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頭痛とめまいの原因と対策こんにちは、墨田区にある整体鍼灸院、体の総合ケアグリーンバランスの院長、片山大輔です。今日は、頭痛とめまいの原因と対策についてお話ししたいと思います。頭痛の原因頭痛の原因は、大きく分けて以下の3つに分けられます。一次性頭痛二次性頭痛緊張型頭痛一次性頭痛一次性頭痛は、頭蓋内に明らかな病変がなくても起こる頭痛です。代表的な一次性頭痛には、以下のようなものがあります。片頭痛群発頭痛緊張型頭痛二次性頭痛二次性頭痛は、頭蓋内に明らかな病変が原因
墨田区にある整体、鍼灸院、体の総合ケアグリーンバランスの院長、片山です。耳鳴りとめまいは、耳や脳の病気、そして最も多いのが一般にはあまり知られていないのが内臓機能低下によって起こる耳鳴りめまいの症状です。耳鳴りとめまいは、単独で起こることもありますし、同時に起こることもあります。でも、症状のある箇所とは離れたところに原因が隠れていることも多々見受けられます。耳鳴りの症状耳鳴りは、耳の中に聞こえる音です。耳鳴りには、さまざまな音があります。ピーピー、キーン、ゴー、ザワザワ、などです。耳鳴
墨田区にある整体、鍼灸院、体の総合ケアグリーンバランスの院長、片山です。季節が秋へと変わり朝晩の冷え込みを感じ始めているかと思いますが、いかがお過ごしでしょうか?さて、10月4日にお陰様で無事に移転をすることが出来ました。早いもので三週間が経ちましたが、ようやく皆様にご報告出来るまで落ち着いてきました。ホームページ、パンフレット、診察券、回数券、名刺等々は新たに一からデザインを刷新致しました。今はまだ完成とは至ってはいませんが、もうすぐ印刷段階に入るかなといった感じですので、お客様へ
墨田区にある整体院、体の総合ケアグリーンバランスの院長、片山です。体温は、私たちの体にとって重要な働きをしています。体温が正常に保たれることで、以下のことに役立っています。免疫力の維持体温が低いと、免疫力が低下し、風邪やインフルエンザなどの感染症にかかりやすくなります。代謝の活性化体温が上がると、代謝が活性化され、エネルギーが消費されます。筋肉の働きの改善体温が上がると、筋肉の働きが改善され、運動能力が向上します。痛みの緩和体温が上がると、痛み物質の働きが抑えられ
墨田区にある整体院、鍼灸院、体の総合ケアグリーンバランスの院長、片山です。断食は、一定期間食事を摂らないことで、体内の老廃物を排出したり、免疫力を高めたり、ダイエット効果を得たりといった効果が期待できる健康法です。断食の効果断食の効果は、以下のようなものがあります。体内デトックス断食によって、体内の老廃物が排出され、デトックス効果が期待できます。免疫力アップ断食によって、免疫細胞の働きが活発になり、免疫力がアップすると考えられています。ダイエット効果
墨田区にある整体院、体の総合ケアグリーンバランスの院長、片山です。鼻炎やアレルギー症状は、鼻の粘膜が刺激を受けて炎症を起こすことで起こる症状です。鼻炎には、大きく分けて以下の4つの種類があります。アレルギー性鼻炎アレルギー物質が鼻の粘膜に触れることで起こる鼻炎です。花粉やハウスダスト、ダニなどのアレルギー物質が原因となります。非アレルギー性鼻炎アレルギー物質が原因ではない鼻炎です。鼻の粘膜の乾燥や、風邪などの感染症、ホルモンバランスの乱れなどが原因となります。
肩こりの原因についてとお家で出来るセルフケア墨田区にある整体院、体の総合ケアグリーンバランスの院長、片山です。肩こりは、日本人の約8割が経験すると言われている、非常にポピュラーな症状です。肩こりの原因は、大きく分けて以下の3つです。筋肉の緊張肩こりの原因として最も多く考えられるのが、筋肉の緊張です。長時間同じ姿勢を続けたり、パソコンやスマートフォンの画面を見続けたりすると、肩や首の筋肉が緊張して血行が悪くなります。その結果、肩こりを引き起こします。骨格の歪み骨格の歪みも、肩こり
