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1989年から1991年にかけてF1に37戦出走し、ル・マン24時間レースでは5度の優勝経験を持つエマニュエル・ピロが、第81回グッドウッド・メンバーズ・ミーティングで2輪レースデビューを飾った。最近マクラーレン・レーシングの若手ドライバープログラムのマネジメントから離れ、現在62歳になったピロ。彼はフォーミュラ750バイクと1983年までの250ccと350ccの2ストロークグランプリバイクでグリッドが構成されるヘイルウッド・トロフィーにヤマハTZ250で出走した。ピロは予選を34台中
ル・マン24時間レースで5度の優勝経験を持ち、元F1レーサーのエマニュエル・ピロが、マクラーレンF1チームの若手ドライバープログラムを管理する役割をわずか1年で退任した。マクラーレンのドライバー育成プログラムは、カートレベルのドライバーをより適切にサポートし、F1へのステップアップを促進するために2023年の初めに全面的に見直された。マクラーレンのインディカードライバーであるパト・オワードとF1リザーブの平川亮に加え、チームは2023年のFIAF3チャンピオンであるガブリエル・ボルトレ
前回は1990年のスクーデリア・イタリアチームのマシン、F190を作りました。今回は…スクーデリア・イタリアが続いているので順番的には翌年のF191なのですが、自分が知る限りでは1/43スケールのキット、完成品モデルは発売されてなく、1/20か1/24のガレージキットが発売されていたと思います。この年からエンジンを、フォードコスワースV8からジャッドV10に変更。新加入のJ.J.レートが3位で入賞し表彰台に上がった第3戦サンマリノが、91年スクーデリア・イタリアのハイライトでしたね✨とい
かなり深い時間の更新になりましたが…F190完成しました、1990年のスクーデリア・イタリアチームのマシンです。フットワークチームに移籍したアレックス・カフィに代わり、ベネトンチームからエマニュエル・ピロが新たに加入。他チームより比較的早く新車を完成させ、テストを重ね90年シーズンを戦いましたが…F190はトラブルが多く、リタイアの連続。ピロは14戦中、完走3回。アンドレア・デ・チェザリスは15戦中、完走2回と信頼性の低さに泣かされました。車によっては成績がいまいちでも印象に残るシーン
昨日から梅雨の晴れ間、このチャンスを逃さんとばかりにボディなどにクリアーがけをしています。そのF190はドライバーフィギュアの塗装をしました。相変わらず手描きですが…ピロとわかると思うので、これで良しと。エマニュエル・ピロは1989年、F1デビュー前に負った怪我の影響で調子が上がらないジョニー・ハーバートに代わり、シーズン途中にベネトンチームからデビュー。それまでは国際F3000、全日本F3000などに参戦しながら、マクラーレンチームのテストドライバーを務めていました。最強マシンと言わ
4人の元F1ドライバーが、マックス・フェルスタッペン(レッドブル)は現時点における最強ドライバーであるだけでなく、おそらく、F1史上最高レベルのドライバーだろうと考えている。■「フェルスタッペンはセナと同じレベル」・・・エマニュエル・ピロまず、現在はFIAのレーススチュワードを務めることも多いエマニュエル・ピロは、フェルスタッペンはアイルトン・セナ、ミハエル・シューマッハ、ルイス・ハミルトン(メルセデス)らと同じレベルに達していると思うかと尋ねられると、母国イタリアの『LaGazz
イタリア出身の元F1ドライバーであるエマニュエル・ピロが、フェラーリと新チーム代表のフレデリック・バスールは、イタリアの名門F1チームに「革命」をもたらしたいという衝動を抑える必要があると主張した。2022年シーズン序盤には、ついにF1タイトル獲得に挑戦できるマシンを持ち込んだと考えられていたフェラーリ。だが、シーズンが進むにつれ、マシンの信頼性問題やチームの戦略ミスなどにより勢いを失ってしまい、最終的にはレッドブルのマックス・フェルスタッペンが大差をつけて2年連続F1チャンピオンとなって
2021年のF1開幕戦バーレーンGPでF1競技委員を務めたエマニュエル・ピロが、もしもマックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ)がルイス・ハミルトン(メルセデス)を前に出すことを拒んでいたら、先週末のレースで勝者になっていたかもしれないと示唆した。ハミルトンの勝利で終わったバーレーンGP決勝だが、レース後に大きな論争を巻き起こしているのが“トラックリミット問題”だ。近年のF1ではこのトラックリミットが厳密に運用されており、サーキットごとに指定のエリアにおいて基準よりも大きくマシ
