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令和6年3月25日。あの日から‥私の中で時が止まったままだ。母のガン告知。覚悟はしていたけれど、いざ現実になると心が張り裂けそうになる。かなり酷くなっている乳癌。なぜ早く気づいて、診察に連れていけなかったんだろう‥と、自分を責めてしまう。元気がなくて、小さくなってきた姿に、変化として気づけなかった。歳かな‥って。あの日から、何だか時間が止まっていて、気が緩むと涙してしまう。何をしていても、楽しい気持ちにはなれない。落ち込んでも仕方ないのもわかってる。でも、まだだめみたい。
お久しぶりです(´°v°)/農家嫁です。今回は近況報告ということで書かせて貰いますね簡単に言うと治療を終え、もうすぐガンサバイバー2年生今はすこぶる元気に過ごしています!昨年夏から仕事にも復帰。適度に休みが取れるような環境を整えて農家してます。私が病気になり、仕事から離脱。休みのなかった農業のお仕事ですが····身体を壊したら意味が無い!という事を家族みんな身に染みてわかったようですと、同時に。嫁をもっと大切にしろということも痛感したのではないか。と思いますw当たり
晴れてるけど、うっすら雪。冬です。あの衝撃のガン告知から5年、辛くて泣いて苦しくて荒くれる日もありました。元気に年越しが出来そうです。《元気》の定義ってなんだろう。健康ということ?それなら私は元気じゃない。でも生きる意欲はあって、病気と闘っている、このパワーを元気と表現していいのか悪いのか。どっちでもいいか!明日は仕事が休み。嬉しい。インフルエンザなぜ毎年流行するのか(ベスト新書)[岩田健太郎]楽天市場余命1年ステージ4のがんを消して10年生きた私がした
このブログは、44歳の主婦の私がガン告知を受けてからの闘病日記です。私自身への覚書、それと同じようにガンを患っている方の参考になれば嬉しいです。2023年11月大腸カメラを受ける。大腸カメラを受けた理由は一つ。血便が続いていたから。「高頻度で便に血が着いてるな。」ここ半年以上はそう思っていた。私は毎年健診を受けている。健診で初めて便潜血が出たのは2016年。その時も大腸カメラを受けた。その時は、ただの内出血だった。2回目は2019年に大腸カメラ。その時も、ただの内
最初の病院から紹介状が届くまでに、紹介先の病院の予約を取っておこうとアラ母が電話を掛けたら、病院「紹介状が手元に届いてから、予約の電話をして下さい。」と言われたそうだ。いや、あの……。出来るだけ早く受診して、早いうちに色々済ませてしまいたいのですが……。病院「紹介状が手元に(以下略)」とにべもない対応だったそう。おのれ県立病院!県民や国民の税金で成り立っているくせにぃ~(`皿´)キーッ!!※ごめんなさい🙇分かってます。万一紹介状が遅れて、受診日に届いてな
何と言えばよいやら・・・・・・・闘病ブログになりそうな気配。断定できないんだけどねぇ~と医者は他人事だから軽く言うのだ。なので、検査入院しましょ。とこれまた軽く言う。いや、入院かいっ・・・・もしかしなくとも大変本気で不味い事ですな。まぁね。覚悟を決めて色々と調べたけどさ・・・・・・出来れば入院も手術もしたくないんだよねぇ~ぶっちゃけ、金掛かんじゃん。この4~5年は真っ当に働いては来たが生保に入れる稼ぎがなかったんだよねぇ~で、ここに来てガン告知・・・・・
こんにちは😃昨日、主人の肺腺癌の告知から1日。中3の息子にも昨日の夜伝えました。息子は思っていたより取り乱すこともなく聞いてくれました。息子へは、今あなたはやるべきこと、学校、勉強、友達etcをやりこなすだけ。あなたに負担は掛けないように頑張るからね。でも、ちょっとだけ気持ちに余裕があるときだけでいいからお手伝い…かな。きっと私の仕事が今までより生活費のためもあるし、負担が増えると思うからそれでも自分のことはしっかり頑張ってやりこなしてね❗って伝えました。あと約7年、息子が大
