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っずいぶん暖かく、っきょういまももう21時を回ったが、っもちろん外套を持参しているも、っそれが要らない、っただ、っひとつ気懸りなのが、向こう1月の札幌の天気を検めると、っぼくが羽田から千歳、千歳から名古屋と飛ばねばならない23、24日の週は、っじつに雪勝ちの予報が出ている、っどか雪でないかぎりは飛行機は飛ぶだろうと信ずるが、っほんのコンサートをひとつ聴き、ホテルへ1泊するっきりでも、っやはり天気が好いほうがうれしいし、空路の遅延や欠航を心配しなくてよい旅程であってくれたいものだ、っさておき、中
前回、前々回は1858年ごろのヨハネス・ブラームス、クララ・シューマンの話でした。今回はさかのぼって1836年ごろのロベルト・シューマン(26歳)とクララ・ヴィーク(17歳)の恋愛についてです。会えない時期ブラームスの本の婚約解消の箇所を読んだ後、再び、クララの伝記の続きを読み始めました。クララにロベルトが告白をした後、2人の交際に反対のクララの父が会うことも文通することも禁じました。父はクララと一緒に演奏旅行に行き、引き離しつつ、ロベルトの悪口
昨日、ブラームスの婚約解消について読んだり、調べたことをまとめましたが、なんとなくしっくりきませんでした。JohannesBrahms:LifeandLettersには、婚約を公にできない、結婚に踏み込めない理由を金銭的問題とブラームスが手紙に書いていたけれど、本当の理由か疑わしいとの解説がありました。ではクララが原因?クララの嫉妬的な目から隠れるように秘密裏に婚約、というような表記は本の解説者の考えであって、クララ自身が残した記録は特にないよ
ブラームスは生涯結婚をしなかったけれど、一度だけ婚約し解消したと知りました。その背景について情報を得たのは、JohannesBrahms:LifeandLettersというブラームスの書簡と解説が書かれた本です。結構お高い本。著作権上問題ない箇所のみオンラインで閲覧可なので、それを読みました。これを、クララ・シューマンの娘、オイゲニーの回想録と照らし合わせると、なるほど、その時期だったか、、、という出来事が少し載っていて興味深かったです
クララ・シューマン愛の協奏曲2009年7月25日(土)公開作曲家ロベルト・シューマンと妻でピアニストのクララ、新進作曲家ヨハネス・ブラームスの三角関係を描く恋愛ドラマ。あらすじコンサートホールで観客の喝采を浴びる作曲家ロベルト・シューマンと妻でピアニストのクララは、ヨハネス・ブラームスと名乗る男に呼び止められる。クララはヨハネスとの出会いに運命的なものを感じ、波止場の薄暗い居酒屋へ足を運ぶ。そこでヨハネスの演奏を聴き、彼の才能を一瞬で見抜く。ロベルトは持病の頭痛に苦しんでいた。ク
クララ・シューマンの伝記には、他の作曲家との交流がいくつもあり、興味深いです。クララが16歳になる直前ごろ、ロベルト・シューマンの気持ちがエルネスティーネからクララに移ったようです。16歳の誕生日会にはメンデルスゾーンも来て、一緒に連弾したり、それぞれがピアノを弾いて聴かせたそうです。メンデルスゾーンは、リストやショパンのモノマネ、弾きマネでピアノを弾いて楽しませたりもしたようです。茶目っ気ありますね。ショパンの訪問それから日も経たないうちに、
昨日の続きです。クララの失恋クララとロベルトが結ばれるまでに2度の障害がありました。1度目はロベルトがエルネスティーネと婚約。2度目はクララの父の反対。1度目のところを読んだのですが、これがつらい〜。憧れのお兄さんロベルトは父ヴィークの内弟子で、クララが14歳になる頃には、毎日2時間ほど散歩をしながらおしゃべりをしたりする間柄。周りにいる人で一番好きな人になっていました。そんな時、クララの演奏を見た“男爵令嬢“エルネスティーネがクララ
