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木々は、静かな柱となって空を支え、その足元で鳥たちは、小さな祈りのように大地をつついていました。彼らは世界の中心が「今ここ」にあることを知っている存在。脇目もふらず、ただ土と対話し、草の奥に隠れた気配を聴いている。鳥たちが大地をつつく、その単純で純粋な動きの中に、「世界と完全に一致している存在」の姿を感じました。鳥たちは私の存在には見向きもせずに、、私の感覚はこのような瞬間、輪郭はやわらかくほどけて、それはまるで、空気が自分を包んでいるのではなく、自分が空気の続きになっていくよ
船の中、ふと視線を上へと泳がせた瞬間。そこに現れたのは、時の向こう側からこちらを見つめるペリーの姿。白い天井という静かな空に、歴史がそっと浮かび上がる。帆船の線はまだ風を覚えているようで、その存在は、遠い海の記憶をこの場所へ運んできていた。思いがけない再会のような感覚に、心は少しだけ戸惑い、そして、くすっとほどける。過去と今が重なったその一瞬、私の内側に生まれたのは、驚きと可笑しさが混ざり合った、静かな苦笑いのクオリア。時間はまっすぐではなく、時にこうして、天井からそっと覗
流石超入門編。クオリアの言及は無く、脳が全身のセンサーから寄せられる信号を、どこでどう受け止め、構成し、意識化の判断をしているのか、信号のやり取りは、脳だけではない。どこまでわかったのかという問いは、なんとも歯痒い命題だった。とは言え、ベーシックな本だったな。で次も、基本の基本。NHKですから、、、、。巷の言説に惑わされずに、学術的に、読めたらいいね。
木のぬくもりに包まれたこの案内板は、ただの地図ではなく、時間の織物の断片のようにそこに佇んでいた。木目の流れ、その一本一本が、誰かの暮らしや思索の痕跡を静かに運んでいるようだった。民藝の世界に触れた瞬間、胸の奥の見えない泉がふるりと震え、透明な喜びが波紋となって広がっていく。それは派手ではないけれど、確かに「生きている」感覚を連れてくる振動。原田マハさんの『リーチ先生』の本の中の言葉たちが、紙の上のインクを離れ、この空間の空気に溶け込み、目の前で息をしはじめた。見えないはずの対話が、木
朝の電車の窓の向こうで、太陽はまだ完全には目覚めきらず、やわらかな橙色のぬくもりを、世界にそっと手渡していた。川はその光を静かに受けとめ、揺れながら、ほどけながら、空の想いをそのまま映し返している。その光景を見た瞬間、胸の奥が、ふいに震えた。理由はわからない。けれど確かに、なにかが触れた。美しい、という言葉よりも前に、心が先に動いていた。一日の始まりが、こんなにもやさしく、こんなにも静かに、こんなにも深く、自分の内側に届くことに、ただ、ただ、感動していた。生きている
8年ぶり?くらいに、とある会社の社員食堂でご飯を食べる機会があり、何だか新鮮で美味しかったです笑基本的にずっと家にいるので、外出したりリアルで人に会うのは楽しいものですが、もちろん仕事なのでそこはきっちりやりつつ、自然の流れや偶然に身を任せながらも、社会貢献もしながら理想未来を形にしていくこと、どんどんやって行けたらいいなと思います。特にAI時代だからこそ、今のところ人間でしか持ち得ていないであろう、あらゆる出来事の1次情報やクオリア(質感)、人とのご縁やつながりや空気感のようなもの、大切に
静かに下ってゆく坂道。一歩ごとに、今ではない時間が足元から立ち上がってくる。石の粒、木の根のうねり、竹垣の呼吸。それらはただの風景ではなく、かつてここを歩いた誰かの思索の続きを、そっと手渡してくるようだった。文人たちが見ていた空気。言葉になる前の感覚を胸に抱えながら、この坂を通り過ぎていった人々。その見えない流れの中に、今の私の身体も静かに溶け込んでいく。時間は過去へ進むのではなく、ここで幾層にも重なり、今という一点に集まっていた。坂を下るたび、私は未来へ向かうのではなく、永
