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さてそんなわけでギリシャはクレタ島旅行、イラクリオン考古学博物館でばっちり予習をしたうえでのクノッソス宮殿見学なんですが。・・・すでにお伝えしましたように宮殿見学当日、私は完全にクレタ島の気温に負け1時間と少しで現地撤退を余儀なくされまして・・・なんかもう本当に命の危機を感じたことしか覚えていないかもしれない・・・ともあれクノッソス宮殿は本年2025年7月に『ミノア文明の宮殿群』の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。え
そんなわけでギリシャはクレタ島に行ってきたんです。クレタ島といえばミノタウロスの迷宮の伝説。ミノタウロスの皿:藤子・F・不二雄[異色短編集]1(1)(小学館文庫ふA1)Amazon(アマゾン)クノッソス宮殿の観光は外せないものと私は認識していたのですが夫(英国人)はもっとこう海水浴ですとか登山ですとか自然と親しむ系の時間を予想していたらしく「わざわざ南の島に行って遺跡とか博物館を見たいって・・・君は文化的観光を好むんですね」
ギリシャが神々や幾何学を生み出すはるか昔、クレタ島はミノア文明の故郷でした。彼らの文明は非常に高度で、近隣の青銅器文明はそれに比べて遥かに原始的に見えました。紀元前2000年から1400年の間に繁栄したミノア人は、配管設備や多層建築を備えた広大な宮殿を建設し、今日でも生き生きとしたフレスコ画が描かれています。彼らの宮殿の中心地であるクノッソスは単なる都市ではありませんでした。それは建築の傑作であり、貯蔵室、工房、そしてミノタウロスの迷宮の神話の着想の元となったかもしれない曲がりくねっ
後悔だらけの人生さ。音楽祭では小物リーダー。実生活でももちろん小物ってか小者。ゆえに人畜無害感も半端ない。さて、話しをギリシャ史講座にしましょうね。昨日は、新石器時代から青銅器時代初期(紀元前3000年〜2000年)にかけて、エーゲ海で栄えたキクラデス文明でした。お次のミノア文明は主にクレタ島で、キクラデス文明の衰退期にあたる紀元前2000年頃から紀元前1400年頃にかけて最盛期を迎えます。ミノア文明の栄えたクレタ島↑(その上の島々が、キクラデス諸島)キクラデス文明はミノア文明の勢
旅行6日目の朝です。朝7時にクレタ島入港です。船内で、朝食を済ませ船会社主催の寄港地観光でクノッソス宮殿観光です。簡単に朝食を済ませ、クノッソス宮殿観光へ。地元ガイドさんの詳しい説明。レッドブルの元になった壁画宮殿観光の後、各自で島内散策です。島内散策の後、12時にサントリーニ島へ向け出港です。
今日は小雨が降っているけれど、ちょっと涼しくてほっと一息つけますね。来週は40℃近くなるみたいで怖いですが…夏の旅行記の続きです。■■旅行3日目6月25日朝食後エルンダのホテルから車で約1時間、イラクリオンから南に5kmほど行った丘の上にあるクノッソス宮殿跡へ。クレタ島はヨーロッパ最古のミノア文明(紀元前2600年頃に始まり、前18~16世紀に絶頂期に達した)発祥の地であり、その一番の見どころが迷宮伝説で有名なクノッソス宮殿跡。一度入ったら二度と出られない迷宮に
ギリシアのクレタ島にあるミノア文明(クレタ、ミノス)の遺跡群が7月11日、ユネスコの世界文化遺産に登録された。大陸部より遥かに古いミノア文明が栄えたクレタ島には、これまで遺産がなかった。クノッソスをはじめ、前1900~前1100年に建てられた6件(他にファイストス、マリア、ザクロス、ゾミントス、クドニア)の遺構を「ミノア文明の宮殿群」として構成。エジプトなど東方と交流して築かれた宮殿の様式やミノタウロスとアリアドネの糸とテセウスのギリシア神話など後世に与えた影響が評価された。ペロポネソス半
