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先日、新しいキューバ映画のウェブ誌『アルテルナ』を紹介しました。第1号の表紙を飾ったのは、今やキューバ映画の重鎮、フェルナンド・ペレス監督ですが、本誌の中でペレス監督は「表紙には自分ではなく、トマス・グティエレス・アレア監督(愛称ティトン)の写真を望んでいた」と言い、その理由を次のように語っています。ティトン「ティトンは我々の歴史や現実について最も意義深い映画を残してくれただけでなく、思想を残してくれた。反体制的な彼の思想は今も生きており、我々の論争とシンクロして
新しいキューバ映画誌「ALTERNA」(ウェブ媒体)が今月16日に創刊された。記念すべき第1号の表紙はフェルナンド・ペレス監督。雑誌作りに携わっているのは、昨年6月にこの事件がきっかけで発足したACCこと映画人集会(AsambleadeCineastasCubanos)の面々。発案者にして編集長は、エステバン・インサウスティ。彼はキューバ在住だろうが、海外に住むキューバ人も参加している。ACCメンバーのひとり、映画研究家のガルシア・ボレロ氏は自身のFBで次のように抱負を語って
日本での公開を待望していた『オッペンハイマー』をようやく観た。映画『オッペンハイマー』公式|3月29日(金)公開(oppenheimermovie.jp)普段ミニシアターに行くことが多いせいか、大スクリーンが放つ《体感的衝撃》に圧倒された。核実験での爆発シーンでは、思わず手を合わせ、途方もない悲しみに襲われた。あれが広島と長崎の人々の頭上に起きたのだから。もしナチスが先に降伏していなければ、日本じゃなかったかもしれない…そんな映画の示唆に困惑した。想定外の
ICAIC創設65周年を祝うトークイベントの《トマス・グティエレス・アレア監督》がテーマの回で、ミルタ・イバラ夫人が〈アルフレド・ゲバラ長官との不和〉を話しましたが、今日はアルフレド・ゲバラの反論を紹介します。参照したのは、キューバ映画研究家で先日「アレッホ・カルペンティエル賞」を受賞したアントニオ・ガルシア・ボレロ氏のFB投稿(彼が執筆中のアレア監督の伝記の一部)。背景については、下の拙ブログ記事をご参照ください。『PM』上映禁止事件|MARYSOLのキューバ映画修行(a
前回に続いて、創設65周年を迎えたICAICにまつわるトークショーの紹介。今回のテーマは〈トマス・グティエレス・アレア監督〉、愛称〈ティトン〉。登壇者:ローラ・カルビーニョ(シネマテカ副館長)、ミルタ・イバラ(故アレア監督夫人、女優)、ホルヘ・ペルゴリア(俳優)、グラナード(撮影監督)メインスピーカーは、ミルタ・イバラさん(以下、敬称略)だったので、彼女の話から個人的な関心事をメモ代わりに記しておきます。※はMarysolの注釈彼女の話で印象的だったのは、アルフレド・ゲバ
去る12日の早朝、マイアミにてセルヒオ・ヒラル監督が亡くなりました(享年87歳)。謹んでご冥福をお祈りいたします。以下は、氏の簡単な略歴です。1937年1月2日、ハバナで、アメリカ人の母とキューバ人の父の間に生まれる。10歳のとき家族とニューヨークに移住。絵画を学ぶ。1959年、キューバに戻り、翌年ICAIC(映画産業庁)に入る。(ネストール・アルメンドロスに誘われた?)★黒人奴隷にまつわるフィクション三部作、"ElotroFrancisco"(1974年)、"Ra
Deciertamanera(邦題:ある方法で)1974年(公開は1977年)/79分/ドキュ・ドラマ/モノクロ監督:サラ・ゴメス助監督:リゴベルト・ロペス、ダニエル・ディアス・トーレス脚本:サラ・ゴメス、トマス・ゴンサレス録音:ヘルミナル・エルナンデス美術:ロベルト・ララブレ音楽:セルヒオ・ビティエリ編集:イバン・アローチャ撮影:ルイス・ガルシア出演:マリオ・バルマセダ(マリオ)、ヨランダ・クエジャール(ヨランダ)、マリオ・リモンタ(ウンベルト)、ボビー・カルカセス
