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今日、4月6日はダニー・コーチマーの誕生日です。(78歳)去年のブログでも取り上げました。↓「ダニー・コーチマーの誕生日」さて、桜満開で皆さん、花見に出かけるのでしょうね。私は音楽を聴いて、花見を楽しみます。w洋楽で桜は無いのでバラだな。花屋さんにはいつもありますが、本来バラは5月の花ですね。エディット・ピアフの名曲です。邦題は「ばら色の人生」でした。「LaVieEnRose」EdithPiafリン・アンダーソンはカントリー歌手ですが、この曲はポップスチャ
ところで、学問としての音楽について全くのド素人であることを卑下するつもりはないけれども、限りなくプロに近いお方の講釈には言うまでもなく太刀打ちできない。何しろ4分の何拍子なんてことが皆目判らないし、名曲と彼らが評価する中に、まるで私の好みに反するものが相当数ある点にも合点がゆかぬ思いがある。演歌がなぜ廃れないで遙か以前から変わらぬ支持を集めているのか、それは演歌が音楽的にまことに優れたものだからだと言う。しかも具体的に曲名をひとつの例として挙げるのだ。杉良太郎が歌った<すきま風>で、「オレの好
サルトルは、L’existenceprécèdel'essence.(実存は本質に先立つ)と言った。この概念に基づき、パートナーのシモーヌ・ボーヴォワールは、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ。」と言った。これを歌姫という概念を使って、平易な言葉にするならば…生まれついての歌姫などというものは存在せず、普通の女性が歌姫になろうと行動することで歌姫という本質を身に着けていく、ということになる。エディット・ピアフを例に取るならば、もちろん彼女の声は唯一無二かも知れないが、それだけ
今日、3月18日はウィルソン・ピケットの誕生日です。(64歳没)2年前のブログで取り上げていました。「ウィルソン・ピケットの誕生日」最近始まったCMが同じ曲を使っていました。北陸新幹線金沢敦賀間開業「つながる北陸」亀田の柿の種もう皆さんお馴染みの「愛の讃歌」ですね。エディット・ピアフが愛するプロボクサー、マルセル・セルダンの為に作った歌です。マルセル・セルダンの生前から作られていたのですが、レコーディングしたのは彼が飛行機事故で亡くなってからでした。
今日、2月13日はピーター・ガブリエルの誕生日です。(74歳)去年のブログで取り上げました。「ピーター・ガブリエルの誕生日」今回は「フランスの洋楽」についてです。フランスの音楽は歴史が長いので、かなり縮小します。wフランスの音楽には基本にシャンソンがあります。「愛の讃歌」エディット・ピアフ「LesFeuillesMortes」YvesMontand・・・などね。フランスの音楽も日本の歌手が日本語に変えて唄い、ヒットさせます。「夢見るシャ
ファッション雑誌を見ていたら、シャネルNo.5の広告写真が目についた。モデルは、1マリオン・コティヤール。大好きな女優さんの一人。顔が好き。目と顎のラインが特に好き。💙これまた大好きな映画「ミッドナイト・イン・パリ」にも出演。主人公が憧れる1920年代のパリを案内する、幻の女ともいえる存在。とても美しい女優さんだが、アカデミー賞をとった「エディット・ピアフ」ではピアフに憑依した。酒と薬でボロボロになった晩年のピアフも見事に演じた。でも、や
エディット・ピアフはYéyéを知っていただろうが、若い人がなんかやっているくらいにしか思っていなかったのではないかと書いた。すると或る方から、ピアフはアメリカン・ポップスをカヴァーしているとの指摘を受けた。"BlackDenimTrousersAndMotorcycleBoots"が元歌で、フランス語詞を付けて"L'hommeàmoto"を歌ったのは知っているが...はっきり言うが、私は、このカヴァーがYéyéの先駆けだとは全く思っていない。Yéy
