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風薫る5月の始まりは、しっとりと小雨降る一日となりました。少しひんやりとする空気が気持ちよく、これから暑くなっていくであろう前の最後の名残りのようにも...(先日訪れた瑞応寺境内)私は冬から春にかけてが、とても好きです。どの季節にもそれぞれのよさがあるけれど、それでも自分の好みってあるものですね。寒い寒いと言いながらぬくぬくとする冬が大好きだし、そこから少しずつ寒さがほどけていく感じがまたとても好きなんですよね。(開花する直前の美。そして、そこここから
このことは以前ブログに書いたことがあるけれど、今日ふと書きたくなったので、記しておこうと思います。何度か坐禅をさせて頂いている禅宗の寺で、印象深いお話を聴かせて頂いたことがあります。それは、「大悲心陀羅尼経」(だいひしんだらにきょう)という経典の話で、大悲心とは、「慈悲」という意味なのだと教えて頂いたことです。その時、お坊さんは「なぜ慈悲が大きい悲しみの心なのでしょう」と投げかけられた後、次のように教えてくださいました。「慈悲の『慈』という字。この字は、草かんむりが大
何をどんな風に表現してもいいというまっさらな時間空間では、どんなに思考を駆使して話し続けようとしても、いずれどこかでその流れは緩やかになっていき、やがて表現の先端に、自分自身が表現者としてついていくような不思議な逆転現象のようなものがやってきたりします。(屋島の古樹に咲く桜の花)最初は、あらかじめ考えていたことを自分主体で話していたとしても、そのうち、自分の口からどんな言葉が出てくるのか分からなくなる...そして、話しながら同時に、その話していることを初めて知
台風の影響が心配されますね。できるだけ小難で過ぎていくように祈りつつ過ごしています。今日と明日のセッションは、台風の中のご移動の危険を鑑み、お日にちを変更して、させて頂くようになりました。(明後日のセッションについては、今後の進度により、個人的にご連絡させて頂きますが、今のところは予定通りさせて頂きますね。)先日、見上げた空は高く、もうすっかり秋の空でした。台風一過の爽やかな空気感がやって来ることを心待ちにしながら、今日明日ゆっくり過ごそうと思います。(
暦の上では秋なのですね。確かに、ほんの少しだけど風が変わってきたかな。秋の空気が微かに入り込んできている気配を感じるときも...。この夏は、沢山の瞑想や内観の時間を味わい、またセッションでのシェアリングのひとときのパワーも相まって私にとって、多くの新しい気づきや新しい境地を感じる印象深い夏になりました。私にとって、夏はこれまでなんとかやり過ごしていく季節でしたが、夏でもどうあっても、本当に大切なことは粛々と為されていることに気が付いていく時でもありました。
暑さ続く最中ではありますが、セッションではそんな暑さもご時世の様々もどこか遠く、そのひとときだけはまるで「非日常」のような領域で深いシェアリングが続いています。(7月16日の空と海です。)そういう中でつくづく、日常生活の中でそういう時間や空間を感じるひとときは本当に大切なことだと感じます。なぜなら、深海に潜るようにぐっと「非日常」の中に分け入り、心の奥で動く様々に五感や六感を研ぎ澄ませる一瞬一瞬は、理屈を超えて、自分自身のエネルギーが調律されていく一瞬一瞬だから
ホウセンカの花。夏って感じです...「夜明け前が一番暗い」という言葉がありますね。実際に夜明け前の空をずっと眺めていたことがありますが、漆黒という表現がぴったり合うような暗闇を感じる瞬間があります。そういう時、このまま夜が明けなくてもおかしくないと思えるほどどこまでも何も動かないような、全くの不動のときを感じるときがあったりするのです。人生の中でも、そういう時を感じることがあるかもしれません。おそらくそういう時を感じる時は散々努力したり、出来ることに力尽く
