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ホニアラ国際空港の悲喜劇この空港はガダルカナル島にある。1942年7月ごろ。日本軍がガダルカナルに飛行場を作り始める。目的はもちろん、南方の制空権確保。ところが完成直前の8月7日、日本軍がほぼ完成させてたところに米軍は、一挙に雪崩の如く攻めてきた。飛行場を奪った米軍はそのまま完成させ、名前を「ヘンダーソン飛行場」と名付けた。ここから日本軍は「自分達が作った空港を奪われた」という最悪の状況に。「わし、ほぼ完成させとる所を横取りされた。最悪やん。お前らずるっこい事すんなや
エイリアンは人間。Theywalkamongus.https://t.co/7HysdUuNVMpic.twitter.com/PkUHcT7igg—TheWhiteHouse(@WhiteHouse)May28,2026不法移民の中にも、河童のサイバー拷問の被害者がいる。サイバー拷問に国境はない。河童の標的にならずに済む場所は世界のどこにもない。Netflixで最近配信されたこのドキュメンタリーを観て、冒頭で2002年7月31日と日付が表示された
自衛隊(防衛省・防衛庁)協力映画『駆逐艦雪風』(1964)と『雪風YUKIKAZE』(2025)を見比べてみれば……[2026・3・18・水曜日]YouTubeをアトランダムに見ていたら、「自衛隊協力映画」こと1964年公開の『駆逐艦雪風』が無料放送中とのことで観ました。1964年公開の佐野芸術プロダクション製作、松竹配給の日本映画です。冒頭に「協力防衛庁」という大きな文字が現れてから映画がスタート。去年上映された『雪風YUKIKAZE』と同じく、不沈駆逐艦「雪風」に焦点にあ
毎年恒例の冬鳥の写真集ツグミ拙ブログでは、年末年始のご挨拶も終え、宣言したとおりニューギニアの戦いの連載を始める。従来にも増して、いったん戦争を始めるとどういうことになるのか、過去の例に鑑み、しっかりと考える必要を強く感じている。例え戦に勝とうとも、経済は疲れ、社会は病み、多くの人が衣食住の術を失い、命を落とす。それを避けるのが現憲法下の政府の役割であり、監視者たるわれわれ有権者、納税者の責務だ。それを怠るとどうなるか。過去に近所で起きた一つの出来事から書き起こそ
ソロモンは発展途上の国だから物価が安い、と思う方も多いと思います。ところが物価はかなり(ひょっとしたら日本より)高いかも知れません。街中の売店で売っている小さなハンバーガーも日本円で四百円くらいしますし、食料品は全般的に高め(日本の輸入食品を扱っているお店もありますが、マヨネーズ一本が千円位です)の印象でした。日本食が食べられる場所も街に少し増えましたが、カツ丼が一人前二千円だそうです。ちなみにガダルカナル島の料理の味付けは日本にかなり近く、どの場所でも料理は美味しくいただけま
1995年8月17日、旧参謀本部のあった東京市ヶ谷の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で、敗戦時に自決した軍人の慰霊祭が営まれた。瀬島が追悼の言葉を読んだが、ここで瀬島の二期後輩の参謀・晴気誠が自決したのだ。1942年11月、瀬島は南東方面の作戦主任に抜擢された。飢餓の島ガダルカナル奪回の至上命令が30歳の瀬島に下った。1942年9月、作戦課の派遣参謀、山本筑郎がラバウルに降り立った。司令部の参謀長、二見秋三郎によると、米軍に奪われた飛行場を取り戻すため1000人の部隊が上陸したが米軍の猛攻で全滅した。
尋ねると、色の黒い若い女性が出てきた。「茂賀さんの友人の佐倉衣装と申します、ご在宅でしょうか」というと、茂賀を呼んでくれた。茂賀は俺様を部屋にあげてくれた。「お前この人と結婚したのか、どこの人だ」「ソロモン国、ガダルカナル島から岐阜へ研修に来ている」「岐阜のような田舎に外国の人に教えるような技術があるのか」茂賀はむっとした顔になった。「農業研修に来ている。彼女の家はガダルカナル島でも地方で、今までは焼き畑でやっていたが生産性が低い、同じ土地での畑作が良いがそ
映画「プライベートライアン」で主演を務めたトムハンクスが、スピルバーグと一緒に実話に基づいたドラマを作成しようとして出来上がったのが、私の好きな「バンドオブブラザーズ」その後、太平洋戦争での実話に基づいたドラマが「THEPACIFIC」。正直言って、日本人としてあまり観たくなかったのですが💦安かったのでAmazonで購入😅ガダルカナル〜沖縄戦までを全10話(内3話がペリリューでした)にまとめた作品です。感想として…思っていた通り、結構残虐なシーンが多くて。印象に残った主人公のセリフ