昨日「ディエゴの世界」について視覚的な観点から紹介しましたが、音楽も大事です!最もキューバらしい要素かもしれません。ディエゴはマリア・カラスが大好きなようでしたが、私としてはエルネスト・レクオーナやイグナシオ・セルバンテスへの言及や登場が嬉しい!また、ホセ・マリア・ビティエルが作曲・演奏しているテーマ曲もハバナの美しさと哀しさを彷彿とさせ心に浸みます。ところで、イグナシオ・セルバンテスの曲が使われるようになったきっかけを、原作者で脚本も手掛けたセネル・パスが次のように話しています
革命後のキューバ映画の中で、観客に最も大きな影響を与えた作品といえば『苺とチョコレート』。そのストーリーの背景は、70年代。そう、“灰色の時代”と言われる、革命の文化が大きく変容・後退した時期。その時代に、今年はいよいよ(ようやく💦)踏み込んいきたいと思います。まず、『苺とチョコレート』について最近読んだコメントの中で、私がぜひ紹介したかったのが、グスタボ・アルコス氏(映画批評・大学教授)の発言。↓↓↓本作の背景には、ソ連崩壊を受け、国を団結し再構成する意図の呼び掛けがあ
2023年に亡くなったキューバ映画人1960年代キューバの文化シーンとその葛藤を肌で知る人々がいなくなっていくのは本当に淋しいですが、せめて証言を拾い集めて、書き留めていきたいです。4月22日マリオ・ガルシア・ホヤ(撮影)訃報:撮影監督マリオ・ガルシア=ホヤ|MARYSOLのキューバ映画修行(ameblo.jp)5月21日レオン・イチャソ(監督)9月12日ラウル・タラドリ(ICAIC創設時メンバー)『アキラの恋人』の貴重な証言者のひとり12月6日エドムンド・デ
『グァンタナメラ』(1995年製作)の見どころは、1990年代前半の経済的非常時下のキューバの様相を、ロードムービーにして、ユーモアや機知、それに風刺を交えて描いているところ。ただ、キューバの事情に通じていないと、その面白さが分からないので、以下に要点を挙げて解説してみました。☆参考にした論評:AnatomíadelrégimendeCastroen"Guantanamera"-CódigoCine|CódigoCine(codigocine.com)ほか
グァンタナメラ(原題:GUANTANAMERA)/1995年キューバ・スペイン・ドイツ/91分/35ミリ/カラー/ICAICフィクション(ロードムービー)監督:トマス・グティエレス・アレア、ファン・カルロス・タビオ脚本:エリセオ・アルベルト・ディエゴ、T.G.アレア、J.C.タビオ撮影:ハンス・バーマン編集:カルメン・フリアス音楽:ホセ・ニエト録音:ラウル・ガルシア美術:オネリオ・ララルデ出演:カルロス・クルス(アドルフォ)、ミルタ・イバラ(ヒナ)、ラウル・エグレン(
昨日、映画『バービー』を観てきました。面白かったし(笑)色々な発見があり、今も楽しく反芻(はんすう)中です。映画『バービー』オフィシャルサイト(warnerbros.co.jp)ところで、私が《バービー人形》に興味をもったのは、エドムンド・デスノエスの小説「Memoriasdeldesarrollo(仮:後進性の手記)」とその映画化『セルヒオの手記』のおかげ。…というか、紹介するために、調べざるを得なかったから。※デスノエスが咥えているのは、もちろんバービー(札幌での上映プロ
HASTACIERTOPUNTO(仮:ある程度までは)1983年/88分/ドラマ/カラー(ポスターの作者はレネ・アスクィ)監督:トマス・グティエレス・アレア脚本:トマス・グティエレス・アレア、ファン・カルロス・タビオ、セラフィン・キニョネス撮影:マリオ・ガルシア・ホヤ編集:ミリアム・タラベラ録音:ヘルミナル・エルナンデス音楽:レオ・ブローウェル出演:オスカル・アルバレス(オスカル)、ミルタ・イバラ(リナ)、オマール・バルデス(アルトゥロ)、コラリア・ベロス(マリアン
今年で20年目(だが、パンデミアで開催できなかった年が3年)を迎えた、第17回ヒバラ国際映画祭が、8月1~5日に開催された。開会式で「名誉賞」を授与された、ルイス・アルベルト・ガルシアのスピーチはここで紹介したが、同じく「名誉賞」を授与されたホルヘ・ペルゴリア―2016年より同映画祭委員長を務めるキューバを代表する俳優―も、閉会式で文化政策の変革の必要を訴えた。ミルタ・イバラ(T.G.アレア監督夫人で女優)からトロフィーを贈られたJ.ぺルゴリア「キューバの文化政策は変化を必要として
