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厚生労働省は近い将来の介護分野での大幅な看護師の不足を見越して社会人(特に大卒を中心とした)で補う養成方針を2015年から挙げています。高校新卒者は四年制大学への志向が強く看護師を除いたco-medical(医師以外の医療従事者)の専門学校は受験生の募集がむずかしくなっています。看護師でもブランド看護学校を除けば既卒者の比率が年々上がっています。すでに受験者の過半がそうである学校も出てきています。文部科学省は一般には奨学金制度があるから高学歴をめざし大学への進学を望ましいとし
※“憧れの職業“に何が起きたか「看護学校」定員割れの衝撃「不要論」と「新たなニーズ」の間で揺れる准看護師という存在(東洋経済オンライン2026/04/26)「医療現場で深刻化している看護師不足。医療現場は1人の看護師を複数の施設が奪い合う状態です。さらなる問題は看護学校も定員割れが生じ、准看護学校も激減していること。准看護師に及んではその存在についても不要論が出ています。看護の現場に何が起きているのでしょうか。」記事内のグラフ『看護大学•専門学校の受験者数と入学者数の推移』によれば専門
次の文は松岡亮二さんが以前に公表した文章からの抜き出しです。経歴からすると氏は教育政策特に「教育格差」論が専門のようです。※『教育格差』を著した松岡亮二・早大准教授「9月入学で学力格差は埋まらない」「・・・進学校であるほど平均的に生徒の出身家庭のSES(社会的経済的地位)が高い傾向を意味する。一方、「教育困難校」の生徒の大半は恵まれない「生まれ」の出身である。」「日本の高校制度は、間接的ではあっても「生まれ」によって子供たちを物理的に隔離していることになるのだ。」(出身家庭によって行け
以前の記事で英語教員が「多読」教育をすると失敗すると書きました。今回はその話をします。公教育のカリキュラムまたは公教育の場をつかってを前提とします。個人が自分のためにということなら自由にやってもらえばいいのです。今までは、多読は上級学習者にだけ許された学習法でした。英語教師が勧めていた「やさしい本」がむずかしすぎていたからです。失敗する理由はこの一言に尽きます。前回も書いたように「精読」と「多読」では「技術体系」が違うのです。「精読」する場合は「漢文」の返り点のように日本語の語
前回はGradedReaderの初級(Level0~2.x)を中心に取り上げました。今日は英文児童書の話をします。GradedReaderと児童書とを分けたのには理由があります。GradedReaderは確かに総語数、単語レベル、文法表現ではレベルごとにrewite(書き直し)で調整がしてあり簡単なもの、語数が少ないものからむずかしいものへと順番に進むようになっています。そのため残念なことに原文のニュアンスが消えてしまっているのです。あるGradedReaderを読ん
わたしはまず英文に慣れるためには発音と音読を勧めています。その上で英文多読に進むのが日本の環境では一番無理のない学び方であると言ってきました。受験のために英文を読む場合でも時間の余裕があれば簡単なテキストの多読から入った方が力が付きます。(どうしても時間がない場合は問題を解く練習から入らなければなりませんが)今回はGradedReaderの初級(Level0~2.x)の話をします。GradedReaderはLevel指定があります。基本的にGradedReaderは「Leve
ここでは「SSS英語多読研究会」の多読法を紹介しわたしが実際に行ってみた感想を書きます。※「SSS英語多読研究会」公式サイト◎多読とは、文章を分析しないで大意を把握する読書法です。SSS(StartwithSimpleStories)の多読法は、従来不可能であると思われてきた英語初級者でも楽しく始められ、楽しく続けられる多読法です。◎100年前から常識だった多読昔から多くの英語教師が、「英語を獲得する一番良い方法は多読である」と主張しています。多くの英語教師たち、夏目
前回・前々回の記事で早期教育は基本的に効果がない。子どもにとって必要なのは早期教育よりも慣れ親しむ環境であることを示してきました。ただし、わたしが話題にしているのは「能力教育(普通教育)」で親が子どもをつぶしてもという覚悟での「才能教育」には意見しません。それは、教育ではなく親子関係の問題ですから。一言でいいます。自分がやりたくないことは子どもにやらせないでください。(当然、子どもが望めば別です)今の入試ではほぼ英語の成績で序列がついてしまいます。子どもに英語をさせた
ずばり、子どもの知能の正体は記憶力。オトナの知能の正体は決断力です。決断力とは物事を勝手に決めることではありません。決断するためには、まず、物事に対する知識がいります。次にその知識を使う能力、経験、訓練がいります。その上でリスクを考えながら決めます。特に生死・財産管理・事業など失敗が命取りになるときには重いプレッシャーがかかります。能力がすぐれているだけではなく、それに耐えて判断するのがオトナの知能です。それに対して子どもは砂が水を吸うように物事を覚えていきます。それがオト
