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『月刊浅草』(東京宣商出版部)2025年8月号より、白黒見開き2ページでスタートした、私、西条昇による連載『浅草喜劇人銘々伝』。2026年8月号の13回目は、〈第一次「プペ・ダンサント」〉篇①と題し、昭和5年11月1日に浅草・玉木座で清水金太郎・静子夫妻らの旧浅草オペラのスター組、淡谷のり子らの声楽組、岡田嘉子一座出身のシーク座組とエノケン一派の四派混成で「プペ・ダンサント」が旗揚げされ、菊田一夫が正式デビュー作『阿呆疑士迷々伝』や『矮漢ジゴマ』『西遊記』の大当たりでアチャラカ作家として地位を
『月刊浅草』(東京宣商出版部)2026年7月号では、私、西条昇による白黒見開き2ページの連載『浅草喜劇人銘々伝』の12回目と併せて、カラー1ページの『西条昇の浅草喜劇コレクション』では「新カジノ・フォーリー」篇として、昭和5年8月24日からの観音劇場での新カジノ第2回公演プログラム、最終公演となった10月3日からの第6回公演プログラム、11月23日からの大須・寳生座でのエノケン一派による新カジノ公演プログラム、10月26日からの中村是好ら三人が中心の一派による湊川新開地・相生座での新カジノ公演プ
昨日から、全国的に梅雨による大雨になっているようですが、梅雨のない北海道は今日も爽やかな青空が広がっています🌞
エノケン…といっても、令和の現代では知らない若者は多いと思う。エノケンこと、榎本健一。1904年生まれ、1970年65歳で没。第二次世界大戦前後の頃に大活躍したコメディアンで、日本の喜劇王と呼ばれたレジェンド。舞台、映画だけでなく、歌手としても大活躍した人物だ。洋楽ジャズ(ポピュラーソング)を独自のキャラに合わせた歌詞をつけてカバーし、何曲もヒットを飛ばした。今となっては古い人物なので、若い人が知らないのは仕方ない。でも今回取り上げる「洒落男」は、たまにCMなどにも使用されることが
榎本健一「エノケン」の愛称で広く親しまれ、昭和初期から中期にかけて圧倒的な人気を誇った喜劇王・榎本健一。彼は、日本のモダン都市文化の開花とともに現れ、舞台、映画、ラジオを通じて戦前・戦後の日本人に笑いと活力を与え続けた不世出のエンターテイナーである。榎本は明治37年(1904)、東京市赤坂区青山(現在の港区青山)に生まれる。幼少期から風変わりで目立ちたがり屋だった彼は、大正時代に一世を風靡した「浅草オペラ」に魅了され、大正8年(1919)に「根岸歌劇団」のスター歌手である柳田貞一に弟
黒澤明監督による日本の時代劇映画。出演は大河内傳次郎、藤田進、榎本健一。<あらすじ>勧進帳を題材に義経と弁慶の安宅の関所越えを描いた黒澤明初の時代劇。<雑感>勧進帳の話なのであらすじは割愛。白紙の勧進帳を1度もミスすることなく朗々と読み上げ、いまにも身体に縄をかけようとする役人をまんまと出し抜いて関所を通る部分だけの作品。弁慶役の大河内傳次郎のしゃちほこ張った演技と、緊張感を表情で表現する榎本健一の対比が演出のポイントになっている。平安末期の物語で江戸時代に歌舞伎で様式が
『月刊浅草』(東京宣商出版部)2026年5月号では、私、西条昇による白黒見開き2ページの連載『浅草喜劇人銘々伝』の10回目と併せて、カラー1ページの『西条昇の浅草喜劇コレクション』では第三次「カジノ・フォーリー」篇①として、エノケンの第二次カジノ脱退以降の第27回、第33回、第35回、第52回公演とクッペルホリゾント設置の改修工事中に行われた地方公演のプログラム、文芸部の島村龍三が編集兼発行人となり川端康成や武田麟太郎らが寄稿した冊子『Casino1』など、私の所蔵資料6点を掲載しています。