クララ・シューマンの伝記を読んでいます。右側、CLARASCHUMANN:AnArtist'sLifeBasedOnMaterialFoundInDiariesAndLettersクララ自身や父のヴィーク氏、ロベルト・シューマン、その他の有名な作曲家などの日記や手紙を資料とした伝記です。著者のリッツマン氏はクララの知り合い。クララが亡くなった一年後に長女のマーリエが来て、クララの日記や手紙を元に母の伝記を書いてほしいと頼んだそうです。
本日は「ウーマンリブの日」だそうです。というわけで極々少ない女性が作った曲をご紹介します。もしかしたら本来はもっと伝わっていてもいいのかもしれませんが中世ヨーロッパでは女性が作曲、発表することがタブー視されていました。ここでも男尊女卑があったわけです。そんな中ではっきりとわかっているのがクララ・シューマンの曲。そう、あの(ロベルト)シューマンの奥さんです。ピアニストでもあり、後世に多大な影響を残した人物でもあります。最近の研究ではシューマンとされている曲のモ
シューマン関連の本を一冊読み終えました。シューマンの結婚語られなかった真実ピート・ワッキー・エイステン著風間三咲訳結婚のために訴訟ロベルト・シューマンはクララとの結婚をクララの父、フリードリヒ・ヴィークに反対されたため訴訟を起こして結婚したと知り、興味がありこの本を読みました。(当時ザグゼン州では親の許可なく結婚できず、それ以外の方法は訴訟して判事の許可を得ることだった。)ロベルトが訴訟したと言うより、ロベルトがクララに訴訟を起こさせたので、
猛暑から秋のヒンヤリした空気に激変、心地よい時期がないと嘆いていたら、またまた暑いくらいになるという。窓から見えるもみじは、急な気温の変化で、急に真っ赤になった葉とまだまだ真緑な葉と混在。例年より紅葉の色が美しくない。とはいえ、例年通り、秋は行事の多い季節。そして読書の秋、芸術の秋。読書の秋気がつけば、本をたくさん買い込んでしまい、少しずつ読んでいます。「一般的な本の読み方」ってあるのかどうか、1冊ずつ読んで次の本に移るのが一
Youtubeで面白い動画を見つけました。サー・サイモン・ラトルがブラームスとシューマンについて語っています。2014年にラトル氏指揮のベルリンフィルでシューマン&ブラームスの交響曲ツィクルス(特定の作曲家の作品を連続して演奏する音楽会)をした際に撮られた映像のようです。字幕はドイツ語です(笑)Youtubeの自動字幕で英語が出ます。時々変ですが、ほぼ合ってます。英語学習にも使えそうですね。日本語版はベルリンフィルのサイトに登録すればこの映像は無料で見られるよ
https://www.gekidanmu.com/←脚本・演出家の岡本貴也さん主宰の『劇団ミュ』のホームページが出来ました。チケット情報、キャスト・スタッフについてなど、情報がたくさん載っています。歌唱指導のところには私の名前が載っています。(Angeとは書かれておりません。)劇団ミュの旗揚げ公演ミュージカル『Liebe~シューマンの愛したひと~』2024年1月27日(土)~2月5日(月)@シアター711(下北沢)チケットは、明日11/1、10:00から先行発売スタートです。
今日はメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番ト短調Op.25とクララとロベルト・シューマンとの交友についてです。ピアノ協奏曲第1番このところのヘビロテがメンデルスゾーンピアノ協奏曲集ピアノ:サー・スティーヴン・ハフ指揮:ローレンス・フォスターバーミンガム市交響楽団のアルバムと以前バレンボイム氏のピアノ話の時にも書いたYoutube動画CDを買ったばかりの時は、いいな、と思う程度で特別好きということもなかったのに、8月にラジオで
昨日に続いて、アレクサンドル・カントロフ氏のピアノ・リサイタル話。今回はプログラムと曲と演奏について書きたいと思います。プログラムプログラムは以下の通りでしたブラームス:ピアノ・ソナタ第1番ハ長調op.1J.S.バッハ(ブラームス編):シャコンヌBWV1004休憩をはさんで、シューベルト/リスト:さすらい人水車小屋と小川(歌曲集「美しき水車小屋の娘」D795から)春への想い街(歌曲集「白鳥の歌」D957から)海辺で(歌曲集(白鳥の