墨田区にある整体鍼灸院、体の総合ケアグリーンバランスの院長、片山です。50代になると、様々な症状に悩む人が増えてきます。仕事や家事、育児などの負担が減り、精神的な負担も40代とは大きく減り始めるのも特徴です。また、加齢による筋力低下や骨盤のゆがみも症状の原因となります。そこで今回は、50代の症状の原因について解説し、お家で出来るセルフケアをご紹介したいと思います。50代の症状の原因50代の症状の原因は、大きく分けて以下の3つです。筋力低下筋力低下により、体の軸でもある腰
墨田区への移転について、詳細についてお伝えするのが遅くなり申し訳ございません。8月21日に移転についてお伝えしていましたが、内容の詳細についてお知らせいたします。来る10月4日(水)〒131ー0043東京都墨田区立花2ー23ー9へ移転致します。飯田橋のお店は、9月27日(水)で丸6年の歳月に終止符を打ち、それに伴いまして10月4日(水)午前10時より新たなスタートを切ることに致しました。メニューやサービスについての詳細は10月2日(月)https://green-balance.ne
「体の総合ケア」と聞くとどのような症状も受け入れられると思われがちですが、実はそういう思いから名付けたのではなく、症状の発信元を辿って行けば、筋骨格系の問題というよりも内臓に辿り着くところから、内臓のケアに特化した施術を行えば、総合的な症状への対応が可能になる。これが「体の総合ケア」と名付けた経緯ですが、西洋医学のように部分で体を細かく切り分けて考えるのではなく、私は体を総合的に捉えた考えの方が自然ではないかと考えています。自然を守るという観点からも全ての動植物の協力と破壊する側の
私はこの10年、時間を無駄に生きて来てしまったのだろうか?そうは思いたくないけど、そう思わざる終えない10年だったように思う。何かを諦める時、それを認めたくないあまりに諦められないでいたのかもしれない。10年を無駄に生きたという思いをしっかりと自覚することは容易なことではなかった。しかしストレス補充の重要性に気がついたことで、諦めることは決して悪いものではないと、考えを改められることが出来た。時間の経過のお陰で今では10年も無駄にしたのだから、それを取り返そうという思いに至っています。
体に受けるストレスとは大きく分けて二通りあります。それは精神的ストレスと物理的ストレス。その両方はお互いにバランスを取り合って生きている。体にとってのストレスとは精神的なイライラを伴うストレスが一般的であろう。精神的ストレスは体にとって健康を害する存在になることは言うまでもない。しかし、それを補い無害にしようとしてくれているのがもう一方の物理的ストレスであることはあまり知られていない。精神的ストレスの特徴は苛立ちのあるストレスに対して、物理的ストレスは苛立ちのないストレスのことを指し
始めに言っておくと、痛い目に遭いやすい人はいい人なのかもしれない。人は多くの場合で痛い目に遭えば二度とそうならないようにしようと心がけ、これまでの考え方を改めトラブルから避けるように順応する方向へと進むだろう。そう、見たくないものに蓋をし、長いものに巻かれる生き方を選択する。今の世の中は、純粋で正直者は馬鹿を見る時代に相応しい時代のように感じます。故に真実を突き詰めそれを素直に表現する人は生き辛い時代なのかも知れません。だからこそ賢く順応できる人に生まれ変わろうとするもの。それでも
錯覚は確かに存在するのかもしれない。しかしその錯覚を言い訳に利用されていないだろうか。目で見て触って感じて、全ての五感と経験と思考と直感と閃きから導き出した真実と思える出来事を、何らかの些細なきっかけで大して確かめもせず錯覚だったという言葉で諦めてはいないだろうか。錯覚という現象が、ごく当たり前のように存在するかのように思わされ、錯覚という現象の存在を真実から遠ざけるための口実として、その言葉を巧みに利用され、真実に気がつかぬように操作されてはいないだろうか。もしかしたら自身がその
人間的な成熟を高めるには、苦労を買ってでもする習慣を心がけることとするならば、健康的な成熟を高めるのも、同じく苦労を買ってでもするということになります。苦労というストレスの存在は、健康的にも人間的にも成熟度を高めてくれる存在ではないかと感じます。ただ苦労と言っても無理矢理で嫌な苦労はプラスどころかマイナスになります。苦労を買ってでもという言葉通り、選択肢は自分にあって自身が買うということなので、無理矢理感はないものとします。例えば仕事で人から罵倒されたり大変な仕事をおしつけられた場合は