先日の記事で早期教育の効果をほぼ否定しましたが以前、読売新聞の報道(2020年)『新世界の学校スイス・ヌーシャテル「4歳から仏独語学習」』で早期教育には効果があるという記事がありました。ヌーシャテルはフランス語地域です。ここではフランス語地域での早期ドイツ語教育の話となります。残念ながら特集「新世界の学校記事」の中で他の記事は残されていてもこの記事は削除されてしまっています。記事を見ることができないので「ヌーシャテルでドイツ語を学ぶ時間の比較」の表を引用しておきます。
いつの時代でも「早期教育」を信じて子どもを「秀才」に育てようとする親は後を絶ちません。そんな「早期教育神話」に根拠がないことを示しているのが『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか』(針生悦子)です。一応、断っておきますが「天才」は育てることはできません。天才とは一種の異常者であり訓練で育てることができる「秀才」とは全く別物です。特に天才にとって学校教育はかえって有害であることさえ珍しくありません。ここで主張したいのは特別な子どもに対してではなく「一般」に乳幼児に対する「早期教育」が効果的
これまで何度か「算数」と「数学」の接続について取り上げてきました。するとnet上でこんな記事を見つけました。「算数」と「数学」の接続以上に同じ教科名であるはずの「英語」で小・中学校での接続に苦しんでいるというのです。※「もう小学校で英語を教えないで…」中学校教師から悲痛な叫び、なぜ“早期教育化“が英語カ低下の原因になるのかこの文には大変衝撃的な内容が取り上げられています。文の主旨は直接本文を読んでもらう方が間違いないが要は小学校と中学校の「英語」は同じ名の別の教科だというのが
(偽逮捕状)4月20日の朝刊記事です。※ポストに届く「ニセ逮捕状」、高齢者ターゲットの新手の詐欺か…警察庁「逮捕状の郵送はあり得ない」記事では「警察官を装った「ニセ警察詐欺」を巡り、住宅の郵便受けにニセの「逮捕状」が送られる事案が各地で相次いでいる。SNSをあまり利用しない高齢者らを狙った詐欺グループの新手の手口とみられる。」「逮捕状が本人宛に郵送されてくるはずなんかない」などと高齢者は無知だから詐欺に引っかかるととらえられてきました。でも、本当にそうなのでしょうか?それ
わたしは以前から算数と数学をどうつなぐかについて取り上げています。※数学・算数接続と「掛け算順序問題」を考えるこの「数学・算数接続」は数学教育の本質と深く結びついたものです。いったい数学教育は何を目的とするかを示すからです。報道によれば現行指導要領の解説「算数編」では小学校の算数は「具体物を伴って素朴に学ぶ」とし中学校では「抽象的・論理的に整理して学習し直す」ことから「小学校では『算数』とし、中学校以上の『数学』と分けている」と説明している。2030年度以降の実施を予定する次期
前回、巨大数と極小数を同じ方法で扱うことが出来る指数表記を取り上げました。指数に加えて対数と言われると数学とあまり仲良くない人にとっては頭が痛いものです。でも科学・工学の知識がなくても普段の生活では便利にスマートフォン・電子レンジを使っています。その時に、原理が分からないから、知識がないなどと文句は言いません。世の中、原理の知識がなくても使い方さえ分かればけっこう便利に使っていることが多いのです。分からなくても便利に使っていれば素直に「ありがとう」と言えばいいのです。
数学では冪乗(べきじょう)という数の表し方があります。英語では「power」と呼ばれます。(何か力強いですね)冪乗を書き表すときに上付き添え字のことを指数と言います。例えばm2の2を指数といいます。慣れないと取り付きにくい言葉ですが「平方(二乗)」「立方(三乗)」という形でよく使われています。正確に説明すると指数表記とは数(有理数)を次の形式で表現することを言う。負の数の場合は、先頭にマイナス符号を付ける。m×ReRはmおよびeの基数と言いmを仮数部
因数分解は苦手で数学がイヤになったパズルを解くようでおもしろいと人によって意見が分かれるようです。方程式を解くためには解を求めなければなりません。ところが解を求めるってどんな意味があるか分からなくても数学の教師の言うとおりに答えを導き出して問題が解ければ何となく満足感はあります。(解を求めることは四則演算(加減乗除)とは全く違ったことです)中学校・高校で主に扱う方程式は一次方程式と二次方程式です。ax+b=0ax2+bx+c=0特に二次方程式を解くためには
同じスポーツをやっても欧米と日本とでは天と地ほど違っていることは最近常識になりつつあります。スポーツは日本ではがんばりを目指すのに対して欧米ではリラックスを目的にしています。日本でも最近は競技を「楽しむ」という言い方がはやりになっていますがやはり、そう言ってもこの言葉はスポーツは精神を張り詰めさせるものであるという日本の現実を意識せずには出てこない言葉だと思います。そんなスポーツに対する考え方の違いだけではなくスポーツと社会の結びつき方の違いも感じました。「ライフ
日本では「メンタルケア」って言うと自分の弱さを認めてしまい自分が弱いような印象を与えてしまいます。弱音を吐かず弱みを見せないのが偉いという考え方があります。米国が肉体のマッチョを求める社会なら日本は精神のマッチョを求める社会なのかもしれません。マッチョ・・・男子の「強靱さ、逞しさ、勇敢さ、好戦性」から生まれる思想、行動をあらわす言葉。これまで日本社会で「がまん」が成り立っていたのは個人がそのまま直接に現実に向き合うのではなく家族や集団の中での「没個性」というクッションがあ
