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「漢字テストのふしぎ」というYoutubeの動画があります。この動画で明らかになったのはインタビューされた教員たちがほぼ全員漢字に対する基本的な知識をもっていなかったことです。一応、弁護しておくと国語科の教員(+高校書道科)であっても教員養成課程で漢字についての教育を受けることは全くありません。一般に日本語のことは文部科学省が決めていると思っている人が多いのですが漢字についてのガイドラインを決めているのは文部科学省ではなく文化庁です。文化庁は外局と呼ばれ文部科学省に含まれる役所
日本の医療の最大の特徴は「フリーアクセス」です。日本のフリーアクセス医療制度は国民全員が公的医療保険に加入し保険証1枚で医療機関を自由に選ぶことができる仕組みです。(+診療時間内ならいつでも医療を受けられる)この制度により患者は必要な医療サービスを平等に受けられ医療費の自己負担は一定の割合で済みますこれって実は奇跡的なことなのです。そのために犠牲になっている人たちがいることはよく知られていませんが。EUのような医療サービス無償の国ではその代わり・医療機関を自由に選ぶ・いつでも医
「化石賞」というものをご存じですか?紹介文によれば「化石賞」とは、環境NGO「ClimateActionNetwork(CAN)」が、気候変動対策に対して足を引っ張った国に与える賞のこと。気候変動への取り組みが「後退している」ことを「化石」と表現して皮肉ったもので受賞すること自体がとても不名誉。CANは130か国の1800以上の団体からなるNGOネットワークで世界各地のNGOが受賞者を決定する。今年の11月にCOP29が開催されました。COPとは「国連気候変動枠組条約締約国会議」
最近当たり前のように主張されているSDGs(持続可能な開発目標)は里山とよく似ています。最近の日本では「里山」は無条件にすばらしいとされています。江戸時代の日本をSDGsの手本のように言っている人もいます。でも江戸時代の絵を見ると描かれている山はみんなハゲ山でした。かつての里山で松茸がとれたのも松茸は貧栄養の場所でしか繁殖できないという理由によるものです。そうです。里山というものは人が自然を「生かさず殺さず」という範囲でコントロールしてきたところなのですから。も
今、広島東部を中心とした瀬戸内海ではカキの大量死がおきています。そのためにカキの入手が大変むずかしくなった加工会社も出ているそうです。ともかく、旬の時期に例年に比べてカキの値段が高騰していることには間違いありません。この話の第一報がなされときにはその主な原因は海域の「高水温」だということでした。特に「高水温(=温暖化)」が強調されていました。まず、何でも世論を「地球温暖化」に誘導したい人たちがいるからでしょうか。ところが小松正之さん(生態系総合研究所)によれば最近の水温上昇の以前か
わたしは「発達障害」という言葉はあまり適切なものではないと考えていますが一般に習慣としてつかわれているのでここでは呼び方としてつかいます。最近の発達障害への関心はものすごいものです。『リエゾン』という発達障害を中心に扱ったマンガがあります。(今年9月に最終巻が発売されました)このマンガでは症状をきちんと取り上げているとともに主人公の医師の方も発達障害をもっているという設定なのでなおさら興味を引いているのかもしれません。でも気になっているのが「発達障害」という言葉がかえって今と
これまでの依存症に対する治療は病気について知ることや、自分の心身の状態に気づくこと、**飲まないための対処法を身につけることなどがとられることが多かった。でもそれは内省的な治療がききにくい習慣化・重症化した人にはむずかしいものでした。(内省的・・・自分自身の心の内側を振り返り反省すること)そこで万引き病など依存症の治療に「条件反射制御法」がつかわれることが増えてきました。法曹界でも最近、「治療的司法」という考え方がされるようになってきています。「治療的司法」とは刑事裁