ガダルカナル戦の本を紹介するのは4回目でしょうか。『誰が一木支隊を全滅させたのか』関口高史『ガダルカナル悲劇の指揮官』NHKスペシャル取材班前回ブログの『ガダルカナル』辻政信今回は先日本屋で見つけました。『戦争の昭和史』早坂隆2025年5月ワニブックスこの中に「ガダルカナル」のことが書かれてあり、そこに、第二師団の工兵第二連隊の兵長さんの回想があります。そこには、台湾の高砂族2名が加わっていて、密林を切り開き、植物の茎から水を摂ることなど、日本兵はずいぶん助けられたと
日本画家が描いた戦争画ツラギ夜襲戦。1943年。三輪晃勢(みわちょうせい)という日本画家が描いた戦争記録画です。1943年(昭和18年)の第2回大東亜戦争美術展に出品された絵画。この絵画は、東京国立近代美術館の「記録をひらく記憶をつむぐ展」で展示されていました。ツラギ夜襲戦は、第一次ソロモン海戦とも呼ばれ、1942年(昭和17年)8月、日本海軍がアメリカ艦隊に勝利した海戦です。夜戦はやっぱり日本海軍は強いんだと、当時の海軍が鼻息を荒くした夜戦です。ツラギというのは島の名前で、
今回の旅では、現地で亡くなった方のお孫さんが丘の上から「おじいちゃん、迎えに来ましたよ。日本に一緒に帰りましょう!」と泣きながら呼びかけていらっしゃしました。どんな戦争でも悲惨なものですが、この地ではあまりにも尊厳が蔑ろにされていて、自分と繋がりの深い人がそんな場所で亡くなったというのは、長い年月が経ってもなかなか受け入れられないものだと改めて感じました。密林の中にも慰霊碑があります。ここは日本軍の撤退地点です。戦争で戦っていたのは、職業軍人の方ばかりではありません。パン屋
10月10日は司令部が孤立する?ながらく続いた自公連立政権が分離だそうで、、、10月10日は遠くガダルカナル戦で第十七軍司令部がラバウルからガダルカナルに出た日。司令官はじめ参謀は壕での生活初日の弁当も、先に戦っていた兵に持っていかれたとか。兵にしてみれば、待ちに待った補給だったことでしょう。長崎には「被爆80年」が掲げられている日本では「戦後80年」80年の間に、何を学んだのか?写真の本は昭和25年の初版本です辻正信『ガダルカナル』実家の本棚にあり、父が読ん
七月三十日から八月九日の日程で、ガダルカナル島での慰霊巡拝に「全国ソロモン会」の一員として参加しました。私がこの地を訪れるのは八年ぶり五度目となります。「全国ソロモン会」は元々は戦友会(実際に現地で戦っていた方の会)でしたが、最近はご遺族や有志が中心となっています。私が入会した頃はまだ戦友の方々も多くいらっしゃいましたが、残念ながら殆どの方がお亡くなりになりました。今回の旅は、ご遺族、有志、そして私を含め僧侶三人で、合計三十名を超える大所帯となりました。年齢も十八歳から八十
まだまだ残暑が続いています。気温が高いのが関係あるのか分かりませんがパソコンの調子が悪くてなって困っています。話は変わり今日も本のお話。五味川純平著「ガダルカナル」読んでみました。ガダルカナルの戦いは敵を甘く見て戦力を小出しにしずるずると消耗戦に引き込まれて半年の攻防で日本軍が敗北するのですが・・・その過程が読んでいて腹立たしい。根拠のない連合軍反攻予測に惑わされて有効な戦力を動員できなかった日本軍。そうこうしている内に体制を固めた連合軍の守るガダルカナル島に攻撃を加える日
楽しい!透明水彩がこんなに、楽しいものだとわ!良かったニャー油も描くぜ!ところで戦争遺児(81歳)に借りた、これら半藤一利監修のDVD、太平戦争の歴史の検証者、御大半藤一利!!見たかったのだけれど、見たかったのだけれど、辛すぎて、見れない‥‥マジ、泣けてくる~~~~それも、号泣系‥‥「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」マジで称える‥‥ごめんなさい、ごめんなさいって思う。
惨敗のミッドウェイ、目的を果たせなかったガダルカナル、マリアナ沖、レイテ沖、大和を失った坊ノ岬沖、全てで生還し、多くの乗組員を救った駆逐艦雪風(幸運艦)を知りませんでした。一つひとつの言葉が重いです。80年ほど前の太平洋で失った多くの命のことを決して忘れてはいけないと改めて思います。そうそう、エンドロールに永遠波の音⁉️意外にもいい感じです!
