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おはようございます!今日は2023年11月16日(木曜日)!11/16は「いいいろの日」だそうで11月16日は語呂合わせで『いい色の日』11月16日は、「いい(11)色(16)」の語呂合わせで「いい色の日」なのをご存じでしょうか。1991年に愛知県下で塗装と塗料に関する事業を営む業界の団体が制定したことに由来します。「色」が日常生活に与える影響を見直すとともに、塗装の持つ美粧性、機能性、簡易性などを広くアピールすることを目的として制定されました。そこで今回は改めて「色」の持つ効
仏蘭西歌謡曲ChansonPopulaireenFrance2023年6月6日号2023年6月2日付SNEPシングル&アルバムチャート※SNEP:Syndicatnationaldel'éditionphonographique(フランス全国音楽出版組合)【シングルチャート】1Bolideallemand-SDM2Larue-Nolimit(FRA)3C'estcarréleS-Naps4Flowers
CV:花江夏樹さんのふたり#エラン・ケレス#水星の魔女#G_Witch#アルスラーン戦記#エラム#イラスト※声優ネタ+クロスオーバー※CV:花江夏樹さんの推し二人。pic.twitter.com/MHU5d5bABI—雪風(ゆきかぜ。)*スパムのフォローNG(@aries419elam)November18,2022「機動戦士ガンダム水星の魔女」エラン・ケレス+「アルスラーン戦記」エラムCV以外にも日5、かわいめ美少年、目の色が緑系と
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー39B【日本人のルーツその37】『日本国記』スメル(シュメル)とウバイド17「エラム」と「スサ」と「バビロン」と「神門」ひじかたすいげつつづきメソポタミアの歴史は古い。シュメルが「到着した者たち」となったとき、すでにここには原住民がいた。オベイド人と呼ばれた。ウバイド人ともいう。文化的に進歩した民族であったという。オベイド(ウバイド)はシュメルと極めて良好な関係を築いた。よく組織され
令和4年4月24日日曜日、雨。また大雨です。がっかりな日曜、のんびり映画鑑賞しました(仕事しろー)。さて。真面目に順を追って書くとつまらない(笑)というか細かく膨大で書けやしないし新事実は次々見付かる。毎日が楽しくて仕方ない、若い頃は孤独なんて寂しくて生きていられないんじゃないかと思ったりしたこともあるけど、年齢を重ねると関係無いというか_必要な時に必要な人が居ればいい、というか寄り添ってくれるものだ。もちろん、それまでの人生が問われるのかもしれないが、僕は正しかったようだ
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー37B【日本人のルーツその35】『日本国記』スメル(シュメル)とウバイド15「スサノヲ」と「牛頭天王」と「祇園」ひじかたすいげつつづき京都を代表する神社の一つである「八坂神社」は、「祇園社」とも呼ばれ、京都祇園祭の中心である。この神社を創始したのは「八坂造」は高句麗系渡来人の子孫ともいわれる。一方、秦氏は新羅系渡来人であったといわれる。秦氏の子孫は「稲荷神社」を作ったといわれる。古い
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー36B【日本人のルーツその34】『日本国記』スメル(シュメル)とウバイド14「エラム」は「シュメル」か?ひじかたすいげつつづき「ペルシャ」は今のイラン(IslamicRepublicofIran)であるが、イランは古代「エラム(Elam)」であった。後には「ペルセポリス」も中心となったが、「スサ」が中心であった。エラム人(イラン人)がエラム語を使っていた。エラム語は膠着語で、SOVであ
