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買ったっす!著者流智美さんが、猪木戦記に次いで発行、そりゃ買うわ!この第1巻では海外での馬場選手の活躍ぶりを、当時の新聞、雑誌の切り抜き、海外のパンフ等の資料。あと東スポの桜井康雄記者が、馬場選手の全盛時代の講義をしていた録音テープから、掘り起こして称えている署となっております。初公開写真、多数掲載ってありますが、あっし的に一番インパクトあったのがこちら、馬場よりむしろマンモス鈴木のほうがインパクト強ですが笑でもネット見たら、この写真けっこうアップされていた!有名な写
この人たちはゴッサムシティでバットマンと戦うべきだったな…。あっ、勝っちゃうからダメか😂力道山がもう少し長生きしてたら…。案外馬場さんは日本に帰らずハリウッドで俳優とかやってた気がする…。そんな気にさせる写真…。馬場さんとマンモス鈴木さん長身の2人が下駄というのもいいね👍馬場さんはアメリカでの稼ぎを力道山やアトキンスに8割は持っていかれたそうで猪木さんとゴッチの関係とはそこが決定的に違う。もっともゴッチさんもギャラを貰うとすぐに猪木さんの前で勘定チェックをした事がある
TWWAワールドタッグシリーズで初めて日本陣営の豊登、サンダー杉山がタイトルを取り、TBSプロレス(国際プロレス)は盛り上がりました。杉山さんとしては、国内で初めてチャンピオンになったねところが…2月19日、静岡県浜松市体育館大会で外人レスラーが来なかったのです。実はブッカーのグレート東郷がボイコットさせてしまったのです。外人レスラーをブッキングしたのは東郷さんだけど、なんで?TBSプロレスと東郷の間でブッキング料を巡るトラブルが発生したのです。法外な料金を東郷が要求したとも言わ
1968年1月18日、TBSプロレス(国際プロレス)のブッカー、グレート東郷は宿泊先のホテルニューオータニで日本プロレスのユセフトルコと松岡厳鉄が襲撃しました。いくら何でもリング外で襲うって事件だよこれがグレート東郷襲撃事件。新聞にも載った事件でした。日本プロレス側としては大木金太郎を引き抜こうとしたことで腹に据えかねたのでしょう。さてリング上に話を戻すと、ルーテーズのTWWA世界ヘビー級王座は草津、杉山、豊登と挑戦しても負け続けていました。第4戦の挑戦者は、鳥人、ダニーホッジ。ゲ
グレート草津のルーテーズ4回連続挑戦を諦めたTBSプロレスは2回目の挑戦者にサンダー杉山を選びました。杉山さんは草津さんと違い、アメリカでもキッチリ試合をやっていたんだよ大分で行われた3本勝負、結果はテーズが2-1で勝ちましたが、杉山は1本取ったのです。テーズは杉山を「基礎のできたグッドレスラー」と評価しました。だからこそテーズは杉山相手には1本許したのでしょう。草津さんには1本取られることを許さなかったんだよね3回目は仙台で豊登が挑戦する予定になりました。TBSプロレスは看板レスラ
1968年1月3日、日大講堂でのTBSプロレス(国際プロレスのこと)のメイン、ルーテーズvsグレート草津は3本勝負でありながら、テーズのバックドロップで2本目以降は草津の試合放棄となった。草津さん、バックドロップで脳震盪を起こしフラフラで2本目以降、立ち上がれなかったんだよね草津は控室に戻っても倒れたままでした。テーズは後年語ったところによると、TBS側から草津に花を持たせてほしいと依頼を受けていたのだ。テーズvs草津は4連続の挑戦で初回は引き分け、4度目で草津が王座奪取というアングルだ
TWWA世界ヘビー級選手権60分3本勝負ルーテーズ(王者)vsグレート草津(挑戦者)これがTBSが発表した1968年1月3日、日大講堂でのメインのカードです。TWWAってTBSがカナダのプロモーター、フランクタニーを担ぎ上げて作ったタイトルなんだよ国際プロレス改めTBSプロレスが再起動に、いきなり新人の草津がテーズと対戦にマスコミは騒然となりました。ブッカーであるグレート東郷も草津には荷が重いと豊登を推薦しましたが、TBSが「秒単位でスターを作ってみせる」と押し切ったのです。
