ブログ記事26件
公式ジャンル記事ランキング:小説・エッセイ・ポエム206位2362公式ジャンル記事ランキング:教育227位2322公式ジャンル記事ランキング:教育361位2345ガブリエル・マルセル形而上的日記第二部古川正樹訳(2023.1)翻訳129頁第二部一九一五・九・一五。—現在のほかには、時間の起源は存しないし、存することはあり得ない。現在のみが、人が時間にたいして割当て得る、唯一の限界なのである…持続したものである以前に与え
ガブリエル・マルセル形而上的日記第二部翻訳(2023.1~)翻訳129頁第二部一九一五・九・一五。—現在のほかには、時間の起源は存しないし、存することはあり得ない。現在のみが、人が時間にたいして割当て得る、唯一の限界なのである…持続したものである以前に与えられている時間、というのは、幻想である(空間が、踏破される以前に現存するものであるように)。時間は現実態においてしかあり得ず、空間は可能態においてのみある、と言うのが正しいのではないだろうか?時間
(アリアーヌ)不自然な、ヴィオレット、ええ、そうであるかも知れません。でも、自然は公正でしょうか?自然に慈悲があるでしょうか?どうして自然状態は、蛹が破って出なければならない繭のようではないのでしょうか?(ヴィオレット)もし、あなたがわたしを信用することにしてくださるのでしたら、わたしを指導するのをやめることにしてくださるのでしたら…(アリアーヌ)そのほかの望みは私にはありません。ただ、私にはあなたが充分に強いひとだとは、まだ到底感じられないのです。あなたは私に、ジ
(つづき)それに、モニクちゃんのことも考えなければなりません。あの子のことについて私はあなたに、きょう、時間をかけて話すつもりでした。いま、深く掘り下げてみるべき考えが私に浮んでいるのです。グルノーブルの近くに、子供たちのために働いているひとりの男性がおりまして、私は彼が仕事を立ち上げるのに寄与しました。私は、あなたがあの子のそばのその地で、ひと月過ごすことができるようにします。これは普通では無いことですが、できないことではありません。そこから二十分で行ける処に、私の知っている立派な女性が経
(つづき)私が不在の時にジェロームに何が起こるだろうかということには、私は敢えて思いを向けませんでした。だんだん理解していただけるようになっていますでしょうか、どうして、嫉妬どころでは全然ない、ということを…(ヴィオレット)そのお話すべてのなかに、わたしを恐怖させる何かがありますわ。(アリアーヌ)あなたは一度も気づいていなかったのですか?ジェロームには、その…奇妙な傾向がある、ということに。(ヴィオレット)一度も。(アリアーヌ)もしあなたが、彼の育った環境
(つづき)わたし、あなたに決して充分に言えません、どれほどわたしが、あなたとお近づきになったことだけでも、分に過ぎると感じているか。あなたを裏切ったこのわたしが…それでも、どうかわたしにお情けを…、わたしにお教えください。(アリアーヌ)私を讃嘆してはいけません。そして、もうひとつの、あなたが名づけることができないでいらっしゃる感情にも、ご自分を委ねてはならない、と私には思えます。いいですか、先ず、あなたが気を付けておられない事実があります。私は何年もの間、身体上の試練を忍ばなけれ
(つづき)離婚は避けることができたと、私、いまでも思っているわ。(フィリップ)このすべては馬鹿馬鹿しい。ぼくの考えの根本を言ってほしいのなら…(アリアーヌ)えっ?(フィリップ)あの頃きみの背中を押していた動機は、好奇心とは言わないよ、それよりもっとずっと強くて、そして、もっとはっきりしないものでもある何かだったと、ぼくは思う…(アリアーヌ)解らないわ。(フィリップ)多分、それはこう呼ぶべきかな、自分が際立ちたいという欲求、他の人々の生活のちょう
いや、これはもう、いまの世界そのままだな。時宜を得た翻訳だ。
哲学者ガブリエル・マルセルに寄せた私の言葉に音楽を併せた動画を作りました。ガブリエル・マルセルに寄せた詩と音楽(山川英毅HidetakeYamakawa)哲学者ガブリエル・マルセルに寄せた私の言葉に音楽を併せた動画を作りました。==音楽の魂を持っていた哲学者ガブリエル・マルセルが日本の大学で講演会を行ったとき、講演後、喜悦に満たされた学生たちは彼を胴上げして見送ったという。同じ実存主義哲学者のサルトルが同じように日本で講演を行ったときは、緊張した静寂さで学生たちは...yout
