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続き駐車場の直近上に登り口があります。入り口は狭いですが、遊歩道は整備が行き届いており、迷うことはありません。また熊よけの鈴はいつも持ち歩いています。この山で熊に遭遇したという報道には近年接していませんが、北海道ヒグマは何処の山にもいるのでご用心。11:15入山開始晴れよりの曇り入山して直ぐに、小樽海岸自然探勝路の看板が設置されているので、一安心。ホテルノイシュロス小樽裏側から見るとボロボロです。チョッと入り口側は心もとないですが、大丈夫です。11:41登山
小樽観光船からオタモイをここは、戦前のオタモイ遊園地あと戦前の絵葉書より1952年に龍宮閣が火災で焼け落ち、オタモイ遊園地は閉鎖にこの情景に惚れこんでオタモイ再開発の調査費に5,000万円ニトリ会長が寄贈されましたが残念ながら、多額の開発費が想定されて頓挫しているようで残念現在、向かう通路は危険なため全面進入禁止となっています遠い昔、禁止されていない頃ある程度まで降りて行ったことがある
手宮公園のあと、お昼ご飯を食べに行きました。小樽と言えば、あんかけ焼きそばが有名だけど私は五目ラーメン夫は、あんかけ焼きそばにしてました。お腹を満たしたあとは、オタモイ海岸へ。初めて聞くオタモイという言葉。「砂の入り江」を意味するアイヌ語からきていんだそうです。ここは、かつて遊園地があり小樽を象徴する行楽地だったようで、中でも高級料亭の龍宮閣は崖の中腹に作られていて小樽屈指の名所となっていたそう。詳しくはこちらを↓すごいところに作られていたんだな〜拡大して撮ってみると当時の名残
今日は小樽に行ってきました。来週は父の日なので一足早い父親孝行です。昔小樽に住んでいたことがあるので馴染みある小樽をドライブして来ました🚗ちなみに小樽に行くのは2週連続どんだけ小樽好きなんだ小樽に着いて、最初の目的地クネクネとした細い道を車で進み着いた場所は龍宮閣跡…って言われても何だか分からないですよね詳しくはこちら昭和初期、ここには「オタモイ遊園地」という施設がありました。北海道屈指のレジャー施設だったようですよ。今は龍宮閣という料亭の一部が残ってるだけな
先週の小樽方面観光編で紹介し忘れてたのがあったので今日のネタは急遽差し替えてお送りしますかつてはオタモイ遊園地、巨大旅館竜宮閣など一大リゾート地だったようですが竜宮閣の火事により全焼してしまった事をきっかけに閉園となったそうですそして移設されたこの唐門だけがかつての記録になってるそうでこれを移設するのも相当大変だったんじゃないかと思いますが色々謎の多い場所ですが興味がある方はオタモイで検索してみてくださいちなみに遊園地跡まで下りてきましたがあるのは絶景のみ真ん中右手にあるのは青の洞窟
古〜い写真を整理していたらなななんとオタモイの幻の龍宮閣が写っているではないかァ〜!(@_@)眼鏡をかけている男性が明治34年(1901年)生まれの祖父永瀬武勇で、浮き輪を肩にかけている少女が母です。昭和15〜16年頃の写真だと思います。私も幼い頃、祝津の鰊御殿や、オタモイの辨天閣(弁天食堂)で食事した記憶があります。そして、どきどきしながらのオタモイ地蔵もよーく憶えています。小学校のバス遠足でも行きましたし。2004年頃までは駐車場に車を置いて、浜まで降りて岩場を歩けたのになあ
