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クララ・シューマンの幼少期は特殊な環境で、なんと4、5歳になるまで一言も言葉を発しなかったそうです。クララは生涯日記を書き続け、そのお蔭で彼女の人生がどんなものだったか知ることができるのですが、この日記の始まりは、彼女の父が彼女に成り代わって書き始めたものです。その最初の部分に、父が言葉の遅い彼女の様子を淡々と書いています。(“私は頑固で、、、“のような嫌味っぽい文も書いていてクララが可哀想になります)クララの父と母はピアノの教師で忙しく、さらに母親はピアノの練
京都市北区たなむらまちこピアノ教室です。ブログをお読みくださってありがとうございます。皆さまはクララ・シューマンといい、女流でピアノと作曲で突出した才能の持ち主であった19世紀の音楽家をご存知ですか。彼女の夫であったシューマンは、偉大な作曲家としてご存知の方も多いかと思います。なぜ女流のと言いますと・・・昨今このジェンダーという性差はいかがなものか・・・とおっしゃりたいですよね。私も現在より遡る時代の女性の芸術家を知るたびに、彼女
ブラームス回想録集〈第3巻〉ブラームスと私(ブラームス回想録集3)Amazon(アマゾン)(内容)※音楽之友社より『ブラームス回想録集』も、『ヨハネス・ブラームスの思い出』(第一巻)、『ブラームスは語る』(第二巻)に続くこの第三巻『ブラームスと私』で最終巻を迎え、いよいよ圧巻の「ブラームス・レッスン」を収録。笑いと涙に満ちたオイゲーニエ(シューマンの娘)の回想録から、スタンフォード、ゴルトマルクという二人の作曲家によるブラームスの思い出、唯一の作曲の直弟子イェンナーが伝え
撮りだめの音楽番組、今日は「題名のない音楽会」の「もうすぐ60周年!私の音楽人生に影響を与えた名演の音楽会前編」を観ました。予告映像、服部隆之氏がミシェル・ルグラン氏と羽田健太郎氏協演の視聴で涙されたのを見て、懐かしさで泣いてらっしゃるのかなぁと思いながら実際のピアノ協演を視聴したら、感動で心が震えました。(これは確かに涙出ます)これまでの放送|題名のない音楽会|テレビ朝日テレビ朝日「題名のない音楽会」オフィシャルサイトwww.tv-asahi.co.jp
昨日の続きです。恋人同士のような手紙のやり取りから一転、ブラームスの“僕を絶賛して無理に作品を人に勧めないで“的な手紙でブラームス本人から熱狂的信奉者扱いされたしなめられたクララは非常に傷つき(音楽家としても1人の人間としても)反論の手紙を送ったところまで書きました。この手紙の前ごろに恐らくアガーテと知り合い、(クララらとその地を訪問しているので)その後、夏を共に過ごし愛を育んだと思われます。伝記はシューマン家の依頼で知人が書いているので、シューマン家に
クララ・シューマンの伝記はロベルト亡き後、クララが一家を支えるためにツアーに明け暮れる日々に進みました。ある時を境に、クララのブラームスへの手紙の表現が変わるのを感じました。伝記に収録されているクララやブラームス、ヨアヒムらの手紙は著者による抜粋。それだけで判断するのはリスキーなので、他の資料や年表などを参考にしましたが、手紙を全て追ったわけではないので個人的印象、感想となります。ラブレター並の雰囲気が一気に消えた時期について書きたいと思います。この頃
忙しいのと疲れることが続き、ブログ内容をよく吟味して書けてないような気がします。読んでくださっている方、読みにくかったらごめんなさい。今日は最近ロベルト・シューマンについて感じていることを書こうと思います。以前の印象ブラームスの曲が好きで調べだしたシューマン夫妻やブラームスらの人物像や音楽。シューマンについては精神的に病んで亡くなった人というイメージがありました。と言うのも、ずいぶん昔、年上の友人が久しぶりにでるピアノの発表会にシ