ここに挙げる本・DVDの話をしたのですがこれらの内容ではなくこれらをめぐっての評価の違いを取り上げたいのです。当然、商業出版であるかぎり広告はよいところを優先して書くのは当然としても。それにしても両者とも読者の評価が大きくわれてしまっています。それは読者の教育(学校教育)に期待するものの違いといえます。その違いは「秩序派」と「成果主義・個人主義派」とでもいえばいいのでしょうか。日本ではどうしても学校が何をするところであるか。人によって期待するところが違いすぎます。そう
「慇懃無礼」(いんぎんぶれい)は「表面上は丁寧だけれども、実は偉そうで見下した態度であること」という意味でつかわれます。昭和の末年から現在にいたるまで公務員の窓口対応は大変丁寧になりました。それでも「慇懃無礼」の感じがぬぐえないのはなぜでしょうか。その理由の一つに「行政法」が新憲法に適応していないことがあります。新憲法が「主権在民」を唱えながら行政法が「君主と臣民」の時代のままなのです。行政法って何?法律の専門家・行政職の公務員を除いたほとんどの人は「行政法」と言われても学校で習
言葉は合理的であっても論理的ではないとはどういうことでしょうか?これは言葉を学ぶ上では非常に重要なことです。①言葉が論理的ではないとはどんなことか?たとえば「いぬ(犬)」がなぜ「いぬ」と呼ばれるか語源をさかのぼることはできてもなぜそこで「い・ぬ」という発音が「犬」を指すことになったのかは説明できません。(これはあの言語学を根本的に変えたソシュールが言っていることです)もし、その理由があるならすべての言語で「犬」の呼び方は同じになるはずだからです。また規則性が高いといわれ
「掛け算順序問題」については何度も取り上げていますから再度の説明は省きます。※かけ算の順序問題-Wikipedia掛け算順序問題の本質は算数と数学の「接続」にあります。なぜ、接続の工夫がいるかというと非常に単純に言えば算数は具体的な数を扱う数学は数を抽象化して扱う同じ数を扱っても目指しているものが違うことにあります。ですから突き詰めていくと算数はむずかしい「パズル」になり数学では「数」さえ必要がなくなります。一応断っておきますが算数と数学を分離するのは日本独特の教
春の選抜甲子園大会も終わり各校のチーム、特に3年生は春の公式戦それから最後の夏の甲子園大会を目指しチームの強化に励んでいます。夏の大会のような数千のチームが参加し地方予選、本大会がほぼ連日のようにトーナメントで行われるのは世界でも類をみません。わたしは行きがかりではあるものの7年ほど硬式野球部にかかわり4年間ほど責任教師を経験しました。(野球規則で言えばジェネラルマネージャーに相当します)高校野球といっても将来職業としての野球をめざす子と火花のように3年間を輝かせたいこ
わたしは「フランス式作文法」を強く勧めています。教員になってからフランスの「リセ」のことを知り-当時は「旧制高等学校」今は「後期中等教育機関」と役割が変わっている-そこで取り組まれている「公的表現」の訓練プログラムの質の高さに驚きました。当時は具体的に詳しくそのメソッドを日本語で解説してくれるものはなく学者たちが紹介したものは授業に生かすことからすると全くピントが外れていました。フランス語が読めないわたしにとっては実際にどにように授業が行われているかを知ることができませんでした。そ
『「自分の意見」ってどうつくるの?(平山美希)』kindleunlimited会員なら無料で読めます。この本はフランス式哲学メソッドの紹介であると同時に「フランス式作文」法という社会システムの紹介でもあります。以下は本文からの引用です。「バンクシーの創作は許される?バンクシーの作品はどれも無許可で描かれています。この行為は許されるのだろうかという問いについて、一度日本の高校生たちと考えたことがありました。そのとき、ある生徒が「感じ方は人それぞれなので、描かれた壁の所有者がイヤだと
日本語で十分に会話できず、日本語の指導などが必要だと学校が判断した児童生徒に対応する人材が決定的に不足していることが日本国として問題になっています。※日本語指導が必要な子ども、最多6万9123人…昨年度・10年で倍増(読売新聞)ところがそれ以前に外国人(特に日本国籍をもっていない)の子どもにどんな立場で公教育を行うかという大前提の問題が無視されています。ほとんどの国語科教員が気づかいくらいですから教員全体の間でも知られていないのですが「国語教育」と「日本語教育」が違うという事実です。
在外邦人の子どもたちの間で母語をめぐるアイデンティティに混乱が起こっている。同じように、日本語を母語としていない日本在住の子どもたちの間でも母語をめぐるアイデンティティに混乱が起こっている。2024年の記事ですが『調査は全国の1788自治体が対象で、昨年5月1日時点の状況を尋ねた。日本語で十分に会話できず、日本語の指導などが必要だと学校が判断した児童生徒は、外国籍が5万7718人(前回比1万99人増)、日本国籍が1万1405人(同717人増)。日本国籍でも、海外生活が長く、日本語を十分