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JR九州のキハ31形気動車は、国鉄分割民営化の直前であります昭和61年に登場しておりまして、以来JR後も製造を続けまして、最終的には23両が製造された気動車でもあります(うち1両がくまがわ鉄道に譲渡→その後廃車となっております)。このキハ31形気動車の特徴と言いますと、「バス=列車」と言ってもいいような形であるのが特徴でありまして、実際にキハ31形気動車のドアはバス用の折戸式である事、車内の機器類に関しましてもバスの部品が使用されている事が上げられております。また、これら車
緑川駅に入線するキハ31系の普通列車当時は朝の三角線に運用されていました近く運用がなくなるとの話を聞いて訪問しました(2019年3月16日ダイヤ改正で定期運用終了)緑川駅に停車中を撮影キハ31の定期運用がなくなりもう5年になります
土佐大正にてホビートレインとしまんトロッコ(ただしトロッコ車両なし)の交換『2023年11月四国弾丸の旅⑧』予土線名物鉄道ホビートレイン宿毛からは元来た道を戻ります。宿毛線内は快調に飛ばしあっという間に中村に戻ります。途中、四万十川では四万十橋(赤鉄橋)が見えま…ameblo.jp予土線鉄道ホビートレインはツアー客で満席。あえなく後部で立つことになりました。満員の理由の一つは、車内に飾られているHOゲージのケースがあること。乗客が少ないことを逆手に取ったアイディアですが
今年もきょうで終わりです。1年間私のブログを見ていただきありがとうございました。きょうは31日で明日は1日なので2013年5月6日に熊本駅で写したキハ31-1です。
かつて九州には、バスに使用されている部品を使用しました気動車であります「レールバス」が昭和時代から存在しておりまして、閑散線区を中心に活躍する姿が見られておりましたが、昭和60年代~平成時代にも同じくバス部品や廃車発生品の部品を使用した気動車が存在しておりました。それが、キハ31形気動車でありまして、国鉄末期の昭和62年に登場しまして、そしてJR化後の昭和63年まで製造されました気動車でありまして、以来、香椎線・篠栗線・筑豊線・日田彦山線・久大線・日南線などで活躍しておりましたが、
宮地行きの普通列車キハ47+キハ58+キハ31の3両編成バックには阿蘇の外輪山が見えます内牧に向かう列車を待っている際に撮影したと思います阿蘇駅は外国人観光客の利用が多いこともあり英語表記の案内も見かけました
スイッチバックを走るキハ58系の普通列車立野から徒歩で名撮影地を訪問田植えの情景を入れてみました名撮影地から定番の構図での撮影手前にアザミの花を入れて撮影後方はキハ31の普通列車
思いでリブログ(懐かしい記事編)コーナーです。懐かしい過去記事をもう一度・・・きまぐれ投稿です(-。-)y-゜゜゜毎日、特急乗ってるけどたまには田舎の単線をのんびり一人旅もいいかも。2015年11月30日の記事よりここは福岡県飯塚市JR新飯塚駅です。筑豊地方の田川市の田川後藤寺駅まで一人旅に出かけました。この古いディゼルカーに乗っていきます。キハ31形-19といいます。JR九州でも非電化路線です。
昨日は朝起きると雨天気予報はずれてるし・・・・・・!仕方ないんで前から行きたかったお手軽のところへ車で行くと時間がかかるんで今回は電車でGO!10年以上ぶりのつくばエクスプレスで流山セントラルパーク駅まで20分くらいで到着車じゃそういうわけにはいきませんね駅から10分弱流山市総合運動公園です霧雨の中さすがに人はパラパラです周りも少しは紅葉してるしロッドがシルバーなのはちょっと・・・・ね~黒が望ましい保
現在、筑豊線とともに「福北ゆたか線」を形成しております篠栗線は、現在近郊型電車では上の画像にもありますように817系・813系各電車、さらには主に「若松線(折尾~若松間)」で運行されます最後の画像の819系蓄電池電車も運行する路線でもありまして、快速列車に関しましては全列車3両以上による編成で運行されております。そんなこの篠栗線は、全線開通からちょうど55年前の昭和43(1968)年の5月に篠栗~桂川間が開業した事で全線開通へと至った路線でもあります。尚、吉塚~篠栗間は、当時沿線に
