ブログ記事4件
ジャスト日本です。当ブログでは以前、昭和プロレステーマ曲研究家・コブラさんとの対談企画を掲載してきました。昭和プロレステーマ曲研究家コブラさんとの対談企画第1弾「プロレステーマ曲解体新書」第1回「起源と歴史」第2回「新日本・全日本のテーマ曲史」第3回「郷愁の国際と思い出のテーマ曲」第4回「コブラさんが選ぶテーマ曲ベスト3とは?」昭和プロレステーマ曲研究家コブラさんとの対談企画第2弾「プロレステーマ曲解体新書」第1回「世界のバイキング料理
4月30日(木)金沢:10:07起床プロレスリング・ノアの試合映像を観ながら、1時間のエアロバイク漕ぎ🚲入浴🛀サイクリングして、アピタで買い物帰宅して、昼食ちらし寿司在京のプロレス団体関係者各位と連絡を取り、業界情報収集📳自転車で接骨院へ登り坂なので、予想以上にしんどい💦<TAKEOUT><出前>などの看板、幟を立てる店が多いそういえば、オリエンタルプロレスも旗揚げ当初は、<出前プロレス>を売りにしていたなそして、興行当日の試合映像をVHSにして試合後に即売する<
俺達のプロレスラーDX第191回悲しくてやりきれない~嫌われプロレスバカの硬くて粘着質な一生~/剛竜馬転落したプロレスラーの末路は無性に哀れだ。リングで命を落とした者、障害を背負った者、生活ができないほどの貧困に喘ぐ者…。生きながらにして廃人となっていくのが彼等の末路だとしたら、夢と希望を売るエンターテイナーとは光と影の格差が激しい職種である。彼は自分の人生が破滅に向かっていることを悟っていたのかもしれない。彼はプロレス界の問題児であり、嫌われ者だ。それはキャラクターでは
「今度、また僕の興行をやることになったんです。ただし、びっくりプロモーションの形ではないんですよ。じつは、板倉広の復帰を手伝うことになりまして…」DDT・松井幸則レフェリーからそのように打ち明けられたのは、1カ月ほど前の新木場でのことだった。その時は正直ピンと来なかったが、あとになって考えると2人はいずれもオリエンタルプロレスに在籍していた。大阪プロレスや現在のDDTのイメージが強い松井さんだが、業界の入り口として扉を叩いたのは、オリプロだった。オリプロとは90年代初期、日本のプロレス界が