TBSでのテレビ中継が決まった国際プロレス。しかし、吉原功さんはオーナーの座を退き、広島の乳業会社の岩田弘氏が新たなオーナー、さらにTBSがバックアップすることになった。吉原さんは国際プロレスの負債を補うために岩田氏に融資を頼んだんだよねそして国際プロレスを離脱したヒロマツダに変わり、新たな外人レスラーのブッカーとしてグレート東郷が迎えられた。東郷はかつて力道山時代の日本プロレスのブッカーをしていたが、力道山亡き後、日本プロレスとブッキング料でトラブルとなり解任されていたのだ。日本プロ
旗揚げ第2弾のパイオニアサマーシリーズが終わった国際プロレスには莫大な負債が残った。日本プロレスとの大阪での興行戦争にも負けたんだよねこの負債処理を巡って社長の吉原功さんとヒロマツダが対立したのです。吉原さんは自宅を担保に金を都合しましたが、マツダの負担は十分ではなく、これが揉める原因となったのです。マツダとしても安いギャラでリングに上がり、外人レスラーのブッキング料も取らなかったなど言い分はあったのでしょう。ちなみにマツダの後輩のマティ鈴木も600万円を負担していました。マティ鈴木
力道山は大嫌いなんで余分ですが、豊登の記事や写真が沢山あってワクワクします。力道も首は太かったですが、まだ豊登の方が一回り太い!昭和37年なのでグレート東郷も50才過ぎてますがやはりレスリングやってたので首太いですねー。この頃のプロレスラーは頭板状筋が異常に発達しています。多分ブリッジ以上に四つん這いになって後頭部を押してもらうエクササイズを頻繁に行っていたからでしょう。興味は尽きません。おまけ。マンモス鈴木対大木金太郎。マンモス鈴木て皆さん知らんでしょ?僕も現役の頃は知らないです
国際プロレスから決別されたグレート東郷。力道山亡き後の日本プロレスからも縁を切られてるよね日本進出を諦めていない東郷は1969年1月、ルーテーズと組んで、新たな新団体「トーゴ&テーズカンパニー」を作りテレビ中継を目論んだ。ルーテーズ(右)東郷は代理人を通じてフジテレビとNET(現在のテレビ朝日)にコンタクトを開始した。(フジテレビは断念)この情報を知った日本プロレスは企業防衛として、東郷の新団体設立とテレビ中継の阻止に動いた。日本プロレスが東郷をここまで恐れたのは、法外なブッカー料を
1967年5月に日本プロレスに復帰したアントニオ猪木さん。当時、日本プロレスはジャイアント馬場さんがエース。猪木さんは復帰してナンバー2の立場になりました。BI砲の誕生だぁ〜さらに柔道界から坂口征二がプロレスに転向しました。坂口さん若い〜猪木さん復帰に面白くないのが…大木金太郎と思われます。猪木さん復帰で馬場さんに次ぐ地位から外されたんだ大木金太郎は馬場さん、猪木さんと力道山道場三羽烏と言われていました。馬場さん猪木さんより1年先輩の大木でしたが、2人に対するライバル意識は高
電動車イスに乗ってみた小型軽量タイプ↓体重80㎏の自分でもピッタリこんな太股2本でも余裕で納まる上手く撮れない(笑)バッテリーは小指で持ち上げられる画像はないがデッドリフトの要領で車輪を掴んで持ち上げてみた軽い・・30㎏弱?検索をしてみたらやはり27㎏こんな小型軽量の車椅子であってもグレート東郷みたいな体型の自分に充分に対応可能(ネットから借用)誰と言うわけではないが小柄なネーネーが岸和田のだんじり祭りかと見紛うような総
1966年に設立した国際プロレス。旗揚げ当初はヒロマツダがエースでした。マツダは外人レスラーのブッカーもしていました。旗揚げは当時あった猪木さんの東京プロレスとの合同興行だったんだよね。マツダ離脱後、グレート東郷をブッカーとなり、中央がグレート東郷ルーテーズ、ダニーホッジ、ハンスシュミット…等々、豪華な外人レスラーが参加しました。真ん中に若い頃のラッシャー木村がいるねしかし、東郷が法外なブッカー料を要求したため、揉めて決裂。国際プロレスは外人レスラールートをヨーロッパに求めまし
昭和45年7日、東京12チャンネルでWWWF(現・WWE)のMSG定期戦などがカラー放送にて観られた『プロレス・アワー』の番宣広告。この時代、MSG(マジソン・スクエア・ガーデン)で「帝王」と呼ばれていたのが、WWWF世界ヘビー級王者の人間発電所ことブルーノ・サンマルチノ。この日はクラッシャー・ハデュウなる選手との対戦が組まれている。東京12チャンネルとWWWFのビンス・マクマホン氏の仲介役となったのが流血王グレート東郷だったのは有名な話。「日本人選手が出てこないプロレス中継
