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廃線後、幸福駅の続編。37年経った今も奇跡的な美しさで屋外静態保存されているキハ22-221をご紹介致します。非常に嫌いな状態で保存されています。保存に尽力されている方々のご苦労に感謝です。国鉄キハ20系気動車。1965年以降の増備車、キハ22形200番台。キハ21形は北海道の酷寒地での防寒性能が不満足であったことから、酷寒地向けの耐寒仕様車として完全に新設計されたもの。1958年から製造開始され、北海道および東北地
春晴れの十勝平野。日高山脈が一望できます。十勝平野を南下、やって来たのは帯広・幸福駅。旧広尾線の駅です。1973年3月、NHKの紀行番組『新日本紀行』において「幸福への旅〜帯広〜」として紹介されたことで知名度が上昇しました。北海道の鉄路が日に日に少なくなって行きます。居ても立っても居られず、やって来ました。2009年以来、実に15年振りです。『2週間の動き』今月1日から十勝・帯広へ。戻ってきました~。長かった~!!ではこの間の行動を
親戚の子供さんの結婚式に出席するため訪問した北海道ですが、式の前日に少し観光に連れて行ってもらったものの、転んでもタダでは起きない性分ですから、道中に鉄道廃線跡のスポットも巡りましたのでご紹介しましょう!観光した内容記事→『道東のB級スポット?落石岬と納沙布岬を訪ねて(2024年3月/北海道の旅3)』前回の続きである。旧国鉄別海駅に隣接したマグハウスというお宿でゆるりと羽を休め、翌日には美味しい朝食をお腹一杯頂いきましたが、何故か食堂のあちこちに若い…amebl
バレンタインデーという事で、それらしい車両を・・・JR東日本ぐんま車両センターに配置されているEF64-1001は以前は、ぶどう色2号に塗装されていました。今は元の国鉄色に戻されました。ひたちなか海浜鉄道が茨城交通時代に廃止された羽幌炭鉱鉄道から譲り受けたキハ221国鉄20系気動車キハ22と同一仕様車。使い勝手の良さから茨城交通は湊線の車両近代化に際して羽幌炭鉱鉄道、留萌鉄道のキハ22、鹿島臨海鉄道、水島臨海鉄道が国鉄から譲り受けたキハ20を中古の中古で譲り受けて走らせてました。キハ
日本国有鉄道キハ2252キハ5616キハ2723北海道三笠市三笠鉄道記念館令和5年(2023年)9月27日㈭撮影キハ2252キハ2252キハ2252キハ2252キハ2252キハ2252キハ5616キハ5616キハ5616キハ5616キハ5616キハ5616キハ2723キハ2723キハ2723キハ2723キハ2723キハ2723キハ2723キハ2723
キハ22+40の普通列車。この後、糠平湖の畔をかすめると実質上の終点糠平はすぐ。まだ糠平~十勝三股には列車代行バスが残っていた頃。若かったからこそ撮りに行けた強行日程でもありました。
阿寒湖遊歩道をゆっくりと散策クマゲラには会えませんでしたが、次へ進みますまずは通り道にある道の駅あいおいにまずはクマヤキなんのことはない、たい焼きのクマ版まあ中身も色々ですそしてあいおいと言えばキハですここを後に津別峠に向かいます屈斜路湖が見えます
今日から日本シリーズです。バファローズ対タイガース戦という〝関西ダービー〟です。どちらを応援しますかね。ここは一つ、パ・リーグの方にしましょうか。5回の表にタイガースが球界を代表するエース、バファローズの山本投手から一挙4得点。うーん、強いですね。その裏にバファローズも森選手のツーベースヒットで反撃ののろしを上げました。まさに死闘ですね。以前買ったグリーンマックスのキハ22系キット。未塗装キットですので、どの色に塗ろうか悩んでいました。オレンジ色とクリーム色のツー
鉄道コムへTetsudo.com(鉄道コム)鉄道ファンのための“みんなで作る”鉄道情報サイト。鉄道に関するイベント情報、未来ニュース、車両トピックスを掲載。インターネット上の公式リリース、ブログ、動画、つぶやきなどを集めたリンク集や、参加型ゲーム「駅つなゲー」も提供。rd.tetsudo.com今回は、津軽鉄道で活躍した、元キハ22の写真をご紹介します。津軽鉄道は、津軽五所川原〜津軽中里間20.7kmの非電化私鉄です。元キハ22は、1989年にJR東日本から譲渡された気動車で、キハ220