今年没後20周年に当たる、キューバ映画の”忘れられた監督”、ニコラス・ギジェン・ランドリアン復活!のニュースを2つ報告します。①エルネスト・ダラナス監督の長編ドキュメンタリー『ランドリアン』が、今年のベネチア映画祭(8月30日~9月9日開催)のクラシック部門の出品作品に選出されました。トレーラータイトルの『ランドリアン』とは、キューバの異端的ドキュメンタリー監督、ニコラス・ギジェン・ランドリアン(1938~2003)のこと。本作は、ランドリアンの妻、グレーテル・
①7月15日夜、ラモン・サマーダICAIC長官の辞任に伴い、スサーナ・モリーナ氏を新副長官に任命。*サマーダ長官の辞任理由は不明だが、ドキュメンタリー『フィト・パエスのハバナ』が発端となった映画人の抗議と無縁とは考えられない。*モリーナ新副長官はこれまで国際映画テレビ学校(EICTV)の校長を務めていた。ACC(映画人集会)の主張・トップの交代で問題が解決されることはない。問題はもっと構造的で根深い。・キューバ映画は、文化省はじめどこの機関にも属していない。文化機関はアーティストに
7月3日に開催された「映画人集会」の様子。記録として残しておきます。
先日の投稿↓の23日の対話集会の様子が、もうビデオ作品になりました。ドキュメンタリー映画『ハバナのフィト・パエス』が生んだ論争|MARYSOLのキューバ映画修行(ameblo.jp)対話集会の出席者文化官僚(壇上)アルピディオ・アロンソ文化大臣、フェルナンド・ロハス文化副大臣、ラモン・サマーダ・スアレスICAIC長官、ロヘリオ・ポランコ・フエンテス共産党理論家、イネス・マリア・チャップマン副首相キューバ映画人集会(Acc):約50名オンライン参加:約30名エピソード5
今月中頃から、キューバ映画人たちと文化官僚たちとの対立が目立っています。発端は、6月10日にキューバ国営テレビが、ドキュメンタリー映画『FitodeLaHabana(仮:ハバナのフィト・パエス)』(2022年)をファン・ピン・ビラル監督の拒否を無視して放映したこと。しかも、盗まれた未完成のコピーが使われたというのです。これに対し、映画人たちが抗議声明文を発表。現時点で映画関係者を始め600人以上の署名が集まっています。因みにこの作品、2カ月前の4月下旬にハバナ市内のある
今月22日から7月13日まで、マドリッドの「カサ・デ・ラ・アメリカ」で「キューバ・インディペンデント映画:新たな仮想」と題し、近年のキューバ自主映画作品の上映会が開催される。☆初日(22日)の催し円卓会議:カルラ・バルデス・レオン、ダニエラ・ムニョス、ホルヘ・ルイス・アパリシオ、ディーン・ルイス・レジェス上映作品:ドキュメンタリーLospuros/カルラ・バルデス・レオン監督(2020)短編ドキュメンタリーLaopcióncero/マルセル・ベルトラン監督(2020)長編
映画『グァンタナメラ』(トマス・グティエレス・アレア監督/1995年)その中の大事なシーン↓のナレーションの訳。ヨルバ信仰の神を元にした内容です。世界の始まりのとき、オロフィンは男と女を創り、生命を与えた。オロフィンは、生は創ったものの、死を創るのを忘れてしまった。歳月と共に、男たちも女たちも年老いていったが、死なずにいた。地上は、何千年も生き続けている年寄りで溢れ、しかも自分たちの古臭い掟に従って支配を続けていた。最も若い者たちが必死に歎願したおかげで、ある
もうかれこれ30年以上も”追っかけ”ている映画、『低開発の記憶』(1968年)。本作を撮ったトマス・グティエレス=アレア監督の意図を知るための新たな証言をFBで得たので、ご紹介します。きっかけは、FBで友達になったキューバ出身の美術評論家兼で研究家(H.F.)の投稿(5/21)とビデオ。投稿には、以下のように書かれていました。Chago(チャゴ):キューバにおけるグラフィックユーモアに革命を起こしたが、1963年以降検閲された。彼の多義的な線画は、ごまかし、偽善、日和見主義、権力