暑いけれど綺麗に晴れると気持ちいいです。シナリオも行く先も分からないただその時その時湧いてくることを分かち合っていく過程で一見脈絡なくあるそれらが、次第に点と点が繋がるように合い始め、その後体感を伴いながら気づきの中で、急速に深くまとまっていくような時があったりします。そういう時、まるでエネルギーのうねりだったり臨界を超えて新しい境地へとエネルギーが流れ出しているのが目に見えるような瞬間があるのです。明らかに、空気感も違うし、体感も変わってくる。言葉への
今日の海沿いは、暫くの間でしたが雨が降りました。その雨の音や、久しぶりに雨が降った時の独特の空気感が気持ちよくて心まで潤うような気持ちに(^-^)(今日は雨で写真が撮れず。干潮のときの写真です。)セッションでは、ゲシュタルトワークという技法を用いることがよくあるのですが、このワークを始めるとあっという間に、自分自身との深い対話が始まるんですよね。頭で分かっていることとその分かっていることに付随する様々を「発する」ことは微細な隔たりのようで、実はものすごく深い
7月ですね!月が新しくなると、それだけで全て刷新されるような不思議がありますね。新鮮な気持ちで、新しい月を迎えられるのは喜びです。暑いけれど自然が見せてくれる美しさはどの時もその時々の魅力があり深く癒されます。波のリズムと呼吸のリズムは連動しているといわれますが(毎分約18回だとか)数えていなくても、こうして目の当たりにするだけで自然に呼吸は深くなり、共振し始めるんですよね。気づこうと気づかまいと...。私たちはどれほどの無償の愛の中で生きているの
今日は立秋なのですね。暑さも今がピークでこれから行きつ戻りつしながらも少しずつ涼しくなっていきますね(^_^)海辺も夕方の風は心なしか秋を感じられるような風を微かに感じられる瞬間がありますよ。(今日の19時前の空と海です。)カウンセリングワークの時間は思いつくままに、話されたいことを話して頂くひとときです。そしてセッションの後半はお話の流れに添って何かのワークを共有して頂いたり瞑想のひとときを共有して頂いたりしています。話すことは放すこととも聞
お昼過ぎの空と海(^_^)写真には写っていませんが、背後にはもくもくと、大きな入道雲が出ていましたよ~すっかり夏の空、夏の海になってきました!どんなことでも、どれだけでも、ざっくばらんに話すことができる相互の関係ってこんなに豊かなものはないことを感じています。その延長の中で、セッション的な流れになったりワークをしたり瞑想をする流れになったり...その自然な流れには、負荷がかからず一点集中のようにずっと「ゾーン」の内でそこで感じられてくることを、味わい
今日の夕方の空と海です。夕方といっても、19時30分は過ぎていたかな。夏至を過ぎても、まだしばらく陽が長いときが続きます(^_^)日中は、雷と雨が断続的に続いていましたがその後、外に出ると洗い清められたような清浄感が気持ちよく...本当に何かが、すっかり洗い清められていったのかもしれませんね。どんどん洗い流されていってそこに残るものはとても大切なものだったり揺らがないものだったりすることを思います。カウンセリングワークの中ではかなり長い時間を使
セッションという時間空間は本当に不思議な「間」(ま)だと感じています。何をどんな風にでも話して(放して)いいというとき自分の中から何がどんな風に出てくるのか...出すのは自分だけれど同時に、出てくるものを観ているのも自分なのです。観ている自分が気づいてくること...それが新しい布石になる。布石は繋がりながらいつしか、次元すら超えていく美しい軌跡になるのです。(今日の夕方の空と海です。満ちてくる海に、大変容を伴う吉兆を顕す彩雲も。見てくださった方に
多かれ少なかれ人はどこか罪悪感をもって生きているときがあることを思います。その罪悪感というのは人それぞれ、思うところやそのかたちがあるのでしょう。そして時には意識的にも無意識的にもその罪悪感が自分の生き方に影響を与えていることもあることを思います。怖れや罪悪感は必要のないものと心理の世界では言われています。それは、根拠のないもの、全ての問題は幻想という境地に立つと本当にそうだなって感じるし理由の要らない世界を生きるとき怖れも罪悪感も、例外なく何かの理由にはならないも