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー35B【日本人のルーツその33】『日本国記』スメル(シュメル)とウバイド13「キュロス(Cyus)」は「スサの王」であったひじかたすいげつつづき「聖書」にはイエスの系図が書かれている。アブラハムからダビデまでが14代、ダビデからバビロン捕囚(thecaptivityinBabylon)までが14代、バビロン捕囚から“theChrist”イエスまでが14代であると。合わせると、14
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー34B【日本人のルーツその32】『日本国記』スメル(シュメル)とウバイド12「スサの王」は「スサノヲ」か?ひじかたすいげつ古代メソポタミアの神々世界最古の「王と神の饗宴」Amazon(アマゾン)4,050〜18,801円つづき「聖書」書かれているように、B.C.722年にイスラエル王国がアッシリアのサルゴン二世により滅ぼされ、イスラエル王国の民(10氏族)はアッシリア(アッシュルの土地)に連
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー33B【日本人のルーツその31】『日本国記』スメル(シュメル)とウバイド11エラムの「スサの王」はひじかたすいげつ古代メソポタミアの神々世界最古の「王と神の饗宴」Amazon(アマゾン)4,050〜18,801円つづきウバイドがいたメソポタミアにスメル(シュメル)がやってきた。シュメルの後には、アッカドがバビロンを支配した。バビロンの龍は「恐ろしい蛇」であった。シュメル語ではあるが「ムシュフシ
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー26B【日本人のルーツその24】『日本国記』スメル(シュメル)とウバイド4ひじかたすいげつ古代メソポタミアの神々世界最古の「王と神の饗宴」Amazon(アマゾン)4,050〜18,801円つづきエジプトの王は「現人神」であったが、メソポタミアの王は「神」ではなかった。メソポタミアの王は「神王(ゴッドキング)」ではなく、「神官王(プリーストキング)」であったという。メソポタミアの王はす
この投稿をInstagramで見る오래기다리셨죠?에스콰이어8월호표지를장식한주지훈의촬영현장을공개합니다.생로랑2020가을/겨울컬렉션과함께어떤포즈를취해도완벽하게담아내던모습이아직까지생생하네요.멋진주지훈의
キムスロ王妃の出身地コーサラ国を調べていたら世界がつながっていることがわかりました!(◎_◎;)ごくごく簡単に時系列に書きますね✨🙏5000年前メソポタミア文明で繁栄していたシュメール人のところにエラム人が攻めてきました。シュメール人はインドに逃げ都市国家をつくりました。メソポタミアでのシュメール人の最大都市は、ラガシュといいました。そのラガシュを新天地の都市名にしたのでしょう。ラガシュがなまって現在のグジャラート州(インド西部)になりました。1000年も
みんな元気ですかさらにスサノオのなぞのこと・・・もう一度時代を古代にさかのぼります・・・スサノオの出自を探ると不思議な胸騒ぎがします。なんだかゾワゾワとしたものが上がってきます。特牛(コットイ)はどこから読んでもその読み方にはなりません。明らかに日本語ではありません。「神々の指紋」を書いたグレアム・ハンコックによれば1万2千年前にはアラビア湾は海ではなく川でした。今のチグリス・ユーフラテス川とつながっていました。ペルシャ湾とも言い
みんな元気ですかさらにスサノオのなぞのこと・・・もう一度時代を古代にさかのぼります・・・スサノオの出自を探ると不思議な胸騒ぎがします。なんだかゾワゾワとしたものが上がってきます。特牛(コットイ)はどこから読んでもその読み方にはなりません。明らかに日本語ではありません。「神々の指紋」を書いたグレアム・ハンコックによれば1万2千年前にはアラビア湾は海ではなく川でした。今のチグリス・ユーフラテス川とつながっていました。ペルシャ湾とも言
