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今回は幻想交響曲で使われている金管楽器のオフィクレイドという楽器についてお話しします。オフィクレイドとはテューバが存在していない時代の低音の金管楽器です。もう一つセルパンという楽器も存在していましたが、今ではこの2つの楽器はチューバで代用する事が多いです。オフィクレイドは19世紀初めにフランスで発明されました。軍楽隊の低音楽器や聖歌隊の伴奏用として使用され、オーケストラでも使われました。幻想交響曲はこのオフィクレイドが2本使われます。今回の動画https://youtu.be/
もう1年ほどamebloに投稿しておりませんでした。理由は明解で、病気の面で1年間何も変化がなかったからです。後遺症として現れた、・口の周りの筋肉を動かすと左目が自動的に閉じること・それに伴う顔の左右の非対称性(特に目)・左耳に常に「シャー」という耳鳴りがあることは治りません。このまま付き合っていくものだと割り切っています。私は音楽愛好家で、自分で楽器を吹きます。日常的にはチューバという、大きな楽器を吹いています。元々は30年以上ホルンを吹いてきましたが、顔面神経麻痺でホル
ArtofMusicalInstruments>TubaOphicleides-ArtofMusicInstrumentsTherearethemusicalinstrumentartsofwind-instrumentmusic.ohayashi.yomibitoshirazu.comBessonのOphicleideを追加しました。1855年のパリ万博でベッソンのオフィクレイドはOp、hicleideBoehmとも言われた、確か
人の目線が気になる瞬間は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう人目を気にすることは無いですねBessonOphicleideinCBesssonにより1850年頃に製作されたC管のオフィクレイド本楽器の出典から引用します。チャールズ・ロビン(CharlesRobin)は、1855年に万国博覧会の図解(HistoireIllustréedel'ExpositionUniverselleBesson)の中で、Bes
今日描いたバス・ホーンは当時、かなり流通したもののようです。FrederickPaceにより1834年から1849年にかけて製作されました。いづれも、大きさはほぼ同じ高さ84ベル直径20㎝横幅60㎝絵は、MIMのコレクションですが、METにも同様のコレクションがあり、そこには、こう解説されています。バスホーンは1800年頃にセルパンから進化し、1830年代にオフィクレイド(「キーの付いてセルパン」)に置き換えられるまで、人気のあるバンドおよびオーケストラ楽器
前回で「SerpentとOphicleide」という論文の和訳を終えたわけですが、ことメンデルスゾーンについては、その頭の中にうかんでいた低音金管楽器はEnglishBassHornであるような気がします。それは、OphicleideというよりSerpentの亜種と言うべき楽器であると考えます。しかし、後に楽譜を出版する際には、メンデルスゾーンは、BassHornをOphicleideと変更することを容認しています。これは、BassHornが、一世紀でTubanにとって変わられ
その1歴史的展望メンデルスゾーンとベルリオーズのその後のセルパンとオフィクレイドのスコアリングをさらに調査すると、ワーグナーのような両方の作曲家が、描写的な個性よりも、低音の声質のためにこれらの楽器を取り入れ始めたことが明らかになるでしょう。しかし、メンデルスゾーンとベルリオーズの両方が最初の重要なオーケストラ作品で、独特の音色と音楽外の関連性に基づいて表現力を持ってこれらの楽器のために書いた歴史的な物語と音楽の考察から明らかです。その後の使用法が何であれ、オーケストラ
チューバへの迅速な転換ワーグナーが1842年にドレスデンに到着してリエンツィの初演のリハーサルの準備をする前でさえ、1835年にベルリンで発明されたチューバはドイツ全土での存在感を感じさせていました。1840年には、スポンティーニ(Spontini)がオペラの監督を務めていたベルリンに1つあったようです。実際、ドレスデンのリエンツィではチューバが使用されていた可能性があります。ワーグナーは、スポンティーニが演奏を聞いた後、「あなたのリエンツィで、あなたが「バスチューバ」と呼ぶ楽
その2:さまよえるオランダ人、WagnerFindsHisSeaLegs1843年のロベルトシューマンへの手紙の中で、ワーグナーは次のように書いています。私は昨日、リエンジの成功よりも誇りに思っている私のオペラ、さまよえるオランダ人(初演したばかり)で勝利を収めました。この新しいオペラでは、一般の人々とは著しく異なる方法を打ち出しているからです。現在は慣れています。リエンジが完成する前に考案され、部分的に書かれた「さまよえるオランダ人」(DerfliegendeHollä