[ガ島]ルンガ飛行場※2019.10月訪問、数日間ガイドを雇い探索※加筆・修正中ガダルカナル島(ガ島)明治26年(1893年)に英領ソロモン諸島としてイギリスの植民地になる。コプラ産業でオーストラリア(豪州)との交易、キリスト教の布教を開始する。植民地政庁はガダルカナル島(ガ島)北岸の対岸、ツラギ島に設置され、昭和17年に日本軍がガ島に上陸するまで、厳しい植民地支配を受けていた。日本軍はソロモン諸島から米豪遮断作戦のための前進基地、ポートモレスビー攻略と相俟ってガ島に飛行場をつくろう
JamesSetouchi2025.4.25吉田裕『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』中公新書2017年1吉田裕1954~東京教育大文学部卒。一橋大学大学院を経て社会学部教授、大学院社会学研究科教授。専攻は日本近現代軍事史、日本近現代政治史。著書『昭和天皇の終戦史』『日本人の戦争観』『アジア・太平洋戦争』『兵士たちの戦後史』『現代歴史学と軍事史研究』など。2『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』中公新書2017年必読。アジア・太平洋戦争(太平洋戦線だけでなく
[ガ島]丸山道・903高地〜990高地※2019.10月訪問、数日間ガイドを雇い探索※加筆・修正中昭和17年8月7日に生起したガダルカナル攻防戦開戦以来、連戦連勝だった日本海軍と日本陸軍が、同年6月のミッドウェー海戦と共に敗北を喫し、大東亜戦争での攻守の転換点となった戦闘と位置付けられている。ガ島の飛行場奪還に固執する日本軍は、制空権を失ったのにも関わらず、逐次、小出しに投入された日本軍将兵(一木支隊→川口支隊→第2師団→第38師団等)は、その都度、米軍の猛烈な砲撃に遭い、敗走
遊就館にある零戦靖国神社内にある遊就館で開催中の特別展「終戦八十年戦跡写真展」を見にいってきました。靖国神社に行ってきたと友人に言うと「右翼なの~!?」とか言われちゃうのだけど(右翼でも、戦争礼賛者でもありませぬ・・・)、神社自体はとても清々しく、緑が美しい神社です。太平洋戦争の頃の本を読んでいると、多くの若者達が「靖国でまた会おう」「先に靖国に行って待ってるからな」「お母さん、必ず靖国に会いにきてくださいね」と言いながら出撃しているので、彼らのために靖国神社はずっと残してあげて下さ
[ガ島]ヨシモリポイント※2019.10月訪問、数日間ガイドを雇い探索※加筆・修正中昭和17年8月7日に生起したガダルカナル攻防戦開戦以来、連戦連勝だった日本海軍と日本陸軍が、同年6月のミッドウェー海戦と共に敗北を喫し、大東亜戦争での攻守の転換点となった戦闘と位置付けられている。ガ島の飛行場奪還に固執する日本軍は、制空権を失ったのにも関わらず、逐次、小出しに投入された日本軍将兵(一木支隊→川口支隊→第2師団→第38師団等)は、その都度、米軍の猛烈な砲撃に遭い、敗走させられた。戦
[ガ島]クルツ岬周辺※2019.10月訪問、数日間ガイドを雇い探索※加筆・修正中昭和17年8月7日に生起したガダルカナル攻防戦開戦以来、連戦連勝だった日本海軍と日本陸軍が、同年6月のミッドウェー海戦と共に敗北を喫し、大東亜戦争での攻守の転換点となった戦闘と位置付けられている。日本軍はソロモン諸島から米豪遮断作戦のための前進基地、ポートモレスビー攻略と相俟ってガ島に飛行場をつくろうとした。連合軍にとってはラバウル制圧のために、ガ島は重要な足がかりとなる。ガ島の飛行場奪還に固執する
[ガ島]鬼怒川丸〜水無川※2019.10月訪問、数日間ガイドを雇い探索※加筆・修正中昭和17年8月7日に生起したガダルカナル攻防戦開戦以来、連戦連勝だった日本海軍と日本陸軍が、同年6月のミッドウェー海戦と共に敗北を喫し、大東亜戦争での攻守の転換点となった戦闘と位置付けられている。ガ島の飛行場奪還に固執する日本軍は、制空権を失ったのにも関わらず、逐次、小出しに投入された日本軍将兵(一木支隊→川口支隊→第2師団→第38師団等)は、その都度、米軍の猛烈な砲撃に遭い、敗走させられた。戦