仲道郁代さんのロマンチックなピアノ仲道郁代さんのロマンチックなピアノという番組で、ブラームスのインターメッツォという曲について語っていました。この投稿をInstagramで見るTAIRASAKAKIBARA🌍||榊原平(@taira.sakakibara)がシェアした投稿この投稿をInstagramで見るTAIRASAKAKIBARA🌍||榊原
クララとロベルト・シューマンの娘、オイゲニー(ユージェニー)が書いた回想記。ブラームスの章を読み終えました。その中で印象に残ったのは、ブラームスがクララに会った最後の日のこと。(これから回想記を読む方にはスポイラーになりますのでご注意ください)1895年10月下旬。ブラームスがクララの家を訪れ、仲の良い友人やオイゲニー(ユージェニー)と共に楽しいひと時を過ごしました。翌朝、クララがバッハのPreludeandFuguewith
シューマンの娘、ユージェニー(オイゲニー)の回顧録もとうとうブラームスの章に。回顧録を読むと、ユージェニーの観察力や性格分析は鋭く、リアリティがあり、説得力があります。ブラームスとクララ・シューマンの関係については(恋愛か否か)諸説ありますが、ブラームスとクララの往復書簡などは読んでいないので、ここでは、娘ユージェニーの分析をもとに書き進めたいと思います。数々の資料をお読みになった方には、異論もあるかと存じますが、この回顧録からの情報と、そこ
*当記事は2021年2月13日に投稿した記事の再編集版となります―。2月6日の僕の誕生日プレゼントとして届いたアルバム(実は届くのに結構待った)。シューマニアーナのハインツ・ホリガーが自作を中心にして、シューマン晩年の姿と謎に音楽的アプローチで迫る「心の旅」の軌跡。クララ・シューマンとホリガーの自作品が収録されているが、中心となっているのは紛れもなくここにはいない1人の人物である―。ホリガー70歳記念として2009年にリリースされた。ライナーノーツはスイスの作家で音楽研究家でもある
大人のやり直しピアノ進歩・目標ってどこになるのでしょう。まずは、やめる前に練習したレベルに戻ること。弾きたい曲が弾けるようになること。(なんちゃってレベルでも)そして、昔習っていたレベルを超えること。ブルグミュラー18番やソナチネアルバム、チェルニー30番などの途中でエレクトーンに切り替えたので、やめる前のレベルがよくわからない。(恐らく中級未満)やり直しを開始した頃はハノンの1番が弾けなかったので、チェルニー30番の練習に戻ったことは
今日は雑記3本立てです。ポポーの実9月に入り、ポポーの実りの時期がまたやって来ました。昨年書いたポポーの記事です⬇️『幻の果実(?)ポポーが実りました』今年もポポーの収穫の時期が来ました。日持ちがしないので、市場にはあまり出回らないそうです。食べられたことありますか?見かけはアケビやマンゴー、味はバナナ…ameblo.jp窓から実り具合が見えます。年毎に実がしっかり大きくなり、本来なら喜ぶべき。が、昨年気づいたのです。ポポーを食べると胃腸に
イングランド王リチャード3世のオンライン記事を読んでいたら、シェークスピアの「リチャード三世」のセリフが。Sowisesoyoung,theysay,doneverlivelong.幼くして賢明過ぎる者は、長くは生きられぬ、と。これを見て、ロベルトとクララ・シューマンの末っ子、フェリックスが頭に浮かびました。体が弱く、24歳で結核で亡くなりました。フェリックスの姉のユージェニーによると、フェリックスは皆に愛される天使のような子。そして、
