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精工舎小彫縁尾長昭和初頭頃【W348】精工舎の柱時計『小彫縁尾長』、昭和初頭頃に製造された物です。明治25年創業の精工舎(現SEIKO/セイコーホールディングス)は国内で現存する最古の時計製造会社です。同社では長い歴史の中で様々なタイプの柱時計や置時計・腕時計等を製造されています。こちらの柱時計は文字盤の直径がやや小さめの八吋(8inch=約20cm)で、本体の前面の縁部分には木彫りの装飾が入り、木目をそのまま活かした仕上げの『小彫縁尾長』と呼ばれるタイプの柱時計です。
愛知時計SuperEight30DAY昭和30年代後半頃【W347】愛知時計の柱時計『SuperEight』、昭和30年代後半頃に製造された物です。愛知時計は明治25年創業の水野時計製造所を祖とする歴史ある時計製造メーカーです。現在の社名は愛知時計電機株式会社で、水道メーターの製造等が中心で時計の製造はしていませんが、会社の歴史に敬意を表して昔の社名のままで現存されています。こちらの柱時計は昭和40年前後(1960年代)には何処の家庭にも一台はあったと思われる箱型タ
愛知時計AichiCalendar30DAY難有昭和39年【W346】愛知時計の柱時計『AichiCalendar30DAY』、昭和39年に製造された物です。愛知時計は明治25年創業の水野時計製造所を祖とする歴史ある時計製造メーカーです。現在の社名は愛知時計電機株式会社で、水道メーターの製造等が中心で時計の製造はしていませんが、会社の歴史に敬意を表して昔の社名のままで現存されています。こちらの柱時計は文字盤の枠に『AICHITOKEIDENKIK.K.』の
明治時計鏡付変形宮型柱時計昭和10年代【W345】とても希少な明治時計の鏡付変形宮型柱時計、昭和10年代頃に製造された物です。明治時計株式会社はその名の通り明治28年(1895年)に創業された明治時計製造合資会社を祖とする歴史のあるメーカーです。昭和40年代頃まで機械式時計の製造を続け、その後は水道メーター等の製造を経て現在は社名を変えLED照明関連の企業として存続しています。こちらの時計は基本形が箱型の本体の上部に屋根の庇のような装飾が付いた「宮型」と呼ばれるタイプの柱
SEIKOトラベルクロックJH503外箱・説明書付昭和40年頃【120】SEIKOのトラベルクロック『JH503』外箱・説明書付き、昭和40年頃に製造された物です。明治25年創業のSEIKO(セイコーホールディングス/創業当時の社名は精工舎)は国内で現存する最古の時計製造会社です。同社では長い歴史の中で様々なタイプの柱時計や置時計・腕時計等を製造されています。こちらの時計は一般的に「トラベルクロック」と呼ばれている折り畳みできるタイプの目覚時計です。折り畳んだ状態で
精工舎満月流金大正時代【114】精工舎の置時計『満月流金』、大正時代に製造された物です。明治25年創業の精工舎(現・SEIKO/セイコーホールディングス)は国内で現存する最古の時計製造会社です。同社は長い歴史の中で様々なタイプの柱時計や置時計・腕時計等を製造しています。こちらの置時計は大正時代に作られた「ビー」と呼ばれる毎日巻きの小型のムーブメント(機械)を搭載しています。本体はアンチモニ(antimony)という合金製で、「流金」と呼ばれる金色のメッキが施されたタイプ
愛知時計SpecialEight60Day昭和30年代後半頃【W344】愛知時計の柱時計『SpecialEight』、昭和30年代後半頃に製造された物です。愛知時計は明治25年創業の水野時計製造所を祖とする歴史ある時計製造メーカーです。現在の社名は愛知時計電機株式会社で、水道メーターの製造等が中心で時計の製造はしていませんが、会社の歴史に敬意を表して昔の社名のままで現存されています。こちらの柱時計は昭和40年前後(1960年代)には何処の家庭にも一台はあったと思われ
