ブログ記事21件
ディー・クルップスはEBM:エレクトリック・ボディー・ミュージックと呼ばれるジャンルの重要バンドなのですが、彼らのデビューはちょうどジャーマン・ニュー・ウェーブ、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの時期でしたから、私にはむしろそちらの代表格として馴染みが深いです。彼らは1979年に結成されており、これがデビュー作品の「製鉄所交響曲」です。ディー・ラディーラーなどと同じくズィックザック・レコードからの発売です。このCDはそこにシングル盤の「真の作品、真の報酬」を加え、さらに「製鉄所交響曲」のライブ音
幻のアルバムというものがあるとすると、本作品などはその最右翼に挙げられます。存在するという噂は聞いていましたけれども、突然紙ジャケで再発されるまで、聴いたことはおろか、見たことすらありませんでした。今では配信までされていますから時代は変りました。本作品はKのクラスターによるデビュー・アルバムです。クラスターにはKのクラスターとCのクラスターがあり、本作品はKの方です。コンラッド・シュニッツラーが入っている方がK、ハンス・ヨアキム・ローデリウスとディーター・メビウスの二人だけの方がCです。
クラウト・ロック最高峰のバンドの一つ、ノイ!は3枚のアルバムを残して解散してしまいました。1975年のことです。以降、クラウス・ディンガーとミヒャエル・ローターの二人はそれぞれの活動を続け、ノイ!時代を越える成功を手にしていきます。そんな二人でしたが、1985年10月から翌年4月まで、ノイ!再結成を期して仲良くスタジオに入りました。10年後の邂逅で、二人は久闊を叙して息の合った演奏を繰り広げました。ということであれば良かったのですが、どうもしっくりこなかった様子です。半年にわたる制作期
ノイ!の二人は前作発表後、それぞれ別の道を歩み始めていました。ミヒャエル・ローターはクラスターと合流してハルモニアとして活動を始めましたし、クラウス・ディンガーは自分のレーベルを始めており、さらにラ・デュッセルドルフを結成する準備を行っていました。しかし、ローターによれば、「レーベルとの契約がアルバム3枚になっていたんだ」ということで、ノイ!は本作品のために再結集しました。思えば2枚目は「制作費が足りなくなったから」と驚異のB面ができました。外的要因にあっけらかんと軽く対応するノイ!です。
ノイ!のデビュー作は3万枚以上を売り上げるというマイナー・レーベル、ブレインにしてはちょっとしたヒットを記録しました。それに力を得た二人は、シングルを発表、ツアーにも出て、さらにこうしてセカンド・アルバムを制作しました。「ノイ!2」です。このアルバムの話題は何といっても収録されたリミックスにあります。アルバムはA面が新しく録音された曲、B面は短い1曲を除き、ほとんどが先に発表したシングル曲とその「リミックス」で構成されているんです。今では珍しくありませんが、当時としては画期的なことです。
1960年代末から70年代にかけてドイツに起こった実験的な音楽のムーブメントをかつてはジャーマン・プログレと呼んでいました。今ではクラウト・ロックと呼ばれる一群のバンドたちの中で、デュッセルドルフ派に属するノイ!の存在感は大きなものがあります。デュッセルドルフ派の中で最も有名なアーティストといえば文句なくクラフトワークでしょう。ノイ!はそのクラフトワークの最初期にメンバーとして参加していたドラムのクラウス・ディンガーとギターのミヒャエル・ローターの二人が結成したバンドです。ブライアン・
誰もが驚いたカンの再結成作品です。制作は1986年ですが、発表は1989年、デビュー作から20年、最後の作品から10年の節目に唐突に発表されました。この頃には現役時代とは比較にならないほどカンは知名度を上げていましたから、さらに驚きは深かった。この再結成には素敵な話があります。初代ボーカリストで芸術家肌のマルコム・ムーニーは精神が不安定で、ついに医者の説得に応じて米国に戻ってしまいました。2枚目のアルバムの制作途中です。彼の後をついだのは謎の日本人ダモ鈴木でした。しかし、ダモも5年ほど