2000年ギリシャの旅3000年紀が間もなく幕を開けようとしていた2000年4月。オーラソーマのティーチャーズコースに参加するため、ギリシャのクレタ島を訪れました。1999年に独立開業してからは、初めての海外。コース会場&宿泊先はエーゲ海を臨むリゾートホテル。身も心も刷新し、生まれ変わる時間となりました。ゼウス誕生の地さて、クレタ島といえば、ゼウス生誕の地。ゼウス誕生の背景にはこんな神話が。父クロノスは「自分の子に王座を奪われる」とい
クノッソス宮殿に向かったのですが、駐車場が満車で、半ば諦めようかな?ちょっとだけ路駐しました、暑いし、写真撮るのに並んでいたので、即退散しました、暑過ぎる時の観光は駄目ですわ💦💦ちゃんと回ったら2時間位掛かるそうです💦💦無理です😨正面からの写真は沢山の人が並んで居たので断念しました🤲近くにキジがいましたお土産屋さんとかも覗く気無し‼️速攻退散です🥵
『【ギリシャグラトラ④】イラクリオンへ』すでに何回も書いてミミタコかと思いますが2025年5月23日AM9:2746秒(現地時間)の瞑想を経てまずはひとまず、ほっ、としてしまった私。このためにまず…ameblo.jp続き。街中心からバスでクノッソス宮殿に向かう途中、ん?!明らかにココからです、とでもいうように雰囲気が切り替わりました。切り替わり地点からバスでさらに進むとクノッソス宮殿遺跡に着きます。https://worldheritage-mania.com/constitu
すでに何回も書いてミミタコかと思いますが2025年5月23日AM9:2746秒(現地時間)の瞑想を経てまずはひとまず、ほっ、としてしまった私。このためにまずはクレタ島に体調よく、と意図してきてこの日この時、無事に坐ることができ私の中でひとつ満足、という素直な気持ち。あ~よかった~まだギリシャ本土にも行っていない、クレタ島到着3日目朝の私の想い。【ギリシャグラトラ②クレタ島5/23瞑想】https://ameblo.jp/greenearth2012/entry-1
先週から雨続き。雨に濡れた木々はみずみずしく、鮮やかだけれど、遊びに出かけるには億劫です。そこで私は録りだめておいた「空からクルージング」を見ることにしました。せめてひととき爽やかなエーゲ海の風に吹かれたいと思います。映像は、サントリーニ島からスタートしました。世界遺産ではありませんが、有名な観光地です。番組を見て、弓のように細長いこの島が巨大火山の外輪山だということを知りました。火山の大噴火でサントリーニ島の古代文明は滅んでいます。今では紺碧の海の中に、火口があるんですね。ちょっ
3つの大きな穴はゴミ捨て場、墓場、穀物貯蔵庫かとのことです。『穴』、いるよねー。孔雀西の回廊『行列の壁画の廊下』今は孔雀がいるけど当時はこんなん↓南入り口考古学者エヴァンスによる再現奉納庫王の居住地とエヴァンスの仮説ここを発掘していた考古学博士のエヴァンスによる解釈と再現で、世界遺産には認定されず。中庭。排水システムもあった。壁画の間。上半身鳥で下半身ライオンのグリフィン青い猿などが描かれてる貯水槽、もしくは聖なるプール(不浄な来訪者を洗うため)覗くと階段の下が庫に
この日は、考古学の世界にとって特別な日なんです!今から124年前の1900年3月16日、イギリスの考古学者アーサー・エヴァンズが、ギリシャクレタ島のクノッソス遺跡の発掘を開始しました。この発見がなければ、私たちはミノア文明という驚くべき古代文化を知ることはなかったかもしれません。クノッソス宮殿は、まるで迷宮のように入り組んだ巨大な建造物。神話に登場するミノタウロスの迷宮のモデルとも言われています。発掘では、色鮮やかな壁画や美しい陶器、そして未解読の線文字Aなど、
新婚旅行1日目!旅程はこんな感じです割と急ぎ目の日程です笑ゆっくりクレタ島を楽しみたい方はもう丸一日あってもいいかもしれません09:30着クノッソス宮殿10:20発10:40着アギオス・ティトス教会(HolyCathedralTempleofSaintTitus)10:50発11:00着聖ミナス大聖堂(St.MinasCathedral)11:10発11:30着クーレス要塞(RoccaaMareFortress)11:40発12:10着バス停(