『月刊浅草』(東京宣商出版部)2025年8月号より、白黒見開き2ページでスタートした、私、西条昇による連載『浅草喜劇人銘々伝』。2026年5月号の10回目は、〈第三次「カジノ・フォーリー」〉篇①と題し、昭和5年8月に第二次カジノを脱退したエノケンが旗揚げした新カジノ・フォーリーとの興行合戦や、エノケン中心のドタバタ調レヴュー喜劇から文芸部が主導する新劇寄りで文芸志向の〈作家の喜劇〉に路線変更していく流れについて書いています。また、本文と連動させてカラー1ページでは『西条昇の浅草喜劇コレク
こちらは私の祖父です!正確には私の祖父の形見です。祖父は私が2歳くらいの時に亡くなっています。祖父と祖母は母が小学生の時に離婚しています。※曽祖母未婚、祖父母、父母、自分が離婚と、何か縁を感じずにはいられません。母と叔母は多忙な祖母の代わりに祖父の母に育てられました。母達は祖母から祖父について良い話しを聞いてなかったらしく、父親に良い思い出が無かったそうです。母はそんな若い頃を過ごしたせいで、私が産まれて会いに来ていた祖父にそっけない態度で接していたそうです。その結果祖父の写真は
爆笑!コマ名物のお笑い合戦‼――。昭和38(1963)年4月、新宿コマ劇場恒例の喜劇人まつり(5月3~29日)の新聞広告。大御所のエノケン(榎本健一)と柳家金語楼以外は全員、顔写真にラストネームのみ表記という不親切ぶり。この時代の広告はこういうのが多い。推測も込みで出演陣を上段右側から列挙していくと、森川信、コロムビア・トップ、コロムビア・ライト、茶川一郎、柳沢真一、谷幹一。下段右側から人見きよし、山下敬二郎、泉和助、楠トシエ、三原葉子、若水ヤエ子ということになるのだろ
『月刊浅草』(東京宣商出版部)2026年4月号では、私、西条昇による白黒見開き2ページの連載『浅草喜劇人銘々伝』の9回目と併せて、カラー1ページの『西条昇の浅草喜劇コレクション』では第二次「カジノ・フォーリー」篇②として、昭和5年の第19回、第20回、第24回、第25回、第26回の第二次カジノの公演プログラム、第23回の公演チラシなど、私の所蔵資料6点を掲載しています。
『月刊浅草』(東京宣商出版部)2025年8月号より、白黒見開き2ページでスタートした、私、西条昇による連載『浅草喜劇人銘々伝』。2026年4月号の9回目は、〈第二次「カジノ・フォーリー」〉篇②と題し、昭和4年12月に川端康成の朝日新聞連載小説『浅草紅団』で取り上げられたこととズロース事件の影響で急激に人気を博した第二次カジノから翌5年8月に座長格のエノケンが脱退するまでについて書いています。また、本文と連動させてカラー1ページでは『西条昇の浅草喜劇コレクション』と題し、関連する所蔵資料6
近頃はTV見ないからいわゆるCMを見る事は少なくなっていた。しかーし、、YouTubeやblogに、やたらとCMが挟まって来た‼️先日YouTubeみていたら⁉️[クレカ乗車]のCM🎵気になる。なんで⁉️108年前の曲が流れて来た???東京節1918年(大正7年)歌手榎本健一[エノケン]作詞添田さつき作曲ジョージア行進曲東京節またの名は[パイのパイのパイ]🎵東京は中枢は丸の内、、ラメチャンたらギッチョンチョンでパイの
『月刊浅草』(東京宣商出版部)2026年3月号では、私、西条昇による白黒見開き2ページの連載『浅草喜劇人銘々伝』の8回目と併せて、カラー1ページの『西条昇の浅草喜劇コレクション』では第二次「カジノ・フォーリー」篇①として、昭和4年の第3回公演と第6回、翌5年の第15回、第18回の公演プログラム、第14回の公演チラシ、第二次カジノが取り上げられた川端康成『浅草紅団』の単行本など、私の所蔵資料6点を掲載しています。
