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地下鉄の駅から歩いて1~2分くらい大直禰子(オオタダネコ)神社近くに三輪神社があり、大直禰子(オオタダネコ)を祀っていても違和感なく、ビルの谷間にひっそり佇むこじんまりとした神社こちらの神社が江戸時代に「おから猫」を祀っていたらしいと知り、訪れました。社務所はなく御朱印も置いていないようでした社号標の裏には大正四年と彫られていて右横にある立札の文字がかすれていますが‥「当社の祭神は大直禰子命にして‥‥(略)‥‥古来より「おからねこ」の俗称を以て猫の守護の如く云ひ慣れしも祭神
八尾市上之島の御野縣主神社こんにちは☀️ma−youです。三輪山に近付いてきました(笑)三輪山参拝を翌日に控えた10/26(日)に大阪に帰省しました。この日は雨☔沖縄と違って、ひんやりとしていました。この日、写真の神社に行こうか迷ってたんです。大雨ならやめておこうと。だけど、曇だったので、行きました。(最寄り駅に近づくにつれて雲行きは怪しくなってきましたけど😅)この神社に参拝しようと思ったきっかけはホツマツタヱの「あわうた」について書かれた本を読んでいた時。ホツマツタヱを編
【オオタタネコ/国を救った三輪神の系譜に連なる祈祷師】オオタタネコ(意富多多泥古命)は『古事記』によると、10代崇神天皇(すじんてんのう)の時代にいた三輪のオオモノヌシの神の系譜を持つ人物で、国難となった疫病を鎮める祈祷を行ったと記録されています。崇神天皇の時代に疫病が流行り民が悉く死んでしまいましたが、天皇の夢枕にオオモノヌシが現れ「オオタタネコという人に我を祀らせれば、祟りも収まり、国も平安になるであろう」と神託を告げました。天皇は急ぎオオタタネコを捜し出すと三輪山(御諸山
以下、沢史生『闇の日本史――河童鎮魂』(彩流社、1987年)から引用です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「第7章歴史の舞台裏・隠れ里奇聞」つづき〈謎の人物・弾左衛門頼兼〉▶鎌倉権五郎と弾左衛門p.236『奥州後三年記』によると、鎌倉党の盟主・権五郎景政は、わずか16歳で八幡太郎義家の麾下に入り、みちのくに出陣した。いわゆる後三年の役(1083―87年)である。出羽国金沢柵の合戦で、権五郎は右の目を射潰された。しかし、権五郎怯まず、すぐさま答の矢を放って、見
私がお米の備蓄の呼び掛けをしたのが、3年前の2022年この時はまだ、お米は通常通りお店に沢山並んでた『備蓄のススメ』人為的食糧危機がやってまいりました。。ウクライナ戦争の影響とか言ってるけど、そのための布石で起こされた戦争です。。この序章から始まってるのです最近よく聞くSD…ameblo.jp『お米を30年間備蓄する方法』非常用品は準備するから来ない、となるのですその掛けた手間暇が災難と相殺されるのです無駄に思えても「損して得取れ!」に変換される法則ですローリングストッ…ame
■大神神社の摂社、大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)です。若宮社ともよばれます。ご祭神は大直禰子命(おおたたねこのみこと)。大物主命が天皇の夢にあらわれ、子孫のオオタタネコに祀らせよとお告げをしました。お告げ通りオオタタネコに大物主神を祀らせたら、疫病がおさまったとされています。大神神社の初代宮司。感謝を込めてこちらにもお参りしたいですね。さあ、ランチはやはり三輪そうめん。にゅうめんとむかご飯のセットにしました。こんなに大きいむかごははじめて。むかごは山の
