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8月に読んだ本は5冊(図書館本5冊)でした。+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++<満足度>★★★感動★★面白い★収穫少<お気に入り順>『ペリリュー玉砕』早坂隆(文春新書2019.6)【満足度】★★【概要・所感】太平洋戦争の激戦地・ペリリュー島。昭和19年9月〜11月にかけての戦闘が行われた島です。・・・と言われても、本書を読むまでは、そんな島の名前とか聞いたこともないし、どこにあるのかも知らないし、なぜそんな名前も知らない
石油の備蓄はたっぷりありますから国民のみなさまは買いだめをしないようにしてください、なんてことを総理が言えばあれは政府の大本営発表だと言われます、この場合に大本営発表で、これは国民を騙すための嘘と誰もが理解するのです。権力が用いる嘘の代名詞になっているくらいに過去の大本営発表は酷いものでした。初めから嘘ばかり言っていたわけではなく、真珠湾攻撃もマレー沖海戦も、沈めた軍艦の数を盛るようなことはせず正確に伝えていました。嘘が始まったのは1942年5月の珊瑚海海戦からで、日本の損害は軽空母1
ガダルカナル島は、日本から約6000キロ離れた南太平洋に浮かぶ。ソロモン諸島最大の島で、大きさは千葉県とほぼ同じ。緑深いジャングルと白い砂浜が広がる、まるで楽園のような場所だ。しかし、1942年から43年にかけて、ここは「餓島(ガトウ)」と呼ばれた。飢えの島。日米の激しい攻防戦で、約3万人の日本軍将兵が上陸し、2万人以上が命を落とした。その多くは銃弾ではなく、飢えと病だった。2017年、毎日新聞にこのガダルカナル島に関する記事が掲載される。広瀬登記者によるもので『ガダルカナル島の
ビソンノコギリクワガタ亜種ホルテンシスProsopocoilusbisonhortensisソロモン諸島ガダルカナル島GilibitCamp産♂野外品(WD)、♀WF1初売りで増種してしまいました。ビソンは本亜種含め5亜種いますが、その中でも珍しいガダルカナル島産のソロモン亜種となります。ガダルカナル島といえば、言わずと知れた太平洋戦争の激戦地、通称「餓島」です。話を戻しまして、本亜種の特徴ですが比較的よく出回るニューギニア亜種と比較して・サイズが伸びない
戦没者について、以前(昔)、Amebaブログに書きました。①『靖国神社に参拝した体験』『靖国神社に参拝した体験』以前、靖国神社に参拝した折、参拝時期は8月15日だったか、別の機会だったか、社殿の前に立って、二礼二拍手一礼をしたその後だったか、不思議な光景が目の前に展開し…ameblo.jp靖国神社がどんなところか確かめようと行ったとき、社殿の前に、軍装の戦没者が何人か現れ、直立不動で参拝者の前に立ちました。敬礼(答礼)していたと思います。また約二万人と思える戦没者達が現れました。私は
ウォーゲーム「川口支隊の死闘」を買いました。『川口支隊の死闘』は1942年9月13日夜間、南太平洋の重要拠点ガダルカナル島における川口支隊の夜襲を題材としたソリティア(1人用)ゲームです。プレイヤーは川口支隊長の立場でアメリカ海兵隊の防衛戦を突破し、ヘンダーソン飛行場への突入を目指します。ゲーム期間:1942年9月13日20時~14日未明(5ターン)マップ範囲:ガダルカナル島のムカデ高地(血染めの丘(エドソンズ・リッジ))周辺マップ:エリア式1ターン:約1時間1ユニット:中
中国には「国家情報法」があり平時から中国人や中国企業は日本にいても工作活動に協力、「国防動員法」があり平時から動員準備をし、日本にいても侵略拠点となる場所と人を準備している。まともに付き合える国ではありません。pic.twitter.com/tABmpekOwL—🇯🇵千野みゆき🎌🍀💕(@Xg3sT57W994pQc)December20,2025千野さま、thanksほんとこれpic.twitter.com/l