精工舎宮型角文字盤柱時計昭和10年代頃【W343】精工舎の宮型角文字盤柱時計、昭和10年代頃に製造された物です。明治25年創業の精工舎(現セイコー)は国内で現存する最古の時計製造会社です。同社では長い歴史の中で様々なタイプの柱時計や置時計・腕時計等を製造されています。こちらの時計は箱型の本体の上部に屋根の庇のような装飾が付いた『宮型』と呼ばれるタイプの柱時計です。ただし、本来の『宮型』は上下の装飾部分と平面の扉部分が分かれているのですが、こちらの柱時計は扉と一体になって
高野時計箱型柱時計昭和30年頃【W342】高野時計(高野時計製造所)の箱型柱時計、昭和30年頃に製造された物です。高野時計(高野時計製造所)は1899年(明治32年)に創立され、大正時代に一時的に金属製の置時計を製作する高野金属品製作所が分離設立されるもその後合併し、以降戦後の昭和30年代前半まで様々なタイプの時計を製造していたメーカーです。1959年(昭和34年)の伊勢湾台風で本社工場が大きな被害を受け、その後復活できないまま1962年(昭和37年)に株式会社リコーの傘下とな
舘本時計製造所半丸型柱時計昭和初期頃【W341】舘本時計製造所の半丸型柱時計、昭和初期頃に製造された物です。舘本時計製造所は大正時代末期から第二次世界大戦の空襲で廃業する昭和初期まで存在した時計メーカーです。文字盤にはTとSを組み合わせたトレードマークが入り(※)、本体を多種多様なパターンの筆塗の模様が施された変わり種の柱時計で有名です。本来は時計卸商であり、ムーブメント(機械)を始めとして時計自体の製造は親族である佐藤時計製造株式会社が担っていたようです。こちらの時計は基
京都時計八吋花柱時計明治25年【W340】京都時計の八吋花柱時計、明治25年に製造された物です。京都時計(京都時計製造株式会社)は明治23年(1890年)に創業(当時は合資会社京都時計製造会社)、2年後の明治25年に株式会社に改組された時計製造会社です。明治23年に琵琶湖から京都市内へ水を引く為の水路「琵琶湖疎水」が完成し、その途中に作られた日本初の水力発電所からの電力を利用した「日本で初めて時計製造に電力を使った会社」でしたが、明治29年に火事で工場が全焼、その後再建するも名
精工舎宮型柱時計昭和30年頃【W339】精工舎の宮型柱時計、昭和30年頃に製造された物です。明治25年創業の精工舎(現セイコー)は国内で現存する最古の時計製造会社です。同社では長い歴史の中で様々なタイプの柱時計や置時計・腕時計等を製造されています。こちらの時計は箱型の本体の上部に屋根の庇のような装飾が付いた「宮型」と呼ばれるタイプの柱時計です。宮の中央部分と振り子室の窓の上部には植物のような木彫りの装飾が入っています。前面扉の周囲を囲む数珠のように連なった珠飾りがデザ
GUSTAVBECKER(ドイツ)ヘソ形目覚1920年代【102】非常に希少なドイツ・GUSTAVBECKERのヘソ形目覚、1920年代頃に製造された物です。GUSTAVBECKER(グスタフ・ベッカー)は1899年に設立されたドイツの時計メーカーで、その歴史は1847年にシレジア地域のFreiburg(現在のポーランド・Świebodzice)で開いた小さな時計店を祖としています。美しく豪華な装飾が施された重錘式の大型柱時計製造から始まり、1852年のシレジア貿易博覧会
PRIM(チェコスロバキア)ツインベルタイプACHILLEZAVATTA1960〜70年代【061】旧チェコスロバキア・PRIMのツインベルタイプの目覚時計『ACHILLEZAVATTA』、1960〜70年代に製造された物です。PRIM社は1949年に設立された、チェコスロバキアの国営時計製造会社(当時は社会主義国家)です。同国は1918年〜1992年にかけてヨーロッパに存在した国で、現在はチェコ共和国とスロバキア共和国に別れています。こちらの時計はオーソドックスな
精工舎六吋頭丸(柳島工場製)明治30年代後半【W338】非常に希少な精工舎の小型柱時計「六吋頭丸」、柳島工場時代の明治30年代後半に製造された物です。明治25年創業の精工舎(現セイコー)は国内で現存する最古の時計製造会社です。同社では長い歴史の中で様々なタイプの柱時計や置時計・腕時計等を製造されています。こちらの柱時計は文字盤の周りの木枠が丸型で、その下部に長めの振り子室の付いた『頭丸尾長』と呼ばれるタイプの柱時計です。当時の平均的な八角尾長等の柱時計は文字盤の直径が八