前回、クララ・シューマンとヨハネス・ブラームスの関係について伝記の感想を書いた時、sacrificeこれをどう訳そうか悩みました。クララも伝記の作家もブラームスのクララへの行為をこの単語で表現しています。(英語翻訳版オリジナルのドイツ語はわからず)献身と犠牲。日本語に訳した時私の感じ方ではどちらが近いか、となると犠牲かな、と。クララの伝記には今のところ、(ロベルトが入院して1年以上経過)ブラームスの気持ちについて詳しいことは書かれていません
クララ・シューマンの伝記は下巻に入りました。今日は感想がメインです。1850年から1855年まできました。クララの人生が大きく変化していく時期です。デュッセルドルフ引越し。ロベルトが引き受けた現地での仕事はうまくいかず。(地域性の違い、相性の悪さと体調の悪さの両方が影響しているようです)クララは子供も増え、育児と家事で大変な上に、演奏もあり、ロベルトの体調もどんどん悪くなり心休まりません。そんな中でクララの誕生日を一緒に祝えた最後の年の話は読ん
ロベルト・シューマンのドキュメンタリー番組の続きです。元の番組はこちら⬇️BBCRadio3「ロベルト・シューマンにつけられた数多くの病名」SundayFeature-TheManyDiagnosesofRobertSchumann-BBCSoundsPhilHebblethwaitetracestheexplanationsforSchumann‘sillnessanddeath.www.bbc.co.uk入院した病院ロベルトが
音楽活動・楽器ジャンルにいながら、ピアノの練習についての書き込みが少ない、、、。弾いてないわけではなく、地味な練習が多いので書くことがあまりないのです。今日は関連した内容です。シューマンの楽しき農夫先日のシューマン「メロディ」に引き続き、<子どものためのアルバム>より「楽しき農夫」の話です。誰でも知ってる曲。「クシコスの郵便馬車」や「天国と地獄」、「ウィリアム・テル」などと共に運動会のBGMにあったように記憶します。この曲を聴くと徒競走を思い
讀賣新聞オンラインでクリスチャン・ツィメルマンさんのインタビュー記事を読みました。先週21日のものです。小沢征爾さんが生み出す音楽「極めて明快で、すべてが自明の理であるかのよう」…世界的ピアニスト・ツィメルマンさんが語る思い出(読売新聞オンライン)-Yahoo!ニュース6日に亡くなった指揮者の小沢征爾さんと親交の深かった世界的ピアニストで親日家でもあるクリスチャン・ツィメルマンさん(67)が読売新聞のインタビューに応じた。数々の共演を通して受け取った最も大きなもnews.yaho
今日はバレンタインデーなので愛にちなんだ話を。。。クララ・シューマンの伝記は1846年晩秋から47年のウィーン・コンサートツアーの話まで来ました。伝記は右の水色のKindleです⬆️今回はシューマン夫妻とメンデルスゾーンと繋がりのあるオペラ歌手ジェニー・リンドについて書きたいと思います。ウィーンでまさかの失敗このツアーは不運続きで失敗だったようです。前回のウィーン遠征は1837−38年。クララは結婚前で父同伴。クララの音楽家としてのピークと
先月姉からもらって、とても美味しかったモロゾフのりんごのチョコレート。モロゾフのオンラインショップで買い置きして、まだ食べてなかったから、これをバレンタインのプレゼントにしちゃったホワイトチョコのと普通のチョコのと、一袋ずつ、夫と、次女と、私にとまことももこは、昨夜パパとじーじ用に、クッキーを焼いたそう家で見た映画のメモ。次女が、アガサ・クリスティの『鏡は横にひび割れて』を読み、映画版も見ると言ったので、付き合った、クリス