この夏、これを読んでみようと思い立った。「はじめに」を読んでびっくりした。日本という国はこんな戦争をやっていたのかと愕然とした。古来、戦争には兵站logistica/armamentiがつきもののはずなのに、太平洋戦争では、日本の軍人さんたちの過半数が、銃弾を受けたのではなく、餓死したという事実を突きつけられた。NHKの朝ドラ『あんぱん』にも、やないたかしが中国で餓えに苦しんだことが出てくるが、中国だけの話ではなかったのだ。愕然とため息。密林の中を空腹で行軍させられ、飢え死にし、投降を
シン・レッド・ライン1999年4月10日公開太平洋戦争の激戦地であるガダルカナルを舞台に、生死の狭間に生きる米兵たちの人問模様を豊潤なイメージで綴った大作ドラマ。あらすじ1942年、ソロモン諸島ガダルカナル島。アメリカ陸軍C中隊に属する二等兵ウィットはメラネシア系原住民に魅せられたかのように無許可離隊を繰り返していた。そんな彼を歴戦のつわものであるウェルシュ曹長は看護兵に配属した。さて、C中隊を率いるたたきあげの指揮官トール中佐は、クィンタード准将の見守る前で兵士を上陸させる。日
ガダルカナル戦書籍一覧*********************************************************************ソロモン諸島ガダルカナル島御戦没者名簿(鋭意整理入力中)2012年ガダルカナル島御慰霊行目次2014年ガダルカナル島御慰霊行目次2015年ガダルカナル島御慰霊行目次2018年タラワ、マキン御慰霊行目次母娘ふたりガダルカナルの旅目次ソロモン諸島の戦い目次私事で恐縮で
太平洋戦争日本海軍海戦・作戦カレンダー2025戦艦「金剛」「春奈」のガダルカナル島砲撃軍艦には艦船用と陸上用の砲弾を積み込んでいます。9月、10月
8月29日金曜日〜その3邦光史郎著『万博気流』を詠む。香港は、世界三大夜景の一つと讃えられ、東洋の蛍籠と称されているほど夜の眺めがすばらしいと著者の邦光史郎さんが書いて居られる。私が香港に滞在したのは、H7年6月16日と17日間の二日間。戦後50年のガダルカナル島とラバウル島での慰問公演を終えて、香港のザ・ペニンシュラホテルへの一泊だけ。かなりの高層階から夜景を撮影したつもりが見当たらず。眺めただけで、カメラのシャッターを切った積りでいるのかも知れませぬ。(写真)パスポート捺された、香港へ
8月15日金曜日〜その8(写真提供・河井琴美さん)私のこれまでの活動の中で思い出しますのは、ガダルカナル島とラバウル島へ戦後50年の時に慰霊の河内音頭を歌いに出かけた事です。あれから30年、遺骨収集もそれほど進んでいないと聞き及びます。今年は戦後80年。遥か南太平洋で戦死された皆様方に捧げる音頭を取りました。
ビックコミックオリジナルに連載中の昭和天皇物語その最新刊が発売されました激動の時代を生き抜いた昭和天皇の実録最初から楽しみに読んでるんですが大正天皇が崩御されたあたりからあやしくなってきましたね日本今回はまあひどい読むのも苦しくなるような日本軍部当然東条英機はひどいんですが幹部連中もひどい甘い予想に楽観論ガダルカナルは負けるべくして負ける飢え死にさせるために送られる兵突撃せず引き返す連合艦隊とくに牟田口廉也のあほっぷりは笑い話で流せないほど
夕刻の話になりますが、一定の専門的知見を持たれている方々とお話をさせていただき、大戦末期の艦艇の色について情報交換をさせていただきました。こんな趣味の様なことをお仕事にされている方、本気で羨ましいです(しかも高給与)。それはさておき。先の大戦末期の軍艦にカテゴライズされる艦艇の他、駆逐艦にも一定の迷彩塗装は施された可能性が非常に高い、との結論に至りました。びっくりすることに、その理由は2通りあるそうです。聴き取った理由は後述します。(1)対潜迷彩だけでなく、対空迷彩を重視した結果、ニア
昭和17年(1942年)11月、ソロモン諸島の戦いは、制海権も制空権も連合軍に奪われ、日本軍に極めて不利な状況となっていた。そんな中、ガダルカナル島に残された日本軍約2万は、補給の輸送船が島に近づけないため、飢えと風土病に苦しみながら戦いを続けていた。日本軍は、潜水艦による補給を試みたが、もともと、潜水艦に積載できる量が少ないのと、途中で撃沈される艦もあり、“割が合わない”ので中止した。そこで窮余の一策として考えだされたのが、ドラム缶に食料や医薬品を詰め、それを5〜6本ずつ
