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丸紅ギャラリーでボッティチェリが描いた至宝「美しきシモネッタ」特別公開展が再び幕を開けました。実は今回気づいたのですが、私はこの絵のモデル・シモネッタ・ヴェスプッチが最初に埋葬された場所を訪れていました。行った当時はそんなことには気づかず。訪れた目的は別にありました。何のために訪れたのかを話す前に、まずはシモネッタのおさらいから始めたほうがよさそうです。シモネッタ・ヴェスプッチは、ルネサンス期のフィレンツェで類まれなる美貌の持ち主として名を馳せました。イル・マニーフィコ
最近はイタリア・ルネサンスの絵画を鑑賞することが楽しみの一つとなっています。中でもドメニコ・ギルランダイオの絵に惹かれています。ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像この絵を初めて観たときに肖像画の美しさはもちろんのこと、背景に描かれている文字にも注目しました。絵の中に描きこまれた文字を「カルテリーノ」と言うそうです。これまでも西洋絵画の中にカルテリーノを見つけるとその内容が気になっていましたが、私自身がラテン語を学び始めた頃から益々興味が湧いてきたのです。
シンプルな小箱・・・いや、KANESEI小箱としては、シンプルな小箱が出来ました。こちらも星のような模様を入れてありますが、いつもの青ベースに金の星ではなくて、パスティリアで小さな点々をで集めて盛上げて、その周囲をマイクロ点々を打ってキラキラとさせてみました。蓋の縁はひと回りぐるりとベルト状に一段高くして、格子のようなウロコのような模様が細かく入っています。この写真だと暗くて見えませんが・・・ちなみに箱の下の本は、2023年フィレンツェ滞在時に書店で立ち読みして、時
今年もまたこの時期になりました。「小さい小さい絵」展です。秋に完成させましたギルランダイオ作「ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像」部分模写を出品します。展示即売会、でございます。第29回小さい小さい絵展12月21日(木)~27日(水)最終日は17時閉場池袋東武百貨店6階1番地アートギャラリー03-5951-5742池袋東武百貨店名刺大の板にボローニャ石膏地を作り、卵黄テンペラで模写しました。この絵「ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像」をギルランダイオが描いた当
先日完成しましたギルランダイオ「ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像」卵黄テンペラの部分模写の額縁を作りました。この絵は毎年暮に開催されます「小さい小さい絵」展に出品する予定です。▲先日完成した部分模写この「ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像」オリジナル作品は黒と金の額縁に納められておりまして、じゃぁシンプルながら同じ色の額縁にしましょう、と決めました。木を組んで下ニカワを塗り、ボローニャ石膏を塗り重ねまして。さて、いつもならここから石膏地を紙やすりで磨いて整えるのですが、今
ギルランダイオ作「ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像」部分模写ができました。サイズは10センチ×6センチ、名刺のひと回り大きいくらいのサイズです。オリジナル作品は77センチ×49センチ、スペインの美術館にあります。▲わたしの模写は・・・うむ、すみません。お許し下され。オリジナルの表情より子供っぽいような、のんきそうな眼差しになってしもうた・・・▲画像はwikipediaより若く艶やかな肌、気品ある表情を、ギルランダイオはさすが美しく表現しています。彼女、