精工舎宮型柱時計昭和10年代頃【W337】精工舎の宮型柱時計、昭和10年代頃に製造された物です。明治25年創業の精工舎(現セイコー)は国内で現存する最古の時計製造会社です。同社では長い歴史の中で様々なタイプの柱時計や置時計・腕時計等を製造されています。こちらの柱時計は本体の上部に屋根の庇のような装飾が付いた『宮型』と呼ばれるタイプの柱時計です。大きめの振り子室の窓に付いた装飾の入った細い二本の柱がデザイン上のアクセントになっており、精工舎の大正時代末〜昭和初期頃のレ
コパルパタパタクロックRP-205昭和40年代頃【E084】昭和レトロなコパルのパタパタクロックRP-205、昭和40年代頃に製造された物です。コパル株式会社は戦後すぐの昭和21年(1946年)創業、3年後に株式会社組織になった後、昭和37年(1962年)に社名変更された会社です。創業当時はレンズシャッター専門のメーカーであり、ニデックプレシジョン株式会社に改称された現在でもその部門では国内トップシェアを誇っています。その技術を活かして昭和40年代以降は映写機やミニラボ等と
精工舎スリゲル十七號硝子製振り子昭和10年代【W336】精工舎の小型の柱時計『スリゲル十七號』、昭和10年代に製造された物です。明治25年創業の精工舎(現セイコー)は国内で現存する最古の時計製造会社です。同社では長い歴史の中で様々なタイプの柱時計や置時計・腕時計等を製造されています。こちらの柱時計は「座敷時計」とも呼ばれる小型の柱時計の中の『スリゲル十七號』というタイプです。※「スリゲル」とは、縦長の長方形の本体の正面の扉部分が大きな一枚の硝子窓になっていて、本体の上
愛工舎変形八角尾長柱時計昭和30年代【W335】愛工舎の変形八角尾長柱時計、昭和30年代に製造された物です。愛工舎時計製造株式会社は昭和9年(1934年)に名古屋市で創業された愛工舎時計製造所を祖とし、戦後の昭和26年(1951年)に改組された時計メーカーです。昭和40年代以降は精工舎(現セイコー)のクロックのOEM生産も手がけていたようですが、現在(株式会社愛工舎)は時計部品の製造で得た微細切削技術を活かした業務が中心で時計の製造はされていないそうです。こちらの柱時計は文字
明治時計箱型柱時計7吋栃生地塗昭和30年頃【W334】明治時計の箱型柱時計『7吋栃生地塗』、昭和30年頃に製造された物です。明治時計株式会社はその名の通り明治28年(1895年)に創業された明治時計製造合資会社を祖とする歴史のあるメーカーです。昭和40年代頃まで機械式時計の製造を続け、その後は水道メーター等の製造を経て現在は社名を変えLED照明関連の企業として存続しています。こちらの柱時計は基本的な形状はシンプルな箱型ながら、前面扉の製品名通り美しい栃の木目を活かしたク
津田時計NEWMARTH昭和20年代頃【100】希少な津田時計の目覚時計「NEWMARTH」、昭和20年代頃に製造された物です。津田時計製造所は戦後の昭和21年に名古屋で創立された時計メーカーです。当初は目覚時計の製造が中心で昭和20年代の終盤になってから掛時計の製造も始めたようですが、会社自体は昭和30年頃には解散してしまったようで、活動期間が短かった分だけ製品の現存数は少ないようです。こちらの時計は「NEWMARTH」というモデル名の丸型の目覚し時計です。『古時計
ナショナルクッキングタイマー3型ET-15昭和40年代頃【087】松下電工株式会社(現パナソニック)のナショナルブランドのタイマー時計、昭和40年代頃に製造された物です。大正7年(1918年)創業の松下電工株式会社(現パナソニック)は白物家電を中心に現在まで数多くの家電製品を製造されていますが、その中で昭和30~40年代には「ナショナル」のブランドで時計も製造していました。こちらの時計は昭和レトロなデザインと色合いがとても可愛いタイマー時計です。文字盤にあるナショナルの