その後のオーケストレーションの練習幻想交響曲は、ベルリオーズが最初にセルパンを採用した唯一の主要なオーケストラ作品ですが、事実上すべての楽章にオフィクレイドが演奏する部分があります。Table5.Berlioz’sWorksthatincludeOphicleideorSerpentYearInstrumentWork18262ophicleidesOverturetoLesFrancs-juges18301ophicleide,
悪魔の交響曲ベルリオーズの幻想交響曲のように大胆な別の初期の交響曲を想像するのは難しいです。ヨハネス・ブラームスは、ドイツの交響曲の伝統の中心にありながら、ベートーベンの巨大な幽霊に抑圧され、彼が始めてから約20年後、43歳でようやく最初の交響曲を完成させました。一方、ベルリオーズは、ベートーベンの交響曲を聴いたばかりの27歳(1830年)。ついに最初の交響曲を作曲した。彼に刺激されただけでなく、ラシュトン(Rushton)によれば、彼の第5、第6(牧歌的)および第9交響曲の
もう一か月以上前に掲載した記事ですが、実は、この章から、メンデルスゾーンの真夏の夜の夢序曲を引用しての説明が多くて、私としては、この曲のスコアをもっていなかったため、後半の説明が機械翻訳をそのまま引用するかたちとなり、納得のいく文章が書けませんでしたが、なんとなく投稿してしまいました。今回、スコアを入手したので、説明を見直し、追加・修正して編集しなおし保存したので、特に後半が納得いかなかった方は再読してみて下さい。また、ここでメンデルスゾーンが想定しているのは、現在Ophicle
第3章メンデルスゾーンと「真夏の世の夢」ファンタジーの世界への序曲1826年の夏、メンデルスゾーンを刺激してロマン派時代の最も幻惑的作品の1つを生み出す環境が整いました。衒学者の指導がティーンエイジャーに事実上あらゆる演奏形態で作曲するスキルを与えただけでなく、ゼルターの徹底的で妥協のない指導が実験する自信も与えた環境に置いて、ベートーベンの晩年の作品の研究、ウェーバーのドイツのロマンチックなオペラとスポンティーニのフランスのランドオペラによって露にされた現実、そして音
第3章メンデルスゾーンと真夏の世の夢その1:目新しさに興味をそそられる若者シューマン(Schumann)やワーグナー(Wagner)などの人物からモーツァルト(Mozart)に次ぐ音楽の天才と見なされていたフェリックス・メンデルスゾーン(FelixMendelssohn:1809-1847)には、天才が必要とするすべての利点がありましたが、めったに、それを利用しませんでした。銀行の財産から子供たちの気まぐれにふけるほど裕福な家族は、それ以上のことをしました。彼らは、若いフ
器楽の使用と作曲の歴史1590年にオーセール(Auxerre)の元の教会から、セルパンは1602年までにアヴィニョンのノートルダム大聖堂で使用されるに至りました。そこでは、マイケルトルナトリス(MichaelTornatoris)がセルパンとファゴットの奏者に任命されたという記録があります。セルパンがルイ14世(1643-1715)の吹奏楽団で使用されたことを示す記録が存在します。17世紀の終わりまでに、セルパンはスペイン、イタリア、オランダで見られるようになり、イギリス海峡の
セルパンとオフィクレイド:歴史、特徴、使用楽器の歴史1840年代初頭まで、オーケストラで低音の声を出すために作曲家が選んだ真鍮の楽器は、キー付きバビューグルファミリーのメンバーであるオフィクレイド、またはさまざまな形のセルパン、メルセンヌ(Mersenne)によると、中世/ルネッサンスのコルネットの低音部を担うファミリーとされた。フランス語ではコルネットは、Zinkとよばれる上図のような木製の物を意味しました。図をクリックすると様々なZinkをご覧になれます。セルパンは
初期ロマン派の革新イントロダクション伝統的な学問によると、セルパンとオフィクレイド(およびその後継者であるチューバ)が開発され、標準のオーケストラに追加されて、金管楽器に真の低音の声が追加され、そのファミリーの音色・音域が同様に低音方向に拡張し弦楽器と木管楽器と一致するようになりました。この理解には間違いなくメリットがありますが、これらの楽器を必要とする最も初期のスコアを詳しく読むと、音域だけでなく音色にも関連する、より色彩豊かな目的が明らかになります。確かに、作曲家が
※最近雪降らないけど雪のベルンの写真。今回はブラスバンドの話題。ブラスバンドと吹奏楽との違いがまだ明確でない人、いると思う。ちょっとづつ理解して行ってもらえれば嬉しいです。ブラスバンド、金管バンドまたはブリティシュブラスバンドとは、日本語ウィキペディアから引用するとサクソルン属の金管楽器と直管楽器のトロンボーン、打楽器で構成される金管バンドである。日本では吹奏楽のことをさして「ブラスバンド」ということがあるが、イギリスでは吹奏楽はウィンド・バンド(windband
