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9月19日は、エリザベス・サンダース・ホームの創立者、沢田美喜が生まれた日。(1901年9月19日-1980年5月12日)皆様、いつもありがとうございます✨グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなこと
満蒙開拓団にエリザベスサンダーホーム(大磯)その前から少し見始めて..📺これはTVerには重いから若い人は見たがるかどうかだな。切ない。“親が元華族?”と聞かれた私も色真っ白ユーレイみたいに..だが祖父母は共にヨーロッパ感があったから(岩手➡︎横浜と奥羽越列藩同盟地域のほう)戦争前に日本に来てるから少し違うけれどハーフの疎外感はね。とは言え私は応援団長とか学芸会ヒロインでワチコレとして得が多かったけれどね..可愛い綺麗可愛い綺麗と言われ。。“小学校から成
あなたにとって憧れの女性は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう憧れの女性と言いますか尊敬する女性の一人が沢田美喜さんです。
1982年出版小坂井澄「これはあなたの母沢田美喜と混血孤児たち」この本を読んで…1948年(昭和23年)敗戦後のGHQの占領下、進駐軍兵士と日本人女性との間に生まれた孤児救済のためエリザベスサンダースホームを創立した沢田美喜(旧姓岩崎/岩崎弥太郎の孫)1921年(大正10年)にフロレス・モンゴメリ『誤解』を翻訳し、自費出版している事を知りました。〈英国の貴族の兄弟が主人公で、兄のほうがとかく人から誤解を受けるところから物語は展開する。美喜はその兄に、自分に似た性格を
色々な事情で生まれたGIベビースティーブ・フラハティ出生名後田義明(ウシロダヨシアキ)母の次恵(ツギエ)は性被害者でした。4歳まで実母と暮らし、生活が立ち行かなくなりやむを得ず、エリザベス・サンダースホームに預けられます。必ず迎えに行くと約束するのですが……。11歳になったヨシアキ少年はアメリカへ養子に出されます。(4歳で実母と泣く泣く離れ、7年もの間住み慣れ友達もいる孤児院からまたひとり引き離される…過酷な運命です。)幸運な事に、フラハティ家(母と息子25歳、父は
「もんもんラボ」の「もんもん」です。今日も、自分がワクワクすることに、どんどんチャレンジします!先日、自転車で大磯駅に向かっている途中に、1号線沿いの掲示板で見つけたのが、こちら!!ジャジャン!!!「大磯まち歩きガイド養成講座説明会」です。大磯の町に詳しくなるには、持って来い!!不動産の仕事にも役立つと思い、早速、ネットから申し込みをしました。大磯ガイド協会のHPです。お気軽にご相談ください-NPO法人大磯ガイド協会(oiso
大手製薬会社はワクチンで乳児を傷つけ生涯にわたる顧客を創造。大手製薬会社は、乳児用ワクチンを促進することにより、乳児に害を与え、生涯にわたる顧客を作ろうとする。また、責任を負わずに、子供たちを免責の盾として利用している。https://t.co/T66Tl2hdBH—AKIRA(@macdata88)2022年2月19日厚生労働省のデータ胎児奇形流産死産流産、奇形児も自己責任?そんなワクチン捨てちまえ‼️https://t.co/EIGvPk6gCN—satog
先に慈善事業を始めたのは渋沢栄一だったのに私には岩崎弥太郎の孫が設立したエリザベスサンダースホームが記憶に残り考えは真逆ではあるけど歴史をふりかえるとどちらにも軍配はあがる岩崎弥太郎の三菱は国家の後ろ楯があって今日に渋沢栄一はライフラインを作ったのだから二人は日の本の両輪岩崎弥太郎の土佐弁が坂本龍馬を思い出させ登場しない人物の想像をわかせる坂本龍馬が創った海援隊岩崎弥太郎に繋がり海運業海援隊こそカンパニーそして岩崎弥太郎の孫澤田美喜は戦後たくさんの孤児ハーフに産
引き続きアオバトを満腹になるまで撮影します~AM9:10やって来ました。撮影できる時間はあと少しかも。独特な色合いが美しい翼半分がワインレッド色がオスです。恐ろしい、渦巻く海面!砕け散る大きな波しぶき背景がイイね!岩場に集まる~AM9:25また群れが来ました。旋回中~凄い波泡立つ海面SSを遅くしてみた。凄い迫力大丈夫?飛び出したもちろん遊泳禁止!炸裂する波しぶきわー!ドッカーン!遊んでいる訳で