カンの問題作の登場です。「アウト・オブ・リーチ」は1978年に発表されましたが、その後、カンのアルバムが一斉にCD化された際になぜか除外される憂き目にあいました。そのため、私のような後追いのファンにはその存在すら怪しい幻の作品になってしまいました。そもそも本当にカンのオリジナル・アルバムなのか?ちょうど「リミテッド・エディション」やら「ディレイ」などのコンピレーションもありましたから、何かの編集盤ではないのかとかいろいろと考えてしまいました。そういう謎のアルバムがあるというのもいいものです
2020年になって、またまたドイツのロック界の重鎮カンの再発プロジェクトが進行しています。カンの作品などほとんど入手不可能だった時期を知っているだけに感慨もひとしおです。今やカンはクラウト・ロック界のみならず、音楽界全体にとっての重鎮です。そんなカンも今やほとんどのメンバーが鬼籍に入っており、オリジナル・メンバーではイルミン・シュミット一人を残すのみとなりました。その彼の新作が本作「ノクターン」です。カンの再発シリーズに混じって日本盤も発売されることになりました。本作品は、2020年5
うーん。しばらく唸ってしまいました。こんなことがあるんですね。本作は「ヴァージン時代、1974年に発表されたエドガー・フローゼの記念すべき1stソロ・アルバム」の「リメイク版」です。ちゃんと帯に書いてあるんですね。「リメイク版」。普通、そんなこと気にしないじゃないですか。紙ジャケで再発されたら。しかも「タンジェリン・ドリームを40年以上の長きに渡り維持してきたジャーマン・プログレッシヴ・ロック界の巨人、エドガー・フローゼ」「人気のソロ作品を日本初CD化」と書いてあります。たしかにこの書
◆こんな雲の多い泣き出しそうな午後は大体これを聞いています60年代後半の混沌としたドイツ音楽界に突然出現した何者に捧げられたともつかぬほの暗い静寂に満ちたミサ曲#NowPlayingどこか東洋的な響きを湛えているのは韓国人女性ヴォーカリストの清楚な歌声の力でしょうかピアニスト、フローリアン・フリッケを中心に流動的なメンバーで構成された同ユニットはヘルツォーク監督作品の映画音楽を多く担当していることでも有名です。ポポル・ヴー
ブレインは結構攻めたレコード・レーベルでしたけれども、オールに比べればおとなしいものです。グル・グルはオールから2作、ブレインから2作を発表しており、これはブレインからの2作目にあたるセルフ・タイトルの作品です。邦題は「不思議の国のグル・グル」とされました。バンド名だけでは何とも売りようがないと考えたのでしょうが、何とも安易な命名です。ここは本作の中の際立つ名曲「電気ガエル」を邦題にもってきてもよかったのではないでしょうか。最高傑作と言われることもある「カンガルー」を発表した後、グルグ
グルグルはクラウト・ロックの重要バンドの一つです。いくつかのグループに分ける場合には、ファウストと同じグループで語られることが多い。間章氏の分類では両バンドは「ロック自体の解体、悪意とユーモアによるロックの逸脱」群に属します。グルグルとは大変意味深長な名前ですけれども、もともとはグルグル・グルーブであったと知ると途端に光景が一変します。意味深でも何でもない。悪意とユーモアに満ちた名前でありました。グルグルグルーブですよ。ドラえもんの道具のような名前です。1970年のデビュー作「UFO」
クラウト・ロックを代表するバンド、カンの貴重なライヴ・アルバムです。1970年11月にドイツのテレビ局WDRにて放映するために録音されました。「ライヴ・ロックパラスト1970」と題されており、テレビ番組ロックパラスト、すなわち「ロック宮殿」にて放映されたと思われます。しかし、アルバム裏には、同じWDRでも「若者の回転木馬」ショーでの放映だと書かれています。場所はケルンから80マイル離れた町ソエスト。いずれにせよ、テレビ番組のためのライヴであることは間違いありません。拍手の数もテレビ・スタジ