『日本書紀』によると崇神天皇時代に和泉国の茅渟県で、大田田根子命は見つけだされ、大神神社の神主となりますが、その祖先は天日方櫛日方命といいます。天日方櫛日方命に注目すると、この人物はとても大きな意味の名前であることに気が付きます。その系譜の祖は、山代水主の祖と伝わる、玉勝山代根古命になります。大神神社社家の祖、天日方櫛日方命と、大田田根子命。–古代史考証神武天皇と卑弥呼の時代著者佐藤洋太kodaishikoushou.com
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「熱田神宮」と「天叢雲剣(草薙剣)」熱田神宮は尾張国三宮であり一宮ではない。尾張国一宮は天火明を祀る真清田神社である。天火明の本名は「大年オオドシ」である。彼の名前はたくさんある。「天照国照彦火明櫛玉饒速日」と呼ばれる。スサノヲの三男である。熱田神宮の境内摂社御田神社にも祀られている。そして、その御祭神名はかくされている八剣宮にも。草薙剣を祀る熱田神宮と天照を祀る八剣宮草薙剣をヤマトタケル(小碓)から預かり祀ったミヤズヒメ(熱田神宮巫女)は尾張家・海部家の娘
【オオタタネコ/三輪山の神の系譜を持つ疫病を鎮めた祈祷師】@art.mochida.daisukeオオタタネコ(意富多多泥古命)は『古事記』によると、10代崇神天皇(すじんてんのう)の時代にいた三輪のオオモノヌシの神の系譜を持つ人物で、国難となった疫病を鎮める祈祷を行った祈祷師として記録されています。崇神天皇の時代に国中に疫病が流行り民が悉く死んでしまいましたが、天皇の夢枕にオオモノヌシが現れ「オオタタネコという人に我を祀らせれば、祟りも収まり、国も平安になるであろう」と神託を告
タイトルにもある通り、「解けたぁ〜♥」と言いたいのですが、正確にいうと「簡単には解けない事がわかったぁ〜_| ̄|○」という結果となりました。しかし方向性は見えました、ホツマツタヱの研究者で朝倉未魁さんは年号の不自然さに気づいていて、「空白年」が挿入されているとの仮説を展開されておられました。私は朝倉氏の説を見て逆に確信したのが、やはり「干支の変換ミス」でした。変換ミスをしたのは日本書紀の編纂者ではなくて、今残されているホツマツタヱを最後に記述したと思われる「最後の編纂者
【オオタタネコ/疫病を治めた神の系譜を持つ祈祷師】@art.mochida.daisukeオオタタネコ(意富多多泥古命)は『古事記』によると、10代崇神天皇(すじんてんのう)の時代にいた三輪のオオモノヌシの神の系譜を持つ人物で、国難となった疫病を鎮める祈祷を行ったと記録されています。崇神天皇の時代に疫病が流行り民が悉く死んでしまいましたが、天皇の夢枕にオオモノヌシが現れ「オオタタネコという人に我を祀らせれば、祟りも収まり、国も平安になるであろう」と神託を告げました。天皇は急ぎオ
見えない世界を伝える神社ナビゲーター市口哲也です。現在ご案内中の講座と神社参拝ツアーについては、↓コチラ↓をご覧ください。『神様に呼ばれる神社参拝』神社ナビゲーター市口哲也「神様に呼ばれる神社参拝神社」「龍神さまに呼ばれる神社参拝」「心からの願いが叶う神社参拝」著者、市口哲也のホームページです。神社参拝ツアー・龍神講座・祝詞講座・ホツマツタヱ講座・ヲシテ文字講座などをご案内しています。tetsuya-ichiguchi.hp.peraichi.com「オオタタネコ」は大田
狭井神社さんで御神水をいただき荷物を整理させていただき気分一新して久延彦神社さんへたくさんの方が景色を楽しみ汗をかいた体を休めていました。久延彦神社わぁい神職さんだぁ知恵の神様ということでか小中学生が心なしか多かった💡反対側から来たから鳥居も階段もなかったんだな💡ありがとうございました✨さぁ次は大國主命様のご神孫大直禰子神社境外摂社若宮社どんな人生を送られたのだろう?どんな方だったのだろう?大國主命様のご神孫とご存知だったのだろうか?第10代崇