2003年11月1日、人吉駅にて。キハ31-14でやってきた、「いさぶろう」吉松行き。10月4日に、「いさぶろう・しんぺい」専用車だったキハ47-9082・8159の2両が、博多からの団臨として小倉総合車両センターへ向かった。2両はそのまま入場し、以前も記事にしていたように久大線の新しい観光列車になるため再改装を受けることになる。『久大線の新しいD&S列車に、「いさぶろう・しんぺい」を転用・・・。』2022年3月13日、門司港駅にて。博多からの「しんぺい92号」で到着した、「いさぶろう
現在も令和2年の「熊本豪雨(令和2年7月豪雨)」によりまして八代~人吉~吉松間で寸断されております肥薩線で運行されておりました優等列車は、平成29年のダイヤ改正によりまして、上の画像のキハ40系気動車で運行しております「かわせみやませみ」が熊本~人吉間で運行されておりまして、観光列車と言う事もありましてこれまでも多くの乗客が利用されておりました。この列車は、さかのぼりますと特急「九州横断特急」・「くまがわ」を継承する形で運行されておりまして、特急列車としての役割も果たしておりまし
いつもご覧いただき有難うございます。肥薩線は、熊本から人吉を経由し鹿児島を結ぶ鹿児島本線として1909年に全通しましたが、1927年には現在の鹿児島本線にメインルートを譲り、1932年には現在の八代-隼人124.2Kmの路線となりました。2020年7月の豪雨により肥薩線だけでなく球磨川流域全般にわたり甚大な被害を発生し、八代-人吉-吉松が現在も不通となっています。その状況は、2021年7月の小ブログ『復興祈念肥薩線・くま川鉄道』に記していますので、ご参照ください。また、被害に遭われた
これまでもご紹介しておりますように、筑豊線(「若松線(折尾~若松間)」・「福北ゆたか線(折尾~直方間)」)では、「DENCHA」こと819系蓄電池電車を中心とした列車が運行されておりまして、これら区間に直通列車も運行されております(画像2が若松発直方行き)。この819系蓄電池電車と言いますと、非電化区間も運行する事ができますので、非電化区間でもあります「若松線」ではまさに独り舞台としての姿を見せておりまして、定期列車のすべてが819系蓄電池電車での運行となっておりまして、かつて見ら
動かないやつには興味はない、そんなことを嘯いていました。しかし、保存車両にも消息があり、浮沈があることを知り、今更ながらその魅力の入り口にたったところです。今回は流山市総合運動公園内に展示されている、流山鉄道のキハ31を訪ねました。今にも走り出すんではいか、と思われるほど車両が生き生きして見えました。保存会の方々のご苦労が偲ばれます。流山鉄道とは、現在の流鉄。流鉄というよりは総武流山電鉄というほうがしっくり来るようにおもいます、私としては😉流山鉄道キハ31は、1933年に汽車会社東京支
JR九州の宮崎地区は、上の画像の南宮崎駅に電車・気動車の車庫を置いておりまして、そのうちの気動車につきましては、「宮崎車両センター」と呼ばれます区所が存在しておりますので、それら所属の気動車によりまして運行されております。宮崎車両センターは、平成23年の改正に伴いまして、これまでの鹿児島総合車両所(現・鹿児島車両センター)の「日南運用」から独立した形で発足しておりまして、日豊線宮崎地区や日南線などを管轄する宮崎総合鉄道事業部の車両管理部門として現在に至っておりました。しかし
JR九州のキハ40系(キハ40形・キハ47形・キハ140形・キハ147形)気動車では、車両前面上部にあります行先表示はほとんどの路線では使用されておりません(但し「普通」などの表示は出します)が、当ブログでもこれまでもご紹介しておりますように、唐津車両センター所属車・直方車両センター所属車では行先を出すようにしております。唐津車両センター所属車に関しましては、平成4年より出すようになりましたが、運行区間が元々唐津線と筑肥(西)線(唐津・山本~伊万里間)と狭い事もありまして、行先の
撮影日1998/05/15肥薩線/吉都線/くま川鉄道/鹿児島市交通局を乗りつぶす前日夜、南宮崎から乗車した特急ドリームにちりん6:30博多着7:00発特急つばめ1号に乗る右783系電車/博多駅つばめ八代8:51着肥薩線八代~人吉は大雨による土砂崩落で運転取りやめ代行バスに乗り、人吉駅10:07着11:21発のくま川鉄道列車に乗るKT-100形気動車/人吉駅12:05湯前着、12:30発の列車で折り返すKT-200形気動車/湯前駅人吉13:
皆さんこんにちは。枕崎から戻ってきた西鹿児島駅には、この列車も戻ってきていました。数日前の朝にも見かけた列車。さようなら大隅線の旅大隅半島一周号。日本国有鉄道鹿児島鉄道管理局。前回見かけた時のヘッドマークはこちら鹿児島駅となっていてデザインが違いますね。多分ダイヤは一緒で、主催が駅や鉄道管理局で数日間にわたって運転されていたようです。どなたか詳しい方おられますか?後は、国鉄色後期型パノラミックウィンドウのキハ58でした。さてその次の写真が
皆さんこんばんは。別府駅の写真の次は、夕方の熊本駅でした。この間は、夜行の急行で夜を過ごしてどこかの線を乗り歩いていたと思うのですが。熊本駅16時35分発寝台特急はやぶさ東京行。やはり東京発着のブルートレインは、長大編成で貫禄がありますねえ。電源車の前がA個室寝台のオロネ25その2両を含む後ろの7両が当時の日本最長距離を走る寝台特急で西鹿児島ー東京間を走破。その編成の前に熊本から食堂車とロビーカーを含む8両を連結して総勢15両の青い客車と電気機関車で東京
写真フォルダを整理していた時に発見した、宮崎に居るキハ31。大分や熊本、何より地元福岡や北九州・筑豊でその姿を確認していたものの、宮崎にも在籍していた。実に18年前の話。おそらく日南線で走っていたのだろう。キハ40系との2B運用。いまにして思えば貴重な絵。おそらくはこの小さな車体では宮崎のラッシュに対応出来なかったのかもしれない。南宮崎で佇む姿。単行でも走ったのだろう。日南線をトイレなしで。
探索日2016/12/31豊前川崎駅と第二大任駅を結んでいた貨物線1906年1月12日開業/1970年2月1日廃止用地は油須原線(未成線)に転用される予定やった駅から途中までは第一大任線と共用あれが豊前川崎駅日田彦山線右沿いが第一/第二大任線跡日田彦山線に並走する支線跡ここで第一大任線が左へ分かれていく第二大任線は日田彦山線と隣接して続く櫛毛川を渡る右は日田彦山線櫛毛川橋りょうここに支線の橋が架かっていた豊前川崎駅方の橋台明治時代
探索日2016/12/30赤坂駅(現下鴨生駅)と赤坂炭坑駅を結んでいた貨物線支線は1945年6月10日廃止され、赤坂駅構内に併合後に麻生産業専用線となり、1960年代末完全廃止下鴨生駅北に残る貨物側線跡赤坂炭坑線はこれから続いていたと思われる赤坂炭坑線は後藤寺線のむこう側を並走していた支線はこのへんにのびてきていた奥のレールは後藤寺線支線は写真中央付近を左右に通過小道は当時からある後藤寺線をキハ31形気動車が走る左端のやつは国鉄の
探索日2016/12/29鹿児島本線の貨物駅縮小はされたけど、駅は存続しているらしい九州工大前~西小倉間に位置する駅から西へのびていた引き上げ線の末端枕木が残っているキハ31形気動車の走ってるとこは鹿児島本線鹿児島本線を883系電車特急ソニックが通過鹿児島本線を813系電車が通過あそこが浜小倉駅跡駅跡地には小倉コロナワールドなどが進出これは線路予定地か?現在も駐車帯として生き残っている
2007年9月、熊本で1泊して、翌朝熊本駅へ。特急を待っているときに向かいのホームをみると、キハ31がいました。車両ナンバーを調べると、国鉄時代に製造されたナンバーと判明。ある意味、国鉄車両ですね。ただ、キハ31は現在…全車廃車となっています。
※本日31日につき、キハ31形気動車明日3月31日は17:30~居酒屋営業※21:30オーダーストップ22:00閉店としますビール(アサヒスーパードライ):400円ハイボール:400円ウィスキー:350円焼酎(いも・むぎ):350円日本酒:400円ノンアルコールビール:300円ウーロン茶:200円みかさの紳士淑女が集う阿志岐の迎賓館食事処御来欧音TEL090-2081-6468818-0011筑紫野市阿志岐1521-1
立野駅から原水駅まで移動し、原水駅近くの大津街道の杉並木を背景に撮影写真はキハ31の2両編成の普通列車当時の豊肥本線はキハ31の運用が多くありましたこちらはキハ58系の普通列車こちらは急行火の山4号
立野駅構内でホームの転線をしているキハ31当時は熊本から立野止まりの普通列車があり、到着後、別のホームに転線していました写真左側はJR立野駅舎でしたが、現在は解体されています