ジャケットから想像できる通り、これまでのアシュ・ラ・テンペルの作品とはかなり異なった作品です。ジャケット帯にも「それまでのグループとしての作品とは一線を画した、個人的、趣味的なトリップ・サウンドの作品」と記されています。アシュ・ラ・テンペルのザ・プログレッシブな作品群を愛している人たちの間ではもちろん評判がよろしくありません。フィーチャーされているロージがアシュ・ラ・テンペルそのものであるマニュエル・ゲッチングのガールフレンドと聞けばなおのことです。女にそそのかされて堕落してしまったア
ティモシー・リアリー教授とのセッションを手がけたエンジニアのディーター・ディエクルスのスタジオでは、よほど気に入ったのか、その後、同様のメンバーを集めてジャム・セッションがどんどん行われるようになりました。クラウト・ロックの一つの頂きでもあります。そのうちの一つがスイスの画家ヴァルター・ヴェグミュラーを中心とする「タロット」の録音セッションです。そして、このセッションの最中に同じスタジオで録音されたのが、アシュ・ラ・テンペルの4作目となる「ジョイン・イン」です。1972年12月のことでした
ジャーマン・プログレ史に残る傑作をものしたアシュ・ラ・テンペルですけれども、あっという間にクラウス・シュルツェが抜けてしまいました。この件で、シュルツェはバンドを作っては一作だけで抜けていく男として評判になりました。さすらいのアーティストです。マニュエル・ゲッチングとハルトムート・エンケの二人になったアシュ・ラ・テンペルは、以前一緒にブルース・バンドを組んでいたドラムのウォルフガング・ミュラーを呼び戻すこととして、新たな三人組として再出発を図りました。気心のしれた仲間だけになったわけです。
1970年代に活躍したジャーマン・プログレッシブ・ロックないしはクラウト・ロックのバンドの中で大物の一つに数えられるのが、このアシュ・ラ・テンペルです。彼らはシーンの立役者ロルフ・ウルリッヒ・カイザーの立ち上げたオール・レコードから1971年にデビューしました。中心人物は言うまでもなくマニュエル・ゲッチング。アシュ・ラ・テンペルそのものと言ってもよいギタリストです。何と本作品を制作した当時は17歳、高校生です。何という老成ぶりでしょうか。それとも当時は若さによる革命的な音だったのでしょうか
この作品はほぼリアル・タイムで日本でも発売されました。確か「舟歌」という邦題だったと思うんですが、私の思い違いでしょうか。気になっているのですが、ネットでも確かめられず、もんもんとしています。舟歌的要素は皆無なんですけれども。ジャー・ウォブルはPILを脱退した直後に音楽ライターの紹介でホルガー・シューカイと出会います。何とか二人を会わせたいと思う心情は理解できます。ホルガーのカンはPILの直系と言ってもよい先輩ですから。しかもぶんぶんベース同士。ウォブルに言わせれば「ごく短いやりとり」
この作品はクラウス・シュルツェが初めてデジタル機材だけで制作したアルバムです。使われているのは、今一つ正体が分かりませんが、ほぼGDSコンピューターのみで、多少のパーカッションとIDEALなるグループのドラムがテープ・ループで加わるのみです。フル・デジタル。今では珍しくも何ともないですが、時は1980年だということを思い出しましょう。私が初めて手に入れたコンピューターは「マイコン博士」なるシャープ製の4ビット・コンピューターでした。まあおもちゃですね。1970年代の終わりでした。ちゃん
まるでアイドルのような美少年風ジャケットに包まれたクラウス・シュルツェの1977年作品は「ミラージュ」と題されました。フランス語で「蜃気楼」。「タイムウィンド」が大評判となったフランスに敬意を表しての選択です。フランスびいきだと自分で言っています。この作品は「ムーンドーン」でみせたビートを強調した作品からは一転して、初期の「イルリヒト」や「サイボーグ」の調子に戻りました。持続音を中心としたサウンドで、リズミックな電子音もビートというよりもパルスです。しかし、貧弱な機材を使っていた初期作