イベロアメリカ映画の各部門における最優秀作品に授与される「プラチナ賞」。第10回目となる今年度のドキュメンタリー部門では、パベル・ジルー監督の『パディージャ事件』が受賞しましたが、監督の受賞の言葉が注目されています。2023年4月22日マドリッドにて「本作はある詩人の実話を映画化したものです。彼は1971年に体制に批判的な作品を書いたという理由で刑務所に入れられ、その後公の場で作品の撤回を余儀なくされました。最悪なことに、私の国では半世紀以上を経た今も同じことが起きました。それゆえ、私
公園からの手紙(原題:CARTASDELPARQUE)1988年/キューバ=スペイン/ドラマ/88分*新ラテンアメリカ映画基金がスペインテレビ局と組んで製作した「愛の不条理シリーズ」(ガルシア・マルケスの原案または脚本による6か国の作品)のキューバ編。日本では1990年10月に開催された「新ラテンアメリカ映画祭’90」で上映された。監督:トマス・グティエレス=アレア原案:ガブリエル・ガルシア=マルケス脚本:エリセオ・アルベルト、T.G.アレア、G.G.マルケス撮影:マリオ・ガル
写真家として、また、キューバ映画において撮影監督として活躍したマリオ・ガルシア=ホヤ氏が22日、マイアミで亡くなりました。享年84歳。謹んでお悔やみ申し上げます。ガルシア=ホヤ氏が撮影した映画作品は約90本にも及び、とりわけ70年代以降のトマス・グティエレス・アレア監督の作品には(『グアンタナメラ』(1995年)を除き)全作品に撮影監督として関わった。『悪魔と戦うキューバ人』(1971年)、『最後の晩餐』(1976年)『天国の晩餐』(1978年)、『Hastaciertopun
今朝の日経朝刊文化面に「ラテンアメリカの民衆芸術」展のことが大きく取り上げられており、とても興味深い内容でした。特に「メキシコの壁画運動」に言及した部分は、セルバンテス文化センターで「フリーダ・カーロとディエゴ・リベラの回顧写真展」を開催中(4月15日まで)なので、タイムリー。でも何より、キューバ映画ブロガーとしては、先日読んだ資料の以下の部分を紹介するチャンス!以下、メモ代わりの訳文ですが、革命直後(60年代前半)のキューバの文化シーンと〈メキシコ壁画運動〉
今年のキューバ映画は、さらなるインディペンデント作品の活躍が予想されます。以下に紹介するテキストは、2010年の「キューバ映画祭inサッポロ」のプログラムのために、マリオ・ピエドラ教授が寄稿してくれた文章。あれから10年以上が経ち、2019年から20年には検閲が原因の波乱があり、新たな展開が起きていますが、とりあえず〈1959年から2010年までの大まかな流れ〉としてブログで公開します。キューバの文化政策と映画マリオ・ピエドラ(ハバナ大学教授)1959年の革命勝利後
『観ないと損・・・430』壁]ω・)チラッ...きかもーんちー(笑)ども、蛙です♪さて、今夜蛙が紹介する映画は・・・ゾンビ映画&コメディの秀作『ゾンビ革命』2012年/キューバ(^ω^)この映画は・・・キューバの首都ハバナを舞台としたゾンビ映画ある日突然、何の前触れもなく首都ハバナで騒ぎが起こる・・・革命かっ!?イヤ、ゾンビだ!(笑)その時、ある男の頭に・・・ある考えが閃いた!ゾンビに成ってしまった家族を・・・家族に代わって抹殺する・・・代行業ビジネス♪男は仲間を集めてゾン
ファウスト・カネル著:NiTiempoParaPedirAuxilio(仮:助けを求める間もなく)」1959年、革命政権最初の文化機関として創設された映画産業庁(ICAIC)に19歳で入所し、ドキュメンタリーに始まり、長編フィクションの監督となったファウスト・カネルの実話、「NiTiempoParaPedirAuxilio(仮:助けを求める間もなく)」(1991年出版)を読みました。内容1964年7月、キューバ渡航が禁止されている米国から、革命へのシンパシーを抱