[ガ島]ヴィル野外戦争博物館※2019.10月訪問、数日間ガイドを雇い探索※加筆・修正中昭和17年8月7日に生起したガダルカナル攻防戦開戦以来、連戦連勝だった日本海軍と日本陸軍が、同年6月のミッドウェー海戦と共に敗北を喫し、大東亜戦争での攻守の転換点となった戦闘と位置付けられている。日本軍はソロモン諸島から米豪遮断作戦のための前進基地、ポートモレスビー攻略と相俟ってガ島に飛行場をつくろうとした。連合軍にとってはラバウル制圧のために、ガ島は重要な足がかりとなる。ガ島の飛行場奪還に
[ガ島]砲兵台〜ギフ高地※2019.10月訪問、数日間ガイドを雇い探索※加筆・修正中昭和17年8月7日に生起したガダルカナル攻防戦開戦以来、連戦連勝だった日本海軍と日本陸軍が、同年6月のミッドウェー海戦と共に敗北を喫し、大東亜戦争での攻守の転換点となった戦闘と位置付けられている。日本軍はソロモン諸島から米豪遮断作戦のための前進基地、ポートモレスビー攻略と相俟ってガ島に飛行場をつくろうとした。連合軍にとってはラバウル制圧のために、ガ島は重要な足がかりとなる。ガ島の飛行場奪還に固執
[ガ島]ムカデ高地※2019.10月訪問、数日間ガイドを雇い探索※加筆・修正中昭和17年8月7日に生起したガダルカナル攻防戦開戦以来、連戦連勝だった日本海軍と日本陸軍が、同年6月のミッドウェー海戦と共に敗北を喫し、大東亜戦争での攻守の転換点となった戦闘と位置付けられている。日本軍はソロモン諸島から米豪遮断作戦のための前進基地、ポートモレスビー攻略と相俟ってガ島に飛行場をつくろうとした。連合軍にとってはラバウル制圧のために、ガ島は重要な足がかりとなる。ガ島の飛行場奪還に固執する日
[ガ島]一木支隊※2019.10月訪問、数日間ガイドを雇い探索※加筆・修正中昭和17年8月7日に生起したガダルカナル攻防戦開戦以来、連戦連勝だった日本海軍と日本陸軍が、同年6月のミッドウェー海戦と共に敗北を喫し、大東亜戦争での攻守の転換点となった戦闘と位置付けられている。日本軍はソロモン諸島から米豪遮断作戦のための前進基地、ポートモレスビー攻略と相俟ってガ島に飛行場をつくろうとした。連合軍にとってはラバウル制圧のために、ガ島は重要な足がかりとなる。ガ島の飛行場奪還に固執する日本
[ガ島]予備飛行場=コニー飛行場(米海兵隊)※2019.10月訪問、数日間ガイドを雇い探索※加筆・修正中昭和17年8月7日に生起したガダルカナル攻防戦開戦以来、連戦連勝だった日本海軍と日本陸軍が、同年6月のミッドウェー海戦と共に敗北を喫し、大東亜戦争での攻守の転換点となった戦闘と位置付けられている。日本軍はソロモン諸島から米豪遮断作戦のための前進基地、ポートモレスビー攻略と相俟ってガ島に飛行場をつくろうとした。連合軍にとってはラバウル制圧のために、ガ島は重要な足がかりとなる。ガ
[ガダルカナル島]テテレ海岸※2019.10月訪問、数日間ガイドを雇い探索※加筆・修正中昭和17年8月7日に生起したガダルカナル攻防戦開戦以来、連戦連勝だった日本海軍と日本陸軍が、同年6月のミッドウェー海戦と共に敗北を喫し、大東亜戦争での攻守の転換点となった戦闘と位置付けられている。日本軍はソロモン諸島から米豪遮断作戦のための前進基地、ポートモレスビー攻略と相俟ってガ島に飛行場をつくろうとした。連合軍にとってはラバウル制圧のために、ガ島は重要な足がかりとなる。ガ島の飛行場奪還に
[ガダルカナル島]マタニカウ川の河口※2019.10月訪問、数日間ガイドを雇い探索※加筆・修正中ガダルカナル島(ガ島)明治26年(1893年)に英領ソロモン諸島としてイギリスの植民地になる。コプラ産業でオーストラリア(豪州)との交易、キリスト教の布教を開始する。植民地政庁はガダルカナル島(ガ島)北岸の対岸、ツラギ島に設置され、昭和17年に日本軍がガ島に上陸するまで、厳しい植民地支配を受けていた。日本軍はソロモン諸島から米豪遮断作戦のための前進基地、ポートモレスビー攻略と相俟ってガ島に