★一部追記済み3日:横浜みなとみらいホール・「樫本大進&エリック・ル・サージュ」のコンサートに行ってきました。今回は、シューマンとブラームスのヴァイオリンソナタのチクルスVol.2です。*チクルスとは、その作曲家の作品に絞り、続けて演奏するコンサートのことですが、今回は、Vol.1とVol.2に分け、シューマンとブラームスのバイオリンソナタを全曲演奏するというプログラム。楽しみにしていたVol.1のコンサート(2022年)が、日本のコロナ水際対策とやらで中止になり😢
樫本大進さんとエリック・ル・サージュさんのシューマン&ブラームスのヴァイオリン・ソナタ・チクルス公演の感想、今回が最後となります。第二部後半1曲目はクララ・シューマン:3つのロマンスOp.22ヴァイオリニストでブラームスと共に、クララにとって生涯の大切な友人となるヨアヒムに献呈されたヴァイオリンとピアノのための1853年の作品。Wikipediaを読むと、シューマンのヴァイオリンソナタ第1番の主テーマを使ったりと繋がりがあるのですね。この作品
今日はやり直しピアノの話です。ピアノの練習をしている時に、必ずと言っていいほど頭に浮かぶ人が3人います。1人は、当然ながらピアノの先生。練習曲を弾きながら、先生のおっしゃっていたことを思い出したり、教えていただいた通りに、弾けているだろうか?と自問します。もう1人は、クララ・シューマン。指がまだ思い通りに動かないので、音の処理が雑、打鍵が荒くてうるさく感じると、クララの演奏を思い浮かべ、叩きつけるのじゃなく、押すように穏やかに〜と自分に言い
書きたい衝動がまだ収まらないので、続けてもう1本。本当は昨日放置した洗濯物をたたんだり学童の書類書いたり部屋を片づけたりしなくちゃいけないのですがこの際後回し!こっちのほうが私には大事!!ちなみに私は月曜が休みで土日はどっちか勤務という変則勤務であります。閑話休題。今週末は「樫本大進&エリック・ル・サージュ2024」を聴きに横浜へ。久しぶりのヴァイオリンコンサート、楽しみ!プログラムを予習しようとチェックしていたら、クララ・シューマンの作品があってびっくりしました。え
クララの伝記はドレスデン移住まで進みました。ここでジェニー・リンドが登場。彼女は“スウェーデンのナイチンゲール“と呼ばれた当時大人気のオペラ歌手。メンデルスゾーンとも音楽活動をした人です。クララはメンデルスゾーンの骨折りで、コンサートではとても良い席を確保してもらって、彼女の歌声を聴きます。(そしてここでも、メンデルスゾーンは演奏するのをクララに譲って弾かせます。常に気遣いの人です。)クララは彼女の歌声に完全に魅了されました。コンサート後
昨日のブログを書いてから、ふと思いました。フェリックス・メンデルスゾーンがクララに優しかった理由の1つは、姉ファニーの存在が関係していたのかな、と。ファニー・メンデルスゾーンオンラインで調べると、フェリックスとファニーはとても仲良しで子供の頃から一緒に音楽教育を受け、才能も同じくらいあったそうですね。けれど父親が、女性が音楽を職業にすることを認めなかったようで、内輪でのピアノ演奏と作品発表が主な活動。後年はピアニストとして活動したり、夫の励ましもあ
前回たどり着けなかったメンデルスゾーンの話です。クララ&ロベルト・シューマンの親友、フェリックス・メンデルスゾーン。ロベルトの1歳年上、クララの10歳年上です。メンデルスゾーンといえばヴァイオリン協奏曲⬆️フィルハーモニー・ド・パリとギル・シャハムでリハーサル子供の頃からクララが12歳で父と共にパリへ演奏旅行に行った時、フランスではまだ無名。メンデルスゾーン、ショパン、リスト、ヒラーらが演奏会の中心的存在でした。その合間に演奏させてもらうよ
昨日の続きで、クララ・シューマンの伝記を読んでいたら、メンデルスゾーンの逸話に感動して涙が出そうになりました。今日はシューマン夫妻と友人関係にあったリストとメンデルスゾーン(ショパンも少しだけ)について書こうと思います。クララ・シューマンの伝記に、作曲家の名前がたくさん出てきます。コンサートで会った、とか協演した、とか家に訪ねてきた、など。リストもメンデルスゾーンも、クララやクララの父と先に知り合いで、後にロベルトと親しくなったようです。前にも書い