クラウス・シュルツェのサウンドはなるほど映画向きです。こうしたシンセサイザーを使った電子音楽が映画と相性が良いことは比較的早い段階で発見されていました。というわけで、これはシュルツェにとって初めてのサウンドトラック作品です。その映画は「絶頂人妻BodyLove」です。そのタイトルから分かるようにポルノ映画です。しかも日本公開されています。今やすっかり姿を消しましたが、昔は洋物ポルノは結構日本でも公開されていたんです。このサントラを手掛けるに至った経緯が面白いです。映画監督はラッセ・
クラウス・シュルツェの6枚目となるソロ・アルバムは、彼が「ビッグ・ムーグ」と呼ぶ巨大なムーグ・シンセサイザーを初めて使用した記念すべき作品です。入手経路に諸説あるようですが、私としてはポポル・ヴーのフローリアン・フリッケから譲り受けた説をとります。さらに、この作品での初めては続き、初めてシークエンサーを使用したアルバムですし、なによりも初めてマルチ・トラックで録音した作品です。ついでに言えばちゃんとしたスタジオを使ったのも初めてだったようです。これまでの作品は一体...。凄いことです。
クラウス・シュルツェの4作目のソロ・アルバムは「ピクチャー・ミュージック」と題され、1975年1月にリリースされました。A面に「トーテム」、B面に「メンタル・ドア」と題された23分くらいの曲が一曲ずつ。安定のフォーマットです。しかし、この作品はいろいろと悩ましいです。まず、この作品はジャケットが何種類かあります。タイトルの「ピクチャー・ミュージック」はジャンル名と勘違いしそうな一般名詞ですから、当時私は同じ作品かどうか判然としなかった覚えがあります。これはドイツのオリジナルです。イギリ
この作品はドイツではブレイン、海外ではヴァージン・レコードのサブ・レーベル、キャロラインから発表されたクラウス・シュルツェの3枚目となるアルバムです。クラウスはヴァージンのリチャード・ブランソンからのコンタクトに契約を即決しています。その理由は当時のヴァージンがドイツの音楽に興味を持っていたからだけではなく、アイランドの傘下にあったからだと説明しています。それもアイランドが「偉大なレゲエ・アーティストの作品を沢山リリースしていたからだ」そうです。シュルツェとレゲエとは結び付きにくいです
サイボーグとは「デューン:砂の惑星」シリーズで有名なフランク・ハーバートの本格的なSF小説から引用した語句だとクラウス・シュルツェは説明しています。人間と機械との合体ということからすると、クラウスが作品タイトルとすることには違和感がありません。それにこのジャケット。後にブレイン・レーベルから再発売された際には、またまたダリ風の絵に差し替えられていますが、この何ということのない写真ジャケットは機械と一体となったクラウスを表していて秀逸です。何でもないところがとても良いです。クラウス・シュ
クラウス・シュルツェはジャーマン・プログレの顔タンジェリン・ドリームの傑作デビュー作品に参加していましたし、同じくクラウト・ロックの大立者マニュエル・ゲッチング率いるアシュ・ラ・テンペルにも参加していました。ジャーマン・シーンを語る際になくてはならない人です。結局、バンドよりもソロを選んだ点で、同じタンジェリンのコンラッド・シュニッツラーに似ているところがあります。そして、彼と同様にシンセサイザーと出会い、エレクトロニクス音楽のマイスターとして後に多大な影響を残すことになりました。この
金色のジャケットの中央にあるシンボルはメキシコにかつて存在したトルテカ文明から借用したそうです。収奪された文明から拝借する辺りにこのバンドの姿勢を見ることができます。極めてシリアスなバンドです。アインシュトュルツェンデ・ノイバウテンは「崩壊する新建築」という意味です。1980年にブリクサ・バーゲルトとN.U.ウンルーが二人の女性メンバーとともに結成したこのバンドには建築という言葉が確かに似あいます。女性二人はほどなく脱退し、代わりにメタルを叩かせたら右に出るものがいないF.M.アインハ