エディット・ピアフが亡くなったのは、1963年10月。一方で、もともとは英米のポップスやツイストにフランス語の歌詞を付けて歌ったYéyéは60年代にヒットした。ジョニー・アリディがデビューしたのが1960年、シェイラ、クロード・フランソワやシルヴィ・ヴァルタンが揃って1961年なので、舞台で共演することは無かったものの、ラジオなどで流行し始めたことは知っていたのではないかと推測できる。残念ながら、エディットがYéyéについて発言した記録を見たことはないが、若い連中が何かや
ギ・ベアール(GuyBéard)をご存知だろうか?ジュリエット・グレコの「あとに何も残らない」を作詞作曲したシンガーソングライターと言えば、あぁ...と分かる方もおられよう。彼がエディット・ピアフについて以下のように言っている。C'étaituneflammequisebrûlaitenéclairantlesautres.それは、周りの人達を照らしながら燃える炎のようだった。これはどういう意味か?ピアフは誰かに褒め言葉を掛けたり小言をしたり、誰か
Facebookのグループ「シャンソンの新しい風」で、あなたがシャンソンファンになるキッカケとなった歌手は誰ですか?というアンケート調査をしました。その結果は...1位エディット・ピアフ23%2位越路吹雪14%3位シャルル・アズナヴール8%3位セルジュ・ゲンズブール8%という結果でした。やはり、ピアフ強し!ですね。アンケートを参考にしたわけではないですが、1月26日にエディット・ピアフをテーマにしたトークライヴ、3月2日にコーちゃんトリビ
フランスの劇作家であるマルセル・アシャールの言葉に、「観客に才覚が無い夜もある。」というのがあります。いくら面白い脚本を書いたとしても、時として観客がピンと来てくれない、そんな夜もあると彼は言うのです。それに対して、エディット・ピアフは自伝で反論しています。大勢の観客全員が同時に良さがわからないなんてことはない、もし自分のシャンソンが受けなかったら、観客のせいにせずに歌手自身がその理由を考えるべきだと。受けない理由を考えるのは大切なことなのですが、顧客に受けそうな材料を探すこととは違
1957年、ピアフは北米・南米をツアーを11ヶ月間やりました。ニューヨークからハリウッド、ラスベガスからシカゴ、リオデジャネイロからブエノスアイレスという風な具合でした。エディット自身は自伝で、「長い間パリを離れて寂しかった。私にとってシャンソンがわかるパリの観客こそ本当のお客様だ。彼らが恋しかった。」と書いています。一方で、ファンの方はどうだったのでしょうか?パリのファンの方は、ほぼ1年ピアフの歌をライヴで聴けなかったわけですから、待ちきれない状況(フランス語でこの状況をhât
オランピア劇場への出演回数でもっとも多いのは、昔はジルベール・ベコーの60回(連続公演は1回と数える)と言われていましたが、もしかしたらその後ジョニー・アリディが超えたかもしれません。ところで、ロングラン公演で一番長いと言えば...それは、エディット・ピアフです。1960年12月29日から16週連続で出演しました。この記録は、彼女自身が持つ11週(1958年2月6日~4月25日)を大きく超えるものでした。これぞ、スーパースターの証しだと思います。1月26日金曜日の夜に
最近のマスメディアは、LGBTに対する意識を持つようになりましたが、昭和の雑誌記者はレスビアンをゴシップ・ネタにしていました。越路吹雪と岩谷時子は、宝塚-東宝とコンビを組んでいましたので、レスビアン疑惑を持たれていましたが、越路が内藤法美と結婚したことで、その取材は収束しました。同じように疑惑を持たれた女性2人がいます。それは、エディット・ピアフとマレーネ・ディートリッヒでした。エディットはいろんな男性と恋愛したので、何でレスビアンと思われる方も多いかもしれませんが、マレーネがバ
12月19日がお誕生日の有名人・著名人1852年生(1931年78歳没)アルバート・マイケルソンさん物理学者マイケルソン・モーリーの実験1882年生(1947年64歳没)ブロニスラフ・フーベルマンさんヴァイオリニスト1888年生(1963年満74歳没)フリッツ・ライナーさん指揮者1894年生(1979年84歳没)リヒャルト・フォークトさん航空エンジニア1915年生(1963年満47歳没)エディット・ピアフさん歌手1933年生(2019年85歳没)山谷