今回は、名前はオフィクレイドに似ていますが、実はセルパンの仲間であるオフィモノクレイドの絵を掲載します。Jean-BaptisteCoeffetにより1824年にフランスはヴェクサンで製作されました。この楽器については、こちらに詳細に書いているので参考にして下さい線画
今回は、細長いオフィクレイドを紹介します。Couturierにより1812/1900年に、フランスは、リヨンで作製されました。高さは99.5cmとある程度高いのですが、幅が11cmしかないため大変細長く見えます。音も、きっと細管の固い音なのでしょう。なぜ、こんなに細いおオフィクレイドを作成したかは定かではありませんが、演奏用より、装飾品として使われていすうです(あくまで推測ですが)現存するのはシルバーで、こんな感じです。背景が、黒だと、なおいっそう細く感じます。
今日は、とても大きなオフィクレイドの絵を掲載します。J.TOLLOTにより1858年にパリで製作されました。このオフィクレイド自体はF管で長さは約149cmもあります。一般的には100cmもないこの楽器としては、異例の大きさです。そして面白い事にピストンもついています。8キー1ピストンという構成は、以前ロータリーピストン付きのオフィクレイド(B♭管兼F管)と似ていますが、ピストンのサブ管はそれほど長くなく、単に低音域の音程補正用かとおもわれます。詳細については、私のH
アルトオフィクレイドというのは、いままで描いたことはなかった。外見は、普通のオフィクレイドに似ているけど、全体的に小柄で細身に見える。JACQUESPRINTEMPSにおよって、19世紀末フランスはリールで作製された出典元にはとくに特徴を示す記述はなく、大きさが高さ73cmベルの直径は17.5cmと記されている、確かに細身で小柄だ。リールといいうのは、初めて聞く街であったので少し調べてみた。毛織物が盛んな都市でフィリップ2世の統治の後、かのハプスブルク家の領地となった。ユ
楽器作製も、木製の完全職人作業から、金属加工など、機械を使った製造も増え始めた時代だと思います。この楽器は、当時、産業革命の地であったマンチェスターで作られましたJ.HIGHAMにより1850年から1863年にかけてイギリスはマンチェスターで作製されました。その後も多くの楽器イギリスで作られています。産業革命は、バルブとい新技術を楽器に応用しました。これにより、Ophicleideのような穿孔楽器の衰退が始まるのです。もっとも、バルブの楽器への考案自体はイギリスではなく
毎日オフィクレイドであきてしまうかもしれませんが、もうしばらくお付き合いください。今回は、ロータリーバルブのついた珍しいオフィクレイドです。上から2番目のホールカバーの右隣あたりにある丸いものがロータリーです。JACQUESCOUTURIERにより1852年ごろフランスはリヨンで製作されました。6つのキーとロータリーピストンからなるこの楽器は、元々B♭管ですがピストンによって追加される管によりF管となります。1852年にジャック・クートゥリエ(JACQUESCOU
しばらく、オフィクレイドが続いてしまいますが、お付き合いください。落ち着いた感じりのどっしりとしたオフィクレイドです。19世紀中頃GAUTORによってパリで作製されました。大きさは高さ106cm、ベルの直径が20cmです。線画今日の一枚
今日は、AdolpheSaxの父親であるCharles-JosephSaxのOphicleideを紹介します。Charles-JosephSaxにより1841年頃に作製されたオフィクレイドです。バスクラリネットの新しいキーシステムを検討していたAdopheSaxが、父親の工房にあるオフィクレイドを見て、サックスのシステムを思いついたとも言われています。歌口のあたりの円形が、とても美しいオフィクレイドです。高さは、114cmと意外と小柄線画今日の一枚ちょっと一
注意喚起:今日の一枚は、虫の嫌いな人は見ないでください今日は、ちょっと異色のコーラングレ(イングリッシュ)を描いてみました。これは、1900年頃に製作されたものと考えられていますが作者も製作地も不明です。初期はダブルリードでコーラングレとして使用されていたようですが、金管のマウスピースのようなプラスチックのマウスピースが付けられてHarmden氏によってオフィクレイドとして提供されたという経緯があるようです。当時、このような低音域の楽器の定義は、かなりあいまいだったよ
静岡県に夫婦で行ってまいりました。私,仕事の関係でたまに東京へは行くことがありますが,その他の地方へはめったに行くことがありません。息子が長く住んできた千葉県へは何度か(2~3回)行ったかな?後は高校の修学旅行で京都と奈良。息子のインターハイの応援で福岡と長崎。北海道以外に行ったのはそれぐらいか…なので,静岡県も当然初めてでございます。さて,千歳空港から富士山静岡空港へ降り立ち,迎えに来てくれていた息子夫婦の車に乗せてもらって掛川城へ。途中に見える景色