ーーー紀元前一七九〇年ごろバビロンーーーバビロンは、多くの有力な都市国家などに取り囲まれていました。●エラムとは、都市国家ではなく、紀元前3000年紀半ば~紀元前7世紀前半までメソポタニアの東にいた民族です。メソポタニアの人々は、経験によって測量や開墾の技術を身につけていました。ハンムラビ王は、即位して二〇年ほどは、神殿建築や城壁強化、運河や水路の開設など、国を豊かにすることに力を注ぎました。ラルサは、バビロンに攻撃をくり返すようになりました。当時の占い師は、生けにえの羊の肝臓を見
昨日,ちょっと強引に合唱(音楽)と古代ペルシャを結びつけた。昭和40年台にたくさん出ていたカワイ楽譜の「カワイ合唱名曲選」,一曲ごとや短い組曲ごとに売られていたピース形式の楽譜表紙に楽師の隊列が描かれ,その説明に「ペルシャのエラム族(紀元前2千年前)の遺跡から出土した浮彫で,祝い日に,楽器を奏し歌を歌って行列行進する図である」と説明されている。男声は紫,女性は赤,混声は緑で描かれている。軽い気持ちで上げたのだけど,古代遺跡大好き,合唱大好き人間としては,これの原画について知るべき
市場があるR.Poncelet(ポンスレ通り)に向かってR.desTrenes(テルヌ通り)を行くこと数分。前にも来た『NAFNAF(ナフナフ)』が見えて来ました。このお店の脇からポンスレ市場が始まっているんですが・・・ちょっとリサーチ。と称して、何かいい感じの服ないかな~と、少し調子に乗ってます。手前に『ロクシタン』通りの向こうに『GAP』。ここも70%引きあら、『eram(エラム)』。日本未上陸らしいけどパリでは良く見掛けるお店ですやっぱりソルド中これ、可愛い
アラビアンアートホテルにコスプレイヤーの皆さんが遊びに来て下さいました皆さんのお衣装姿とっても素敵ですアルスラーン戦記のアルスラーンさんダリューンさんナルサスさんエラムさんコスプレイヤーさんの衣装やメイクを見るのが大好きです皆さんとっても素敵〜〜〜アラビアンアートでのひとときをお楽しみ下さりありがとうございましたWelcometoArabianarthotel!!Wewereveryhappytoseeyou.Wehopecomeb
みんな元気ですか旅は西へと・・・話は飛びますが・・・ペルシャ湾に沿ってイラン側に古王国エラムがありました。(ウィキペディアより)(古代エラム王国)エラムの人々は自らをハルタミと呼んでいました。漢字で書けば「玻流の民」つまり遥かに長い道のりを超えて来た流浪の民と言う意味に解釈することが出来ます。確証はありません。もう一つ別の意味に解釈する事が出来ます。ハルの民とは「バール神」に使える民という意味だったかもしれません
【闇思想諸々】★歴史学No.48✳️新アッシリア帝国BC934年ーBC609年アッシリアが全オリエント世界を支配する初の帝国を打ち立てるのがこの時代である。アッシュール・ダン2世・アダド・ニラリ2世等によって中アッシリア時代後期の混乱が収められた後、アッシリアの王達は盛んに遠征を行い、次々と領土を拡大していた。いわゆるアッシリア帝国と呼ばれる時代に入るのはティグラト・ピレセル3世の時代である。アッシリアはこの帝国を維持するために各種の方策を講じた。
完結しましたね〜。エラム〜(>_<)主人亡き後50年その人生共感出来る年齢になりました。学生の頃に夢中で読んだ。朝早く起きて夜明けのまだ暗い空を見上げてアルスラーンの瞳の色はこんな感じかしら?!なんてやってた時期もあったし、ペルシアとかアラブとかイスタンブールとかあちらの文化勉強してみたりとか。あれから30年以上か、、、田中先生、完結、ありがとうございます!人の欲深さ業の深さ。しかし、驚いたのはアルスラーンの在位期間の短さ!!まさかの10代で人生終了とは。家族愛とか夫婦愛に
こんにちは、kaoriです。イラン旅行記続きます!本日は、灼熱地獄の中でのアフワーズ観光になります。行き先は古代メソポタミアの遺跡、チョガー・ザンビール。油田調査で偶然発見されたされた階段ピラミッド。遺跡入り口。それらしいものが見えてきました!遠くにジグラッドが見えます!ここは、紀元前7世紀に滅びたエラム王国の宗教上の都であったと言われている場所。