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ビリー・シャーウッドがイエスを脱退する前に行なったインタビューの後編です。2000年2月28日(パリ公演終了後)byAymericLeroy【抜粋】【ラダー】『ラダー』について、あなたの作曲への貢献について聞かせてください。最初に受ける印象は、バンドの各メンバーがたくさんのアイデアを持ち寄り、それをまとめていくという集団的な作曲プロセスです。カナダでのアルバム制作では、6ヵ月間一緒に生活し、一緒に曲を書いた。あなたが言ったように、全員が貢献した。ある分野の素材は、特定の個人から生ま
ビリーがイエスを脱退する直前に行なったインタビューです。クリスとの共作や、『ラダー』の制作秘話などとても興味深い話を披露しています。2000年2月28日(パリ公演終了後)byAymericLeroy【抜粋】【クリスとの共作とコンスピラシー】クリスとのアルバムがついにリリースされましたね。以前はクリス・スクワイア・エクスペリメント、ケミストリーという名前でしたが、『コンスピラシー』という名前で。7つくらい違う名前があったよ。クリスと最初に会った時のことを教えてください。89年のこと
今日は、終日、どんよりした空。予報だと☼マークがあったので、洗濯して、干したのだけど。体調が悪くて、家でゴロゴロしてましたが、夕方、窓が赤くなっていたので、ベランダに出てみたら、太陽が隠れる寸前。日没後の、北西の空夕焼けを見ていたら、なぜかYesの『HeartoftheSunrise』が頭の中を流れるので、スタジオ盤を聞いてみました。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテ
2025年7月16日ByDaveLing(Prog)2021年、当時スティックスのベーシストだったリッキー・フィリップスは、イエスの故クリス・スクワイアへの感謝の気持ち、そして二人が再会し、後に一緒にツアーを組んだ時のことについて語った。-----イエスを初めて聴いたのは19歳くらいの時だったと思う。ベーシストとして、クリス・スクワイアの信じられないほどトゥワンギーな音色に耳が惹きつけられたんだ。今でも「ラウンドアバウト」のような曲における彼のタイミング感覚は、私にとって比
Yesの1991年井リースのシングルで全米86位。「Union」収録。「リフト・ミー・アップ」ソングライターはトレバー・ラビン、クリス・スクワイア。90125イエス作成の曲。トレバー・ラビンの才能が光る曲ですが、8人編成イエスの話題に埋もれた感有。曲よりもPV冒頭のメンバー8人の映像の印象大。(短期間だけど)よくぞこのメンバーが集まったと思うばかり。●参考&過去記事『Yes:ディスコグラフィ&関連記事』Yes:ディスコグラフィ&関連記事。「」内のタイトル
「Yes/Union」・1991年・13th01IWouldHaveWaitedForever02ShockToTheSystem03Masquerade04LiftMeUp05WithoutHopeYouCannotStartTheDay06SavingMyHeart07MiracleOfLife08SilentTalking09TheMoreWeLive-LetGo10Angkor
Artist:YesTitle:Yes-TheirDefinitiveFullyAuthorisedStoryInA2DiscDeluxeSetYear:2006Format:2DVD(PAL)※手元にあるのはPALのUK盤ですが、NTSCのUS盤もあるようです。本作はイエスの結成からの数々のエピソードを関係者のインタビューで綴った映像作品です。長尺な作品で二時間以上収録されており、プロモビデオやフォトギャラリーも収録されています。以下のような人たちが出演して
Yes:ディスコグラフィ&関連記事。「」内のタイトルクリックで各紹介記事へ。随時更新中。●スタジオ・アルバム「Yes」:1969年・1st「TimeAndAWord」:1970年・2nd「TheYesAlbum」:1971年・3rd「Fragile」:1971年・4th「CloseToTheEdge」:1972年・5th「TalesFromTopographicOceans」:1973年・6th「Relayer」:1974年・7th「GoingFo