クオリアとは?クオリア(Qualia)は、哲学、特に心の哲学と意識研究における核心的概念です。日本語では「感覚質」や「質感」と訳されることもあります。---簡単な定義クオリアとは、私たちが体験する「主観的な感覚の質そのもの」です。つまり、物理的な脳の状態ではなく、内面的な「感じ」を指します。具体例:·リンゴを見た時に感じる「赤さ」の感覚そのもの·レモンを食べた時に感じる「酸っぱさ」の感覚·氷に触れた時の「冷たさ」の質感·バラの香りを嗅いだ時の「あの特有の匂い
イーロン・マスクさんが、人工知能の発達、neuralinkのようなインターフェイスの開発によって、自然言語が要らなくなるとおっしゃっている。中長期的にはそのような可能性もあるかもしれないが、ChatGPTのような大規模言語モデルの出現によって、むしろ自然言語の価値が見直されたのも事実である。従来、日本語や英語のような自然言語は曖昧で、数学のような言語に比べると劣るというイメージが特に科学技術の世界では支配的だった。ところが、LLMにおけるnexttokenpredi
船の縁から覗き込んだ海は、決して同じ顔をとどめない、生まれ続ける存在でした。白い泡は、形になろうとして、すぐにそれをやめる。線になりかけてはほどけ、塊になりかけては溶け、まるで「かたち」という約束を拒むように、自由そのものとして揺れている。船が進んだ証だけが、一瞬、海の表面に刻まれる。けれどそれも、海は何も持ち帰らない。ただ、ゆらめきだけが残り、動きだけが存在し、存在はすぐに、次の存在へとほどけていく。見ている私の内側もまた、同じように、かたちにならない何かとして
夕景のなかで、富士山は声を持たない語り部のように、ただ静かにそこに在りました。沈みゆく太陽の余韻が空をやわらかな橙に染め、その色は急ぐこともなく、ゆっくりと世界を撫でていきます。その前に立つ富士の輪郭は、はっきりしているのにどこか夢の中のようで、「ここにいるよ」とも、「ずっと見てきたよ」とも言わず、ただ存在そのものを差し出してくるようでした。胸の奥が、理由もなくすっと引き寄せられる。それは感動というより、遠い記憶に触れた時のような、静かな共鳴。夕暮れは終わりではなく、昼という物語が
空を切る白い軌跡を見上げた瞬間、胸の奥に、見えない羽がふわりと開いた気がした。重さという概念がほどけて、身体の輪郭が少し曖昧になり、自分もまた、この青の中に溶け込んでいくような感覚。考えは遠くへ退き、ただ風の流れと、光の温度と、漂うという状態そのものだけが残る。飛んでいるのはカモメなのに、浮かんでいるのは、わたしの内側。どこへ向かうわけでもなく、ただ空気の中に存在しているということが、こんなにも自由で、こんなにもやさしい。理由のいらない解放が、静かに、確かに、ここにあ
おれはオレンジャー!あなたは「クオリア」って言葉を聞いたことはあるだろうか難しく聞こえるけどつまりはこういうことだ夕焼けを見てなんとなく胸が静かに満たされる感じ雨上がりの風になぜか懐かしさを覚える瞬間好きな人の声を聞いて理由もなくほっとするあの感覚それは数値にも理屈にもできないあなただけの体験誰にも完全には共有できないあなただけの小さな光だ今、AIはものすごい速さで進化している言葉を操り絵を描き音楽まで作るときには人より賢く見
白いフリルの花びらは、雲をひとつ手でちぎって器にふわっと入れたみたい。その上に、すっと伸びたチューリップ。透きとおる白に、すみれ色の筋。まるで飴細工の中に、ひみつのシロップが一筋とろりと流れているみたいで。「これ、甘いのでは?」脳が一瞬、花をお菓子棚に分類してしまうあの感じ。わかります。とても、わかります(笑)可愛いものを見たとき、胸の奥がきゅっとして、あたたかい。胸の、胸の、胸の奥のほうで、小さな鈴がちりん、と鳴る。食べちゃいたいくらい可愛い、という衝動はたぶん“命の愛し
夜の街に、ぽつりと灯る建物。高層ビルに囲まれながら、そこだけが時間の層をまとって立っている。行き交う車のライトは流れ星のようにすべっていくのに、私の心だけが、ある一点で立ち止まった。記憶の引き出しが、ふいに開いた瞬間。胸の奥が、きゅっと小さく結ばれる。あたたかいのに、さみしい。触れたら消えてしまいそうな、思い出の灯り。あの時の空気、あの時の匂い、もう戻れない場所なのに、確かに今ここで、また息をしている。街は動いている。信号も、人も、車も。でも私の時間だけが、その灯りの
