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叱らないで青山ミチ叱らないで叱らないでマリア様1960年代の忘れられない歌手青山ミチ特にこの歌が浮かびます「叱らないで」叱らないで昭和43年(1968年)作詞・星野哲郎作曲・小杉仁三♪あの娘がこんなになったのはあの娘ばかりの罪じゃないどうぞあの娘を叱らないで女ひとりで生きてきたひとにゃ話せぬ傷もある叱らないで叱らないでマリヤサマ歌はこちらでyoutu.be/kzxLQDLqBNg?si=Pq3IrFb_RW_XzdaW
きょうは、安西マリアの「涙の太陽」です👏👏👏↑1973年にリリースされた「涙の太陽」。安西マリアのデビュー曲です。際どい長さの衣装がイカシてます(笑)。↑私と同じ昭和28年の生まれ。趣味は、とっても高尚でシブイです(爆。「涙の太陽」は、1965年にエミー・ジャクソンさん。同じく青山ミチさんがリリースしています。都合のいい画像を見つけたのでお借りしました。↓どういうわけか青山ミチver.エミー・ジャクソンver.共に聞き覚えがありません。オリジナル
安西マリアさんの「涙の太陽」を載せようと思った。動画を探している時、この歌に「もと歌」がある事を知った。本家本元はこの人。「エミー・ジャクソン」さん。1965年4月に発売「涙の太陽」エミー・ジャクソンお借りしました。同じ年の5月に「青山ミチ」さんもこの曲を出し、「涙の太陽」は「エミージャクソン」と「青山ミチ」の競作となった。「涙の太陽」青山ミチ1965年5月その後、1973年に安西マリアさんが歌って、大ヒット。
エミー・ジャクソンさんエミー・ジャクソン本名:エミー・イートン日本名・深津エミ1945年7月2日生まれ、80歳。イギリスエセックス州ランスフォード生まれの元アイドル歌手。湯川れい子に見出され、1965年4月20日、「涙の太陽」(CryinginaStorm)でデビュー。作詞:R.H.Rivers(「湯川」を「ホット・リバース」に直訳した「レイコ・ホット・リバース」の略)作曲:中島安敏涙の太陽(MEG-CD)エミー・ジャクソンオリジナル盤発売日:
=今日も懐メロ昭和歌謡=昭和48年安西マリア涙の太陽ギラギラ太陽が燃えるようにはげしく火を吹いて恋する心知っているのに知らんふり作詞:湯川れい子作曲:中島安敏最初に歌ったのは、昭和40年エミー・ジャクソン洋楽レーベルで発売したとか湯川れい子も、R.H.Rivers名義青山ミチも同時期に発売どちらもヒットとなり、代表曲となったのでした。そして、安西マリアがカバー右手ヒラヒラのアクション灼熱の恋人と呼ばれたエキゾチック容貌もあり、
僕がカラオケで歌っている曲を紹介します(^^♪僕は英語は無理(笑)日本語カバーで\(^o^)/エミー・ジャクソンさん『涙の太陽』(1965年04月20日)(昭和40年)作詞:R.H.Rivers(湯川れい子)作曲:中島安敏編曲:中島安敏英語は無理です(爆)♪Takeme.takeme.♪♪takemyheartandall♪♪Iwasborntobeyours♪♪Loveme.loveme.♪♪getmeholdmeti
昨日の続きです。ブルー・クリスマス/ママがサンタにキッスしたエミー・ジャクソン日本コロンビア/CBSLL-842-JC1965年リリースのエミー・ジャクソンのクリスマスソング。バックはブルコメ。B面はこっちもスタンダード。ジューシー・フルーツもカヴァーしてたな。フロム・サンタクロース・ヴィレッジ/CAN'TTAKEMYEYESOFFOFYOU(『君の瞳に恋してる』)東芝EMIPRT-1236少女隊が1987年に12インチシングルでリリースしたクリスマス