昨日、日本にいる親友から訃報が届きました。訃報というものは、それがある程度、予測できているものでさえも、やはり突然のように感じられるのは、人の命の重さゆえのことかもしれません。彼女のお母さまの具合が悪く、ガンが見つかった時には、大きな病院での手術と化学療法を勧められたものの、高齢ということもあり、かかりつけのお医者さんと相談のうえ、緩和療法の道を選択していました。積極的な治療はせずに、最期まで家で穏やかに過ごさせてあげたいと、かかりつけのお医者さん、訪問看護師さ
ゼローダ8クール目、12日目。7月2日、日曜日。相変わらずゼローダの副作用が出ない。7クール目の後、3週間休薬して手荒れ足荒れがほとんど治ったのよ。それがさー、8クール目ももう12日経つというのに、全然荒れないのよ。もう、なんだか不安になってくる。ここまで副作用でないってことは、ゼローダ効いてないってこと?それとも間違えてグッピーラムネ飲んでる??もはや荒れればいいのにと、ハンドクリームもほとんど塗ってないのに。そして今日はついに、バイト中にゴム手袋使わないで洗い物をするという
1日☔かと思いきや~いつの間にか上がっていました。ブロ友さん情報で知ったけど今日は夏至なんですね〜🙄24度と過ごし易い1日でした。2022年12月21日にガン告知を受けて半年になりました早ッ受けた当時はオペも出来ず抗がん剤治療で延命して行くしかない夫はかなりショックだった様です。私は検索オタクなので転移がある時点で、心積もりは出来ていました🤔しかしながら、抗がん剤の副作用、頸静脈閉塞、ポート抜去等など、アクシデントに見舞われた半年でもあったな🙄変わった事と言
そういえば、乳がんの、治療で1番驚いたのは「子供を生む予定はありますか?」と医師に確認されたことはあっ?私、44歳ですけど?!言われた時は、医師に対して「この人、大丈夫か?」と不信感を抱いた失礼な患者(私)医学的には45歳まで出産可能だから確認する義務があるらしい。子宮をとる手術をした友人もやはり確認されて、私と同じように「産めるか?!」と思ったらしい。そりゃ、そうだ。しかし、ガン告知されてさあ、子づくりしようなんて人はあまりいない気がするあ、だいた
10月29日日曜日講演会させていただくガンについて私は、サバイバー2人に1人はガンになると言われていますガン告知は怖いましてや再発告知は怖い一緒に励まし、泣き、笑い、又泣き仲間が2人再発を告げられたとガンの体験を話すことにより皆さんにもガン検診受けて欲しいそんな想いで講演させていただきます「愛と命の大切さを伝える専門家」小山廣美
なにかとネガティブな思考になりがち。そうなってから考えよう。そう思うようにする。再発したらどうしよう。転移したらどうしよう。ガン告知がトラウマのようになりガンの事が頭から離れない時期があった。少しづつそれが楽しい事も考えるようになってきた。たまにはビール飲んじゃお。玄米飽きてきた。焼肉たべたい。いや串揚げが食べたい。たこやきも。あと、命に関わる病気になったら動揺したり不安定になって当たり前。周りの勝手な声は聞き流そう。みんながみんな強い心を持っている
手術の予定がまだ決まりません(´д`;)トホホ…肺に異常が見つかったのが3月1日。専門科の紹介をうけて受診したのが翌週。アレコレ検査して3月㊥にはガン告知、手術になると聞き…4月6日術前検査のアレコレして。手術日を聞きに行ったのに『手術が混んでいて早くても5月15日以降になります。』と言われたのが4月11日。手術日、決めておきますから4月27日に入院の手続きに来て下さい。ってその時に言われ…今日、病院行ったらまた未定だって!!!エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?