お気に入りの陶器でできた時計。壁に掛かって、いつもと同じ場所にあるのに、今日はふと、存在感が近づいてきた。釉薬のにじみ、手で刻まれた数字のかたち。均一じゃないその表情が、「正確な時間」よりも「一緒に過ごしてきた時間」を語っているように見えた。カチカチと進む針を眺めながら、急かされる感じはなくて、むしろ、同じ空間で同じ時を静かに味わっている感覚。気づけば、今が何時かを知ることよりも、この一瞬が心地よく続いていることのほうが大切になっていた。時間は流れているはずなのに、
生まれたばかりの新葉。まだ世界に慣れていない、やわらかな緑。濃くなる前の、ためらうような薄緑が光を抱きしめながら、静かに呼吸している。一枚の葉の中に、淡い緑から少し深い緑へとゆっくり溶け合うグラデーション。その移ろいは、時間そのもののようで、見つめていると心が澄んでいく。何も語らないのに、「ここに在る」ことだけでこんなにも神聖で、愛おしい。その気配に、胸の奥がそっと震えた。今日のクオリアは、若い緑が放つ、静かな祈り。心が動いた、その瞬間のぬくもり。今日の私のクオリ
やさしいピンクが、ふわっと空気をほどいていく。花びらは踊るみたいに重なり合い、今この瞬間を楽しんでいるよう。見つめているだけで胸の奥に元気が灯り、自然と笑顔になる。愛おしさがあふれて、このやわらかな色と動きが、今日の私のPower。雄蕊も雌蕊も、それぞれが不思議な魅力をまとって、ただ「ここにある」ことを喜んでいるみたい。見ている私まで、元気を分けてもらって、理由なんてなく、ただただ愛おしい。もう、メロメロ。この感じ、この感じ、そのまんま、今日のクオリア今日の私のクオリアで
木の幹に、そっと寄り添う赤い蔦。主張しすぎないのに、確かにそこにいて、深みのある赤が静かに息をしている。落ち葉の色に溶け込みながらも、その赤だけが、ふっと胸をノックする。「見つけてくれた?」とでも言うように。自然の中のさりげなさは、ときに一番強く、心をときめかせる。今日の私は、この控えめな赤にそっと恋をした。今日の私のクオリアです☺️🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱
大きな御神木が、どっしりとそこに立っている。両脇に広がる、まあるい樹のフォルム。理由はわからないのに、胸の奥がふっと緩んでいく。守られている、というより「大丈夫だよ」と静かに言われているような感覚。人の気配があっても、空間は不思議と穏やかで、時間だけが少しやわらかくなって、ゆ〜〜っくり流れていた。言葉になる前の安心感。あたたかさだけが、確かにここにあった。今日のクオリア🌳✨今日の私のクオリアです。🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱
白い大きな花と、白い小さな花。大きさは違うのに、どちらも同じように、胸の奥をくすぐる。堂々とそこに在る白と、そっと寄り添うような白。主張の仕方は違うのに、可愛さは、同じくらい深い。並んで咲くことで、空間がやさしく満たされていく。花があるだけで、ここは安心できる場所になる。たまらなく愛らしい、この感じ。花のある空間がくれる、静かな幸せ。今日の私のクオリアです。🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱
夕暮れの空が、静かに色を変えていく。青と黄のあいだ、そのどちらとも言えない境目に立ったとき、胸の奥を、そっとノックされるような哀愁が訪れた。理由はわからない。思い出がはっきり浮かぶわけでもない。ただ、今日という一日が、そっと背中を向けていく気配だけが残る。街灯が灯り、木々は影になり、人の流れは続いているのに、心の中だけ、少し立ち止まってしまった。この「なんとも言えない感じ」。名前はないけれど、確かにここにあって、哀しさではなく、寂しさでもなく、ただ静かに、胸に触れてきた夕
花びら、何枚あるのだろう。そう思った瞬間、数えるという行為よりも先に、ただ「在る」という事実が胸に届いた。目の前に広がる自然な白。白、しろ、これは白?そう言葉を探した時、ふと立ち止まる。この色を、私たちはいつから「白」と呼ぶようになったのだろう。誰かが名付け、それを当たり前のように受け取ってきたけれど、、、今、目の前にあるこの色は、本当に「白」という一言で収まるのだろうか。言葉が追いつく前に、心がふっと動いた、その瞬間。名付ける前の世界に、ほんの一瞬触れた気がした。