4月29日前回の続きです崖崩れがあり通行不能な遊歩道を諦め、駐車場に戻って来ましたバイクで移動して別ルートからオタモイ地蔵尊を目指したいと思う因みに、尻痛がまだ有りシートに座布団代わりに空気枕を敷いてみました元々、ノーマルシートの上にクッションカバーは掛けているけど結局は、お尻の出っ張った骨の部分に体重が集中するよね~?空気座布団だったらお尻面に均等して圧力がかかるんじゃないかと…効果は有りますが、フワフワするのでケツグリップ(ニーギリップ)が効か
4月29日今日からGWスタートですね~初日は夕方まで天気が持ちそうなので行っちゃいますよ~国道337と、国道5を通って小樽方面信号待ちで止まった横に、石垣、軟石の蔵と、木造の住宅、小樽は古い建物と新しい建物が混在する街だ午前中の早い時間だったので、よもぎ大福が買えるんじゃないかと菊原餅菓子商に寄ってみるGWなのに休みか…なんて思うけど暫くシャッターが開いた形跡が無い…店主もご高齢だったので廃業したのかな…小樽駅前も、観光客が戻りつつ有るようで人通り
空が青けれはもっともっと海も青くて積丹ブルーなんだけどなまるでインクをおとしたかのよう✨美しい景色です✨はやくオタモイ遊園地再開しないかな~🐹✨楽しみに待っています🙋✨流石ニトリ✨ウワサかな?🌠
先週に続き、荷物搭載。近場ですが、オタモイにハイキングツーリング。まずはオタモイ遊園地跡地へ既に絶景こちらにはこのフォトフレームがありました。あそこに建物があったんですね〜。と言う事で行ってみましょう。ニトリが整備費用を出資したようですが、早く絶景されないかな。続いては、オタモイ地蔵尊へこちらではブーツを履き替え、もはやバイクで来たとはわからない格好です。ここでは決して、押すなよ〜って振らないようご注意を!にしても、この青さよ。オタモイブルーが堪能出来ました。続きはオタモ
今回、公共配布カードのゲットはありませんが、前回小樽の続き、おまけ博物館編です。『『公共配布カード【25】札幌市・小樽市(ダム)』』いつものことですが、まだ2021年を終えてません。晩秋の11月紅葉の見頃は過ぎてしまいましたが、ダムを見に"札幌定山渓ダム→小樽朝里ダム→博物館"を巡りま…ameblo.jp朝里ダムの後、小樽市街に移動💨今日は11/3文化の日、小樽の施設が無料になるので、小樽市総合博物館の運河館と手宮の本館に行きます。2021年11月3日(水)運河プラザ修学旅行生で
大府市の郷土史家の廣江安彦氏ほど、郷土愛に溢れた方にお会いした事はありません!僕が、大府市にある施設の館長をしていた時に、何度もお会いしました。いつも熱く大府の歴史や人物を研究されていました。廣江市が書かれて、初めて知った事が多く有ります。大府市出身で、北海道に渡り、大成功をおさめ、1935年にオタモイ遊園地を含む豪華なリゾートを作った方が加藤秋太郎さんだと廣江氏の著書で知りました。小樽で蛇の目すしで、財をなし、実業家となった加藤秋太郎がオタモイ海岸を買い取り、遊園地や竜宮閣などを完
全体写真は新年公開〜
似鳥会長は廃墟マニアではなく、幼少期に訪れたオタモイに素敵な思い出があるのですね。でも、遊歩道も危ないのは随分前から分かっていることで再開発は難しいんじゃない?