ブラッド・バルフォアが、1976年6月8日にシンシナティのリバーフロント・コロシアムで行われたソロアルバムツアーに先立ち、イエスのベーシスト、クリス・スクワイアにインタビューした。1976年6月7日(月)ByBradBalfour(TheCincinnatiPost)火曜日にリバーフロント・コロシアムで公演を予定しているイエスのベーシスト、クリス・スクワイアは、再びシンシナティで演奏できることを楽しみにしていると語る。グループは以前にもシンシナティで度々演奏しており、数年前にはリ
◾️コンスピラシーはオープンなプロジェクトだクリスとビリーのジャレるような、仲の良さが伝わってくるインタビューです。その雰囲気は出典を見ていただくことにして、ここではインフォーマティブな部分の抜粋要約のみを示します。【スクワイア、シャーウッドとの会話】2002年ByMikeTiano(NotesFromTheEdge#227)ビリー・シャーウッド(BS):コンスピラシーは。クリス・スクワイア(CS):全部彼のアイデアだ(笑)BS:全部僕のアイデアだよ。CS:私はただ一
2017年8月6日ByJosephSuto(RockShowCritique)【2017年7月のインタビュー】ビリー・シャーウッドは現在、音楽界で最も多忙な男の一人だ。ジャーニーとのエイジア・ツアーを終えたばかりの彼は、イエスとの夏のYestivalツアーに出る前に1週間のオフを取った。さらに、8月4日には彼のもうひとつのプロジェクトであるワールド・トレードからニュー・アルバムをリリースする。イエス、エイジア、多くのプロジェクト、そしてワールド・トレードの新作について語ってくれた
2011年7月1日ByDamianFanelli(GuitarWorld)音楽の方向性やバンドラインナップの変化は、30年以上もの間、イエスの歴史においてお馴染みの要素だった。だからこそ、バンドの新作スタジオアルバム『FlyFromHere』のリードヴォーカルが、モントリオールを拠点とするイエスのカバーバンドの元フロントマン、ブノワ・デイヴィッドであることは、驚くに当たらない。「彼はClosetotheEdgeというバンドにいたんだ」と、イエスのベーシスト兼創設者であるク
Title:GiantStepsMyImprobableJourneyFromStageLighttoExecutiveHeightsAuthor:DerekShulmanw/JonWiederhornCountry:UKYear:2025年(10月7日)Pages:304Language:EnglishPublisher:JawbonePressデレク・シャルマンによる、目を見張るような回顧録。1960年代にサイモン・デュプリー&ザ・ビッグ・サウ
◾️クリス・スクワイア没後10年(2015年6月27日没)「僕にとっては巨人だった」2025年5月7日ByTomPhelan(FarOut)カナダのハード・ロック・トリオ、ラッシュが世界的な大スターダムにのし上がったことは、ポピュラー音楽における最も偉大なサクセス・ストーリーのひとつだ。1968年に10代で結成され、1970年代後半から1980年代前半にかけて商業的なピークを迎えたラッシュは、大胆にもパンクを耐え抜き、プログレッシヴな才能を発揮し、同世代のバンドが廃れるのを避け
◼️クリス・スクワイア没後10年ByJasonWarburg(DailyVault)【コレクション】ソロ・アルバムのハイライトを集めたコレクションもリリースされましたね。そうだね。「ベスト盤」のようなもので、私の7枚のソロアルバムから1曲ずつを『Collection』というレコードにまとめたんだ。ボーナス・トラックも2曲入っていて、私が書いたオリジナル曲と、スティングが好きだからという理由でやったスティングの曲のカヴァーだ。あまり話さないけど、私はポリスが大好きで、スティングにはす