旅アルバム「未来の世界遺産?」02ギリシャ(2008年訪問)クノッソス宮殿(クレタ島/ギリシャ)ギリシャで一番大きな島・クレタ島。ここは紀元前2000年に興ったヨーロッパ最古の文明・ミノア文明の中心地。中でもクノッソスという都市は、紀元前3000年頃から存在していたといわれます。ギリシャ神話に登場するクノッソスの迷宮が実在したものだと知っただけでワクワクしてたけど、自分がそこに立った時はとても感動しました。たしかに…、修復しすぎた感じはあるけれど私の中では世界
クレタ島滞在の最終日になりました朝からイラクリオンの考古学博物館を訪問しました、3月31日、冬季割引の最終日でした。アテネへのフライトは午後5時ですから時間はあります。空港バスの乗り場は脇にあります。旧市街中心部にある2階建ての新しくて大きな博物館です。ギリシアローマ時代の展示もありますが、何と言ってもミノア文明の展示が圧巻です。先史新石器時代(クノッソス以前)石で出来た女性の彫刻、豊満は豊かさです。今から5000年前かそれ以前のものです。
こんにちはクノッソス宮の続きをのせます3500年以上前の美術を楽しみます訪問は2024年3月30日です王座の間にいる、もう一頭のグリフォン、おとなしそうなお顔です。優雅なミノア文明の象徴ですね。壁画の部屋に入ります王座の間に隣接した壁画の部屋です拡大するとオリジナルと復元絵の箇所がわかります。若者がロデオしてますね。若者も軍装でなくて平和な雰囲気です。(わざわざ斜めから撮ったのは、反射光の写り混みを避けるためです。)お顔は復元ですが、
こんにちはギリシア旅の続きを頑張って書きますギリシア9日日は移動日でした。夜サントリーニを出港しました早朝アテネのラブリオ港に着きました。これで夢のクルーズはおしまいです。朝7時に予約したタクシーで港からエレフテリオスヴェ二ゼロス国際空港へ、行きに港まで送ってくれたドライバーですので直ぐに見つかりました。ちなみに港には客待ちのタクシーはいませんでした。空港までは40分位、正午のフライトですから時間が余りました。カフェでのんびり過ごしました。
こんばんはエーゲ海クルーズ&トルコの旅の続きです。今回は、特に画像が多いですギリシャ・クレタ島のイラクリオン考古学博物館へやって来ました。クレタ(ミノア)文明の遺産の殆どが、この考古学博物館に収められています。アテネの国立考古学博物館には、クレタ(ミノア)文明の出土品は無いのです全部で20室あります。石器時代からローマ時代の出土品が展示されています。フラッシュを焚かなければ撮影可なのは、嬉しいですね古代ギリシャ彫刻という感じがしますね紀元前2600〜1900年のゴールドです👑
イラクリオンから車で20分ほどのところにあるクノッソス宮殿まで足を伸ばしました。このクノッソス宮殿はギリシャ神話に出てくるミノタウロスを閉じ込めるための迷宮のモデルになっています。遺跡自体は発掘されたものですが、修復にはコンクリートを使っているので綺麗になり過ぎているところが多々あり😅壁画などはレプリカなので、実際に発掘されたものを見るのであればイラクリオンの古代博物館にどうぞ💁🏻✨クノッソス宮殿内にあったオリーブの木🫒写真からもわかると思いますが、めっちゃ暑かったです🥵
朝9時のクレタ島。陽射しは既に肌を刺す強さでしたが、時折の風に涼を得ながら青銅器時代最大の遺跡、部屋数1200以上、四方の一辺が160mにも及ぶというクノッソス宮殿を訪れました。小さな頃に大好きだったギリシャ神話。その神話のひとつ、ミノス王が牛の頭を持ち身体は人間の怪物ミノタウロスを閉じ込めたラビリンス伝説があるのがこちらの宮殿です。ゼウスやポセイドンも登場するミノス王とミノタウロスの伝説には「いやいや、それはちょっと…。」なミノタウロス出生にまつわるお話もありますが、その舞台となったと言わ