『月刊浅草』(東京宣商出版部)2025年8月号より、白黒見開き2ページでスタートした、私、西条昇による連載『浅草喜劇人銘々伝』。2026年3月号の8回目は、〈第二次「カジノ・フォーリー」〉篇①と題し、第一次カジノ解散後にエノケンを座長格として昭和4年10月28日に再スタートを切り、12月に川端康成の朝日新聞連載小説『浅草紅団』で取り上げられたことで人気を博した第二次カジノについて書いています。また、本文と連動させてカラー1ページでは『西条昇の浅草喜劇コレクション』と題し、関連する所蔵資料
私、西条昇が講師を務める大和市桜丘学習センターでの5回連続講座『ニッポン!昭和のお笑い芸能史~昭和のお笑いは、時代を映す鏡だったのか~』が本日2/19より始まりました。1回めの今日はエノケン、ロッパ、金語楼、エンタツ・アチャコなど戦前の喜劇王、爆笑王についてお話ししました。
大阪郊外の小さな寺町に限りない隣人愛を描く上方人情ドラマ――。昭和39(1964)年2月8日(土曜)、スター劇場(日本テレビ)『冬晴れ』の番宣広告。東のエノケン(榎本健一=当時59歳)と西の渋谷天外(当時57歳)、藤山寛美(当時34歳)がドラマで共演するという、まさしく“スター”劇場だ。当時の番組紹介記事を読むと、エノケンと渋谷天外の共演はこの時が2回目。この上方人情ドラマの脚本を担当した館直志とは渋谷天外のペンネームなのだそうだ。
「神戸ニニンガ日誌」(第3,577号)【金曜日は過去の号を再録します】○映画「インディ・ジョーンズ失われたアーク」の舞台設定年度は1936年だという。日本では昭和11年。戦前から戦中に入ろうかという時期だ。○ルーカスやスピルバーグがこの時代を選んだのにはやはり意味がある。無線はあってもパソコンはない。飛行機はあってもジェット機はない。鉄砲はあってもミサイルはない。そして鉄道も自動車もある。冒険活劇を描く年代設定にはぴったりの時代であった。主人公はあくまでもタフでちょっとやそっとでは
フリーパー大上こうじ高市早苗?!早苗の右手めだちけん一エノケンに似てる健康漫談ケンコウ奉仕花島けいこ山岡久乃に似てる
『月刊浅草』(東京宣商出版部)2026年2月号では、私、西条昇による白黒見開き2ページの連載『浅草喜劇人銘々伝』の7回目と併せて、カラー1ページの『西条昇の浅草喜劇コレクション』で第一次「カジノ・フォーリー」篇として、昭和4年7月の第2回公演と8月の第4回公演のプログラム、劇団名の由来となったパリのレヴュー劇場「カジノ・ド・パリ」と「フォリー・ベルジェール」のプログラム、電気館レヴューと第一次カジノの幕内主任・東五郎の半生を描いた「奈落と花道」など、私の所蔵資料5点を掲載しています。
す『月刊浅草』(東京宣商出版部)2025年8月号より、白黒見開き2ページでスタートした、私、西条昇による連載『浅草喜劇人銘々伝』。2026年2月号の7回目は、〈第一次「カジノ・フォーリー」〉篇と題し、昭和4年7月10日に浅草・水族館の二階の余興場で日本最初のレヴュー劇場として旗揚げされ、助っ人のエノケンが活躍するも2ヶ月で解散した第一次カジノについて書いています。また、本文と連動させてカラー1ページでは『西条昇の浅草喜劇コレクション』と題し、関連する所蔵資料5点を掲載しています。
「テミスの不確かな法廷」楽しみ過ぎて裏切りなく楽しませてくれる法廷ドラマ好きにはたまらんですもうマツケンさすがですエノケンもさすがです現実にも裁判はある人はウソをつくそんな中裁判は行われ判決が下る人が人を裁く真実や事実も人によって捻じ曲げられるそんな世の中で人は生きている