このblogでは何度か依存症への治療法として「条件反射制御法」を取り上げてきました。※「治療的司法」と依存症の有効な治療法「条件反射制御法」この治療法を知るために2冊の本を紹介します。『やめたいのにやめられない悪い習慣をやめる技術』小早川明子著、平井愼二監修『物質使用障害への条件反射制御法ワークブック』長谷川直実・平井愼二著平井愼二さんは「独立行政法人国立病院機構下総精神医療センター薬物依存治療部長」この治療法の提唱・実践者です。おおざっぱに言うと条件反射制
大きく分けると「行刑(犯罪への処罰)」の形として生命刑・財産刑・自由刑があります。この中の「自由刑」とは(体の)自由を奪うことで日本の現行刑法上では拘禁刑と拘留があります。日本の行刑は「教育刑主義」といって「改善更生及び円滑な社会復帰を図る」こと言い換えれば「反省しなさい」ということに尽きます。かつての作業義務を伴った「懲役」はそのために行われていました。(2022年の改正刑法で懲役刑は禁固刑とともに2025年6月1日に廃止され拘禁刑に一本化された)EU・米国をはじめ多く
コロナ禍での「発熱患者」診療拒否は日本の医療制度の根本的な欠陥を明らかにしました。当時、長尾クリニック(兵庫県尼崎市)院長の長尾和宏氏は談話で「多くの国民が発熱患者を拒否する“かかりつけ医”に怒っている。その声に、かかりつけ医や推進者である日本医師会はどう応えるのか。」「残念ながら日本の開業医は利他の心や志が無く、ここでも他人に冷たく自分さえよければいいという多くの日本人を蝕む利己が働いてるんですよ。他国は医療従事者になる時に宣誓させられると聞きます。なので、他国では日本の感染者をはるかに
2024年の東京大学「大学経営・政策研究センター(CRUMP)」の報告によると「日本の大学生の学習時間は授業も含めて1日あたり3.5時間しかない。これは小学生や中学生のときよりも短い。週あたりの「授業に関連する学習時間」もアメリカよりずっと短く、多くは週5時間以下で、まったく勉強しない学生も1割近くいる。アメリカの学生の1割近くが週26時間以上勉強しているのとは大きな違いだ。日本の場合、小学校、中学校、高校の学習時間は割と長いのに、大学生になるとガクッと学習時間が落ちるのが特徴だ。」
読売新聞で『[時代の証言者]女性が輝く医療天野恵子』が連載されています。天野さんは連載記事では「男性中心だった日本の医学界に「性差」の概念を持ち込み、女性特有の病気に対応する「女性外来」の創設に尽力した医師の天野恵子さん。自らも壮絶な更年期障害を体験し、女性患者に寄り添いながら、83歳の今も現役医師として診療にあたる。」と紹介されています。連載第8回の記事で(25.12.2)天野さんは米国に渡り1969年7月から内科レジデント(研修医)として働くことになりました。そこで米国で「一番
虐待・体罰でよく言い訳につかわれるのが「虐待のつもりはない」「しつけ・教育だ。いきすぎただけだ」という言葉です。わたしにとって加害者がこのように言えること自体が大変「気持ちが悪い」ことです。(「腹が立つ」のではなく「気持ち悪い」のです)虐待・体罰と支配とが非常に深い関係にあります。意識的・無意識にかかわらずたいていの場合それは相手に対する支配の道具(方法)としてつかわれていることが多いからです。「悪意」がなかったという言い方にそのことがはっきり示されています。自分が
今日から師走~はい、一度もブログを書かないまま11月が終わってしまいましたね…どんどん尻すぼみになっておりますが今月はラストスパート目指します(と言っておく)さて、スペイン語学習相変わらず続けております先日のテーマはMiedosyfobias恐怖と恐怖症テキストはこちらTextoconaudio.Medio:Miedosyfobias-AprenderespañolTextosenespañolconaudi