エディット・ピアフ(ÉdithPiaf/出生名:ÉdithGiovannaGassion/1915年12月19日~1963年10月10日)は、フランスのシャンソン歌手。1915年12月19日、エディット・ジョヴァンナ・ガション(ÉdithGiovannaGassion)がパリ20区の貧しい地区ベルヴィル(Belleville)に生まれた。出生証明書によれば、ベルヴィルのトゥノン病院で誕生したという。ただし、数々の伝記が書かれているにもかかわらず、エディット・ピアフの生
クロード・ルルーシュ監督の映画『エディットとマルセル』(Blu-ray盤、リージョンB)が届いたので、早速お知らせさせていただきます。日本はBlu-rayの「リージョンA」なので、パナソニックのディーガでは当然再生できませんでした。こんなメッセージが表示されます。LAZONEDEVOTRELECTEURN'ESTPASCOMPATIBLEAVECCEBLU-RAY「お使いのプレーヤーの「ZONE」はこのブルーレイと互換性がありま
「エルム」のメンバー達は、過去数々の受賞を重ねた時期があった。1980年第3回都市文化奨励賞(軽音楽の集いmss)1987年第9回都市文化奨励賞(川出祥代)1989年第11回都市文化奨励賞(小林真由美)第1回日仏文化交流功労賞・エディット・ピアフ賞(青山桂子、岡山加代子、黒川泰子、石原歩、松本幸枝)・モーリス・シュヴァリエ賞(加藤修滋)1991年第13回都市文化奨励賞(なかにし陽子)19
ご訪問ありがとうございます。JosephaKeikoです。お元気でお過ごしでしょうか?今日のブログ記事には手術の内容等が含まれています。苦手な方は、どうかスルーしてYouTubeの「愛の讃歌」にお進みください。1年5ヶ月前、私は十二指腸癌の疑いで入院し、手術を受けました。十二指腸EMR・ESD術後の病理組織診断報告書には、細胞異型と構造異型がやや目立つ中等度から高度異型管状腺腫(高異型度管状腺腫)と書かれていました。このまま放置すると癌化する可能性の高い
やっと『愛の讃歌〜エディット・ピアフの生涯〜』(1974年/フランス)を観ることができました(Blu-rayにて)。エディット・ピアフを主人公にした映画は、本作『愛の讃歌〜エディット・ピアフの生涯〜』(ギイ・カザリル監督)の他、クロード・ルルーシュ監督の『恋に生きた女ピアフ(Edith&Marcel)』(1983年)、そしてオリヴィエ・ダアン監督の『エディット・ピアフ愛の讃歌』(2007年)が良く知られています。フランス国内では神格化されたピア
スマホ・携帯を新しくするなら何色を選ぶ?いつも白▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう東京・府中市で家を建てた時居間の壁をざらざらのオレンジ色にしました。かなり気に入ってました💞隣の部屋は8畳の茶室でした。縁側があってとっても気に入ってました!私の人生の一通過点のなかで…
(2023年10月26日、パリ)今日はスズメはスズメでも歌の上手なスズメ(Piaf)の「生家」を見に行きました。肖像のある方ではなく、真ん中の青い扉のあるアパルトマンです。実際は病院で生まれたそうですが、扉上のプレートにはこの建物の「階段で」生まれたとあります。扉脇には、ファンたちが張ったものでしょうか、彼女の肖像がいくつかありました。せっかくなので彼女の墓があるペール・ラシェーズ墓地まで歩きます。途中のベルヴィル公園からの眺め。今でも世界中からファンがやってくるのでし
10月11日が命日・忌日の有名人・著名人1889年満70歳没(?)ジェームズ・プレスコット・ジュールさん物理学者ジュールの法則1896年満72歳没(自然死)アントン・ブルックナーさん作曲家1948年満62歳没(脳内出血)岡本一平さん漫画家妻:岡本かの子長男:岡本太郎1961年74歳没(動脈硬化症)チコ・マルクスさんマルクス兄弟の一員として知られるコメディアン1963年満47歳没(癌)エディット・ピアフさん歌手「愛の讃歌」1963年満74歳没(心臓