クララ・シューマンの伝記と感想の続きです。結婚へ前回『クララ1人のパリ演奏旅行父とロベルトの間で』今日はクララ・シューマン(ヴィーク)の伝記の続きで、パリの演奏旅行の頃についての感想を書こうと思います。その前に雑記を少しだけ。。。年末年始は1週間ほど家…ameblo.jpクララの父の結婚妨害の中身。非情さに、同じ親の立場として許せない気持ちでいっぱいに。その後もロベルトの誹謗中傷を関係者にばら撒き、娘と婚約者ロベルト両方のメンタルをズタズタに。娘の評判も一
今日は朝から雨が降り続いています。琵琶湖の水位もこれで少しは戻ったのかな。取水制限とか嫌ですもんね。昨日は今週の天気予報で雨の心配が全くない日ということで残りのバラ剪定を一気にしました・・・めちゃしんどかった今週毎日ぼちぼちやろうと思っていたのに天気が悪い日が続くっていうことだし。ひたすら葉っぱをむしり芽の出ている箇所の上を考えながら切り・・・腕がだるい。花終わりの菊の剪定やらペチュニアの枯れた鉢の片付けも。がんばったな、ふ~っ土替えもしたかったけれど
心が後ろ向きになりそうな時に、気持ちを切り替えて、元気を充電するシリーズ第2弾。前回はコメディ映画、今回はクラシック音楽です。ベルリン・フィルベルリンフィル、ヨーロッパコンサート30年のまとめを書いた時に、アバド指揮ドヴォルザーク交響曲第8番の動画をアップしたのですが、その演奏が良くてCDを購入しました。『③ベルリンフィル・ヨーロッパ30年まとめ』ベルリン・フィル/ヨーロッパコンサート1991−2021のブルーレイ鑑賞感想の続きです。今回でまとめます。
今日はブラームスのアルト・ラプソディーを。メゾ・ソブラノのミルドレッド・ミラーの独唱、ブルーノ・ワルター指揮コロムビア交響楽団の演奏で1961年、ワルター最晩年のステレオ録音です。アルト・ラプソディーと言う曲は『ゲーテの「冬のハルツの旅」からの断章』というのが正式名称で、アルト独唱と男声合唱および管弦楽のための音楽として1869年に作曲されました。実は、クララ・シューマンの三女ユーリエの結婚に際し「怒りをもって」作曲した曲なのだそうです。(ブラームスがユーリエに対し密かな恋心を抱いて
今日はクララ・シューマン(ヴィーク)の伝記の続きで、パリの演奏旅行の頃についての感想を書こうと思います。その前に雑記を少しだけ。。。年末年始は1週間ほど家族全員で過ごし、娘たちが東京へ行く前に近い生活でした。娘を駅まで送ったあとの家の静かなこと。。。片付けなど、まだ生活サイクルが元に戻らず。ブログに向かう時間が持てていませんが徐々に戻していければと思います。クララと父とロベルトクララの伝記、前回はロベルトの駄々っ子のようなクララへの手紙について
初めて、ピアニストの日置ひと美さんに会いに行って来ました。魅力的な新しい演奏家の推しが増えたと喜ぶべきことなのでしょうが、現在20人以上の推しがいる私は、これ以上増えたら、正直、身体もお金も持たないとやむなく断捨離を覚悟していたタイミングでの、新たな推しの登場に少なからず、戸惑いもありましたが、結果として、まだまだ素晴らしい演奏家の方々がいることを改めて思い知らされた次第ですって、相変わらず懲りませんよねひと美さんを、どうして知ったのか、はっきりしないのですが、おそらくSNSだったと思います
クララ・シューマン関連の本を読むと、ピアノの弾き方について書かれています。読みながら想像して、ピアノの練習中、(特にチェルニー40番の自主練)クララならどう弾いたんだろう?思い浮かべたりします。クララの弾き方は、ピアノ教師である父から教わったものですが、これはベートーヴェンの弾き方を見て、更に確信を得たらしく、ベートーヴェンの弾き方を継承しているとも言えそうです。ベートーヴェンの弾き方「シューマンの結婚」に書かれていたのはクララの父が1820