すこし前から、ヤスパースとマルセルの翻訳を静かに開始した。これが生活の軸ではなく、ぼくがやっておかねば適任者がいないからだが、強いられたのではない社会奉仕意識があり、ほんとうの仕事へのウォーミングアップにもなる。ピアノを30分以内で二曲弾いて、これで仕事準備完成となる。ぼくにとっての真の仕事は高田博厚について思索し書くことだ。その自由を得るための手堅い日課であればよい。『哲学』はヤスパースの主著。既存の訳は成功しているとは言い難い。すっきりして解りやすい訳を呈示したい。最も枢要な第二
戯曲での会話のニュアンス、その流れをつかまなければならない。6年前に18頁まで訳していた。孤独に沈潜したいぼくにとって、戯曲の人間関係の世界に関わる意味があるのだろうかという疑問もあるが、訓練と思い、つづく19頁の原文をとりあえずここに掲載し、訳を試みる。___(バシニー)彼の行状は最低でしたな…ええ、私は知らされていますよ。家計がなっていないと聞かされています。(フェルナンド)彼女はどうってことありませんわ。(バシニー)彼女の持参金はヴィエイヤ
5年前2014年06月15日(日)11時16分56秒テーマ:自分に向ってぼくは絶対安静と言い、自愛専一と言う。体のためにはそれがいいことは解っている。しかしインスピレーション(時間を選ばない)が湧くと即座にそういう格律は消えてしまう〔「一切誓うな。(そのつど)然りと否とのみを言え」というイエスの言葉はこのことだろうか〕。身体自身がぼくの行為を打ち倒すまで、ぼくは〈魂の欲求〉に文字通り歯をくいしばって従う。ぼくはエゴイストだろうか。自己愛者だろうか。マルセルは形而上日記でエゴイズムと自
真実という実体に属しているかぎり、誤解されたままであるということはありえない6月9日あらゆる訓のなかの訓06月09日01:20真実の共有・品格は争えない06月08日03:06風のたより05月30日17:07愛を選ぶ05月30日14:33演奏鑑賞夢を形として知覚する深さ05月29日02:39””439マルセル・マルティネ詩…06月02日00:23本来的信仰は教義信仰ではなくメタフィジック思念であ
2019年03月03日(日)03時38分46秒テーマ:形而上的アンティミスム精神的主体性を確立しないうちは、感謝も反抗も依存である。精神的主体性があってはじめてほんとうの感謝があり、ほんとうの怒りもある。精神的主体性はそれじたい価値であり、尊厳であるから、それを尊重しないことにたいして、ほんとうの怒りは生じるのである。しかしこの精神的主体性は、相互主体性とともにあるのである。これを納得してはじめてほんとうの愛を理解する。ぼくが怒るとき、自尊心からではない。ぼくのなかに
オリーブの花再撮影きょう5年前のきょうよく書けている。2014年05月13日(火)22時01分08秒テーマ:自分に向ってガブリエル・マルセルを日本が真に理解するための障壁が、日本の大学人の所謂超心理学的現象つまり広義の心霊現象への顧慮を捨象する態度であることは、誠実なマルセル研究家にとって異存のないところだろう。だから我が国では未だ処女作「形而上的日記」すら正しく読解し得ていないと言われるのだ。小林秀雄が言うように、その種の現象にたいする知識人の反省態度が
四年のきょうの節より自分の根源的態度の確認。高田博厚のものでもガブリエル・マルセルのものでもリルケのものでもジョルジュ・ルオーのものでもある。この確認でふたたび自分に炎を点けられた。自分の時間が流れるところにしか芸術との出会いはない。孤独の圏とはこのことである。だから孤独は実践なのだ、それじたい。芸術とはこの孤独の圏に沈潜する実践である以外の意味を持たない。つまり人生に夢を、真の意味での夢をもたない生は、いかなる価値ももたぬ生であると知ることである。裕美さんの音楽は正真正銘
マルセルがこの論述で苦心しているのは、「実存」(真の実在)を語りながら、語ることそのものによって、実存へのアプローチが困難を生じることを、いかにして克服するか、ということである。この点、同様にこの困難を充分に意識して、論述の方法的意識を構成したヤスパースと同じ誠実さを感じる。いちばんいかがわしいのは、ハイデガーの、やはり実存(現存在)に迫りながら、これを学にしようとする構えである。実存とは疎遠な世間的野心が最初から露骨である。ヤスパースがこの点を厳しく批判したのも頷ける。実存を語る術