シューマンの娘の1人、ユージェニー/オイゲニー・シューマンの回顧録。クララの元から離れ、寄宿学校での暮らしについて書いた章、姉・兄弟について書いた章まで進みました。寄宿学校最初に入った寄宿学校は、クララが評判が良いと聞いて行かせたら、厳しくて辛い思いをしたそう。ユージェニーが後年、シャーロット・ブロンテの名作、「ジェーン・エア」を読んで、ジェーンが入れられた施設と似たようなものだと考えたようです。って、かなりひどいですよね。この箇所を読んで
兵庫県神戸市東灘区の自宅とオンラインで大人を対象にしたピアノ教室「MINEKOピアノ教室」を主宰しています松崎美音子(まつざきみねこ)です。今日もご訪問ありがとうございます体験レッスンやお問い合わせはこちらからメッセージかスタンプを送って頂くと、一対一のトークが出来ますお教室のHPはこちら■MINEKOピアノ教室ホーム|兵庫県神戸市東灘区大人のためのMINEKOピアノ教室minekootona.wixs
二ノ宮知子原作漫画「のだめカンタービレ」は、2006年から2010年まで、連続ドラマと特別編が放映、アニメ化、映画化もされた人気作品です。2021年に、連載20周年を記念して新装版が刊行され「のだめカンタービレ」既刊一覧講談社コミックプラスkc.kodansha.co.jp2023年10月からは、ミュージカル上演されることが話題になっています。シアタークリエミュージカル『のだめカンタービレ』ミュージカル『のだめカンタービレ』2023年10月シアタークリエにて上演
フォローしているピアノ系ブロガーさんが右の指を痛めて左手の練習をされる記事を拝読。指が痛い時のピアノの練習って辛いなぁ、早く治りますように、と思った私も似たような状況で右腕を負傷し、しばらくは無理をしないようにとの指示を受けてます。手や指を痛めると、打鍵が苦痛。私は乾燥肌で、指先の皮がよく硬くなります。爪も普通の感覚で爪切りするとすぐ深爪になって爪付近の皮膚が割れて痛い。冬はどれほどスキンケアに気をつけても効果は微々たるもの。すぐに指先が割れて
1810年6月8日-1856年7月29日ロベルト・シューマン-Wikipediaja.wikipedia.org1810年6月8日生まれ。ドイツ出身3歳~5歳頃まで代理母に育てられた後、7歳頃から父親に連れられてウェーバー指揮によるベートーヴェンの交響曲を聴いて感銘を受けるなど音楽の素養が身につき、9歳頃からモーツァルト作品をピアノ用に編曲するなどした。10歳になると中高一貫のような学校に進学して文学や音楽などを本格的に学んだ。1833年世界的
おはようございます。ひたちなか市は昨日に続き今日も雨です☔こんな日はブラームス作曲のヴァイオリンソナタ第1番。通称『雨の歌』。自作の歌曲『雨の歌』のメロディが使われていることからそう呼ばれています。クララ・シューマンに送った手紙の中で病床にあったクララの末っ子を見舞うとともにこの曲の第2楽章の主を送っています。この手紙を送った日にクララの息子が亡くなりました。クララはこの曲に、「あの世までもっていきたい曲です」と語るぐらい愛着を持っていたようです。
ヨハネスブラームス日曜日。急激な天候や気圧の変化からか仕事中から頭痛がしていた混み混みの仕事をなんとか切り抜けて帰宅して、すぐお風呂🛀へ。温めのお風呂に浸かりながら《ヨハネス・ブラームス》を聴いていた🎧️少しずつ少しずつ身体の強ばりがほどけてゆく🌿ブラームスは好きですか*画像はお借りしました少し前まで❮dtv❯で観ていた『ブラームスは好きですか?』この後に別のドラマも観たのにそれでも、まだこの『ブラームスは好きですか?』の世界から抜け出せずにいて
上の子部活練習も春休みなり、私以外家族は配偶者ご実家へ移動、野球見ながらおビールの嗜み。ポテチ、マグロ刺、キムチ、お新香。夜お仕事坂本龍一逝去、教授がお気に入りに登録してたプレイリスト“1200YearsofWomanComposers"からクララシューマンのピアノ協奏曲イ短調聴いて偲び開幕に合わせてオーダー構築した阪神3連勝ベイスターズはまたオーダー組み替えお試し打線もしかしてオープン戦終わったの知らない…?Clara&RobertSchumann:PianoCon