今回紹介する記事は2021年7月8日付けの「北海道新聞」の記事です。【復活待たれる夢の跡】というタイトルで、家具・インテリア製造小売りのニトリが小樽商工会議所に、5000万円の再開発調査費を寄付し、事業の可能性を探ることについて、紹介しております。いつもどおり、「4つ」の視点でこの記事を見ています。(4つの視点についてはこちらをご覧ください)☆新聞記事の紹介について(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)★
2年近く前に次のような記事を書きました。『オタモイ-消えた夫婦岩』今回は、前回のオタモイにの記事に関する不思議なお話のご紹介です。<オタモイ-消えた遊園地>私がオタモイを最初に訪れたのは3年前の2016年10月です。この時…ameblo.jp北海道小樽市にあるオタモイ海岸。ここは戦前戦後を通じて十数年間、巨大リゾート施設であるオタモイ遊園地があった場所で有名です。オタモイ遊園地-Wikipediaja.wikipedia.orgその中でも中心的な建物である白蛇
北海道小樽市オタモイ周辺は摩訶不思議な場所がいっぱい。そこで探検してきました。写真真ん中左手に唐門があります。昭和初期、北海道小樽市オタモイに巨大リゾート施設「オタモイ遊園地」とその中核施設の高級料亭「龍宮閣」が存在しておりました。その姿が存在していたのはわずか17年ほど。1952年(昭和27年)大火により焼失し、劇的な終わりを遂げた地上の竜宮城「龍宮閣」。今なお謎が多いその跡地。当時の華やかさから伝説的に語り継がれております。その当時の面影を偲ぶものとしては移築された唐門のみが
昨日、母と叔母を連れてぐるっとドライブをしてきた。夫の介護歴18年の叔母夫の介護歴2年の母叔父が車椅子から立ち上がり転んで骨折。ただいまリハビリ中と入院生活も安定したしつい先日、私が礼文を旅してた時いつものウォーキング(散歩)から帰らずとうとう警察のお世話になってた認知症の父。昨日は弟が来て留守番をしてくれる事に。こんなチャンス滅多にないので二人の故郷、古平町を回って来る事にした。その前に、私がどうしても小樽で行ってみたかった場所に寄ってきた。その場所とは…くねく
写真:ワインの丘のD51今日の北海道は良い天気!暑いくらいだ。先週、余市からの帰りに見たオタモイ海岸がきになって、今週も行ってしまった♪海岸なのに、昔は遊園地があったと言う…。オタモイ遊園地の話はまた、別な機械にゆっくりと☆廃墟マニアにはたまらない♪次に銭函のワインの丘へ!ブロガーさんの記事を見て、D51好きの彼が食いついた☆でもなぁ~、どうせ見せ物みたいに展示してるんでしょ~!私は芦別の炭鉱列車を見てからは、あれに勝る展示(保存)の仕方を見た事がない。知らない方はググって見て欲し
今日の小樽は、日中でも19℃くらいで、どんより霧がかかっておりましたが、寒くはなかったので、数年ぶりに青の洞窟クルーズを満喫してきました🌊❕曇っていても、洞窟の中から入り口の方を見ると、キレイなブルーの海面が観られます💙洞窟の入り口は、こんなに狭いです✨隠れミッキーの岩です🐭こちらは、恐竜の絵のような岩壁運転手のお兄さんがエサをまくと、カモメさんたちが集まります❕カモメ~が翔んだ~を歌いたくなります💦カモメさんには青い空が似合うから、晴れた日にまた会いたいなぁ😍これは、岩の向こ
廃墟探索が止まらん今回は、「オタモイ遊園地」北海道の小樽市のオタモイにあった遊園地1936年(昭和9)開園竜宮閣や、遊園地の施設がある巨大リゾートちゃんと、映像も残っているよこれが、竜宮閣三階建て高級食堂むちゃくちゃな所に建ってます1952年(昭和27)竜宮閣が焼失わずか、18年ぼどの間、栄えた遊園地しかしながら、映像を見るとたくさんの人で賑わっている子供の服装も、婦人の服装もきれいで上流家庭の遊び場だったのかもしれないと私は、勝手におもった驚くことに、
今回紹介する記事は2021年2月25日付けの「北海道新聞」の記事です。【オタモイ遊園地跡再開発案小樽商工会議所が調査へニトリ5000万円寄付】というタイトルで、小樽商工会議所が、家具・インテリア製造小売りのニトリから5000万円の寄付を受け、「オタモイ遊園地」後の再開発を検討していることについて、紹介しております。いつもどおり、「4つ」の視点でこの記事を見ています。(4つの視点についてはこちらをご覧ください)☆新聞記事の