先月のお話です。ネットでガダルカナル島について調べていると、現在もガ島で戦死された方の慰霊祭があるいうことをブログ記事で知り、4月20日(日)福岡市内にある護国神社へ【ガ島慰霊祭】に参列しました。毎年友人達とお盆の時期に御霊祭りに行っていますが、別の機会にまた来ると思いませんでした。私以外に参列者は4名いらっしゃいました。社務所の待合室行くと、参列の方がガ島の話をされていたので途中から私も少しお話をすることに。ご夫婦がいらっしゃったのですが、ガ島での戦いで生き残られた方の娘様とのこと
今までアメリカ人による対日戦記を3冊紹介している。今回が俺の戦記読書歴で4冊目。とりあえず太平洋の航空戦についての本なら読んでみよう、と購入。書名から日米の名パイロット列伝だと思って読み出したが違った。一方的にアメリカ人パイロットが日本機相手に戦って勝ったはなしばかり。著者は綿密に元パイロットたちに取材し、双方の正式記録を確認した上でウラが取れたものだけを文章化したという。まあ戦線全体でみれば開戦劈頭を除いて総じて一方的にやられるはなしばかりなのは納得づくだったが、それにしてもこんなに
日本軍はガダルカナル島やサイパン島など南洋諸島を失い、昭和19年10月ともなるといよいよ近海も危うくなっていました。米軍は緒戦で失ったフィリピンを取り返そうとして、まずは日本本土とフィリピンの連携を絶つために沖縄や台湾を空爆しました。そのときに日米両軍で乱戦となった「台湾沖航空戦」が戦われました。『実際、帰投した搭乗員の報告を集計すると大戦果があがっている。…すぐに戦果が集計されて大本営発表となった。…・轟撃沈=空母一一隻、戦艦
退却を【転進】なんて言葉の言い換えは、この御国の悪い癖なのでしょうか。最初に使われたのは、80年以上も前。戦死者二万人以上赤道のさらに南、ガダルカナル島で。過去在職。新聞社・西部本社広告局へ📱すると、総務課事務員さんでしょう。『戦略広告局へ御用ですか』と仰るまぁ、似たような部局だろうと繋いでを頂くと、聞き覚えのある懐かしい声。世間話と企画のお話をさせていただき、ふと思いますに・・・・・。トレーナー在職時【目指せ100万部】を唱えていた部数が今の西部本社エリア、
1943年、大戦の転機がきます。実は教科書で教えられている、強いアメリカに弱い日本がケンカを売ったということになっていますが、違います。弱いアメリカが強い日本にケンカを売ったのです。日本が強い?そう思わない人は自虐史観から抜け出せていません。日本は強かったのです。でなければ、北にソ連、中国大陸では中国と、南ではイギリスと、そして片手間にアメリカと同時に戦争をしているのです。強い国でないとこんなことは無理です。資源のない日本は日本国民の根性でこの戦いを継続させていったのです。4か国も同時に相手し
1942年10月26日、ソロモン諸島東方の太平洋で、南太平洋海戦(アメリカ側はBattleoftheSantaCruzIrlands)参加艦艇を見ると、日本の空母、戦艦、重巡洋艦は、アメリカの2倍です。しかし、空母搭載機は、日本の200機に対して、アメリカは170機でした。また、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場の海兵隊機を加えると同数でした。アメリカ駆逐艦の主砲は、対空と対艦の両用砲でした。日本駆逐艦の主砲は照月1隻だけが対空砲を装備してましたが、他の駆逐艦は対艦
太平洋戦争で大学生を戦地に送り出した「学徒出陣」の壮行会から、21日で80年以上がが過ぎた。「同じことを繰り返してほしくない」。死を免れた元学徒兵は100歳を過ぎても、厳しい体験を語り継ぐ。白骨街道インパール作戦約10万の将兵が参加し、3万人が命を落とすという極めて高い死亡率を示したインパール作戦。日本軍の退却に使われた道には、行き倒れた兵士が連なっていた。南方の気候は遺体をすぐに腐敗させ、まもなく白骨化させていく。日本兵の骨で埋め尽くされた道は、いつしか「白骨街道」と言われる