夏至を迎えましたね(^_^)写真は、今日の18時頃の様子かな。今日はひときわダイナミックで空も海もどこまでも美しく豊かでただただ感動して眺めていました。満ち満ちて、こんなところまで波が!引くときは、防波堤のところまで砂浜になってしまうくらいなのです。すっかり様相が変わるんですよね。空も海もひとときも同じときがなく、魅了され続けます(^_^)人生も同じかもしれませんね。ひとときも同じときはない。過去の体験すら全く同じように感じるこ
今日も美しい空模様が心に滋養を与えてくれています(^_^)梅雨の中休みのような晴れ間や湿気の少ない涼やかな海風に身体がほっとするような安堵感も感じながら...。うまく言えませんが最近、セッションを通して感じていることはあらゆることの速度のようなものがずいぶん速くなっているということ...今またさらに、加速度的に多次元的に。その利点は昇華が速いだけでなくあっという間に並行現実にシフトチェンジしていくようなそんなダイナミックさがあるのを感じています。
セッションが終わり心地の良い余韻を感じながら過ごしています。時折、セッションをしていて疲れることはないですかとか怖いと思うことはないですかと尋ねて頂くことがあります。しかし振り返ってみて、そういう時は全くと言っていいほど無いのです。もちろん、力及ばなかったところがあるだろうということは常に感じています。そして、それを大きく赦して頂きながらセッションという時間をまた重ねてくださるご縁にとても言葉にならないような感謝を感じています(^_^)私がセッションで出逢
セッションの中で次第に深い沈黙が訪れることがあったりします。その独特の空気感はいつの間にか辺りを包み静寂はいつしか時を超えた境地へといざないます。癒しはごく自然に訪れすっかり何かを洗い流し新しいエネルギーが漲ってきます。ブレイクスルーは時にこんなにも静かにたおやかにやって来ることがある‥そういうときどの時もどんな時もかけがえのない美しい時の連続なのだとただただ深く実感されてくるのです。沈黙の中には全てがあり余すことなく味わい切るだけで起こってくる変容があり
紫陽花が似合う季節になってきました(^_^)梅雨が来るにはまだ早いような...もう少しゆっくりでもいいんだけどな~...エネルギーは時空を超えると言いますが本当にそうだなって思います。それには色んな意味や状況があると思うけれど例えば、過去に味わったエネルギーは昇華が為されないとその場を離れても、時間が経過しても意識を向けると、全く同じように在ったりするしその時と同じ体感が蘇ってきたりすることがあります。時には、また違う関係性や状況の中で同じような体
過去記事がお知らせで上がってくると懐かしく読んでいます(^_^)これは2年前の記事だとか。いつも過去記事を読むとその日のことを、まるで昨日今日のことのように思い出すけどこの記事...はや、2年も経つんですね!時間軸ってどんなになってるんだろう?(^_^;)ここは四季折々の自然の美しさがありそして宇宙の神秘を感じさせられるような美しさもあり本当に素敵なところだなって思います。ここで過ごせる時間に感謝しながらこれからも繋がってくださる方と豊かなひとときを分かち
4月もはや今日で終わりですね(^_^)3月4月は年度を跨ぎ、変化の多い時期だけれどそんな変化のうねりも、ようやくその波が穏やかになりほっと小さく安堵するような感覚を覚えている今日この頃です。そんな中、セッションを通して「今ここ」をシェアして頂く時間は私自身にとって、自然に中庸な立ち位置を与え続けて頂いているようなかけがえのないギフトを頂いていることを改めて深く認識していくようなこの春の日々でした。感謝の気持ちでいっぱいです。明日から5月!皆さまのパワーが5月の美
今日の夕暮れです。太陽がちょうど夫婦岩付近の岩群の間に沈んでいきました。美しい光景に、心癒されます(^_^)生育の過程では、本当に様々な観念や感情を抱きながら生きてきてある時、それらを一つ一つ剥がしていくというのか解放していうというのかそういう作業が必要な時があったりします。自分のエネルギーと他者のエネルギーに、境界を引くというのでしょうか。お互いの境界を大切にすることは自分も相手も大切にすることでじゃあ、どこにどういう風にその境界が在るのかを感情を