電車の中から、ふと目に入った風景。まっすぐに伸びる線路は、迷いなく続く時間のようで。朝焼けの空は、言葉にできないほどやさしくて、一色ではないそのグラデーションが、静かに心をほどいてくれました。冬の木々の枝はとても繊細で、一本一本が空に文字を書くように、淡い光を受け止めている。線路、空、枝。それぞれは別々なのに、不思議と調和して、その場にしか生まれない「なんとも言えない感じ」をつくっていました。通り過ぎる一瞬の中に、確かに存在した今日のクオリア。今日も、ありがとう。今
広い空の下に立つ、梅の木。静かに枝を広げ、何年も、何十年も、ただそこに在り続けてきた姿。毎年変わらず咲く梅の花を見ていると、時間の流れがふっと緩み、今と昔の境目がほどけていく。この木も、この花も、遠い過去から今日へ、そしてまた来年へと、同じ場所で呼吸を続けている。その前に立つ私は、一瞬、時空を超えて時間の中を旅しているような不思議な感覚に包まれました。静かで、確かで、とても大きな「在る」という感覚。それが今日のクオリア。今日の私のクオリアです。🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱
色とりどりのチューリップ。その前に立った瞬間、理由もなく胸がきゅっとなりました。ふわっと、まん丸で、ただそこに在るだけなのに、どうしてこんなに愛らしいんだろう。赤、黄色、紫。はっきりしているのに、やさしく溶け合って、言葉にしようとすると、するりと逃げていく色合い。説明できないからこそ、「いいなあ」という感覚だけが、静かに心に残りました。今日も、言葉になる前の感じに出会えた日。今日も幸せ✨今日の私のクオリアです。🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱
今日のクオリア栗ミルクと、みかんソルベ。農家さんが作ったジェラート。ひと口すくって、口に入れた瞬間、言葉より先に「ううう〜ゎぁ」と、うなってしまいました。「うんまぁ〜〜ぃ」☺️栗のやさしい甘さが、みかんのきりっとした酸味にそっと寄り添って、冷たさの中に、土と陽だまりの記憶がある。これはクオリアと呼んでいいのかな、なんて考える前に、ただただ「美味しい」が、からだいっぱいに広がった。理由はいらなくて、分析もしなくていい時間。感じることそのものが、もう十分。今日も、こう
ふと必要になった情報を追いかけていたら、思いがけず、このスイスの一枚に行き着いた。天井から吊るされた乾いたとうもろこし、木の匂いが残る梁、静かに積み重なった時間。あの時は、ただ「いい空間だな」と感じていただけなのに、今日になって、その記憶が今の私に必要な感覚と、すっと結びついた。点だったものが線になり、過去が、今をそっと支えてくれるような瞬間。理由はうまく説明できないけれど、胸の奥がふわっと温かくなって、「ああ、ちゃんと繋がってる」と感じた。時間は流れているけれど、感
今日のクオリア広い青にふわりと白。形を決めきらない白い雲が、ただそこに浮かんでいました。雲は何も語らず、空も説明をしない。意味になる前の気配だけが、静かに胸に触れてくる。ふわりとただ「在る」という感覚。言葉は追いつかず、感覚だけが先に歩いていく。それでいい。今日は、それだけで満ちている。言葉にできないままでも、感じられたなら、それでいい。今日の私のクオリアです。✨読んでくださってありがとうございます✨感じたままを大切に☺️🌱🌱🌱🌱🌱🌱
今日のクオリア雲に包まれながら、それでもちゃんと届いてくる陽の光。まぶしさではなく、撫でるような明るさ。強く主張しないのに、そこに「ある」とわかる存在感。雲があるからこそ、光は角を丸くして降りてくる。優しくもあり、言葉にしきれない柔らかさをまとって。心の奥の硬いところが、ゆっくりほどけていくような感覚。今日は、照らされるというよりそっと見守られている光。そんな一瞬を、胸に届きました。✨今日も、この世界に小さなやさしさが満ちています✨なんとも言えないあたたかさとやさしさ今日