東京時計オルゴール付き目覚時計No.882昭和30年代前半頃【084】東京時計のオルゴール付き目覚時計、昭和30年代前半頃に製造された物です。東京時計製造株式会社は大正9年(1920年)に設立された隆工舎を祖とし、昭和9年(1934年)には早くも電気式時計の製造を始めた時計メーカーです。戦後に一度解散しますが翌年に再建され、昭和30年代には神奈川県川崎市に数百人の従業員を抱える大きな工場を持つほどに発展したのですが、昭和40年代後半頃に当時大流行していたボーリング事業に進出し
SEIKOROBINRB536昭和40年代【081】SEIKOの目覚時計ROBINRB536、昭和40年代に製造された物です。明治25年創業の精工舎(現セイコー)は国内で現存する最古の時計製造会社です。同社では長い歴史の中で様々なタイプの柱時計や置時計・腕時計等を製造されています。こちらの目覚時計は「ROBIN(ロビン)」というシリーズの中のひとつ(型番:RB536)です。外枠は当時の射出成形技術を活かしたプラスチック製で、昭和40年代に流行った脚付の横長長方形のデ
メーカー不明木製置時計『Shikishima』昭和初頭頃木製の置時計『Shikishima』、昭和初頭頃に製造された物です。文字盤に「Shikishima」の文字がありますが、ムーブメント(機械)にメーカー名やトレードマークの刻印等が無かった為メーカーは不明です。背面に「愛知県時計製造同業組合(AITIKENCLOCKMAKERS’UNION’S)」のラベルが残っているので、時計産業が盛んであった愛知県名古屋市近辺のメーカーである事だけは確実で、そのラベルが一番小さなサイズ
リズム時計工業RhythmFamily30Day昭和40年代頃【W333】リズム時計工業の30日巻柱時計『RhythmFamily』、昭和40年代頃に製造された物です。リズム時計工業(株)は昭和26年に創業し、昭和40年代以降は現在までシチズンの傘下でクロック(置時計・掛時計)製品を製造しているメーカーです。同社の前身は『農村時計製作所(昭和21〜25年)』で、Rhythmは元々は農村時計での商品名でした。国産で初めてプラスチック枠の時計の量産を始めたり、置時計にいち早
愛知時計SuperEight30DAY昭和30年代後半頃【W332】愛知時計の柱時計『SuperEight』、昭和30年代後半頃に製造された物です。愛知時計は明治25年創業の水野時計製造所を祖とする歴史ある時計製造メーカーです。現在の社名は愛知時計電機株式会社で、水道メーターの製造等が中心で時計の製造はしていませんが、会社の歴史に敬意を表して昔の社名のままで現存されています。こちらの柱時計は昭和40年前後(1960年代)には何処の家庭にも一台はあったと思われる箱型タ
高野時計変型箱型柱時計昭和10年代頃【W331】希少な高野時計(高野精密工業株式会社)の変型箱型柱時計、昭和10年代頃に製造された物です。高野時計(高野時計製造所)は1899年(明治32年)に創立され、大正時代に一時的に金属製の置時計を製作する高野金属品製作所が分離設立されるもその後合併し、以降戦後の昭和30年代前半まで様々なタイプの時計を製造していたメーカーです。1959年(昭和34年)の伊勢湾台風で本社工場が大きな被害を受け、その後復活できないまま「タカノ」の名前は消えてし
愛知時計SuperEight30Day昭和30年代後半頃【W330】愛知時計の柱時計『SuperEight』、昭和30年代後半頃に製造された物です。愛知時計は明治25年創業の水野時計製造所を祖とする歴史ある時計製造メーカーです。現在の社名は愛知時計電機株式会社で、水道メーターの製造等が中心で時計の製造はしていませんが、会社の歴史に敬意を表して昔の社名のままで現存されています。こちらの柱時計は前面の文字盤の周囲に金属のプレートが取り付けてあるのが特徴です。木目調の物
フランス製木製置時計1920〜40年代頃【074】木製の小さな置時計、1920〜40年代頃に製造された物です。文字盤やムーブメント(機械)にロゴマークや刻印等が無い為メーカーは不明です。インデックス(数字)が19世紀頃のフランス製のマントルクロック等に使用されていたデザインと瓜二つな事、裏蓋を留めるナットの形状、ムーブメントの造り等からフランス製である事と年代を推定しました。全体的にサイズは小型ながら、本体の高い位置に文字盤が来る事で視認性を高めています。木製の本体の前面(