◼️クリス・スクワイア没後10年ByJasonWarburg(DailyVault)ビリー・シャーウッドにとって、今年はいろいろな意味で地獄のような1年だった。プログレッシヴ・ロックのパイオニアであるイエスのベーシスト兼ハーモニー・ヴォーカリストであるシャーウッドが、長年の友人であり師でもあるクリス・スクワイアが重病であることを知ったのは、この春だった。ビリーとイエスの関わりは30年前に遡る。1991年にリリースされた『Union』や『YesYears』でスクワイアと曲を書き、19
◼️クリス・スクワイア没後10年ミュージシャンが語るクリス・スクワイアのグレート・パフォーマンス30選(ProgMagazine160より)ONWARDGEOFFDOWNESクリスが亡くなった後のツアーで、私たちはクリスを偲んでこの曲をライヴで演奏した。この曲は、クリスが書いた曲の中で一番いい曲だろうと思っていた。この曲はもともとアルバム『Tormato』に収録されていたもので、アルコ・ストリングスとフレンチ・ホルンによる見事なオーケストラ・アレンジが特徴だ。メイン・ライトが暗
◼️クリス・スクワイア没後10年ミュージシャンが語るクリス・スクワイアのグレート・パフォーマンス30選(ProgMagazine160より)SIBERIANKHATRUSTEVESTEVENS,BillyIdol超熱烈なイエスファンとして、『CloseToTheEdge』はアメリカで発売された日に買った。このアルバムは、イエスが他のバンドにはないロックとグルーヴをいかに出せるかを如実に示している。光と影、攻撃性と美しさの使い分けは、他の追随を許さないと思う。クリスは
◼️クリス・スクワイア没後10年ミュージシャンが語るクリス・スクワイアのグレート・パフォーマンス30選(ProgMagazine160より)ASTRALTRAVELLERLEEPOMEROY40年以上前、過小評価されていたアルバム『TimeAndAWord』に収録されていたこの曲に初めて耳を傾けて以来、私はこの曲が大好きだった。クリスの唖然とするような、大地を揺るがすようなベース・サウンドに衝撃を受けた。なんというリフだろう。彼の演奏の独創性と自然の力強さ、そしてベースが
◾️クリス・スクワイア没後10年2025年6月ByStephenLambe(ProgMagazine160)【抜粋】クリス・スクワイアが亡くなって10年が経ったが、人としてもミュージシャンとしても、彼の影響力は今もなお強力だ。彼を知る人々、そして共に演奏した人々が、彼の人となり、才能、そして彼が残した遺産について語る。2015年6月27日のクリス・スクワイアの死は、プログレッシヴ・ロック界に大きな衝撃を与えた。それは私たちの多くにとって、実存的危機の瞬間だった。最後の闘病の間
◾️プログ・マガジン160号雑誌プログ・マガジン160号は、クリス・スクワイア没後10年(2015年6月27日没)記念特集号です。フラワーキングスから二号続けて表紙買いしてしまいました。クリスの特集は16ページで、StephenLamboの寄稿やリック・ウェイクマン、スティーヴ・ハウの言葉が掲載されています。またミュージシャンたちが選ぶクリスのベスト・パフォーマンス30なども掲載されています。現在発売中。オマケはクリスのポストカード4枚です。今回のサンプラーのフリー・ダウンロードは
◼️締めはクリス・スクワイアツアーが終了しました。内容はこんなのでした。【初日のセットリスト】2025年5月7日フィラデルフィア1.Metaphors(NoComment)2.LonelyMan(Lodgic)3.Life-Time(WorldTrade)4.TheMomentIsHere(WorldTrade)5.WishIKnew<OpenYourEyes>(Conspiracy)6.TheMoreWeLive-LetGo(
◾️イエスを脱退していたクリス・スクワイアクリス・スクワイアはイエスのベーシストの座を脅かされたことが一度もありません。彼は2015年6月27日に67歳で亡くなるまで「自分はイエスを一度も辞めたことがない」と言っていました。たしかにデビュー以来緊急入院するまで全てのイエスのアルバムとツアーに参加しています。しかし、スクワイアは一度だけイエスを辞めたことがあります。イエスは1980年12月18日のロンドンのレインボー・シアターでドラマツアーを終了した後に解散しました。イギリスの辛辣な