(旧)師走十八日疫病を鎮めるために招かれし神の気苦労察してやまぬ雲端令和4年大晦日。終い詣でとして大神神社を参拝した。大神神社の摂社に、、若宮社というのがある。第十代崇神天皇の御代。疫病が蔓延し、人口が半減するのではないか。そんな状態となり、天皇は頭を痛めておられた。そんな時、大神神社の祭神、大物主神が天皇の夢枕に立ち、こうおっしゃられた。「我が子、オオタタネコをして我を祀らせよ」と。そうすれば、疫病は収まるという
【人生の開墾…運命】年の暮れを迎えましたが…今年を振り返ってみて私が感じる事は、何とも目まぐるしく世の中が変わりました神世から伝わっている通り、この私たちの世はこれから大きく変わります。私たちはその現実を受け入れた上で私たち自身や家族、先祖、子孫を守っていかなければいけません。そのことは私自身も覚悟をしています。その中で私の知る範囲でお話を進めていきます【魂の相対図】…四相原理●魂には季節があります(春夏秋冬)●魂には特性があります(木火金水)●魂を見れば時代の流れが読み取れま
『日本国記』「建角身・味鋤高彦」と「オオタタネコ」限りなく真実に近いアナザーストーリー【74A】ひじかたすいげつつづき「建角身・味鋤高彦」は〝神武東征”を助けた〝八咫烏”であったとよく言われる。しかし出雲の口伝では、第一次〝神武東征”はニギハヤヒの子孫である物部ウマシマジによってであり、熊野からヤマトまで戦いらしいものはなかったといわれる。その道案内をしたのは今の堺市の陶荒田神社を創建した「大田タネヒコ」であるという。そしてウマシマジらは磐余
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー61Cタケミカズチとフツヌシとタカクラジ蘇我氏の先祖1ひじかたすいげつ物部氏:古代氏族の起源と盛衰(545)(歴史文化ライブラリー545)Amazon(アマゾン)1,879〜5,920円つづき「蘇我氏」は天皇の外戚ではない。天皇家である。約1,300年前古事記や日本書紀が藤原氏によって作製された。藤原氏によって滅ぼされた蘇我氏は古事記日本書紀では悪役にされている。蘇我氏は「大
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三輪神社さんで毎年2月22日に授与される😻にゃんこ😻御朱印。👇こちらは混合ですが👇今年になってから、3/22、4/22、5/22…と、毎月異なったデザインで出されるようになりました。どうも、22日を猫(=^・^=)の日(2にゃん2にゃん)として、シリーズ化に踏み切られたようですね。お月様御朱印も一廻りしちゃったし…今度は🐈猫さま🐈専用の御朱印を有難く頂戴していこうかと💗というわけで、まずは御朱印帳を新調。久屋大通の東急ハンズは…解体のため、なくなっちゃったので、名古屋駅へ。高島
ヒラヒラ舞うフワフワ上昇するホロホロ下降するどこからか現れてどこかに消えていき時空の隙間を行ったり来たりそのたび、わたしは透明になりあの世界にこの時代にいざなわれ旅をする蝶は今日も時と場所を飛び越えて駆けめぐる神さまの伝言をたずさえて最近黒いアゲハが、やたらと、アピールしてくる先日、行った、散歩がてらの大神神社周辺めぐりをご紹介させていただきます!まずは前から気になっていた三輪恵比須神社。線路を挟んで大神神社とは反対側にあります。中が空洞の
夏の間に行ったブログにあげきれてなかった神社の写真たち。続けてあげていきたいと思います。………といって写真を貼り出して思う。次なる大神神社、気分が高まり写真撮りすぎ。今回、「夏の神社アラカルト」と言いつつ、全編、大神神社周辺の神社でございます。2021/8/8大神神社(奈良桜井)この日は桜井の駅からバスで来たので、一の鳥居からの参拝。カンカン照り。綱越神社。こちら以前から来たかったんですよね。御祭神は祓戸大神。参道を少し逸れまして、三輪恵比須神社。いつもは三