シャンソン・ファンの皆さまがCDや音楽配信サービスで何気なく聴かれている、そしてもしかして口ずさんだり、歌われたりしているあの名曲は、それぞれが全然違うタイプの歌詞みたいに聞こえても、案外そのほとんどがピエール・ドラノエ(PierreDelanoë)が作詞しているのかもしれません。彼はとにかく多作で、書いたシャンソンもヴァラエティに富んでいて、例えば...ジルベール・ベコーの「そして、今は」のような迫力のあるものやミシェル・ポルナレフの「ラース家の舞踏会」のような華麗なものがあ
マルセル・カルネの「天井桟敷の人々」は、名画なのでご存知の方も多いことでしょう。あの映画の中で、劇場の天井に近い席、つまり天井桟敷で観客が大うけになって騒ぐシーンが印象的です。あの人たちこそがシャンソン・ポピュレール(chansonspoplulaires)を愛好していた人たちなのです。嘗てのパリの劇場は、チケット代が高価でお金持ちにしか行けませんでした。ただ、劇場で最後方・最上階の天井に近い場所、つまり舞台から一番遠いところに観客席(天井桟敷)があって、そこなら庶民でも手が出る
日本でシャンソンと呼ばれている歌は、フランスではシャンソン・ポピュレール(chansonspoplulaires)と呼ばれています。この「ポピュレール」という形容詞に意味があります。エディット・ピアフが生まれたベルビル(Belleville)は、unquartierpopulairedeParis(パリの下町)と呼ばれています。「下町」というのは日本的な言い回しなので、フランス語を直訳してみます。quartierは、カルチェ・ラタンのカルチェで「界隈」という意味です。p
イヴ・モンタンの歌う「毛皮のマリー」に着想して寺山修司は、丸山(美輪)明宏のために戯曲「毛皮のマリー」を書きました。内容は、シャンソンとはまったく違います。実は、寺山はここでジャン・コクトーへのオマージュをやっているのです。どういうことかと言うと...コクトーが社交界を離れ、アーティストたち(ピカソ、エリック・サティ、ココ・シャネル、エディット・ピアフなど)と交流を深めて行った話は、昨日書きました。「毛皮のマリー」では、美術を横尾忠則、衣装をコシノジュンコ、主演が丸山(美輪)
ジャン・コクトーは、バカロレア(大学入学資格試験)に失敗して進学をあきらめ、パリの社交界(名士や資産家のサロン)に出入りするようになりました。そして、詩集を3冊書きましたが、趣味の域を出ないものでした。そんな時、彼に重大な出来事が起こりました。それは、20世紀初頭にパリでセンセーションを巻き起こしていたロシアバレエ団の主催者・ディアギレフが放った一言でした。「私を驚ろかせてみたまえ」社交界で受けそうな詩を書いていただけのコクトーは、この言葉とロシアバレエの「春の祭典」の舞台に衝撃
フランコ・ジャポネコンサート(博品館劇場)で、1年振りくらいにフランス人の歌声を生で聴きました。アンヌ・リーズさんとパトリック・ヌジェさんのシャンソンは、一語一語聞く人に伝わるように発声されていて、歌詞が文字で認識できて、頭の中に単語として入ってくる感じがしました。プログラムを読むと、アンヌ・リーズさんは、「アネット・シャルロ女史にヴァリエテの声楽を学ぶ。」と書かれていました。ヴァリエテというのは、日本で言う所謂シャンソンのことで、クラシック(オペラや歌曲)ではない大衆歌・流行歌
風かおるさんは、いつもお元気で、全日本シャンソン・ポピュレールコンクールや神戸のパリウィークなどシャンソン振興のために幅広く活動されていて、スーパーレディと呼ぶに相応しいといつも尊敬申し上げております。そんな風さんは、フランコ・ジャポネコンサートツアーもされておられ、昨夜、博品館劇場(東京・銀座)の会場に足を運ばせていただきました。書きたいことは、山ほどあるのですが、「ブログは短め、noteは長め」をモットーにしていますので、一番感動した部分のみ触れさせていただきます。エディ