『子どもの発達格差』(森口祐介)という本があります。ここで取り上げているのは「発達障害」ではなく「発達格差」です。「発達格差」とはまだ聞き慣れない言葉です。森口さんの造語といってもいいのかもしれません。「発達格差」とは幼児期に育った環境で「今を生きる」子どもと「未来に向かう」子どもに分かれてしまうということです。『「今を生きる」子どもは、他者を信頼しづらく、実行機能や向社会的行動が発達していないため、今を優先させるという特徴があります。「未来を生きる」子どもは、他者を信頼し、
あまり名前は知られてはいませんがすぐれた言語学者の河野六郎という人がいます。代表的な論文に『文字論』(三省堂,1994年)があります。短い論文ではありませんが内容の重大さから言えば決して長くはありません。文字とは何かを正面から考察した唯一の書です。(わたしはまだ単行本になっていなかったときに著作集で読みました)実は欧米の学者で文字そのものを研究した人はほとんどいないのです。漢字のような複雑な文字をもったことがない人たちにとって漢字は文字(letter)ではなく絵(characte
最近、教員の志望者が大幅に減り職業上のモラルも守れない現職教員が出ているのでその理由を現在のオープン方式の教員資格取得制度(大学・短大であれば教員養成課程を置くことができる)に求め戦前のような「師範学校」-給費の教職専門養成施設-を復活させ使命感をもった教員を養成しろという声があるそうです。小中高の教員はすべてクローズド方式(専門養成機関卒に限る)べきだと極論を唱える人もいます。わたしのblogの読者ならば当然それが全くの勘違いであることはよく分かっていると思います。もともと師範学
※『日米“接客”徹底比較(髙橋克明)』というコラムの記事があります。『北米における「サービス」は、その背景に「宗教」と「法律」がシッカリと存在します。幼少時から「教会」に通う習慣のあるアメリカ人は、「自由」と「平等」の精神が染み付いてる。「自由」であるということは、人が暮らしていく中の精神的苦痛を伴わない、自由。「平等」であるということは、人種、国籍、そして相手が「お客さま」で、こちらが「サービスする側」であったとしても、人権を損害されない、平等です。・・・どんなに高い買い物をし
日本ではドイツと言えば哲学・科学・技術、エコロジーの国几帳面で論理的で正確であるというイメージをもちます。でも意外なのはけっこう神秘主義や民間療法が盛んなことです。日本と違って民間療法でも健康保険がききます。今回の話題とかかわっているのは「震動医学」と呼ばれる分野です。あの国では日本と違って「血液型と性格」の理論は完全に無視されています。ところがその割には「波動的に人の身体に働きかけることで、その生命力を引き出し、整えていく健康法」が広く支持されています。人間のみならず
いつの時代でも外国での授業のやり方を褒める人が多いのですが計算機が簡単に手に入る国では授業全般で計算機を使っていることは珍しくないようです。その割には日本では授業での算数・数学の授業での計算機の使用が議論になることがありません。これが前回に「電卓の教材化に失敗」と言ったことの意味です。すでに、日本でもたいていの市町村では学校で授業用タブレットを使わせる方向に進んでいます。でも算数・数学の計算では計算機能を使わせる方向には進まないでしょう。それは日本の学校が議論以前に子ども
中央教育審議会の作業部会が2030年を目途に紙と同様にデジタル教科書を「正式な教科書」に位置づけることを提起している。※[論点スペシャル]デジタル教科書の拡大先に導入した国々でデジタル教科書に対する疑問が寄せられているにもかかわらず周りの批判を無視してことがらを進めているのに疑問を感じます。確かに文部科学省が進めているアクティブラーニング(「主体的・対話的で深い学び」)とデジタル教科書は相性がよく互いを結び付けて教育の革新を目指す動きがあります。しかしそれは一部の動きであって多くの
最近、山から動物が里に下りて来て人とトラブルを起こし射殺されることが増えています。その理由は山里での人とけものの棲み分けがあいまいになりけものが人を怖れなくなったためだといわれています。とうとう市街地の中にまで熊が現われるようになってしまいました。かわいそうだとは思いますがそんな熊はすべて駆除されてしまいます。同じことが人でも起こっています。危険とのかかわり方を知らず物事をむたみやたらに恐れるかそれともたかをくくるという極端な行動をする人が増えています。本当のしつけ