お疲れ様です。好きなプロレスラーいる?クレート東郷!プロレスをやってるところ知らんけどね〜(汗)YouTubeでありました(笑)▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう第2次大戦直後のアメリカ・プロレス界にて、「卑劣なジャップ」を演じて巨万の富を稼いだ伝説の悪役レスラー、グレート東郷。さまざまな資料や証言から浮かび上がるその男の素顔は、現代に何を問いかけるのか-。日本のプロレスは、力道山がと言いますが、裏でグレート東郷が、アメリカのプロレスを日本に持ち
今日は終戦記念日でした。実は8月10日、11日の日本武道館でのG1クライマックス30の観戦前、すぐ近くにある靖国神社を参拝してきました。先日ブログで話題にした七人のトーゴーをはじめとする日系レスラー達の共通したムーブは、油断させておいての奇襲攻撃。これは第二次世界大戦で、アメリカに大打撃を与えた日本軍のハワイ真珠湾への奇襲攻撃をモチーフにしているのはご存知の通りです。この時の首相が東條英機。グレート・トーゴーは、最初、グレート・トージョーと名乗っていたのがアメリカ人に
行って参りました!旧・常磐ハワイアンセンター、現・SpaResortHawaiians!東京駅から無料送迎バスが出ていて、一泊二日朝食ゴルフ付きで、2万円弱というお値打ち価格!正直、料理や宿泊施設は値段通りのイマイチな感じだったんですが、フラガールたちによるフラダンスは圧巻!聞きしに勝るとはこのことで、噂以上の美しさとクォリティ!!彼女たちの前座的な扱いになっているイケメンボーイズたちによるファイアーダンスもこれまたド迫力!いやぁいいものを見た!という感じです
今日は何の日フッフー1962年の今日は日本プロレス神戸大会でフレッド・ブラッシーがグレート東郷に噛みついて大流血させてそれを見ていた老人がショック死した日後にテレビプロデューサーが国会に招致される事態にすぐに年寄りはブラッシーを見るな❗❗と言われるようになりました早速その試合を見てもらおうと思ったら映像は残ってないようなので代わりに力道山と対戦するブラッシーをご覧いただこうどうです?卑怯ですね〜ほとんど反則しかしてないこういうヒール(悪役)のプロレススタ
お待たせしましたっ!新年第1回目であり、400回に向けての第一歩でもありますので、「おめでたく」関西ネタをお届けします。いきなりプロレスの話題から入りますが、「関西・大阪」に落とし込む予定ですので、最後までお付き合いください。さて、私は、力道山の時代から、ジャイアント馬場、アントニオ猪木あたりまでをカバーしてきたごく普通のプロレスファンです。人並みに、日本人レスラー(当時は、「力道山」の出自が朝鮮半島だというのは、知りませんでした)に肩入れして、テレビの中継を観てました。でも、
力道山とグレート東郷。
第二次世界対戦の直後まで、フロリダ地区にはいろいろなプロモーターが入れ替わり立ち代り、手を出しては撤退しています。面白いのは、41年にテネシー地区でプロモート活動を始め「守銭奴」と蔑まれるニック・グラスが45年7月から47年2月まで手を出していることです。グラスがプロモーター引退するのは、80年頃のことなです。長いプロモート活動の中、フロリダ地区はほんの一時期です。グラスが短期間で撤退するほど、フロリダ地区は難しい地区だったのでしょう。49年7月以降、フロリダ地区を仕切っていたプロモー
「極悪大王」と呼ばれた、悪役レスラーのミスター・ポーゴさん(本名・関川哲夫)が6月23日、腰の手術中に脳梗塞を発症して亡くなられた。66歳だった。東スポのプロレス担当記者だった時代、ポーゴさんには数多くのネタを提供していただき、とても感謝している。極悪大王はとても取材に協力的な人だった。あの独特のしゃがれ声とともに発せられるポーゴ節が忘れられない。そして私は、ポーゴさん独特の言語センスがとても好きだった。素のポーゴさんはいわゆる「俺様キャラ」とは真逆なタイプだった気もするが、ポーゴ節は毎