”涙の太陽”がヒットして一躍人気シンガーの仲間入りした彼女の4枚目のシングルでした(作詞:中島安敏,訳詞:なかにし礼,作・編曲:中島安敏)演奏は今回もジャッキー吉川とブルー・コメッツ(1966年2月発売)エミー・ジャクソンの♪涙のゴー・ゴーを聴いてください。
涙の太陽/田中美奈子徳間/ジャパンPS-197田中美奈子のデビューシングル。レコードはブロモ盤だけで、市販されたのはCDとカセットテープのシングル。エミー・ジャクソンから安西マリアのカヴァー。エレキ歌謡の傑作。この人、徳光某とバスに乗ってる人かと思ったら違ってました。お粗末。
舞い降りた天使(アイドル)たちPART.29小川ローザ/エミー・ジャクソン/ベイ・ビーツ麻里圭子/真咲みどり/篠ヒロコ/津々井まり/児島洋子青春の真っ只中、舞い降りた天使(アイドル)たちの歌声に出会いました。大量に購入していたレコードも東京から宮崎へ帰郷する際にほとんど処分してきたのですが、手もとに残っている物を懐かしく聴きながら整理しています。少しづつ紹介していきます。時代はアイドルと共に、アイドルは記憶の中に・・・・。ターンテーブルのレコードから心躍った当時がよみがえ
皆様おはようございます。菅井隆行です。正直いうと涙の太陽はカバー曲が多いなか、やっぱりエミー・ジャクソンのオリジナルが印象的です。日本語のイメージが強いけど英語なんだよなあ。何かの番組でエミー・ジャクソンが日本語で歌っていたのを思い出す。1960年代、70年代の曲で試しに旭営業所のいすず中型車を選んで見る。
特定の曲が無性に聞きたくなるという事がよくある。だいたい'70年代の曲が主だけど。今回は、そんな曲の一つ"涙の太陽"安西マリアそもそもは、1965年に発売されたEmyJacksonのデビュー曲というとアメリカから渡ってきたと思われるが。このEmyJackson、湯川れい子が発掘したそうで"涙の太陽"も湯川れい子の作詞作詞でR.H.RiversってのはR→れい子、H.Rivers→ホットリバー→湯川だと(笑)ググってみると、このEm
涙の太陽/エミー・ジャクソン日本コロムビア/CBSLL-742-JC自社広告、『メリー・ポピンズ』の『チム・チム・チェリー』だってw65年4月リリースって、俺一歳じゃん。当時CBSは日コロが配給してたんだな。その頃の内袋。湯川れい子作詞中島安敏作曲。当時は専属作家制度とやらで他社での仕事はNGらしく、湯川さんは『レイコ・ホット・リバー』クレジットしてたんだと。1973年安西マリアのカヴァーで正式に本名でクレジットされた。
昨日未明の出来事でした。新しく出来た団地の駐輪場に自転車を止めようとした折り,ふと右隣りを見ますと,組み立て済の段ボール箱が5箱ほど置かれており,その全てに,異なる色柄の猫が,それぞれ入っているのを発見ばしました。そして,わたくしの目がすぐに釘付けになったのは,それら5匹の中の1匹である三毛猫であったことは言うまでもありませぬ。その三毛猫は,あり得ないこと鴨しれませんが,30年ほど前に生き別れとなった三毛猫(カギしっぽ)その御方にそっくりだったのだす。あまりの嬉しさに,その三毛猫の
一人GSの定義については、こちらに書いています。『B級GS(グループサウンズ)名曲集③~「一人GS」(前編)ジュディ・オング、黛ジュン、泉アキ他』GSの栄枯盛衰や定義などについては、こちらに書いています。『B級GS(グループサウンズ)名曲集①ダイナマイッ、モップス、スケルトンズ他』1960年代後半に起…ameblo.jpエミー・ジャクソン&スマッシュメン「涙の太陽」(1965)デビュー曲で大ヒットした「涙の太陽」の発売は1965年なので、GSに影響を受けたのではなく、逆に影