オタモイ遊園地...廃墟マニアの方には有名ですね。似鳥社長も廃墟マニアなのか...こういうところに力を入れられるのも経営に余裕がある証拠でしょうかね。
北海道内屈指のレジャー施設「オタモイ遊園地」2021年2月26日(株)ニトリがオタモイ遊園地の開発に5000万円の寄付をしてくれました。小樽ジャーナル(株)ニトリ小樽オタモイ開発に5千万円寄付(otaru-journal.com)今はオタモイ遊園地跡地には、殆ど何もありません。行く途中に移設された「唐門」があるのと地蔵尊があるだけです。小樽市内に近いオタモイ遊園地跡地が遊歩道の整備がされ、龍宮閣跡地までいく事が出来ればちょっとした観光スポットが生まれ
新聞報道でも小樽のオタモイ海岸再開発調査とか小樽商工会議所で勉強会ニトリの似鳥会長調査費に5,000万円寄付ここはオタモイ遊園地として昭和初期10数年火災で焼失その後、撤退した夢のあと高級料亭龍宮閣他大衆のための施設も日帰り客用の食堂500人収容の演芸場そのほか、児童遊園地とか海から見える残景移築された「唐門」を横目にしながら行きます通称「七曲がりの坂」を通って駐車場までは行けます真下の海岸へ下りる歩道もありますここからの夕景
雛祭り今年も一か月ほど飾ってたいつからケーキの日になったかは覚えてないが今年の雛祭ケーキは、シャトレーゼ昨年のブログを見ると、手作りケーキだった『雛祭り』学校がコロナの影響で休校となってる娘今年はケーキを作ったらしい時間たっぷりあるからね・・・イチゴの人形が不気味だ(笑)親としては、学習機会が失われる…ameblo.jpコロナの学校閉鎖から1年経ったという事か・・・最近ニュースで、「オタモイ遊園地」を復活する為にニトリが小樽商工会に5000万円寄付した
北海道小樽市には道内屈指のレジャー施設オタモイ遊園地があった。今年の春頃に何かの検索をしていた時に、心霊スポット的な掲載地の一部に、オタモイ遊園地が乗っていた。突き出た岸壁の上に「龍宮閣」という施設があり夕日が日本海に沈む景色は圧巻だった。今は建物も火事で焼失してしまい、周りにあった建物も撤去されており、今あるのは遊歩道や龍宮閣の基礎だけ。小樽は観光地として有名であり、夕日が綺麗なスポットが市内に近いオタモイ遊園地龍宮閣跡地をこのまま眠らしておくのはもったい
昨日、出かけたついでにオタモイ海岸ってどうなってるだろう?と思って昨日寄ってみました!行ってみた結果は特にどうもなってませんでした(笑)小樽へ来た当初ここは心霊スポットと聞いてはいたものの僕は幽霊や心霊現象を感じないのでそのあたりは特に気にせず行ってます!ここにくると信じ難いのが「オタモイ遊園地」が存在していたということ。もちろん行ったことあるって人に会ったことはないけどこんな場所に当時人が集まり賑わっていた事を想像すると凄いことだと思う。ただきっと当時と変わらないであろうこの海岸から
札幌もかなり寒くなってきました。そして、私達の日本滞在も残りわずか。あっという間に毎日が過ぎてます。今日は、ラグビーワールドカップのイングランドvs.オーストラリア戦があるので、アイリッシュパブかブリティッシュパブに行って、観戦しようかと思ってたのですが、1日雨で、出かけるのが億劫になったので、家でTV観戦です。なかなかゆっくり時間が取れず、日本滞在記アップできてないのですが、9月末のお天気の良かった日、小樽にある青の洞窟を見られると言うボートクルーズをしてきました。私も今回帰
かつて、小樽にはオタモイ遊園地という観光名所が存在した。明治41年(1905年)の夏、小樽に一人の寿司職人が移住してきた。彼の名は加藤秋太郎。加藤氏は小樽市花園(小樽駅前近くにある居酒屋などが集まった飲み屋街)に「蛇の目寿司」という寿司屋を開店し、店は大繁盛。昭和7年(1932年)、加藤氏は小樽にこれといった観光名所がない事に気が付き、観光名所が無いなら自費で作ろうじゃないかと決意。翌年の昭和8年(1933年)、遊園地の工事を開始。さらに翌年の昭和9年(1934年)にはオタモイ遊園地