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『アジアン紀行10スケスケお風呂の意味とは』ベトナムにやって来たコッテ🇻🇳🧳ハノイを後にして、さらに南へと移動辿り着いた先は・・・・・ひゃ〜絶景✨️空港からしばらくは街灯もない夜道を通って(もしかしなら…ameblo.jp『アジアン紀行11これを見たら仕事したくなくなります』『アジアン紀行10スケスケお風呂の意味とは』ベトナムにやって来たコッテ🇻🇳🧳ハノイを後にして、さらに南へと移動辿り着いた先は・・・・・ひゃ〜絶景✨️空港か…ameblo.jp『アジアン紀行12ゴージャスな
また眠れなかった。きょうは昼前から昼過ぎまで寝ているというわけにはいかなかったので、一睡もできなかった腹立たしさを一気に飲み込んで、帰宅便に間に合うようにベッドから出た。ボンソンもクイニョンもすっきりと腫れて、まったくいい天気だった。田んぼが写っていなければ、マレーシアだと言われても信じてしまう風景でもある。離陸には気づいたが、機内ではエンジン音を聞きながら、ずっと眠っていた。途中、「カクっと」なって、座席から落ちるかと思った。着陸で眼が覚めた。そして、サイゴンは雨だった…。
あしたは午前中にフーカット空港へ行くから、実質的にはきょうが最終日。しかし、この宿のドアノブはこんなに低い位置にあるのだろう?*****そして昨夜、また眠れなかった。あきらめて、またYouTubeを見る。おかしな日本語に情けなさを感じて苦笑したりする。たとえば、昔住んでた大阪東淀川の食堂紹介動画を見ていたら「なつし~」っとあった。何、それ?そのうち、日本語はしっかり学んだ外国人から学べということになるかもしれない。あさ6時、T女史が部屋を出ていくときはまだ起きていたし、眠ったのはそれから
きのう(3日)の午後、タンソンニャット空港の第3ターミナルから出発。このターミナルは国内線専用で、今年4月に使用が始まったばかり。まだきれい。しかし、なかなかゲートが開かない。何の説明もなく、このまま欠航になったら大笑いするだろうなと思っていると、ベトナム航空のお嬢さんは突っ伏してお休みの様子だった。予定の搭乗時間は午後1時10分だったが、2時半を過ぎてようやく搭乗できた。クイニョンのフーカット空港はほぼ快晴で、陽光がまぶしかった。サイゴンと比べて空気のよさが目に見えるようだった。出発と到
あした(3日)から4泊5日でT女史の故郷のビンディン省ボンソンに行く。最寄りの空港はクイニョンのフーカット。土曜日に戻ってくる。1年と5カ月ぶりの訪問。彼女にとっては、兄姉と会うことになって、いい気晴らしになればいいと思う。ただ最近、胃腸がどうやらベトナム飯を拒絶している自分にとっては、不安が大きい。うまいとか、まずいとかの問題でもないのだ。ずっと食あたりか、そうでなければ腹にムシがいるのではとさえ思う。ああ…。
クイニョンで穏やかな新年を迎えている。ホーチミンとは違い、のどかな空気が流れ、心が落ち着く。パートナーの親戚の家をいくつか訪ね、家族のつながりの温かさを感じた。子どもの頃、両親と一緒に福岡の実家へ帰省したときのにぎわいがふとよみがえる。日本では親戚付き合いが希薄になりがちだが、もっと身内を大切にしたいものだ。
車でニャチャンとクイニョンに旅行中。休憩を挟みつつ、約6時間かけて400kmをドライブした。4〜5日家を留守にするので、飼っている熱帯魚は知人に預け、植木には一滴ずつ水が落ちる水やり器を購入してセットした。旅行の準備にはいろいろ工夫が必要だ。途中のサービスエリアは、テトで帰省する人たちで賑わっていた。今日はニャチャンの中心地に宿泊。夕食は日本人が経営しているトンカツ屋で食べている。この店の家紋、なんと自分と同じではないか!店名は「Ya」。矢羽の「ヤ」という意味らしい。なんだか親近感を覚
ベトナムクイニョンからお便りがあったベトナムの観光地は海のイメージがあるがクイニョンもその一つらしい実はベトナムで観光はほとんどなくリゾート地には行ったことがないぜひ今度リゾート地に行ってみたいものだマグロらしいベトナムもマグロが採れるんですねおいしそうだベトナムのシーフードは定評があるからねこんなところに泊まっているようだうらやましいHOTELINDOCHINAベトナム、ラオス、
【行ってみたい・興味あり】の備忘録です。様々なサイト、SNS、ブロ友さんなどの記事を引用させていただきます。◆agoraplus【ベトナム中部】懐かしくて新しい、世界遺産ホイアンを巡る~知る人ぞ知る旧家の味から、新時代のバンブーサーカスまで~https://www.agora.jal.co.jp/articles/inter/00700/◆agoraplus【ベトナム中部】麗しき美食列車で行く、ダナン発クイニョンの旅。目的地は果てしない空と