こん^^今日もよい天気だったが、後半はやや雲が広がった。浜松の最高気温は22.4℃とポカポカモード。トレーニングはお休みで休足。仕事は前半超バタバタ。昼飯食始めたのがほぼ4時。胃が…仕事行く前に給油。162円/Lとまた上がった(>_<)収入増に期待したいところだが、ナンバーズ4でボックス、ナンバーズ3でストレートのWニアピン(T_T)最近見てるドラマはある?朝ドラ。4月になって新作が始まったけど、BSでその前の時間に放送されているあまちゃん(再)のほうが楽しみ♪▼本日限定!ブログスタン
これからの人生ガン告知を受けても、希望を持って、生きていこう。IrieTime&RealTime,KAYA
観終わりました。なんだか、あれこれ考えてしまった。朴訥に、キツイ博多弁でしゃべる鮎川誠氏がカッコよく映ってた。ロックな生き方をした様子がわかった。奥様のシーナが、ガンで亡くなった。鮎川誠も、ガンで亡くなった。二人とも、治療をせず延命措置もしなかったそうだ。三人の娘と女の子の孫。彼女たちは、ガンを治療しない両親を間近に見てどう思ったんだろうか。鮎川誠は、73歳でガン告知を受けたが誰にも言わずに全国でライブを行っていたという。
針生検の時先生や看護師の方々がリラックスできるようにたくさん声をかけてくれました。おかげで思っていたよりも冷静だったのですが終わった途端に体がぶるぶる震えました。そして昨日のガン告知を受けた時も冷静に話しを聞けたので大丈夫で今日も普段と全く変わらなく過ごしているのですが食欲が全く出ません。ホントに体は正直です。でも今日ちょっとニヤニヤしてしまった事が。息子の部屋へ掃除機をかけに行くと机の上に開きっぱなしのマンガが…その横に何やら小さな箱…え?何何??
過去記事【ガン宣告でムカつく】https://ameblo.jp/isaokun1302/entry-12791265172.htmlで…乳ガンの告知を受けて…その後、書籍『どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法』がどんどん売れてテレビ出演してた頃私は治療は放置して、忘れて生きていました。手術はしないと決めていた私が手術をするキッカケとなったのが【アガスティアの葉】ですガン宣告から…1年くらい経ってたまたまスピリチュアルの本を読んでたらそ
初めて点滴を抜きたいと思ったお昼2時から抗がん剤の点滴が始まったウイッグは外しケア帽子姿。左手に注射なのでベッドは左から降りることになる私の場所は4人部屋の右奥。私の右側にテレビや冷蔵庫があった。左側にはタンス。ウイッグはそこに置いておいた抗がん剤の注射は今回女の先生だった。普通の点滴とは刺すところが違うようで色んな所を見た結果「ここにしますね」と左の手首に近いところに刺してくれたこの時「今回いやに低いところに打つなぁ」と感じたけど、特に何も言わなかった言えばよかった
大部屋は辛い4月1日抗がん剤治療2回目の入院前日のコロナ検査は陰性でした。この日は旦那さんに付き添ってもらい入院することに。病室まで付き添って貰った。「お部屋は、こっち。4人部屋の奥です」えっ?個室希望出したのに?この日個室も特別室も空いておらず大部屋になりました。わかってます。贅沢だってことは···それでも個室が良かったのです「個室には入れませんか?」と旦那さんが聞いてくれたので、もしも部屋が空いたら移動する、ということになりました。ちなみにこの病院はJA関連
覚悟はしていたんだけどな抗がん剤治療をしてから2週間程だったある日色んな副作用なのかあちこちが痛むようになった両脇・足・手・顎・お腹···そして頭。なんだか頭がピリピリとしてくる頭が痒いような痛いような気がしてその日のシャンプーはしっかりと髪を洗ったタオルドライをしドライヤーで乾かす。しかし翌日もなんだか引っ張られるような感覚おかしいなぁと感じながら手ぐしを髪に通した時にえっ・・・と言葉に詰まるくらい髪の毛が取れた。慌てて鏡の前にたってみたけど見た目には違和感