今日の曇り空の夕方の海です(^_^)晴れの日の景色も美しいけれど曇りや雨の日の景色も、何ともいえない趣きがありますね。日常の中には、心揺さぶられるような体験がそこここにひしめいていて感動することもあれば悲嘆や怒りにくれそうになることもあり本当に色々であることを思います。もし、感動だけを味わって生きていけたらまた、そう生きていけるのだという保証みたいなものがあったとしたらどんなに楽で、楽しいかと思うけれどよく考えると悲嘆や怒りといった、一見ネガティブ
人生は膨大な選択の連続。そのどれにも正解も不正解もないことを深く実感しています。それでも大切なことはそれは自分の心に添ったものであるかどうかということ。特に迷いがあるときはそれが心の声に添っているのか頭の声に添っているのか自分ではよく分からなくなるものです。そういう時、セッションを利用されている方に共通して感じることは心の声を聴くということに全面的にコミットしていて自分の心の声を確認するために、セッションという場を利用されているということ。頭の声と心の声との違
話すことは放すこととよく言われたりしますが本当にそのとおりだなっていうことを常々感じています。最近のこと今、気になっていること...そういう自分にとって身近なことの中には活きたエネルギーが渦巻いています。そういう出来事や自分の状態について話していくにつれてそれが呼び水となりいつしか自然に自分にとって、とても大切だったりどこか敬虔な領域に到達していたりするのです。こういうセッションにいらしてくださる方は自分自身に対して自己開示していくところに全面的に委ねてい
新しい境地へと大きくスライドしていくとき最後の調整とばかりに金脈や人脈の調えを促されるような現実が顕れてくることがあります。微調整のような時もあるけれど次のステップが大きい時はその調整も連動するように大きいことも。これまでの自分自身のお金の流れについての意識や人との関係性の中で慣れ親しんできた感覚の中で不意に何かが浮上してくるときはさらにシフトアップする機会が近くなっている兆行なのかもしれないですね。(今日の夕暮れ)お金を通して感じられる流れは自分
自分の中で思っていることや言っていること、或いは感情と実際にしていることがどこか違うなと感じるときその時の真実は実際にしていることにあると言われていたりします。いいとか悪いとか正しいとか間違っているとかそういう範疇は全く超えてしていることがその時の自分そのものだったりするのです。していることもまた一貫性があったりなかったり迷走することもあるかもしれません。それでも、その時その時していることは寸分違わず自分の本当の思いや感情を物語っていたりする。まずは、していること
頭で、こうした方がいいだろうとかこうするべきなのではとどんなにまことしやかに思えても身体の反応はその考えとは全く違う領域で頭で思うこととは別の思いや考えに共鳴することがあります。そういう時思いがけない身体の反応に触れ自分自身の本当の思いを再確認することも。再確認というのはどこかでは納得があったり深いところではしっくりするという感覚(一致)と繋がっていることを実は、よく知っていたりするんですよね。じゃあ、どうしたらいいのだろうと頭は混乱するかもしれないけれどそう
セッションの後片付けをしながら外に出るとまだ美しい夕焼けが見えていました。いつの間にかずいぶん遅い時間まで明るくなってきたのですね(^-^)片付けの手をとめて、海の方に出ました。日中吹いていた風はほとんどなくなり、穏やかな凪の海。空気は今日も澄んでいて、どことなくほの暖かい。鹿島のフォルムが空のグラデーションの中に映えとても綺麗でほれぼれと見入っていました。先日のように、自分自身もこんな美しい波動を体現して生きていられたらとどんなに幸せだろうと思いました。そうすると、どこから