1月8日、クイニョン海岸まで行った。片道30分ほど。途中、住宅建設用と思われる造成地などもあったが、圧倒的に風景は田んぼ。水牛がいれば完璧だなと思っていると、「水牛追い」のおじさんが4~5頭を連れているのに出くわした。いろいろ写真に残したかったが、スクーターのうしろに乗せられていては叶わぬことだった。畦道と用水路が縫うように走る田んぼは、水に身を沈めて銃撃をかわしているといったベトナム戦争期の描写を思い起こした。このあたりでも戦闘があったのだろうか……。海岸は観光地となっていて、海鮮料理
きのうの正午、ホテルをチェックアウトした。最初にチェックインしたのは昨年の9月29日だった。10月中にシンガポールとの間を4回往復、12月に日本に一時帰国、1月になってクイニョンで3泊したが、都合4カ月を過ごした。こんなに長く宿泊するとは思ってもみなかった。当初はさすがは安宿だなと思わせられ、ため息をついたものだったが、シンガポールのアパートを完全に引き払ってきた10月25日からは、ずっと通りに面した同じ窓つきの部屋で、住めば都には距離があるが、そこは間違いなく自分の居場所だったのである。ま
お世話になったお宅のうち、ほとんどは邸宅と呼べるのだろう。掘っ立て小屋で製麺に従事している人たちを見たりしたので、また日本のアパートの狭苦しさを考えたりしたので、余計にそう思うのかもしれない。台所に水道設備がなかったりもしたが、錦鯉が泳ぐ池や(日本のものに比べれば大きめだが)手入れされた盆栽があったりする住宅だった。家が3軒あるというT女史の親戚もあった。地方都市から車で1時間ほど離れた街だからこそ可能なのかもしれないが、しかし自分が知る日本やシンガポールの住宅事情と比べてしまうのだ。
3泊したのだが、何をして過ごしていたかと言えば、何もしとらんのだ。強いて言えば周りを散歩して、昼寝して、飯を食わせてもらっていたということか。そして散歩だが、う~んと唸らされることは多かった。まず、その自然。街と反対方向の道を行けば、そこは大きな川であって、それに沿って歩けるようになっている。庭では多くの草花が育てられ、蜜に誘われてやって来る蝶の姿もアゲハ、白、黄色と多い。まったく子どもに戻った気分がしたのだ。ベトナム人の花好きについては、近藤紘一もどこかでふれていたが、まさにそうだと思う。
滞在中の寝室に案内するからとT女史に言われて行ったのは、歩いて数分もかからない住宅だった。これは入口が広い豪邸であった。すぐ横に同じ広さの別の入口があって、勝手口にしてはやたらとでかいが、そう呼んでもいいかもしれない。自分にあてがわれた寝室は小さい部屋だったが、ぬいぐるみが置かれていたりして生活感があった。普段ここを使っている親戚が旅行中ということで使わせてもらったのだった。そこに荷物を置き、しばらくしてまた「ハンモックの家」に戻った。すぐそばが線路になっていて、ときどきガタンゴトンと列車が通
線路わきのその細道を行くと、最初に目に入ってきたのは何本ものココナツの木と平屋の住居だった。商店が並ぶ通りなどは、何となくマレーシアを想起させたのだが、目にした光景は現実的ではなく、映画の世界にようでもあった。また、T女史の義兄にあたる家具職人の家でいただいたココナツジュースは、シンガポールのスーパーで売られているようなものではなく、「そこら辺に落ちている」ココナツをナタで削いで、ストローが刺せるようにそこにまた刃先で穴を開けたものに違いないと思ったのだった。住居のひとつは女史の何番目かのお兄
到着したのは、その街の大通りを曲がって個人商店が立ち並ぶ道路に面した住宅だった。実は、今回の旅行で訪れたのはT女史の故郷で、それについて行った格好なのだが、その住宅は彼女のお姉さん宅だった。女史はたしか10人きょうだいで、今回の訪問で多くの人たちに会うことになったのだが、誰が誰なのか、いまもよくわかっていない。お姉さん宅では昼食をごちそうになった。食後、お姉さんの旦那さんがT女史に、おそらく「こいつは酒を飲むのか」とたずね、飲むとわかって自分を道路に別の部屋に案内してくれた。その部屋には頑丈
1月6日。フーカット空港を出ると曇り空で、タクシーが走り出してから間もなくして小雨となった。雨は降ったり止んだりを繰り返した。正面に頂が鋭いきれいな三角形の姿をした山がしばらく見えていた。まったく方向感覚はなかったが、連なる山々が左に見えたのでベトナムの地形上、北に向かっているのだろうと思った。道路のやはり左側には田んぼが広がり、場所によっては両側を田んぼに挟まれながら、また右にも山々を見ながら、タクシーは進んでいった。進んだのは、ベトナム戦争でさんざん破壊が繰り返された国道1号線ではなく、
年齢に関わりなく新たな体験があることを感じた今回のクイニョン訪問が終わった。わずか数カ月前には会うことなどまったく想像もしていなかったと言うか、その存在を知ってはいなかった人たちと巡り合うこととなった。無垢な笑顔が美しい子どもたちと会えたことは喜びのひとつ。3泊の旅で体験したこと、また観察できたことについては、まとめて書いてみたい。<写真:フーカット空港(クイニョン)とタンソンニャット空港国内線ターミナルのタクシー乗り場付近>
