ブログ記事13件
上田耕一郎『戦後革命論争史』の主として後半を再読する。同書は上巻が1956年11月、下巻が57年1月発行の奥付。実際の発売はその1ヶ月程度後になるのが奥付事情の常識だ。「はしがき」では、不破哲三との事実上の共著であるとし、不破が執筆分担をした章も明らかにしている。第3篇だと第4章のソ連共産党第20回大会でのスターリン批判への各国共産党の反応やそれを踏まえた理論論争を不破が担当している。(※1)事実上の共著だと上田自身が言うのなら、本書の見地は上田・不破兄弟の共通の見解だと前提しておく。
山尾行平「ボルディガと統一戦線戦術」を松代秀樹・春木良編著『国際主義の貫徹プロレタリア階級闘争論の開拓』(プラズマ出版)に収録。ボルディガは、グラムシと対立したイタリアの共産主義者。トロツキストとして追放された骨のある革命家である。その意義と限界をえぐる。みなさん、読んでください。その1ページ目を掲載する。われわれの基本文書と英文を私のホームページに掲載しています。見てください。メインページの右上のメニューのところの「基本文書」「ENGLISH」をそれぞれ
松代秀樹・春木良編著『国際主義の貫徹プロレタリア階級闘争論の開拓』(プラズマ出版)の目次の冒頭部分です。われわれの基本文書と英文を私のホームページに掲載しています。見てください。メインページの右上のメニューのところの「基本文書」「ENGLISH」をそれぞれクリックすると出てきます。また、創造ブックス発行の本については、その全文のPDFファイルを順次ホームページに掲載しています。読んでください。北井信弘・創造ブックスwebsite:https://n
論文の表題は「ボルディガと統一戦線戦術」。ボルディガはグラムシらとともにコミンテルンのもとでイタリア共産党を結成し、かつグラムシと対立したイタリアの共産主義者である。のちにスターリン派となったトリアッティによって、トロツキストとしてイタリア共産党から追放された。イタリアにおいてムッソリーニによる権力の掌握を阻止する闘いのどこに欠陥があったのか。反ファシズムの統一戦線をいかに創造すべきなのかを明らかにしている。日本において日本型ネオ・ファシズムのあらしが吹き荒れている今、必読の論文!!
イタリアの1920年代の、反ムッソリーニの統一戦線にかんして、わが仲間の山尾行平さんがいろいろと調べ考察したものを送ってきてくれた。彼と私との討論を、以下に明らかにする。山尾行平さんから1920レーニンがボルディガを左翼小児病と批判。1921イタリア共産党結成ボルディガ派が多数派。1921コミンテルン第3回大会統一戦線戦術。1922イタリア共産党第2回大会ボルディガ統一戦線を労働組合に限定して認めるとする妥協、グラムシをコミンテルンに派遣。1922コミンテルン第4回大会
1919-20年のイタリアのトリノでグラムシは労働者たちに工場評議会を結成すべきことを呼びかけ実践した。これにたいして、ボルディガは、行政区で地区ソビエト(労働者評議会)を創造することを基礎にして・ブルジョア国家権力を打倒しプロレタリア国家権力を樹立すべきことを対置した。グラムシが、国家権力と工場における権力という二つの権力を想定し、前者を打倒してプロレタリア国家権力を樹立することと、各工場において工場評議会の権力を樹立することとを並行的に考え、そうすることによって実質上は前者の追求がおろ
工場評議会の結成を全国的な労働者と農民の評議会の創造へとたかめていくためのプロレタリア前衛党の創造の欠如グラムシの本を読みすすめながら順次検討していくよりも前に、訳者のあとがき的な文章とグラムシの最初の論文とを読んだことをもとにして言いうることを先に書いたほうが適切であろう。グラムシらの闘いの決定的な問題は、彼らが、トリノの自動車工場を中心とする労働者たちに——工場内部委員会の限界を突破するかたちで——工場評議会を結成すべきことを呼びかけはしたけれども、これを呼びかけるだけの、すなわ
わが仲間から次のような連絡をもらった。「山崎功『イタリア労働運動史』(青木書店、1970年刊)は、工場評議会運動について詳細に論じられていて参考になります。とくに、グラムシについて、「工場労働者を〝マルクス主義的に教育する〟ことにグラムシは献身した。しかし党内にも、労働組合内にも、協議会(評議会)派のフラクションをつくりあげる努力はなされなかった。」と学者らしからぬ的確な批判が書かれています。」これはおもしろい。まさに、このことが問題なのである。1920年イタリアのトリノ、4月
21世紀現代においてわれわれはどのようにプロレタリア革命を実現すべきなのか、という問題を明らかにするためには、ロシアの1917年の革命の直後のイタリアにおける1919-20年の工場評議会運動から教訓をつかみとらなければならない。この問題について考察していくためには、『グラムシ問題別選集第1巻工場評議会運動』(アントニオ・グラムシ著、石堂清倫編、河野穣・植村邦訳、現代の理論社、1971年刊)を検討していくのが適切であろう。訳者は、この本の最後に次のように書いている。「一九一九年五月
グラムシか〜い❣️私も好きです❣️皆さまも、お大事に。
「不自由な状態に耐え抜くいさぎのよさ」を発揮して小林多喜二は殺害されました。グラムシは執筆を続けました。https://www.google.co.jp/search?q=“グラムシ選集+合同出版皆さまも、お大事に。
2日前の記事(””野党よ、もっと本来の仕事をせよ!””)で──常に国と現政権が悪で批判の対象でしかないなら、政権は倒すためにあり、次々倒し続けなければなりません。──といういい方で少し触れた、代案のない政権批判。ただ安倍おろしが目的であるかのような、一部マスコミ・野党・その他言論(ブログ含む)の風潮がずっと続いています。もっとも、上記のような無責任なマスコミの言論や野党の態度は、すでに国民に見切られていて、「移民法」で騒いだものの、煽った効果は表れずに内閣支持率は上昇しております。
「英知においては悲観主義者、だが意志においては楽観主義者であれ。」アルチュセールが座右の銘にしていたという、グラムシの言葉。浅田彰さんが『構造と力』で紹介しています。原文はどうなってるんだろ?と思って、ネットで調べてみました。まず、イタリアのヤフーに飛んで、<Gramscipessimiste>で検索するも、それらしき言葉は見つからず。原文はイタリア語ではないのか・・・?次に、フランスのヤフーに行って、<Gramscipessimisteoptimist