今日もギラギラと太陽が照ってとても暑い日でしたね。全国各地で最高気温が出たようです。そんな中、今日は朝から我が愛車(ホンダフリード)の1回目の車検のため行きつけの車屋さんに行ってきました。およそ4時間で車検が終了その間、近くのデパート内の食堂でラーメンを食べて帰宅帰宅後、早速録音を開始今日録音したのは「涙の太陽」です。この曲はエミー・ジャクソンさんが1965年4月20日に作詞:R.H.Rivers(湯川れい子)、作曲・編曲:中島安敏で発売されました。同時期に日本語バ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーコンパクト盤レコードシングルレコードのサイズ(17cm=7インチ)で、1分間の回転数がLP盤と同じ33回転(331/3rpm)のレコードーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー涙の太陽歌エミー・ジャクソン1945年7月2日生まれイギリス系の血をひくシンガーです歌に興味をもちはじめたのは5~6歳の頃、やがて14~5歳のエミーは、ギターを弾き、ピアノを叩き、学友とバンドを結成しま
高校を中退し名古屋市内で「伊藤シスターズ」名義で歌っていた双子の姉妹デュオを渡辺プロダクションの渡辺晋がスカウトしたのは1958年のことだった。姉は、伊藤エミ(本名:澤田日出代(さわだひでよ)[旧姓、伊藤]/1941年4月1日~2012年6月15日)。妹は、伊藤ユミ(本名:伊藤月子(いとうつきこ)/1941年4月1日~2016年5月18日)。上京した二人は渡辺の自宅で下宿をしながら宮川泰に師事したが、デビューに向けて彼女たちに付けられたグループ名が、ザ・ピーナッツである。
東京ガラパゴスのYouTubeにな、何と私のコーナーを復活させていただきました!先ずは第1弾は超貴重なえいぞうを!但し55分近い長い映像なのでチャンネル登録をして時間のある時にどうぞ!これは1989年に行われた横浜博で私がプロデュースしたイベント『ゼブラクラブ』昔横浜にあったライブハウスのイメージの再現。70歳以上の方には涙モノ・・・出演者が凄い!横浜在住の元祖『涙の太陽』のエミー・ジャクソン、ゴールデンカップスのエディ・幡、ゴダイゴのミッキー吉野、ザ・カーナビーツのア
少し気分落ち着いた?どうだろ?自分でもよく分からない全てが面倒くさいって思ってるの良くない傾向だな頭の中一回クリアにして何も考えないようにしてみるか現実逃避?以前によく聴いてたこんな曲こんな今いいかもなサンディー&ザ・サンセッツ「CIPHER(AN-GO)」「涙の太陽」エミー・ジャクソンのデビュー曲後に安西マリアのカバーでもヒットサンディー&ザ・サンセッツによるカバー「涙の太陽」この曲とのカップリングでシングル・リリースアルバム『OneLove』に収録され
EmyJackson-CryingInAStormエミー・ジャクソン-涙の太陽エミー・ジャクソン(1945年7月2日生まれ)さんは日本の元アイドル歌手。本名エミー・イートン。日本名・深津エミ。イギリスエセックス州ランスフォード生まれ。父方の祖父がイギリス人という。1964年に当時はラジオ関東のDJ番組のアシスタントをつとめていた時に、湯川れい子に見いだされ、翌65年に日本コロムビア(CBSレーベル)より「涙の太陽」でデビュー。主に海外のポップスのカヴァーを中心に出して
幼い頃、このエミー・ジャクソンやフランツ・フリーデルをテレビで見ていて「この人たちはガイジンなのにどうして日本のテレビに出ているんだろう?」と不思議に思っていた。ロイ・ジェームスやジョージ・ルイカーやE.H.エリックのような人たちは流暢に日本語を喋るので「テレビに出る人」として違和感はなかったけれど、歌い手さんのようなスターは別で、まあ、謎の人たちだった。安西マリアは同じ小学校で、姉と同学年だった。記憶も記録も残っていないが、ある時期に場所と時間を共有していたことは間違いない♪
