎まで貰っちゃって、本当に欽ちゃんには感謝しております。(飲み過ぎて寝正月😅)そしてやっぱり寅さん令和に語り継がれる名作『男はつらいよ』3作品を3夜連続で無料放送!“マドンナ”リリー役浅丘ルリ子のコメント到着!|BS松竹東急お正月はBS松竹東急で寅さんと一
昭和46(1971)年12月31日(金曜)。この年から民放全局が同じ番組を放送することとなる『笑いぞめだョ!ゆく年くる年』の番宣広告。トップバッターのキー局を務めるのはTBS。国立代々木競技場第二体育館をキーステーションとし約3,000人をご招待。あえて総合司会は置かずに、コント55号、ザ・ドリフターズ、元ザ・スパイダースの堺正章、井上順(当時は井上順之)が各コーナーの進行役を担当する。当日のテレビ欄を眺めると、ゲストも王貞治(プロ野球)、輪島公一(のちに功一=プロボクシング)、中山律
\\メイクしながらスキンケア//山あり谷あり、波乱の人生ドンブラコ!ようやくたどり着いたあこがれの年金生活‥夢見た悠々自適ゆうゆうじてきの年金生活は、なぜか幽遊自虐ゆうゆうじぎゃくの年金生活にさま変わり‥だがしか~し転ころんでもただでは起きないのが団塊だんかい育ちのいじましさ!つかんだ節約せつやくテクニックを余すとこなくご披露いたしましょ~ぅはずかしながら私とカミさん、今年で一緒になって50年になりました。はじめて知り合った学生時代をふ
ここのところ爽やかな秋晴れが続いている。仙台から持ってきた我が家の鉢植えも秋の気配である。今年の老爺柿は、無理をさせたからか夏の猛暑がたたったのか、いま実をつけているのは二つばかり。ま、そういうこともありますわね。さて、今朝の朝日新聞に目がとまった。文化面に掲載されている「我が人生を語る」内容の連載が元々好きなのだが、今は萩本欽一さん。今日の記事は、こんな↑ものなのだが、その中でコント55号がデビューしたころの記事が紹介されている。「コント55号の人気を伝
駅の乗り換えで目の前の若い女性に違和感。おしゃれなのに姿勢も悪くないのになにか変。あ!わかった!両手を横に振って歩いてるんだ!これってコント55号がステージにこのような手つきで登場したり走ったり、それじゃないですか。欽ちゃんファンなのか?たぶん違う。その日の帰り、道を歩くその前にもまたもや欽ちゃん歩きの女性が!!!健康法か美容法で流行り始めているとか??たぶん違う。腕を横に振るから動きに無駄があるのか歩
昭和45(1970)年10月7日(水曜)。あらゆるジャンルの一流プロフェッショナルたちに、コント55号(萩本欽一&坂上二郎)が捨て身で挑戦する、もーれつチャレンジ・ショースパルタ!55号(NETテレビ)の番宣広告。記念すべき第1回放送で欽ちゃんと二郎さんが挑戦したのは、プロレス界の人気者、まだ「燃える闘魂」と呼ばれる前のアントニオ猪木(当時27歳)だ。両者の対戦といえば、松竹映画『コント55号・水前寺清子の大勝負』(野村芳太郎監督)でのプロレス対決場面が有名だが、この映画が同年12
大学生の頃、研究室に週刊誌はもちろん、文藝春秋を持っていっても教授に怒られた。研究室の徳永教授には褒められた記憶がない。これは徳永教授が悪いのではなく、私があまり研究室に行かなかった、出来の悪い学生だったからである。化学工学科は、希望した建築学科ではなかったが、もっと勉強しておけばよかったと今は思う。そんな徳永教授に一度だけ褒められたことがある。「笑いについて」という単行本を持って行った時である。いつもはこんな雑誌を研究室に持ってくるなと言われるのだが、その時は「良い本だ」と言って頂
今日の出品レコード。コント55号/とにかく考えようよA面「とにかく考えようよ」作詩/塚田茂、作曲/阿部芳明、編曲/高田弘B面「ポロチョン教」作詩/木下竜太郎、作曲/阿部芳明、編曲/高田弘A面はハワイアン風の歌謡ナンバーB面はグルーヴィーなビート歌謡ナンバー、ファンキーなベースとドラムが最高ですシングルコント55号和モノB面ビート歌謡試...-ヤフオク!★コント55号/とにかく考えようよ□商品詳細★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
今日の動画は私くらいの年代かそれ以上の人にとってはとんでもなく懐かしいものです1969年から1970年にかけて、日本テレビ系列で放送されていたバラエティ番組「巨泉×前武ゲバゲバ90分」放送作家の大橋巨泉と前田武彦をメインに多くの俳優、タレント、コメディアンたちがショートコントを繰り広げますオープニング、出演者が自分の名前が書かれたプラカードを持って公園を歩いてくるもうそれだけで懐かしいですね音楽も最高です90分はありませんが、お暇なときにご覧ください今で