ベネトンマシンの美しさに魅かれ、前年にナニーニ選手を間近で目撃して「カッコイイ!」と好きになり(ジェームス・ハント選手もそうだがイケメンドライバーに弱い)、ベネトンチームを応援していた。1989年F1日本GPはベネトンのブルゾンを着て応援旗を作って観戦に行った。レース観戦でレギュラー服になったベネトンのブルゾンは、発売前から予約注文していたが′88年日本GP観戦にギリギリ間に合わなかった(鈴鹿から帰ったら届いていた)。ドルフィンが来ているのは初期の光沢あるサテン生地(?)だが、
ル・マン24時間レースを主催するACOフランス西部自動車クラブは、9月19〜20日に決勝が行なわれる第88回ル・マン24時間レースのグランドマーシャルに、エマニュエル・ピロを起用すると発表した。過去2000年、01年、02年、06年、07年とル・マン24時間を5回制覇したイタリア人のピロは、昨年グランドマーシャルを務めたハーレイ・ヘイウッドからその役目を引き継ぐことになる。2020年はピロの最初の勝利から20年という記念すべき年となる。ピロはル・マンにおけるすべての勝利を、アウデ
鈴鹿サーキットでの開催2年目の1988年のF1日本GP。それまで210ミリズームレンズしか持っていなかったが、300ミリ望遠を日本GPの時だけ知り合いから借りることができた。前年よりはアップで撮影できたが、初めて使ったので明るさが取れず、シャッター速度優先で撮影したので写真が暗くなってしまったものが多い。ところが、現在再プリントしてみるとネガ退色が進んで割りと❝ちょうどいい❞感じになっているのだ(笑)。11位:ミケーレ・アルボレート選手/フェラーリF187/88’88年も含め
ポール・トゥ・ウインの星野一義選手/CABINローラT88/無限1989年全日本F3000開幕戦・鈴鹿BIG2&4レース。名古屋に就職していた友人の86トレノに乗せてもらって一緒に観戦に行ったのはいつだったか…。決勝日の朝、鈴鹿サーキットの駐車場入り口近くは渋滞していた。するといきなり後ろで激しいクラッシュ音。バラバラと86の後部に何かが当たる響きと振動があった。慌てて降りて見てみると、すぐ後ろで右折車と直進車がぶつかって両車はフロント部が大破。パーツが飛び散って当たって来たのだ
新型コロナウイルスCOVID-19のパンデミックにより、世界中のあらゆるスポーツイベントが中止を余儀なくされている。F1もその例に漏れず、ここまでに開幕戦から第9戦までの延期あるいは中止がすでに確定している。だが第10戦フランスGP(6月28日決勝)の主催者も、現在は延期も含めた「全てのシナリオ」を検討しているところだと認めている。さらにシルバーストン・サーキットで開催が予定されている第12戦イギリスGP(7月19日決勝)も現実的には開催不可能だろうと考えられている。元F
ハースのF1チーム代表ギュンター・シュタイナーは、F1ロシアGPでスチュワードを批判したことにより、最悪の場合、数レースでのパドックへの出入り禁止を命じられる可能性があると報じられている。F1ロシアGPではケビン・マグヌッセンのコースの合流方法に対して5秒加算ペナルティが科せられ、マグヌッセンは8位から9位に降格した。レース直後のインラップでギュンター・シュタイナーは「馬鹿げた愚かなスチュワードがいなければ8位だった」と無線でケビン・マグヌッセンに伝えた。レーススチュワードを務めていたエマ
第7戦カナダGPでセバスチャン・ベッテル(フェラーリ)にペナティを科し、結果的にフェラーリから今シーズン初優勝を奪ったことで批判が集まったレーススチュワード(競技審査委員)のひとりだったエマニュエル・ピロが、第8戦フランスGPに来ていた。フランスGPのドライバー出身枠レーススチュワードは、フランス出身の元F1ドライバーで、1987年から1994年までグランプリを戦い、昨年のフランスGPでもレーススチュワードを担当したヤニック・ダルマスが就いた。なぜ、ピロがフランスGPに来ていたの
F1カナダGPでスチュワードを務めたエマニュエル・ピロは、ナイジェル・マンセルやマリオ・アンドレティを含む元同僚のドライバーからの批判に悩まされていると認める。F1カナダGPでセバスチャン・ベッテルの勝利を奪うことになった5秒加算ペナルティには批判的な意見が集まっており、フェラーリは裁定について正式に異議申し立てを進める準備を進めている。元F1ワールドチャンピオンのナイジェル・マンセルは「馬鹿げた5秒ペナルティだ。セブはウォールにヒットしないようにうまくやった。芝生にグリップはない!コー