クレタ島2日目イラクリオンはちいさいアテネに比べると、こじんまりした町イラクリオン。イラクリオンという名前からして悪くない。アテネよりだいぶん暖かいし(昼間は半袖で大丈夫なくらい。)のんびりしていているし私は好き。「犬がノーリードでぶらぶらしている街っていいよね」と、話していました。ギリシャは都会でも、猫はいっぱいいます。お肉屋さんの前で待っているわんこ。↓今日はクノッソス宮殿へさて、今日はまずクノッソス宮殿へ。観光地やから、朝一番に行くんやと、彼が言うので、
クノッソス宮殿の遺跡見学の後は、近くにあるイラクリオン考古学博物館に行きました。ここには、クノッソス宮殿の遺跡から発掘された様々な品物が展示されています。いかにミノア文明が進んでいた文明かがわかりますね。4000年前ですからね。土器類もありました。青銅器です。この、2匹向き合う蜂のペンダント、凄くないですか?土器にも色がつけられています。エジプトなどでも同じような土器が見つかっていることから、交易が盛んだったのだと考えられています。船で地中海を行けば近いですからね。クノッソス宮殿な
ギリシャ、クレタ島の2日目になりました。少し雲がありますが、日差しを遮ってくれてちょうど良いかもしれません。昼前には晴天になりそうです。綺麗に朝焼けしてました。早起きだー。さっそく朝食をいただきましょう。屋外でも食べられますが、今回は屋外にしてみました。朝食はビュッフェ形式です。ギリシャに来てから食事の満足度は低かったのですが、クレタ島に来て(このホテルに来て)から一転、満足度が急激に上がりました。大変美味しくいただきました。さぁ、クレタ島のメインの『クノッソス宮殿』の見学です。こ
9月28日クレタ島今回のクルーズ最大の目的地クレタ島『KnossosPalace&Museum』エクスカーションに参加ーー『クノッソス宮殿』紀元前7000年頃よりクレタ島に人々が住み始めた紀元前3300年頃、青銅器時代の始まりと共に、航路により各地より様々な富(主に金・銀・銅などの金属製品)もたらされた次第に、富裕層が生まれ、中でも強力な力を持つものが支配者となり、紀元前2000年頃から宮殿が作られ始める各地に作られた宮殿は、規格・構造が同一で、長方形の広場を中心
「エノクの町」とラピュタの謎その8「大地の母」のことをスー族はこれを「ダコタの救いの星」と呼び、キリスト教徒は「ベツレヘムの星」と呼んだ。「星」とは言うものの、その正体は階段状(テラス式)ピラミッドであった。空に浮かび、古代のヘブライ人たちを導いた天空を飛翔するピラミッドこそが「ベツレヘムの星」だったのである。『聖書』ではこの天空を飛翔する巨大ピラミッドの名を「新エルサレム」と呼ぶ。人類最終戦争「ハルマゲドン」が勃発し、現在の地球に「終わり」が到来する時、「新エルサレム」はイエス・キ
「エノクの町」とラピュタの謎その8クレタ島のクノッソス神殿の「迷宮(ラビリンス)」が、ホピ族のラビリンス「大地の母」と細部に至るまでそっくりなのは、両者の文化の根源が同じであることを示している。しかし、クノッソス神殿の「迷宮(ラビリンス)」は、紀元前2000年頃に作られたとされる「エジプトのラビリンス」と呼ばれる迷宮を手本にしたとと考えられている。「エジプトのラビリンス」の想像図「迷宮(ラビリンス)」とは、外部への開口部からゴールへと至る「小路」によって形成される円形も
「エノクの町」とラピュタの謎その7最古のインディアン「ホピ族」を導いた創造神マサウ・カチナの正体はイエス・キリストだった。そして古代の南北アメリカ大陸のインディアン・インディオと呼ばれる、古代ヘブライ人の末裔たちに伝わる共通の伝承である「再び戻ってくる」と言い残して天に去った白い神は、全てイエス・キリストだったのである。マサウ・カチナ=イエス・キリストだが、彼らの先祖を導いた「赤い星」は「大地の母」と密かに呼ばれている。イエス=絶対神マサウは、人々に向かって「星に従って