ルネッサンス期にフィレンツェを中心に活躍した画家、ドメニコ・ギルランダイオの作品「ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像」のテンペラ画模写をはじめました。オリジナル作品は腰から上の姿ですが、わたしは顔だけアップで。▲完成までの道のりはまだまだ長い。ギルランダイオの作品は、フィレンツェの教会や美術館で、またローマのヴァチカン美術館でも観ることができますが、いわゆる「すごい人気作家」ではありません。今回模写に使っている画集はフィレンツェの美術専門古書店で2018年に買いました。
受胎告知1472年頃東方三博士の礼拝ギルランダイオ1488フィレンツェ孤児養育院美術館受胎告知で優れているとされる背景の風景画について、同時期に描かれたギルランダイオの風景画と比較することでその特徴を見ることが出来る。「受胎告知」の風景には重なる山並み、船の行きかう港、などフランドルの風景画の影響がうかがえる。そこはギルランダイオのこの絵の遠景と似ている。しかし景色は遠ざかるにつれ色彩が変化し、輪郭が消失し
この当時は、壁画はフレスコ技法で描くのが一般的でした。フレスコ技法とは、壁表面に漆喰を塗り、漆喰が乾く前に絵具をぬると、壁に一体化するので長期にわたって保存できる技法でした。先回紹介した、ミケランジェロの天井画や「最後の審判」もフレスコ技法によるものです。ただしフレスコ技法は、漆喰が乾く前に色を塗らなければならなく、時間的制約があり、何度も重ね塗りができないのがデメリットでした。レオナルドが「最後の晩餐」を描くにあたり選択したのは、フレスコ技法ではなく、テンペラ技法でした
「最後の晩餐」といえば、現代ではレオナルド・ダ・ヴィンチの作品を思い浮かべる方が多いと思いますが、このテーマは、多くの画家さんも描いています。今回は、レオナルド以前に描かれた「最後の晩餐」を紹介します。ここではペテロ・ヨハネ・ユダがどこにいるのかというのと、ナイフを持っている人は黄色い枠で示しております。1308-11年DUCCIOdiBuoninsegnaテーブルを囲むように12弟子がわかれて座ってます。手前側の5人とも光輪がなく、金袋もないのでユダが誰なのかわかりません
明けましておめでとうございます。コロナ禍になって、どこへ行くでもなく、誰かに会うでもなく、一年の思い出も、例年に比べ少なくなっているような気がします。2022年は、どうなるのだろう。。全く予想がつきませんが、今やれること、今やりたいことを感じるがままに心に任せて、進んでいきたいと思います。皆さまにとっても、平穏で健康な一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。祭日と土日が重なったクリスマス休暇とお正月。主人は、その日以外は仕事で休みがとれないので、遠出は諦めフィレンツェの
ジャン・フーケのTheHoursofEtiennneChevalierより全体図HoursofEtienneChevalier-SaintStephan解説から。聖ステファンがローマ総督と大祭司の前で石打ちの刑に処せられているところ。聖人の左側に座っている青いローブと赤い帽子の男がサウルという名前の男,後にパウロと呼ばれるようになる。風景は劇場のセットのような人工的な岩とトゥレーヌ地方の景色が組み合わされている。上空にあるのはステファンのヴィジョン。「天国が開か
ジャン・フーケのTheHoursofEtiennneChevalierより。TheMarriageoftheVirgin1452-60解説によればフーケは,このソロモンの神殿の偉大な扉の前での伝説的な場面を表わすのに,彼のローマに滞在したときの記憶を使った。オリジナルのサン・ピエトロ大聖堂(現在の大聖堂の前に建設されたもの)がモデルとして使われた。有名な螺旋状の柱が力強いアーチを枠取り,その向こうにTheArcofGod(聖櫃)が姿を現す。これらの柱(花輪や木
マタイによる福音書2章1~12節イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。彼らは王に言った、「それはユダヤの
受胎告知が1472-75年で、マギの礼拝(東方三博士の礼拝)が1481-82年です。「マギの礼拝」は、この先ダヴィンチが描いていく天を指す人差し指がはじめに描かれた作品です。今回は「マギの礼拝」の前の、ざっと1470~1480年の間にダヴィンチが描いた作品とヴェロッキオ工房の兄弟弟子、ボッティチェリの作品の一部をピックアップしてみました。1470サンドロ・ボッティチェリ1470-75ドメニコ・ギルランダイオ