郷です。もとい、合のお話です。(ふざけてすみません)私事ですが毎年8月は鬼門です。昔から8月になるとなぜか夫婦間のトラブルが発生します。言い争い、喧嘩、殴り合い・・etc.コント55号じゃありませんが「なんでそうなるの!?」と言いたくなる時期です(古すぎて伝わらないと思いますが)「皆さんは毎年決まって良くない時期ってありませんか?」私は占星術に出会ってやっと合点がいきました。8月ということは全国的に獅子座に太陽が入ります。獅子座の太陽は射手座の私にとって好位置の
皆様いつもありがとうございます!伝承咲人のけん玉ちばちゃんです。先日は、プロ野球2軍の交流戦でオリックスが鎌ケ谷球場での試合があるとの情報を知り、入来コーチにご挨拶してきました⚾いや~ユニフォーム姿がカッコイイですね😍鎌ケ谷球場は日ハムの本拠地⚾ダルビッシュに大谷投手👀球場の外には、いろいろと楽しめるコーナーが!!スピードガンチャレンジがあったので、みんなで挑戦⤴⤴ぞろ目が出るとプレゼントがもらえるとのことで、そこはやっぱり「55」
なぜこうして翔びたくなるのかはサンセットに聞いてくださいましNojumping,Nolife◆山本漢方徳用大麦若葉粉末100%3g×44包楽天市場
7月27日の当ブログで『私が愛した映画たち』(吉永小百合さん著・立花珠樹さん構成/集英社新書)を取り上げました。この本が発行されたのは2018年で、その時点での吉永小百合さんの最新映画は『北の桜守』(2018滝田洋二郎監督)でした。この本の巻末に吉永小百合さんの「出演作リスト」が載っていて、いちばん最後は『北の桜守』で120本目とナンバーがふられています。しかし、このリストに一本抜けている映画があると思います。『俺は眠たかった!!』(1970萩本欽一監督)です。この映画に吉永小百合さんが一
皆様いつもありがとうございます!伝承咲人のけん玉ちばちゃんです。本日は明治座での梅沢富美男劇団公演が千穐楽でした🎵会場では、たくさんの三山ひろしさんのファンの皆様から声をかけて頂きました😆ありがとうございます❕毎日のように通った人形町駅にもさらに愛着がわきましたね🎵もともとは、コント55号公演の江戸の花嫁(2003年2月)谺、来る(2004年6月)仇討物語でんでん虫(2007年2月)あらんはらんしらん(2009年1月)で、
僕が剣道を始めた場所最近はここへよくお邪魔をしておりますそして改めて気付きました😁この道場が開いた歳と僕の誕生年が同じだということを❣️縁ですねぇ😁そして僕の師匠である欽ちゃんがコント55号を組んだ歳も僕が産まれた歳勝手に縁を感じています👍縁に囲まれて縁と共にこれからも❣️夜は人を不安にさせるさぁ何がどうなっていくのか?!YouTubeで動画を配信しています深沢邦之チャンネル作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有www.youtube.com
オトナブルーの動画をよく見る今日この頃・・東北も梅雨明けだー。短い夏がやって来たー。ビールが毎日進んじゃうやろ。しょうがない❗1975年放送開始の「ぴったしカンカン」、懐かしいですね。初代の司会者は久米宏さん。やっぱり「ぴったしカンカン」と言えば久米宏さんだよね。オープニングで「ぴっ」の後に少しためて「たしカンカーン」とやるやつ、好きでした?ぴったしチームのキャプテンは、坂上二郎さん、カンカンチームは欽ちゃんこと、萩本欽一さんね。コント55号、最高だったなあ。えーっと、解
欽ちゃんと、亡くなられた奥様との馴れ初めとか、若かった頃のエピソードとか「欽ちゃんと一緒になって幸せだった?」会話もデートもしない、萩本欽一と亡き妻の不思議で素敵な夫婦関係《インタビュー》(ダ・ヴィンチWeb)-Yahoo!ニュース2020年8月、萩本欽一さんの妻・澄子さんが亡くなった。それから3年、当時の思いを語った『週刊文春』の連載が一冊の本に。『ありがとうだよスミちゃん欽ちゃんの愛妻物語』(萩本欽一/文藝春秋)は、news.yahoo.co.jp何度か聞いり読んだりしたこ
1969年にヒットした映画「神様の恋人」は、水前寺清子の持ち歌をそのまま題名にし、人気上昇中のコント55号との共演で野村芳太郎監督の作品でした。ところが、この作品を作るのには、大きな壁が立ちはだかっていたのでした。水前寺清子は、クラウン(レコード会社名)の専属だったのですが、彼女のデビュー以来の担当ディレクターは、取締役でもある馬淵玄三という演歌一筋の人でした。五木寛之ファンの方は、ご存知かもしれませんが、小説「艶歌」の中で「演歌の竜」として登場する高円寺隆三のモデルとなった人だった