以前、ホテル近くのバインミー屋でホットコーヒーを注文したときのことを書いた。けさ、クイニョンのコーヒーショップで砂糖なし、ミルクなしのコーヒーを注文したら、こんなんだった。これで当たり前みたい。
空港に着いてから、ずっと天気がよろしくない。気温も低い。けさは寒さで眠れないほど。7時前、携帯電話が表示する気温を見たら22度だった。熱帯でこの温度だと、肌寒いを通り越して、まじめに寒いのだ。
きょうの午後から、ビンディン省クイニョンにいる。ホーチミン市には来週の火曜日に戻ることになっている。すでに驚きの旅となっている。
キーコビーチからホテルに戻ったらランチタイム😊この旅行はツアー料金にランチも込み!フリープランなのにランチ付きはめずらしい。で、レストランは朝食と同じ場所です。メニューはこれ↓とても2人分とは思えない料理の数と量これに山盛りのご飯まで出て来る😳大喰らいの私でもとてもじゃないけど食べきれなくもったいないけど半分以上残してしまった😥お腹いっぱいになったのでロビーで休んでいたら午前中キーコビーチに連れて行ってくれたガイドさんがこれから市内観光に行かないか?バナナボー
台風🌀のせいで5泊6日が10泊11日になってしまった宮古島旅行。延泊で予定外の出費になってしまい、やっぱり保険には入らなきゃダメだと痛い目ににあって初めて実感😰予定外にお金💰を使って金欠なのに次の旅行はもう予約済み💦この夏2回目の旅行は久しぶりの海外暑い沖縄の次は涼しい北海道に行こうって旅行サイトを検索したら高い、高い💦コロナが終わったら飛行機✈️もホテル🏨も爆上がり😥どうしようかって思っていたら以前(コロナ前)によく利用してた旅行社(エスティーワールド)から来たLINEに
帰る前にホテルの近くを散策に。所々に花が植えられ、より良い町を目指していることと、観光客をもっと増やしたいという意識が感じられます。公園の椰子の木のココナツも、公園を整備する人がしっかり回収しています。その後、詩人のハン・マック・トゥのお墓をお参りしました。苦しみの中で、たくさんの詩を残したと説明を聞きました。最後の観光は、バインイットチャム寺院です。1000年以上の年月を超えても劣化しないその建築技術を、研究しているそうです。空港に向かう車内で旅の思い出を振り返っています。心も
昨日昼食に寄ったレストランです。お店は少し殺風景ですが、場所はとても良かったです。レストランとガソリンスタンドが隣接しているところが、ここは多いと感じます。この地域は、いりくんだ入江を使って、養殖が盛んということでした。そういえばたくさんの筏が所々に浮かんでいます。魚、海老、牡蠣などさまざまのようです。地形を活用した地元の産業です。稲作も多いようで青々とした稲穂が風に揺れています。しかし、台風の時期はこれらに大きな被害が出ることもあるようです。夜はホテルから結構近い、雰囲気の良いレスト
“草原に黄色い花を見つける”のロケ地に立ち寄りました。フーエンと言う地域です。絶壁の先の海は美しく、サボテンが砂場の上に力強く根をはやしています。無数のトンボが飛び交う美しい場所でした。この映画は日本でも上映されたようです。一度観てみようと思います。その後、ダージア岩にも立ち寄りました。自然が創り上げた見応えのある場所です。
トイホアの駅につきました。汽車の最高速度は80km/hくらいですが、平均だと60km/hだと思います。ゆっくりとはいきませんが、リクライニングで眠られるレベルです。しかし9時間は長かった。途中の風景に少し癒されました。トイホアの駅からまずは朝食へ、ミンガとチキンライスの2択で私はミンガを選びました。今からバスでクイニョンに向かいます。
電車の中は食堂車があって、簡単な食事もできます。お粥、麺類、とうもろこしなどです。私はビールをいただいています。相席とかも全く関係なく、隣のテーブルの人ともすぐに仲良くなって、123ヨーです。汽車は少しスピードを上げて進んでいます。私は座席に戻り少し仮眠をとるところです。やっぱり寝台車がいいかもしれません。今この辺りを走っています。出発から約2時間です。
ちょうど今汽車に乗り込みました。9時間の長旅です。サイゴン駅は雨☂️さあ出発です。
電車と言うと、ホーチミンには汽車しかありませんと返答が、、確かにその通りでした。ということで、今晩から月曜日まで、クイニョンという中部の町に旅行に行きます。汽車でというのは、行きのみで、途中バス、帰りは飛行機というスケジュールです。初めてのベトナムでの汽車ですが、ベトナム統一鉄道(南北線)と言って、南北を繋ぐ1726kmの歴史ある鉄道です。経験してみないと分からないので、今回はこのルートにしました。南北の統一のその時代背景を感じられる名前です。私は、行ったことのない町で、人の姿