◾️3月4日はクリス・スクワイアの日サバイバー:イエスマンの生き方と息づかいByScottCohenCircusMagazine1976年11月25日号クリス・スクワイアのヒエラルキーでは、イエスのコンサートで得る高揚感は、完全にうまく愛を育むことよりも上位に位置する。そのずっと下にはダンスフロアがある。彼は庭仕事の方が好きなのだ。クリス・スクワイアは物事が成長するのを見るのが好きだ。彼は、トマト、ラディッシュ、レタス、ニンジンがどのように成長するのかを知りたいと願っている。
こんにちは。こんばんは。またお久しぶりになってしまいました。皆さん、お元気でしたか?私は相変わらず、音楽を楽しんでいます。昨年も楽しいライブをいっぱい体験できました。特に心に残ったのは、SIMONPHILLIPS"ProtocolV"♡NILERODGERS&CHIC♡IRONMAIDEN♡RAVEN♡みんな素晴らしかったです!BillBrufordのファンミーティングに参加できたのもよかったです。ドラム叩
◾️クリス・スクワイアのルーツクリス・スクワイア(本名:ChristopherRussellEdwardSquire)は1948年3月4日に北西ロンドンの郊外キングスベリー地区で生まれた。父のピーターはタクシー運転手、母ジョアンは専業主婦だった。父はレナ・ホーンとエラ・フィッツジェラルドのレコードを何枚か持っていたが、両親は特に音楽的な人物ではなかった。クリスはカブスカウト(ボーイスカウトのひとつ低年齢層の隊)では落ちこぼれだったが、6歳のとき、近所に住んでいた友人のアンドリュー・プ
◾️クリス・スクワイアは素晴らしかったわ2024年12月2日ByGrantMoon(Prog)ベーシストのタル・ウィルケンフェルドの音楽歴には、プログレやロック界の大物が名を連ねている。トレヴァー・ラビン、トッド・ラングレン、ジェフ・ベック、チック・コリアなどだ。2019年にセカンド・ソロアルバム『ラヴ・リメインズ』をリリースした彼女が、これまでのキャリアについて語った。タル・ウィルケンフェルドのキャリアは成功し、魅力的だ。1986年にオーストラリアのシドニーで生まれた彼女は、子
◾️メイベル・グリアーズ・トイショップ【再掲】ザ・シンの解散後も、私はクリス・スクワイアと連絡を取りあっていた。彼はクライヴ・ベイリーという人とメイベル・グリアーズ・トイショップという新しいグループを結成していた。このバンドは、クリス・スクワイアがベースとヴォーカル、クライヴ・ベイリーがギターとヴォーカル、ボブ・ハガーがドラムを担当していた。クリスとクライヴの二人がバンドのためにほとんどの曲を書いていた。正直なところ、私はこのバンド名があまり好きではなかった。私はいつもイエスやフラッシュ
◾️ザ・シンがサイケになるとにかく、1年も経たないうちにシンはほとんど認識できないほど変わってしまった。モータウン・サウンドからサイケデリック・ロック・オペラをやるようになったからね。ギャングをテーマにしたものもあった。私たちはギャングの格好をしたんだ。一人は黄色のダブルブレストのスーツを着て、クリスは緑色のスーツを着て、白のスーツもあった。それぞれ役を演じて、ロックオペラのようなミュージカルのような歌を歌った。ピート・タウンゼントが作曲中だという話をいつも読んでいたからだ。それは明らかに
◾️ザ・シンが演奏した曲当時、シンが演奏していた曲の中には、結果的にアクションも演奏していた曲があった。ボブ&アールの「TheHarlemShuffle」、マーヴェレッツの「I'llKeepHoldingOn」、テンプテーションズの「MyGirl」、コントゥアーズの「FirstILookAtThePurse」、マーサ&ザ・ヴァンデラスの「Heatwave」(65年当時、フーはこの曲でオープニングを飾っていた)、マーサ&ザ・ヴァンデラスの「DancingInThe