今晩は、今日は孫娘を連れて温泉のプールに泳ぎに行きました子供には勝てない「疲れを知らない」2時間ぐらい遊んで、お風呂に入り食事をして帰ってきました。明日は昼まで寝ていると思います。そうです明日から夜勤です。さて今日は「オールディーズ」を「エミー・ジャクソン」で『涙の太陽』「エミー・ジャクソン」は(1945年7月2日-)日本の元アイドル歌手。本名エミー・イートン。日本名・深津エミ。イギリスエセックス州ランスフォード生まれ。父方の祖
南大阪のインド料理なら、にゃんたブログへ---------------------------------ん?安西マリアさんの歌…あ、これがオリジナルなんだ1965年(昭和40年)かぁ。エミーさんは、父方のおじいさんがイギリス人だって。湯川れい子さんに見いだされ、この曲でデビューって、湯川さん、いくつなのΣ(゚д゚;)作詞:R.H.Rivers(湯川れい子)作曲:中島安敏エミー・ジャクソン『涙の太陽』2分31秒【堺市西区イトーヨーカドー津久野店スパ
今晩は、リオ五輪日本はメダルラッシュで暑いです日本も暑い、帰りにメダカ用のすだれを買ってきました水槽が増えたのでその分足りなかった、馬鹿だね~今日も1時間以上歩いてきたけど、体重計に乗りたくないな、女の人の気持ち分かるな~今日の「昭和の歌謡曲」は「安西マリア」『涙の太陽』『涙の太陽』(CryinginaStorm)は、1965年4月20日に発売されたエミー・ジャクソンのデビュー曲である。彼女の代表曲となり、多くの歌手にカバーされた。作詞:
独断と偏見で選ぶオールディーズファンが選ぶ次世代に残したい曲(File#53)本日はエミー・ジャクソンの曲をピックアップ^^1.エミー・ジャクソン-涙の太陽(推薦・コメント:だんさん)和製洋楽と言うべきか歌謡ポップスと言うべきか、当時のトレンドであるエレキ・サウンドを採り入れつつ、歌謡曲を思わせるバック・コーラスを配するなど、国籍不明な雰囲気を醸し出す珍曲。「夢見るマイ・ボーイ」も含めて、今も海外コレクターのマスト・アイテムであり続ける。EmyJackson-Cryi
涙の太陽安西マリア霧のかなたに黛ジュン安西マリアは東京都出身、「涙の太陽」はデビュー曲1973年(昭和48年)でした。50万枚の大ヒットとなり、日本レコード大賞新人賞を獲得しています。そういった記録的なこと以上に、安西マリアのセクシーさに参りましたね~ギラギラ太陽が燃えるようにはげしく火を吹いて恋するこころ知っているのに知らんふりいつもつめたいあの瞳なぜなぜなのゆらゆら太陽は涙ににじむ「涙の太陽」安西マリアhttp://www.youtube.com/w
エミー・ジャクソン(ホームページ)1965年のヒット曲。サーフサウンドって事で、夏特集に仲間入り。この曲もとにかくいろんな人たちにカヴァーされてるんですね。本人もまだまだいろんなところで、ライブ活動を行っているようです。CDもリリースされたんですね♪夏のイベントで、急遽演奏することが決まった曲でしてこれまた、急いで譜面書きましたです。それ以来、ぜんぜん演奏しませんでした。女性ボーカルの方々は、日本語で歌ったり、英語で歌ったりで、大変で
『涙の太陽』青山ミチエミー・ジャクソン安西マリア1月22日音楽評論家湯川れい子さんの誕生日です。昭和30年代からジャズ評論家として活躍し、洋楽全体の評論や、ラジオのDJ、作詞も手掛けられています。湯川れい子さんの初期の代表作は、『涙の太陽』でしょうか青山ミチエミー・ジャクソン安西マリアいずれもヒット♪ギラギラ太陽が燃えるように激しく火をふいて恋する心知っているのに知らんふりいつもつめたいあの瞳なぜなぜなのゆらゆら太陽は涙ににじむ