前回、前々回と平塚市美術館へ行った事を記事にしました。美術館鑑賞の後、平塚から一駅、大磯へ向かいました。お昼はここで食べようと決めていたので。前回記事にした平塚市の八幡山の洋館と同じく、国の登録有形文化財。イタリアンのお店。昔、来たときは使われておらず、廃墟っぽかった(言い過ぎ)のですが。数年前から営業再開していたのですね。昔はフレンチの店だったかと。大磯迎賓館|レストラン(restaurant)神奈川県大磯町にある国登録有形文化財レストラン、大磯迎賓舘。海が見渡せる洋
ご飯に一番合うおかずといえば?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようごきげんよう、マダムです。読者登録していつも読んでいるブロ友さんたちの記事でざわつくほどにR15指定の映画の話で持ちきりなのを見るにつけ、マダムさんもこの流れに乗りたいと7月末にとある映画を観たんですが。感想書きかけて進まなくって今に至ります。↓↓見終わった直後に書こうとしていた記事。勝負パンツある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようごきげんよう、マダムで
この季節というか、この時期っていうのかなぁ~。新聞もTVも戦争ものですね。私のなかでは、戦争って教科書の中のことなんですがなぜか、ひとつ…気になるというか、他人事じゃない感じの事(?)が…それは、エリザベス・サンダースホームどうしてそんなに気になるのか、わからないんですが、そして、このホームには欠かせない、澤田美喜さん他人事じゃない感じがして…母に聞いてみたこともあったけど、わからないのよね。母は父と結婚する前に、東京女子大で働いてました。小さいときは、母に連れられて
ジョー山中さん…亡くなっていたんですね…寂しいですね…私…記憶がないのですが…ジョー山中さんと一緒に遊んだことがあるんですって、、、サンダースホームにいた頃に…ジョー山中さんも記憶がないことだと思いますが、私にとって…素敵な思い出の一つです。ありがとうございます。いつになるかわかりませんが…上の世界に行ったらお話したいですねぇ。下のブログランキングに参加しています。よろしければポチッとなお願いいたします。テーブルコーディネートランキング
先日この本を読み終えました。エリザベスサンダースホームの設立者澤田美喜さんの生き様を負った内容です。どういう経緯でホームをつくったのか、米兵のだらしのない下半身と不始末(日本も同じですけどね)を無かったことにしたいGHQとどう対峙したのか丹念に調べて書き込んであります。この澤田美喜さんという方は三菱創業者のお孫さんです。戦争で大儲けをした大財閥、三菱のお嬢さんが戦争の落とし子米兵と日本女性との間に生まれた子供達のお世話を
混血児孤児の母沢田美喜三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫として生まれ、令嬢として育った澤田美喜は、熱心なクリスチャンで、外交官夫人としての体験なども手伝い、戦後の混乱の中でアメリカ占領軍兵士との間に生まれた混血児の救済と養育のためにエリザベスサンダースホームを設立しました。エリザベスサンダースホームの敷地には元々岩崎家の別邸がありましたが、戦後の財閥解体とともに、岩崎本家は財産税として大磯駅前の別邸を政府に物納しました。澤田美喜はこの土地を政府から買い戻し乳児院を立てようとし、岩崎本家の
2000人の混血孤児の母となられた方です。詳細はこちらwww2.plala.or.jp/Arakawa/christian16.htmhttps://www.jinken-net.com/gozonji/information/0902.htmlにほんブログ村
大磯邸園巡りに参加した日目的の邸園巡りの他今まで知らなかった大磯の姿をたくさん知ることが出来ました。ガイドさんの豊富な知識や帰宅してから気になったことを調べて生まれ育った町の姿を再認識。大磯町は明治時代に政治家たちが移り住み避暑地として有名になったことは知っていましたが著名人が住んでいたのはごくごく一部の地域。一般庶民が住んでいる地域に住んでいた私には知る由もなかったことが今回のツアーで謎解きの様に解明できました。まずは大磯駅周辺JR大磯駅は何度か改修工事
ミランのブログへようこそ☆人生は美しいことだけ覚えてればいい!この素敵な言葉は、中学生の頃に私が憧れてた女性。→澤田美喜彼女は45歳の時、突然神様からのメッセージを受け取り、湘南に孤児院施設のエリザベスサンダースホームを造り、2000人以上の母となった本物のBIGMOTHER!大磯にある彼女の記念館を訪れました。→こちら↑澤田美喜記念館入口では、簡単に彼女のプロフィールをご紹介します!