フィレンツェのアルノ川沿いポンテ・ヴェッキオから下流方向にすこし行った先にChiesadiSanSalvatoreinOgnissantiオニッサンティ教会があります。町の中心部から少し離れていることもあって、留学中も含めて一度も訪れていない教会。ですが、それはそれは素晴らしい教会で、返す返すもなぜ今まで行かなかったのかと自分を不思議に思うばかりです。アルノ川右岸をてくてく歩く途中風船お兄さん発見!幸先が良さそうです。正面ファサードはバロック様式ですが派手さが無
フィリッポ・リッピ(1406-1469)フラ・アンジェリコとともに15世紀初期のフィレンツェ派を代表する画家であり、ボッティチェリの師です。ダヴィンチがヴェロッキオ工房に14歳で弟子入りしたのが1466年です。ボッティチェリは1460年から1467年(15~22歳)までフィリッポ・リッピの工房で修行をしていたそうです。フィリッポ・リッピがフィレンツェのプラート大聖堂において、洗礼者ヨハネ伝と聖ステファノ伝をテーマとした壁画を制作したのは1452-1465年ですので、リ
ダヴィンチが「受胎告知」のテーマに「死の告知」のテーマを重ねたのは、ギルランダイオのこの作品からヒントを得ていたのではないかと3年前に推理したのですが、ギルランダイオだけではなかったようです。フィリッポ・リッピ(1406-1469年)ボッティチェリの師であるフィリッポ・リッピの作品に聖母マリアに死が近いことを告げる「聖母の死の告知」なるテーマのものがありました。ちなみに新約聖書には「受胎告知」に関する場面はありますが、聖母マリアに「死の告知」をするという場面はありま
先回は墓碑を模した書見台に着目しましたが、今回は聖書です。「受胎告知」の作品から聖書の部分もピックアップしましたので、ご覧になってください。閉じているものもありますが、大多数が聖書は開いています。開かれたページは、旧約のイザヤ書にあたります。ページを押さえたり、次のページをめくろうとするものなど多種多様な聖書の描き方の中で、ダヴィンチは開いたページ(イザヤ書)を押さえながら、親指で残りの最後のページまでをめくりあげています。何故、ページの最後を見せているのか?
ヴェロッキオの「キリストの洗礼」に描かれたナツメヤシ!ナツメヤシは、旧約聖書のエデンの園の「生命の樹」のモデルとされているそうです。「生命の樹」のモデルと伝えられている通り、フラ・アンジェリコの受胎告知の1枚に、エデンの園を追放されるアダムとエバの背後にナツメヤシが描かれていました。またナツメヤシの学名はPhoenix(フェニックス/不死鳥)がつきます。フェニックスといえば、ハリーポッターでも登場していましたね。ウィキ○○ィアからの情報ですが、フェニックスは死期を迎
ヴェロッキオ工房にいた、ペルジーノ、ギルランダイオ、ボッティチェリらの作品をいくつか紹介してきた中に、異時同図法の作品がありましたよね。今回はその異時同図法についてです。異時同図法はヴェロッキオ工房の面々が始めに描いたのではなく、自分の知る限りにおいては古いもので1426-27年のマザッチョの『貢ぎの銭』という作品があります。こちらが『貢ぎの銭』で、マタイ福音書17章24-27節の場面を描いたものです。①中央は、収税人がイエスに税金を要求し、イエスはペテロに魚を釣って口の中
サンドロ・ボッティチェリ1445-1510ボッティチェリは、ヴェロッキオ工房におりましたが、弟子としてではなかったようです。ダヴィンチがヴェロッキオ工房に弟子入りしたのは14歳で1466年。ボッティチェリはダヴィンチより7歳年上。その頃にこれだけの作品が一人で描けるのですから、ダヴィンチにとっては「師」に近い存在ではなかったかと思うのです。ボッティチェリは1475年『マギの礼拝』で、手前右端に自画像を描いています。視線はこの絵画を鑑賞する側に向けていま