この国では子どもを競争させることが能力を向上させるという検証されていない思い込みがあります。(大人や社会での競争といったことはここでは取り上げません)いつもわたしが感心するのは米国では日本と比べるとハイスクールまでほとんど競争がないにもかかわらず高等教育の場で簡単に日本が追い抜かれてしまうという現実です。それでいつも日本で子どもに競争させることに疑問を感じているのです。同じようにこの国では「おんりーわん(onlyOne)」信仰、個性信仰があるようです。有名な歌
以下はあるサイトでの投稿です。「自分の給料と自分の仕事が釣り合っているか、ということを気にする、という感覚がまったくないままキャリアを積んで自信を深めていくんです。ある意味恐ろしいと思います。」「私立は企業であり、教師は企業人であり、企業人は数字であり、その数字とは生徒の成績やろ!と思うわけです。企業人として、数字をあげるための工夫をやる気がない、そもそも教師の学力が低い。」「ぬるま湯に浸かった無能サラリーマンの温床ですね。」これって1例ですが社会でのいわゆる「成功者」がよくもつ感
個人の利益と国(社会)の利益にはズレがあります。そこに「安全」と「安心」の間の根本的な違いがあります。「安全」は「不安」があっても合理的な判断で納得することです。「安心」は感情でしかありません。「安心」を求めるかぎり社会不安を取り除くためには「強制」が必要になります。安心を求めれば求めるほど強制を求める声は大きくなります。(これはみなさんコロナ禍で経験済みですね)みなさんは警察は何のためにあるか知っていますか?犯罪を防ぐ?でも犯罪が起きないと警察は動きませんね。
「学ぶ」ために「覚える」のは当たり前のことです。よりレベルが高いことを学ぶためにはたくさんのことを覚えなくてはなりません。しかし覚えることは事の始めにすぎません。日常の生活の範囲であれば「物知り」でけっこう役立つことがあります。ところが学んだことを役立てようとするとたくさん覚えるだけでは限界がきます。たとえば算数の問題の解き方をいくら究めても数学の考え方にはなりません。天才と呼ばれる数学者たちは子どものころから算数ではなく数学をやっているのです。算数がいくらできて
日本ではタレント・政治家の不倫と言えば関心の的です。週刊誌やnetでは話題の花形?といってもいいでしょう。個人のプライベートなことなのにまるで、犯罪のような扱いです。フランスの元大統領でミッテランという人がいました。すでに故人です。(1996年死去)フランスでの2005年の世論調査では戦後の偉大な大統領としてド・ゴール(35%)の次(30%)の評価を受けています。(3位シラク、7%)ミッテラン氏には愛人とその間に娘がいたことは、フランスではよく知られたことです。大統領就任
これまで境界知能での議論にIQがつかわれることが多かったです。境界知能の支援を訴えている宮口幸治さんのもIQをもとに議論をしています。しかしIQは広く知られていますが(そのわりにはほとんどの人がよく知らないか、誤解している)現実にはスクリーニング(ふるいにかける)ことしかできません。これまでのIQ(知能指数)と行動観察をもとにした状況判断ではその子がいったいどのような状態にあるのか診察者・当事者の知識・訓練・経験に頼ることが多いように思えます。わたしも以前の学校
政府は10月31日の閣議で離婚後の父母双方に親権を認める「共同親権」を導入する改正民法の施行日を来年4月1日に決めた。共同親権についてはいろいろな議論があるようですがそれ以前に日本の婚姻制度が配偶者・子どもの権利を守るようにできているのかという疑問を感じます。婚姻制度を無視して親権の議論をすること自体に問題があります。今の憲法・民法でも婚姻について原則は示されていてもすでに現実の社会に応じたものとは言えなくなっています。もう75年以上もたっているのにその間にまったく現実に適応す