この本を読み始める前に、表紙を飾っているヨシアキの写真が目にはいる。ハンサムで優しい彼は誰にでも愛される人柄だったという。かすかに微笑むやさしい表情は何かを言いたげにも見える。ヨシアキとはスティーブ・ヨシアキ・フラハティ、日本名は後田義明である。彼は太平洋戦争後の混乱期に米兵と日本人女性との間に生まれた。このような境遇の子どもを引き取っていた孤児院、エリザベスサンダーホーム(園長澤田美喜)で養育されていた。やがてアメリカに養子として引き取られ、スティーブ・ヨシアキ・フラハティとなっ
いやはや確実に筋肉痛でした(^-^;Aそれでもともかく何もしない、というのは性にあわないので、行ってきました、しぃさんぽ!とはいえさすがに痛みを抱えつつ、というのは限界もありますから、ショートカットで…もうひとつはリラックスしながら歩けるか、というのもありましたね。やっぱり晴れ晴れしてる一日ですね。素敵な空です。太陽光が強すぎて、全然見えなかったりもしますけど( ̄▽ ̄;)まあこれもあじですからちゃんと撮るとこんな感じ。どちらにせよ陽の光の影んで、全然別の写真になりますね。何となく構図で
皆様、今晩わ。宵の、越中守です。この時季、当地では、よくあるお天気❗屋外に出る事は、出来ません❗浜は、とても歩けたものではありません❗この五十嵐浜は、一年間に、沢山の嵐がやって来るとの意味だと、思っています❗少し、出掛けても、びしょ濡れです❗雪なら、まだましですが、冷たい雨は、身体を冷やし、こたえます❗以前は、かなりの悪天でも、出掛けて風邪をひいたりしていましたが、少し大人になり、自重出来る様になりました🎵冬は、体調を崩しがちなので、気をつけたいものです。皆様も、ご
先日、大磯の吉田茂邸を見学したときに、大隈重信邸、陸奥宗光邸、伊藤博文の滄浪閣を期間限定で公開するということを聞いた。先着順の申し込みだったので、今日のガイドツアーに参加できることになった。久しぶりの大磯駅。大磯には、沢田美喜さんのエリザベスサンダースホームがあったり、歌枕の鴫立沢もある。滄浪閣の存在は知っていたし、中華料理店であったとき、行ったこともあった。あまり良い印象ではなかったけれど。そんな大磯の地に明治の元勲の別邸がたくさん存在していたということを知ってちょっとびっくり
吉田秋生の『カリフォルニア物語』読み終わりました。この漫画家、20才の時にこれを書いたなんて、凄すぎる!大したもんです。筆者なんぞ、倍以上の年ですけど、ここまで人間性が追求出来るんだろうか、と思ったりして。でも、ご本人もアメリカ社会のことを知り尽くして書いた訳じゃないから、細かい間違いがあるだろうと言っていたようですけど、まあ、間違いはあります。(カリフォルニア大学サンタバーバラ校の冬景色)主人公のお父さんは高名な弁護士で、カリフォルニア大学バークレー校で教えている設定なんですけど、
さてさて今日は温かい日で代謝の高い私にはむしろ暑い!暑すぎです!それでもきちんとさんぽに出てきましたスゴい太陽!やっぱりその熱量は爆発的ですねいつか「科学を学ぶ」とは?というLINEブログからのコーナーでも語りたいなぁ〜と…実は買い物しなきゃならなくて〜(´>∀<`)ゝさんぽよりドラッグストア!いろいろ買ってきましたよ〜先の記事でオレンジリボンたすきリレーの大磯のチェックポイントエリザベスサンダースホームは駅前にあります知らなかったのですが一昨日か