喜劇王飯田一雄ポーズ大山康晴十五世名人にも流用させていただきましたこの元のポーズはエノケンですそれも山藤章二先生が描いた作品よりですオマージュです私の辞書にパクリという文字はないっす
久しぶりに、告知✨みんなに見てもらいたいな〜♪もしも、エノケンの人生がもうちょい幸せだったら昭和の喜劇王と言われたエノケンこと榎本健一。息子を失い、右足を失い、晩年は禍続きであったその人生にちょっぴり幸せのエッセンスを。人情味あふれる笑いと涙のドラマ。実は、声優・ナレーターとして「和奏」名義でひっそりと活動してますw今回は笠置シズ子役でした♡ブギの女王✨笠置シズ子さんの歌、大好きなんだよね〜〜!!ちびまる子ちゃんの「私の好きな歌」
昨日、ブログに先立って1927年(昭和2年)に作られ、アメリカのジーンオースチンが歌って大ヒットしたポピュラーソング『私の青空(MyBlueHeaven)』を榎本健一(エノケン)もヒットさせた日本語バージョンをギター弾き語りし、YouTube292曲目にアップしました!お父さんは、日本語歌詞の「狭いながらも楽しい我が家〜♫」のフレーズが、理想的な楽しく温かい家庭を見事に表現されていて、子どもの頃から大好きでした・・・お父さんも、「幸せ感」を最大限に表現し
榎本健一1904年10月11日~1970年1月7日東京府(東京都)出身1月7日は日本の喜劇王、エノケンこと榎本健一の命日。榎本健一は、昭和を代表する喜劇俳優、歌手。「エノケン」の愛称で親しまれ、「日本の喜劇王」として一世を風靡した。浅草オペラで初舞台を踏んだ後、軽快な動きと独特のハイトーンボイス、そして卓越したギャグセンスで人気を確立。1930年代には劇団「ピエル・ブリヤント」を率い、演劇のみならず映画界でも数多くのヒット作を生み出した。野球との縁も深く、無類の野
【寄稿情報】本日1月5日発売の専門誌「ミュージカル1、2月号で、「#エノケン」と宝塚歌劇団宙組「PRINCEOFLEGEND」の劇評を寄稿しました。特集は「ISSAinParis」。今年の注目作、ぜひご覧ください。#プリレジェ↓最新号の目次はこちらMusicalMagazineNewwww.musicalmagazine.co.jp
10月のシアタークリエから始まった公演の大千秋楽は川越です!チケット申し込みの時、「瀧昌さま」ブームでしたのでチケットを取ってみました!ウェスタ川越よりシアタークリエのほうが音響はいいけれど10月に申し込みたい公演がいっぱいあったので『SPY×Family』同様、川越公演のお世話になることにしました。チケット取ったのは8月で、公演が11月。自分の中の「瀧昌さま」ブームが続いているのか不安だったのでB席を取りました。最近、B席でも6000円近くすることが多かったのにこちらの公演
11/30マチネ、大好きな市村正親さんのエノケン@川越大千穐楽へ!シアタークリエで開幕した時、なかなかチケットが取れず絶望していたら、お友達から一枚譲り受け、あまりに素晴らしく感動して、川上マッコンをポチっていたのでした〜!そんな自分を褒めたい!クリエよりかなり大きな箱だから、どうかな?と思いましたが、やっぱり楽しかった〜♪実はその週仕事で詳しいことがあり、ちと落ち込んでいたのですが、冒頭の市村さんのセリフ、「心配事はロビーにおいて!」を聞いたらいきなり元気になったあたし♪。ありがたいねぇ。市
松雪泰子さんの二役は話し方や仕草が違って別人の方やってるって感じがしてすごいな〜と思いました色んなグッズやおせんべいも売っていました