あなた、どうなの?お勉強のほうはいやあ、どうもまったく、マルセルさんは、ヤスパースやハイデガーよりよっぽど難しいね。ハイデガーがいちばん易しくて、ヤスパースはもっと難しい。これもすでに世の一般印象とは逆の事実だけど、いちばん難しいのはマルセルさんだという確証をぼくは得ている。そしてこれは読まれるものから読まれないものへの順でもある。世間で言ってる価値評価は全部逆(が真実)なんだよ。ふふ、それにしてはというか、それだからといったほうがいいのかしら、きょうも、ピアノに向かってい
2015年12月15日(火)15時39分31秒テーマ:形而上的アンティミスムこのような形而上的アンティミスムと私が名づけるに至った立場に私が導かれたのは、ともに自由と感覚を芸術家としての各々固有の創造的営為において統合的に意識しつつ、同時に思索者として創造的生の普遍的制約を反省し続けたという点で、きわめて異彩を放つ二人のメタフィジシアン(形而上的次元の肯定者)、高田博厚(一九〇〇―一九八七)とガブリエル・マルセル(GabrielMarcel,一八八九―一九七三)によってである。高
ガブリエル・マルセルは、一般に思われているより遙かに深い思索者である。それがよく現われていることのひとつが、「意志」(volonté)についての彼の反省である。ほんらいの意志は、主体である自己の「立ち直り」であり、それは「緩和」(détente)である。これは、luiの次元における「緊張」(tension)とは対極の、toiの次元における意志のあり方にほかならない。ふつうわれわれは、意志的であることを、luiの次元での緊張状態においてしか了解していないのではないだろうか。Lui、つまり
いま、高田博厚とマルセルの思想関連を自分において掘り下げようとしているのだが、その収斂すべき方向はすでに出ている。どんなに忘れていても、自分をあらためて掘り下げると、その忘れていたものに出会うので、かえってその分、ぼくにとって根源的なもの、ぼくの純粋持続的な関心・問題を、確かめることになる。2018年04月28日(土)17時38分22秒テーマ:自分に向って魂についての哲学的省察これらの節で、ぼくの集中的関心事がどこにあるか、よくわかる。自分をそこに集中できる。高田博
魂についての哲学的省察これらの節で、ぼくの集中的関心事がどこにあるか、よくわかる。自分をそこに集中できる。高田博厚への関心はそこに結ばれる。2014年12月07日(日)23時55分27秒テーマ:マルセルノオト私の所有するフランス・ガリマール社1927年出版のガブリエル・マルセル著「形而上学日記」の表紙および内容(242-243頁)である。今日12月7日はこの哲学者の誕生日であるので、彼のこの代表著作の一節を紹介する(右頁上部)。私が読んだ本はだいたいこのように書き
2015年09月20日(日)03時56分10秒テーマ:自分に向って+GabrielMarcel18891973:1èrepartie-VidéoIna.fr+GabrielMarcel18891973:2èmepartie-VidéoIna.fr
きみは若くしてはっきりときみ自身の美のイデアを持つに至ったひとだね。この場合「持つ」「有する」という言い方には注意が必要で、正確には、きみ自身の魂の美の世界に「参与する」感触をつかんだひと、ということです(マルセルの「存在と所有」の思想を想起)。これは、高田先生のいう「神」に当面する感覚をつかんだということと同じことです。人間が真の美を創造しうるのは、この感覚に目覚めている場合だけです。この意味で、やはり先生のいうように、芸術は、「自己が自己自身へ行動すること」であり、「自己が自己自身と
ガブリエル・マルセルは或る意味でメーヌ・ド・ビランを継ぐ哲学者と言われる。形而上的にかなり変容したかたちでではあるが、それはぼくも首肯したいところである。心身関係論でマルセルには独特の哲学的反省の深化がみられる。それが、ビランにおいても根本的な問題の一領域であった「知覚」と「実存」の問題である。「知覚」とは、結果的に「習慣」の自動化作用に組み込まれるのではあっても、原初的には意志主体の能動行為の所産であり、そのゆえに同時に主体自身の「実存」の自覚をもふくむものであることを、ビランはあきらかに