肌の違い、運命の違い大阪なおみさんが全米オープンで見事に優勝した。それで、ある同級生の人生に思いを馳せた。彼とは小学、中学を共にした。彼は戦後間もない頃、アフリカ系の米軍G・Iと日本人女性の間に生まれた子だ。だから肌はなおみさんのような肌をしていた。弟の肌はまるで白かった。弟のことは、さておき、彼は小学生の頃、野球少年で、エースで四番だった。ドッジボールの得意気な姿は、今でもはっきりと思い出すことができる。その頃の私は、肌の色について、考えたこともなかった。中学になって、驚いたこ
おはようございます。瑠璃子です。台風に続き、北海道での大地震でテレビやSNSで被害の大きいところを目にしましたが、みなさまの無事を祈っています。祈りの力を感じたところでしたので昨日のお出かけ先について書かせていただきます。エリザベス・サンダース・ホームを創立された澤田美喜記念館に行ってきました。記念館は澤田美喜さんのコレクションが収蔵されており隠れキリシタン資料館になっています。キリシタンの遺物は澤田さんの心の支えとなり『失望と悲嘆と涙と怒りの時、私に光と希望と忍耐を与えてくれま
今日のドライブは大磯!?へなぜ?と聞かれれば、行きたいところがあったから。で、まずはその目的地、澤田美喜記念館話せば長い話になるのだが、母が元気な頃(私の実母だが)、平塚の教会に通っていて、そこでは、大磯のエリザベスサンダースホームのボランティアを行なっていて、母はバザーとなれば得意の洋裁で色々小物を作っては出かけていた。病気になって、教会との関係が途絶えて、亡くなって…いつか訪れたいと思っていた場所。色々思い出すことも多いが、ひとつ母への心残りが減ったかも。次はついでと言っては
11月11日午後、大磯駅前にあるエリザベスサンダースホーム「海の見えるホール」で、澤田美喜記念館主催による特別講演会「澤田美喜戦後史に残る社会福祉事業」が開催された。澤田美喜は、三菱財閥創始者・岩崎彌太郎の孫として生まれ、後に外交官の妻となり欧米社交界にも知られた存在だったが、第2次世界大戦後、進駐軍兵士と日本女性の間に生まれた子どもたちの姿に心を痛め、大磯の旧岩崎家別荘を買い戻してエリザベスサンダースホームを創り、子どもたちの「ママちゃま」
ヨガクラスでプルプルしながらの太陽礼拝🌞を終え、導かれるままに大磯へ。DJmo'ことTさんおすすめの「鳥料理杉本」さんで、キジ丼をペロリ。炭火の香ばしさと醤油だれをまとったお肉とご飯は絶妙で、止まらないお箸〜。お腹が満足した後は、念願叶ってエリザベスサンダースホームへ。ここは第二次世界大戦後、日本占領のためにやってきた連合国軍兵士と日本人女性の間に生まれたものの、両親や周囲から見捨てられた混血孤児のための施設として1948年、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫娘である沢田美喜さんが設立
グレースケリーの本を書くにあたり、いろんな文献を読み、インタビューもしました。その中で感銘を受けたのが、戦後の日本でエリザベスサンダースホームを創設した澤田美喜さんとジョセフィンベーカーの人生。日本でジョセフィンベーカーを知る人も数少ないと思いますが、彼女は澤田さんの活動を支援するためのコンサートを日本で行なったり、エリザベスサンダースホームの孤児を二人引き取ってます。そのうちの一人がモナコで働いているてるやさんです。グレース公妃の紹介で、モナコの会社で庭師と