ドメニコ・ギルランダイオ(1449-1494年)ダヴィンチより3歳年上ですね。右側のはヴェロッキオ・ダヴィンチ・ボッティチェリなど複数で描いたとされてますが、ギルランダイオは単独でも描いていたのですね。ダヴィンチの『受胎告知』を解釈する上で必須な絵ですよ。これはまた追々で。自分は下の、ネコがいる方のが好きかな。こちらも異時同図法の作品です。中央のイエスの他に、中段の左右にもイエスがいます。
ヴァールブルク著作集4『フィレンツェの祝祭的生における古代と近代』“第5章1589年の幕間劇のための舞台衣装”を読む。(p134~)いよいよこの論文の肝と言えるところ。デ・ロッシの記述やブオンタレンティの素描に見られるような「はためくマントやヴェールを何枚も重ね着したこうした空想的な女性の服装は…装飾的なマニエリスムにとって手本となるもの」。こうした装飾的要素はいわゆる「ニンフ」の身なりに由来するもので,「ニンフはイタリアの十五世紀が、全く独特で幸福な仕方によって、その芸術的才能と
『絵画の発明-ジョルジョーネ「嵐」解読』(サルヴァトーレ・セッティス著,小佐野重利漢訳石井元章・足立薫訳晶文社,2002年)より。「ドメニコ・ギルランダイオは,―かつてアビ・ヴァールブルクが完璧に証明したように―別の方法で“異教世界の死”をサンタ・トリニタ聖堂サッセッティ礼拝堂のために描いた《キリストの降誕》に表現した。」(p172)AdorationoftheShepherds,DomenicoGhirlandaio(1448–1494)1485花綱-フェスト
2月17日フィレンツェサン・マルコ(修道院)美術館の11回目です。サン・マルコ(修道院)美術館の2階には43の僧房があり、多くの部屋にフラ・アンジェリコの作品が掛けられていました。印象に残っているのは磔刑図の多さです。#1-3『キリストの磔刑』2階を一回りして1階に降りるとフラ・アンジェリコ以外の多くの作品がありました。その中で特に印象に残ったのが、ギルランダイオの『最後の晩餐』です。『最後の晩餐』で有名なのはレオナルド
先日来読んでいる「イタリア・ルネサンス美術史」。ちょっとした思い込みで微妙に解釈が違っていたことなど発見し、やっぱり通史というのは一度ぐらい参照しておいた方がいいなぁと実感する今日この頃。さて今回はといえば、「最後の晩餐」について。ダヴィンチの「最後の晩餐」が、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の食堂の壁に描かれたように、ギルランダイオやカスターニョの同主題壁画も修道院などの食堂に描かれていました。私は、晩餐のシーンだから食堂なのだろう、と単純に思っていました。まあ
聖クリストフォロスを検索していたら,ギルランダイオの作品があった。これはMETの所蔵だが、1475年頃、フィレンツェのMichelozzivillaの壁からカットされおそらくフィレンツェの教会のファサードを飾ったのだろうということだ。さらにアンドレア・カスターニョのFarinatadegliUbertiの左手に影響されたとも書いてある。(METのカタログ)SaintChristopherandtheInfantChrist:284.5cm×149.9cmメトロポ
2月13日ヴァチカン美術館システィーナ礼拝堂の21回目です。システィーナ礼拝堂の側壁画「キリストの物語」の3回目「最初の使徒のお召し」ギルランダイオの作品です。新約聖書『マタイによる福音書』第4章が題材のようです。①第4章18節さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。②第4章19・20節イエスは彼らに言われた、「わたしについてきな
海外旅行や英国でのショートステイを通じて私の興味は印象派の絵画から宗教画へと移っていきました。ただ、カトリックの学校に通ったことがあるわけでなく、聖書を知らない自分には、宗教画を真に味わうことは無理、と思っていました。それでも数多く見て行くうちに、annunciation(受胎告知)と題された絵のなかのマリア様のそばには天使が必ずいて、白百合があって、、、と主題ごとのアトリビュート(神話・聖書上の人物のお決まりの持ち物など)が徐々にわかっていきます。聖セバスティアヌスの殉教