率川(いさがわ)神社の北西200メートルほどに第9代・開化(かいか)天皇の陵墓があります。開化天皇が眠るとされる春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)に比定される前方後円墳で、念仏寺山(ねんぶつじやま)古墳ともいわれるようです。このあたりには、もともと古墳群があったといいます。しかし、奈良時代の平城京の造営のさいに開化天皇陵(念仏山古墳)と垂仁天皇陵(宝来山古墳)のほかは破壊されたようです。かつてはここに、どんな・どなたの古墳があっ
奈良県桜井市にご鎮座する大神(おおみわ)神社は、本殿がなく、三輪山という山をご神体としています。山という自然崇拝を残している原始の神社の1つと言われています。*三輪山(標高467m)・・三輪山会館から撮影春の大神祭(おおみわまつり)例年、盛大に春のお祭りが行われますが、昨年今年と新型コロナウィルスのため規模をかなり縮小してご神事が執り行われました。*拝殿での巫女舞若宮:大田田根子命(オオタタネコミコト)の神輿渡御も、今年は人が担ぐのではなく車で移
いつもお読みいただきありがとうございます😊『日本の神様カード』公式認定インストラクターおおかわあつこです。今日は天皇誕生日❣️ゆったりまったりと過ごしていました😊ららららっ⁉️NHK知恵泉を偶然⁉️視聴😃テレビをつけたらやっていたパターンそこで観たのは天武天皇の話なーのーにっ⁉️私の頭の中にやってきたのはオオタタネコ⁉️という方の名前オオタタネコWikipediaによれば『日本書紀』によれば大田田根子大神神社ご祭神の大物主神の子『古事記』によれば意冨多々泥
あなたの自己肯定を進めるコトバ「ごめんなさい(、私)」心の穴を埋め「ありがとう(、私)」ガンバリを認め「いただきます」命・食材へ感謝をし「ごちそうさま」作り手(自分含む)へ感謝を伝えるこれらのコトバで、徳が積まれるよ①:鹿島神宮はだれのものタケミカヅチとアラハバキ②:地下に封じられているのはナマズじゃなくさて前回、東国三社の地下に『居た』のはタマヨリヒメ様(仮・本当は名を持たない存在)だったと分かりアラハバキ様が、タケミカ
ほんとうのこのくにのかたちはじめに番外6まきむくいせきひじかたすいげつ纏向遺跡オオタタネコ太田タネヒコの遺跡。ここでも紹介している「出雲王国とヤマト政権」によれば、もうひとつの太田遺跡。纏向遺跡は、今は奈良県桜井市の三輪山の北西。三世紀に始まる遺跡と。Wikiには邪馬台国の中心とする説もとあるが、違う。ここは旧磯城郡纏向村。磯城王朝のあったところ。垂仁天皇の纏向たまきの宮。景行天皇の纏向ひしろ
ほんとうのこのくにのかたちはじめに番外5おおたたねこおおたたねひこひじかたすいげつオオタタネコ太田タネヒコ。ここでも紹介している「出雲王国とヤマト政権」によれば、古代史ブログの「八咫烏」にも書いたように、出雲向富登美とみトビ・・・・・・トビから連想して、モノノベたちから八咫烏と呼ばれたのはオオタタネコこと太田タネヒコ。そして、そう呼ばれた第一次東征のあったのは、フトニ孝霊天皇クニクル孝元天皇の時代。
ほんとうの・このくにのかたちはじめにその30アマテラスあとがきその4ひじかたすいげつつづきアマテラスあとがきその4「卑弥呼」は「姫と呼ぶ」の意。豊の宇佐神宮の「姫大神」であった。宇佐の豊玉姫の子トヨスキイリヒメとトヨスキイリヒコは垂仁天皇と共にヤマトに。豊の月神は、ヤマトの太陽神には勝てなかった。モノノベの半数は九州に帰っていった。三輪山の神はオオミワ大神。そしてオオタタネ
ほんとうの・このくにのかたちはじめにその29アマテラスあとがきその3ひじかたすいげつつづきアマテラスあとがきその3「卑弥呼」は「姫と呼ぶ」の意。豊の宇佐神宮の「姫大神」であった。「卑弥呼」が豊でなく、大和に居たら、記紀は隠さなかったであろう。「姫大神」はだれか?神武東征はなかった。本当は、最初の東征はモノノベ。太平洋四国沿岸を通って。次の東征は崇神天皇(垂仁天皇)と豊玉姫。瀬戸内海を。