追分駅を出た夕張線は、1㎞ほど室蘭本線と並走してから東へと分岐します。当日、分岐点に程近い地点でカメラを構え、D51牽引の貨物の試し撮りがキハ22でした。現在、この区間を走る普通列車は僅か2往復、でも当時は9往復で3両編成もありました。(1975.7.21キハ22夕張線追分〜東追分)お目当てのD51は追分駅到着が近いため、ほぼ絶気状態でした。(1975.7.21D51241夕張線追分〜東追分)この地点で3本の上り貨物列車を待ちましたが、有り難いことに1本は煙を吐いてくれま
一昨日の休み、あまり時間がありませんでしたが、少しだけ車両の整備を進めました。《キハ22系室内灯取り付け》この前大量に作成した室内灯の内、電球色を9両分作りましたが、今回はキハ22系の4両に取り付けました。先月ヤフオクで落札し、カプラーだけ交換したマイクロエースの4両セット。セットの内2両が動力車で、単行、2両編成、4両編成などのパターンで運転できるお得なセットです。以外とあっさり4両分取り付け終了。大きなトラブルもなく終わりました。動力車以外の2両を並べて点灯テストしました。今
(廃線近い)広尾線・愛国を行くキハ22。もう40年近く、この風景は原野に還っているのだろうか。。1987
9月の中旬に北海道の雌阿寒岳登山へ行ってきました。例年なら、肌寒さを感じながらと言うところですが、今年は異常でした。始発便で女満別空港へ降り立ちレンタカーで美幌町で燃料のガス缶や食料品を買い出しして津別経由で野中温泉へ!(道の駅あいおい:キハ22‐69)キハみたいなカラーの椅子野中温泉へ14時ごろに到着し、翌日の雌阿寒岳下山後を楽にするためオンネトーのキャンプ場へレンタカーを置きに行きました。赤いラインのなだらかに登っていくコース(約45分)を巻くことができます。
国鉄日高本線・静内駅。「競走馬のふるさと」として賑わっていたが・・(ToT)1987
本当にいつになったら心も体も穏やかに過ごせる日が来るのでしょう。仕事があることはありがたいのですが、さすがにきつくなってきました。で、帰宅途中で疲れ気味にバスや電車に乗ってると、たまたま見つけたオークションに手を出してしまう。そんなことを定期的にやってしまっています。《マイクロエースキハ22一般色セット落札》マイクロエースのキハ22の4両セットです。古い製品の割にはきれいな感じだなぁ。と、オークション画面で見ていて、値段は高くも安くもない感じでしたが、許せる範囲だったので入札。無事に落
かつては日本のローカル線各地で走っていた国鉄型の気動車。大糸線で走っていたキハ22はひたちなか海浜鉄道に移り、そこでも役割を終えて今では車庫の退避線で静かに休んでいます。真夏の炎天下の中かつては大雪の大糸線を走ったキハ22は静かに佇んでいるのが印象的ですね。廃止になった三木鉄道のミキ300も移籍してきて活躍しています。古いモノを大事に使っていく精神は大切にしたいですね。
(ありゃりゃ、またしても丸40年以上経ってしまいましたね。)滝川から札幌へ。時間に余裕があった筈なので、歌志内線か上砂川線か幌内線にでも乗り鉄しておけばよかったのですが、それもせず地平時代の札幌駅に降り立っています。理由は・・・おそらくこの時は駅撮をしたかったのでしょう。ここで約40枚の「乱れ撮り」をしていますが、まあ順に載せておきましょうか。。。711系100番台・クハ711-1171752M(1983-08-08札幌)※苫小牧で少し撮った711系を再び。※札幌発13
日高本線・様似駅。襟裳岬への遠い夢物語。。1987
みなさん、こんばんは。今日は山の日。昨年までうちの会社は、祝日だけど出勤しろ!と言う体制でしたが、今年は労働協約が見直され、本当の祝日として休みとなりました。因みに海の日は、強制で有給休暇を使われての休みでしたが、今年からは有休を使わなくても休みです。それよりも、台風7号は不気味ですね。お盆休みはお出かけをしない方針なので、何処にも行きませんが、九州育ちで台風の動きを熟知してる私でさえも、今回は本当にヤバいと感じてます。雨風もそうですが、公共交通機関が止まってしまうのが