中島みゆきの「誕生」という曲の歌詞に、一人でも私は生きられるけど、でも誰かとならば人生は遥かに違う、という歌詞の意味に今強く共感出来ています。一人で大切なことに気づけること、一人で成し遂げられること、一人で感じられること、一人で感動出来ること、一人で理解できること、誰かとならば何十倍にも膨れ上がることを知る。気がつけば色々なことに影響を受けていることを感じるとともに、人は自分のために成すことより、誰かのために成すことの喜びを心から感じれる生き物なのだと。今日のタイトル「根性と忍耐」で
小さなお子さんが健康であることを有難いと思いながら過ごしていないように、健康を有難いと思うということは、健康に不安を抱えてだす年配者の常套句ではないだろうか。健康でいることが当たり前な子供は、健康を有難いと思わない。そのような状態が本当は理想ではないだろうか。健康であることを有難いと思いながら生きていることは、実は体を信頼していない、もしくは侮辱している行動ではないだろうか。体に信頼があれば、健康って有難いって思わないのではないだろうか。なぜなら体と心の持ちつ持たれつの関係が絶妙につ
今日は甘い物を控えるためにおすすめの方法がありますのでご紹介させて頂きます。これをやれば甘い物を減らす、もしくは断甘することが可能になるのではないかと思っています(個人差あり)。効果があると同時に健康にもなり、私がいつも推奨しておりますストレス補充の重要性を実感して頂けるかと思います。甘い物を食べ過ぎると健康を害する可能性があるということを理解しているという前提でお話させて頂きます。しかし簡単に説明しますと、甘い物はストレスを逃がす効果があるため、お酒やタバコと同様に、健康維持、増進に
人は死ぬべきタイミングに死なせてあげるのが幸せなこと。医療はそのタイミングを常にずらしてしまう行為なのかもしれません。その社会保障費を維持するためにどれ程の税金を国民から徴収し、それによってどれ程の国民が苦しんでいるのか。人は死ぬべき自然の摂理にのっとったタイミングで死ぬことができれば、おそらく人の死はそれほど憎しみや後悔や後味の悪さを残すような死に方とはならないものなのかもしれない。医療によって不自然に延命を施すことで、多くの不幸と歪みを生み出しているのかもしれない。それにより命
体の中には体の調整役として何やら得たいの知れない潤滑油のようなものが存在します。体の中に存在する潤滑油には自然環境を含めた様々な環境変化への対応のためにあります。その潤滑油で季節の変化による気圧や湿度や温度、重力、酸素濃度の変化など、あらゆる自然の変化に対応するために潤滑油が使われています。職場が変わったり住まいが変わったり行動が変わったり、日々変化する生活環境にも対応するため潤滑油は使われます。更にその潤滑油は変化に順応してくれる存在だけに留まらず、変化を促す存在にもなるとも感じま
落ち込まないように傷つかないように生きるより、落ち込むことを恐れない生き方の方が、きっと楽しい人生になる。大人になれば落ち込むことを誤魔化すことは出来るようになるけれど、数をこなしても慣れるようにはならない。それは落ち込むことでストレスチャージとして生きる方が遥かに、充実した毎日を過ごせるからと体は教えてくれた。毎日下駄を履いて過ごしていると、歩いているだけでストレスチャージが可能になる。下駄を履いて歩くだけで体は勝手に元気にさせてくれる。そんな力がストレスにはある。体はいつも
体は日々意地悪に痛みや苦痛を与えている訳ではありません。体の健康を保ち回復させるためには「憎しみの起こらない苦痛」が必要だからです。では「憎しみの起こらない苦痛」とはどのようなものなのでしょうか?かつて日本が今のように便利な世の中ではなかった時代は、日常的に発生していたであろう苦痛、それが「憎しみの起こらない苦痛」です。例えば電化製品が普及していない戦前までの生活を想像してみて下さい。寒さに耐え凌ぎ暑さに耐え凌ぐこと、お風呂が手軽に入れない生活、衣服や履物が今のように機能的でない、