私の体は戦っているママ友に打ち明けようと思い別の日のナイター練習のお迎えの時旦那さんに連れて行ってもらいママ友に会うことが出来た。「先日は送り迎えありがとう!!」「ううん、全然いいよー♪」彼女はやっちゃん。やっちゃんの娘はクラブチームの中で1番上手い。もちろん1番手で個人戦(ダブルス)でもいつも優勝。もちろん母であるやっちゃんもとても面倒見がよく練習にもいつも付き添っていてみんなから一目置かれている。正直私なんかが話しかけてもいいものかと思っていたでも今後のことを
出来ないことは出来ない我が家は農家。義父と義母と旦那さんとパートさんそれと私。自分で言うのもアレですが私、割とオールマイティタイプで言われた仕事はだいたい何となくこなせていけるまぁ···こういう言い方をすると気分を悪くされる人がいるかもしれないけれど嫁。という立場はとても弱いので休みを取りたいと言っても貰えないし早く帰りたいと言っても聞いて貰えない。怒られずに済むにはなんでも要領よくこなし、黙って従うのが正解だからこそいつも思っていたことがある。私が今、病気になっ
退院したのは良いけれど3月17日。この日は私の退院日。実母と弟に迎えに来てもらいました。荷物は全て弟が車に運んでくれて私はその間に入院費を支払い。実母は私を見て「お疲れ様。」と声をかけてくれました。しかし上手く歩けないのを見ると「足痛むの?大丈夫?」と不安げでした足首の痛み足のしびれ手指のしびれ。これはしばらく残りました。お昼ご飯は「マグロのお寿司🍣!」本当は抗がん剤治療後、生魚は避けた方がいいのですが自分へのご褒美が欲しい!と思って食べちゃいました。実家は
そもそもの原因は※今回は少し地震について触れています。苦手な方はこの回はスルーして頂いて大丈夫です。大出血で大騒ぎした私。3人の看護師さんが入れ代わり立ち代わり病室に来て、トイレを覗き込みまた去っていくもちろんトイレは流していない。髪もびちゃびちゃなまま病院着を慌てて着たので看護師さんも「風邪引いちゃうよー」と苦笑いしてましたそれよりもまたお腹が痛くて「トイレしてもいいですか····」と聞いてみました「いいよ大丈夫。じゃぁ終わったらまた呼んでね」そう言われてまた
匂いと香り入院生活の後半はほぼ腹痛との戦いとにかく左下腹部が突き刺すようなチクチクとした痛み。キリキリしたりギューってしたり。同じところだけが痛かった。もちろん下腹部の痛みもあるから腸なのか子宮なのか膀胱なのか火曜日には主治医の先生の診察がありました。朝イチでエコー。そして血液検査。そりゃ何も変わってないよね。体調としては頭痛腹痛足のしびれ指先の痺れ微熱食欲不振若干の吐き気先生に伝えると、使えそうなお薬の処方と食べられるものはどんどん食べてね。との事を言
トイレに籠城マグミットを飲んだ翌日。お腹の左下腹部がチクチクと痛みだした。んーなんというか嫌な痛み。地味ーに針で刺すような痛み。でも全然出そうになかったので看護師さんに相談して、もう1錠飲んだ。点滴をやめて、尿の量が減ったので「しっかり飲んでくれないと、また点滴することになるよ」と言われたので水分はマメに摂るようにした。日曜日。今度は手が痺れている。ビリビリ⚡️スマホを操作するにも何かを書くにもビリビリしていた。お箸は持てるけれど手の震えもあってフォークを使った
気持ちだけじゃ乗り越えられない3日目の夜。旦那さんから【⠀起きてますかー?】とLINEが届いた。若干の頭痛と寒気がありLINE電話は少ししんどいかなー···なんて思っていたけど「起きてるよ」と返信。すぐにかかってきた電話。もうすぐ21時。「もしもーし」と電話に出ると「外見てー外!」と娘の声がする動くのしんどいってば💦「ちょっと待っててね」と転ばないようにベッドから降りて点滴を持ち、ブラインドをあげて外を見てみた。そこには、綺麗なキラキラしたあかりが···「見え
副作用は人それぞれ治療開始から3日目。ついに来たな副作用めっ‼️この日から出てきたのは痺れ。とにかく足が痺れる。ずっとビリビリジンジンしている感じ。立ち上がるにも足と床の間に空間があるような感じさえした。そして足首が痛い。踏ん張って立ち上がれない。冷たくて指先が痛い突き刺すように痛かっただから眠れなかった。寒い寒い。元々冷え性だった私は眠る時は必ず布団乾燥機でお布団をホカホカにして眠っていた。湯たんぽを置いたり厚手の靴下を履いたりしながら眠ることもあった