国鉄広尾線、最後の正月。。(ToT)札内1987
秋田新幹線が開通する前の田沢湖線、田沢湖駅。まだ電化もされていない昭和56年の夏。普通列車はキハ22の2両編成でした。キハ22は北海道のイメージですが、北東北でも結構出会う機会が有りました。電化工事が始まった頃か架線柱が立っています。当時の記憶がスタンプ帳に残っていました。撮影もそこそこに田沢湖に向かったのでした。田沢湖駅にはこの時以来行ってません。
北海道の旅~...全国鉄道路線巡りの20路線目は帯広市の「旧広尾線幸福駅」です。以下、案内板より...「愛の国から幸福へ」昭和の時代から現在まで愛され、多くの幸せが集う場所。幸福駅は、1929(昭和4)年に開通した広尾線の駅で、1956(昭和31)年に開業しました。1973(昭和48)年3月、この駅がNHKのテレビ番組「新日本紀行」で「幸福への旅~帯広〜」として紹介され、愛国駅から幸福駅行きの切符が“愛の国から幸福へのフレーズとともにブームに。
皆さんこんにちは。早朝午前4時頃の宗谷本線幌延駅。臨時急行利尻51号稚内行です。天北号で稚内到着後その夜の札幌行急行利尻の自由席に乗り名寄に1時1分の到着、0時57分に先に到着していたこの利尻51号に乗り換え幌延駅まで来ました。夏のシーズン真っ盛りの北海道臨時列車にはお座敷気動車の「くつろぎ」も使用されていました。確か自由席だったと思います。車内は雑魚寝のひとでほぼ一杯畳の片隅に座って2時間ほど過ごしました。明るくなった5時頃の幌延駅。右のキハ22-285
今週は災害級の猛暑が続いてコロナの時と同様外出自粛が呼びかけられたため、いろいろネタがありましたが、仰せに従いずっと家に引きこもりました。これから夏本番になると各地で花火大会や夏祭りが開催されますが、夜7時を過ぎても気温が30℃を越えるというのは昭和の時代にはあり得ないことで、夜間でも熱中症の危険が十分あると思われます。このような時代に冷房がないと最早生きていけない訳ですが、昔の気動車や電車は優等車両を除き非冷房が当たり前でした。これは現わたらせ渓谷鉄道の前身国鉄足尾線の終点足
東北本線は、東京から青森(2010年3月から東京から盛岡、それ以北は第三セクタ)までです。首都圏と東北、北海道を結び物流にも重要な路線で、黒磯より青森側は交流区間です。盛岡と八戸間に奥中山峠があります。第三セクタになる前に撮影した一部です。昭和58年8月御堂奥中山高原間を通過するED75X2牽引の貨物列車昭和58年8月御堂奥中山高原間を通過するED75X2牽引のコンテナ列車昭和58年8月御堂奥中山高原間を通過する485系特急「はつかり」昭和58年8月御堂奥中山高原間を
なのでキハ2278の写真で。さて、朝メシ作ります。腹減った・・・。
先日、キハ22形0番台のMとTを購入しました。9459と9460ですね。これで火がついてしまうのがよくなくて、他店で連結相手を探してしまいました。たまたまキハ22首都圏色とキハ27の200番台の単品が買ってしまいましたってことで、入線してからの整備を。炎管の取り付けが相変わらず苦手・・・・・・・整備をしてT車の方はブタ鼻のシールドビーム改造&片側に幌なし仕様。中古で購入した物は、炎管装着済みでしたので、27についていたJRマークを消して(インレタ使って
岩内線928Dキハ2285車内から小沢を目指す車内の前方には重々たる後志の山並みが。短い路線ですが乗っておいてホントに良かったと思っています。しかも40じゃなくて22でしたからね。時は昭和56年の春、なのでした。戻りてぇなぁ~、この頃に。
昨日に続きまして、キハ22に似合いそうな相方を考えた時にですね、北と南で極端やけど並んだらオモロそうやなぁと云う思いつきで連れて来てしまいました。Microace“50系筑豊編成&イロイロ”ウチで何度もご紹介している、もらって来た列車です。重油の香りが漂う離合。山間にディーゼルエンジンのサウンドがこだまします。学校裏を激走します。紫合中央駅が山間部の主要駅に早変わりです。Swallowtail