辛うじて陸岸に泳ぎ着き、椰子林に駆け込む、敵機はなおも銃撃してくる。珊瑚礁に座礁している大発動艇も盛んに銃爆撃している。直ちに本隊に連絡を取り、部隊主力のいるマルポポに集結する。部隊は朝から海岸線より1kmのジャングル地帯に退避分散する。敵機は朝から海岸に達着した舟艇に対し、終日攻撃、昼は敵機爆撃のため、舟艇の修理は不可能、夜間修理である。9月12日岡部隊は、ルンガ飛行場総攻撃するも敵の猛攻に勝てず失敗に終わる。わが部隊は、駆逐艦、潜水艦による補給物資の揚陸作業、連日連夜の輸送も限度があ
◆父の遺言を守る旅:ガダルカナル島で散骨した忘れられない5日間〇父、釣部二郎との思い出2007年11月12日、私の父、釣部二郎は89歳でこの世を去りました。父がガダルカナル島(以下、ガ島)から生還したことは、私たち家族にとって非常に重要な出来事でした。彼は戦後も何十年も、戦争の記憶に囚われていたように思います。鼓膜が爆撃で破れ、酒を飲むといつも声が大きくなり、戦争の思い出が口をついて出ました。特にガ島での壮絶な戦闘や生き残るための過酷な撤退行軍、そして仲間を失った悲しみは、彼の中で深く刻ま
この3つがおじいちゃんが書いた戦記です。左の【九死に一生をえたガダルカナル島の戦記】を紹介します。序はおじいちゃんの打ったものでお読みください。ガダルカナル島戦記(想い出)ガダルカナル島は、ニューギニアの南東を列をなすソロモン諸島の最南端、東経160度、南緯10度にあって東西150km、南北70km、東半分は草原、西半分はジャングルに覆われた山岳地帯、その中央を北に注ぐルンガ川の河口に設けられた一つの飛行場が問題の焦点である。当時、ガダルカナル島(以下「ガ島」という。)では日本海軍
昭和17年(1942年)6月のミッドウェー海戦で大敗した日本軍は、計画していたハワイ攻略などの大規模な侵攻計画(第二段作戦)を断念した。だが、その目的の一つ“米豪遮断作戦”は継続し、ソロモン諸島のガダルカナル島に基地航空隊を進出させることで、オーストラリア方面の連合軍の活動を抑止しようとした。しかし、8月7日、日本軍が飛行場を建設しているガダルカナル島に、アメリカ海兵隊を主力とする連合軍1万名以上が上陸してきた。日本軍の設営隊を奥地に駆逐して飛行場を占領したアメリカ軍は、
こんばんは‼️Hickeyです‼️昨日の記録的大雨によって被害にあわれた方々に心より御見舞い申し上げます‼️僕も災害ボランティアで輪島市や珠洲市に合わせて6回程お邪魔させていただいてます…輪島市や珠洲市は今どうなっていますか❓今回の大雨によって仮設住宅にも被害が出たと聞き皆さんの事を大変に心配しております‼️また必ずボランティアに参ります‼️どうか御無事でいてください‼️【Hickeyの暦の部屋🤔】今日は【秋分の日】…本来は《秋季皇霊祭》や《祖霊祭》《祖霊大祭》など
20年も前に亡くなった祖父が生前に書いたガダルカナル島の戦記を今年のお盆手に取りました。今まであまり知らなかった戦争。おじいちゃんが書いた戦争体験を見て、とても胸が熱くなりました。ガダルカナル島の戦いを知りたいと思いました。おじいちゃん子だった私は発信して伝えたいと思い、ブログを開設しました。祖父は小学生の頃によく戦争の話をしていました。当時の私は幼く戦争に興味が持てず、ほとんど聞いていませんでした。だけど、覚えているのは銃弾が足を貫通した話、腕あたりの銃弾の跡。飢えが苦しかった事。
す8月16日の朝、ラジオの「今日は何の日?」というコーナーで、昭和18年のこの日東京上野動物園の猛獣を殺処分せよとの命令が出され、ライオン、トラ、象など27頭が殺されたとのこと。敵に爆撃されると檻が壊れて逃げ出す危険があるからというものだった。そんなに早い時期から首都への本格的な爆撃が心配されていたのかと驚いた。しかし考えて見ると、大勢の学生たちが雨の中、銃を担いで行進する映像で知られる学徒動員が始まったのもやはり昭和18年の10月だった。主戦場が赤道よりさらに南の小さな島