信念と聞くといつも何だかむず痒さと気恥ずかしさとそう思ってしまう情けなさとが複雑に絡み合う私がいます。でも信念は良く言えば純粋さをもち合わせたようにも感じますが、融通の利かない頑固者としても連想されます。そして信念を主張することが何だか時代に合ってないような風潮すら感じてしまうのです。それら複雑な気持ちと戦いながら、信念についてもう一度真正面から向き合ってみたのです。結論は、信念はある方がいい、いやなきゃいけないもののように感じました。なぜなら信念がある方が、この情報過多で様々に利権構
風邪や病気は体がストレス(物理的ストレスに限る)を補充するための生きる術。風邪は幸せの証みたいなもの。皮肉かもしれないけど、風邪や病気にならない人ほど、必死に命がけで一日を大切に生きている人に多い。逆に言えば風邪を引いたり病気をするのは、時間を大切にしないで限りある命の有限を意識しないで、ストレスの少ない生き方をしてしまっている証明でもあると考えます。しかし人はいつでもどんなときでも精一杯命の限り生きて行けるほどタフではありません。時には気が緩み自惚れや欲にまみれ、自分さえよければい
チョコレートを愛するほとんどの人は、ミルクチョコレートを食べることより、ビターチョコレートとホワイトチョコレートを交互に食べる喜びを知るだろう。そして、ビターチョコレートを2に対して、ホワイトチョコレートを1の比率、もしくは3対1の比率が幸せなチョコレートの食べ方であることを知るだろう。そんなの人それぞれだろうという声が聞こえて来そうだが、しかし、セロリとキャベツ、時々チョコレートの絶妙のバランスが、体がとことん喜ぶ比率であることを僕は知っている。世間が言う栄養バランスなどくそくら
年末年始のお休みは12月31日(土)~1月3日(火)までとなりますので、ご迷惑をおかけ致しますが、宜しくお願い致します。これから言葉による影響力が高まってくる時代が来る。なぜなら世の中がより一層、視覚と聴覚に頼らざる負えない時代になってしまっているからだろう。人物や物質(何かを購入する)の精度を見極めるために情報が必要になってきますが、その情報のほとんどが視覚と聴覚に頼ったものに限った情報ばかりが世に出回ってしまっているからに他ならない。私は人物の見極めや買い物による商品の見極めには視
年末年始のお休みは12月31日(土)~1月3日(火)までとなりますので、ご迷惑をおかけ致しますが、宜しくお願い致します。言葉に影響され、動作(行動)に振り回される。その人が表現する言葉や動作(行動)には、その人を表す手がかりとしては、弱いものではないだろうか。人を信用し信頼するための判断材料としては、決して比重は大きいものであってはならないし、大きくしては危うくなるばかりではないだろうか。言葉や行動にはまやかしも多く、そして勘違いや思い込みに支配されやすくもなる。SNSで暴挙が飛び
年末年始のお休みは12月31日(土)~1月3日(火)までとなりますので、ご迷惑をおかけ致しますが、宜しくお願い致します。カメラのピントを被写体に合わすことに抵抗はなくとも、その被写体が人へとなれば、突如として嫌悪感に変わるというのは、人間のエゴではなかろうか。しかし人はエゴであることは百も承知でピントを合わすことに抵抗をする。でもあることがきっかけにその迷いがなくなった。それは雑に言ってしまえば愛が救ってくれたのかもしれない。その愛の形、愛の伝え方も人によって表現の仕方が異なる。自
諦めなければ夢は叶うとよく言われる事柄ですが、この言葉の心理はそのまま受け止めると間違った解釈になってしまう。そういったことにこの歳になると気がつくのです。この言葉はおそらく昔から言い伝えられた言葉で歴史の古い言葉ではないかと感じますが、おそらくこの言葉を言い伝えてきた世代は40歳以上の世代ではないかと感じます。なぜなら、諦めなければ夢が叶うという心理の本質は、やり続ければやり続けるほど、自分を諦めることに行き着くからだと感じます。どういうことかと言うと、自分は特別で高度な頭脳を持ち
予測してうまく行くくらいなら、世の中もっと良くなってるはず。便利にはなってきていると思うけど、幸せにはなっていない気がする。そもそも予測できるくらいなら人間も止められる。だから僕はどこまでも風が吹く方向に流れと直感に頼って生きて行く。決まりきったルールなど存在しないのだったら、フラットにただひたすらに目の前のことだけに集中して無心で取り組むのみだ。その方が偶然が味方してくれると感じる。人間は他の動物に比べ大脳が発達している。だからといって何がどうだっていうのだ。大脳で考えられる